2.7 子供じゃねーんだ、あんまり心配すんな
「やあシド君、ご機嫌いかが?」
深夜の来客に驚いたシドは本を降り落とした。
振り返った彼の視線の先にいるのは、飽きるほどに見ている馴染みの顔――
「音もなく現れて驚かすのはやめてくれよ、寿命が縮むぜ」
「猫にそれを要求するのはいくらなんでも酷じゃないかい?」
毎度毎度いいリアクションをありがとう、と悪びれた様子も見せずに、クロはソファに陣取って大きくあくびをした。
「どうだい、お嬢ちゃんの様子は?」
「始終見てたくせに何言ってやがる、白々しい」
「バレたか」
おどけたクロは舌を出す。
「いきなり現場にお嬢ちゃんを連れ出すなんて、君も随分思い切ったことをするねぇ」
「ま、あれくらいで折れちまうようなら、そもそも復讐なんて無理だしな」
「そう言ってるけど、ついてきてほしくなかったって顔に書いてあるぜ、シド君」
まあな、と吐き捨てたシドはすっかりぬるくなった紅茶を口にする。
「悪い夢を見てなきゃいいんだけど」
「心配ないさ。いつも通り、ぐっすり寝てるよ」
ローズマリーがちょいちょいクロを抱きまくらにしている、というのはシドも感づいていた。クロが朝、妙に疲れた様子なのはそのせいである。
ちらりと見たことのあるローズマリーの寝顔は、年頃の少女そのもの、とても復讐を目的に魔法を学んでいるようには思えない。
「自分には荒事は向いてない……って心変わりしてくれりゃ、一番楽なんだけどな」
「あの娘に復讐を諦めさせたいのかい?」
「俺のエゴってことはわかってるけど、若い身空で復讐を目標に生きるのはいくら何でも寂しいだろ?」
「君の言うことももっともだけどさ、シド君。それはあの娘自身が乗り越えなきゃならないことなんじゃない?」
どうかな、とシドは足元に視線を落とす。まだ年若い彼女には、導き諭す存在が必要だ。そして、それは本来シドの仕事ではないかもしれない。
だが、彼女がエプサノの惨劇の生き残りである以上、無関係を装っているのも気が引けた。同情するなとクロは言ったけれど、彼女の人生を歪めてしまったのはあの事件で、シドがその関係者というのも事実。だからこそ、こうしてローズマリーの指導と護衛を引き受けて今に至る。
「まあ、俺が勝手に抱え込んでる仕事だからな。自分で何とかするから心配するなよ。
……いずれにせよ、あの娘は警察からの預かりもんだから、何らかの
どうしたものかと手帳片手に思い悩むシドを見て、クロはつい吹き出してしまう。
「いつも真面目に接してれば、あの娘の信頼をもっと得られると思うんだけど、どうかな?」
「荒事の絡む仕事はやめたほうがいい、って促してるつもりなんだけどね。察してくれよ」
不真面目にはなりきれないシドの言葉に、クロは「処置なしだね」と肩をすくめた。
「シド君の職務に対する態度はともかくとして、彼女には今後何を教えていく?」
「やれることが限られてる、ってのは悪いことばっかじゃないかもな。選択肢がないぶん集中できる。あの娘が魔力放出できないのは、君も知ってるだろ?」
現場で見てましたからねぇ、とクロが頷く。
「自己強化系魔法に対する適性がいくら高くても、それだけじゃどうしようもない。使い方のバリエーションを身につける必要はあるが、そのあたりなら俺でもどうにか教えられる」
ローズマリーの指導方針は概ね固まった。残る問題は指南役の技量だ。
「魔力放出ができないなら武器を使っちまえって、アンタが前に言ってたろ? でも俺は武器格闘に関しては門外漢だ」
「シド君、不器用だもんね」
ほっとけ、と言い放つシドだが、反論できる要素は何一つない。
親族に剣術を修めたものがいるにもかかわらず、彼自身は武器を使う事自体に抵抗感と苦手意識を拭えぬまま、外国人部隊に所属し、大人になった。一体誰に似たのやら。
でも、彼の知り合いには「異常に」格闘戦技に長けた者がいる。ローズマリーの指導を引き受けてくれるかどうかは交渉中。明日にでも連絡が来るはずだ。
「もし、彼女が
「できる範囲で頑張るよ」
あくび混じりでやる気の感じられない、彼女の返事。だがそれもいつものことで、仕事はちゃんとしてくれるから、シドも特に気にしてはいない。
「ま、そうポンポン荒事が舞い込むこともないだろうしな。せいぜい今のうちに色々仕込みをしておくさ」
「そう言ってる時に限って厄介な仕事が舞い込んでくるんだよねぇ」
意地の悪い笑みと共にクロは縁起でもないことを口走る。シドが睨みつけてものれんに腕押し、それどころか笑みをさらに深くするばかりだ。
「それにしても、シド君が弟子の訓練に頭を悩ます日が来るとはね。普段も仲良くやってるようで、お姉さんは安心したよ」
「どうだかなぁ」
仲が良いか、と言われると疑問である。
シドの普段の態度があまり良くないのは事実だが、それを抜きにしても、ローズマリーの愛らしい唇から放たれる言葉のほとんどが毒を帯びているように聞こえるのはシドの思い違いだろうか?
とはいえ、お嬢さんのお小言にいちいち目くじらを立てるほど、シドも子供ではない。
「ま、上手く立ち回るさ。変にトラブって警察に支払いを渋られるのも面倒だしな」
フン、と鼻を鳴らしたクロは、シドに聞こえない程度の声で「鈍いなぁ」とつぶやく。
「たまには真面目に彼女に向き合って、話をしてやりたまえよ? いくら子供ったって、あの娘も女だぜ? それなりにカンは鋭いはずだ、見くびっちゃあいけないよ」
「仕事のときは真面目に接してるつもりだけどね」
それが命取りになんなきゃいいけど、と思うクロだが、シドには教えてやらない。自分で気づいて欲しいという親心半分、面白いことになるんじゃないかという悪い期待半分だ。
「長々とした説教は柄じゃないからね、ボクはそろそろ仕事に戻るよ。キミも早く寝たまえよ、シド君」
「こちとら子供じゃねーんだ、あんまり心配すんな」
シドがそういった時には、クロは猫らしく、見事に客間から気配を消していた。
もうすぐ日付が変わろうとしている。シドは珍しく本や仕事道具を部屋に片付け、照明を落とすと、客間のソファに横になって目を閉じた。
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