動かぬ人体模型

 忍び込んだ……もとい入室した理科室は闇の世界に包み込まれていた。それもそのはず。窓に掛かるカーテンが全て閉ざされていたからだ。


「まっっっっくらだね」

「な、なにも見えないです」

「懐中電灯、っと」

「待って明里ちゃん。この暗さで明かりは目立つわ。カーテンを開けましょ」


 伊賀先輩に注意され、全員が懐中電灯のスイッチから手を離す。今は真っ暗の理科室だが、カーテンを開ければ外灯や月明かりが入り中が見えるようになるし、暗闇で光が飛び交う光景による通報案件の危険からも避けられる。


 問題は明かり無しで窓までどう辿り着くか、だ。何度か授業で理科室を利用したが、中央に実験用のテーブルが何個か並べられている記憶があるだけで、距離はどれくらいだったかは曖昧だ。無闇に歩けば間違いなくぶつかるだろう。


「よし、行け堀田」

「何で私だ!」

「親友を守るんだろ?」

「まだそのネタ続けるの!?」

「この理科室が終わるまでは」

「賛成~」

「異議なし~」

「貴様らぁぁぁ!」


 入り口でそんなやり取りをしている中、唯一の救いを求めてりっちゃんに顔を向ける。すごく行きたそうに目を輝かせていた。たぶん、お願いすれば二つ返事で代わってくれるだろう。だが……。


「理科室は薬品置いてあったりするよね? テーブルにあるかな?」


 チラッ。


「普通は片付けてると思うけど、この暗さじゃ見えないから分からないわね」


 チラッ。


「理科室だから劇薬も置いてあるはずだ。触れればたちまち焼け爛れてしまう硝酸も」


 チラッ。


 チラチラと目線が突き刺さる。先程のネタの延長として「じゃあ私が行くよ」「どうぞどうぞ」というベタなネタをさせようとしているのが容易に浮かぶ。だが、負けない。


「そんな危険な場所に可愛いりっちゃんを最初に行かせますか?」

「私ならさせないな~」

「私もですね~」

「くぎゅうは声優の宝だ。もしものことがあったら俺は……俺は……!」


 ジーーー。

 ジーーー。

 ジーーー。


 ついに真っ直ぐ見てきやがった! どんだけ私に行かせたいんだあんたらは! ああもう、分かったわよ!


 無言の圧力に耐えられず、返事をする代わりに動き出した私。何かにぶつからないよう腕を前に出し、手探りで進む。


 たしか……この辺にテーブルがあったような……あった。


 指先に固い感触。どうやらテーブルの縁に触れたようだ。天板に手を置きたいところだが、明里が言ったように何かの道具が置いてある可能性がなきにしもあらず。床に落として破損させるのは危険であろう。私はそこに手を添えながら動き、端に辿り着くと反対の腕を伸ばす。その先にまた指先にテーブルの感触。その繰り返しを行うとようやく窓際のテーブルまで行き着いた。


 カーテンに近寄り、一度隙間から外を覗いて人影がないかを確認する。どうやら近くに人はいないようなので、私はゆっくりカーテンを開いた。


 微量の明かりではあるが、真っ暗の中にいたからだろう理科室の全貌がはっきりと目に取れた。廊下側の壁にはスライド式の棚が並び、上部は窓付きだ。中には実験に使うビーカーやアルコールランプなどが種類別に仕舞われている。備品の収納として使われているのだろう。


 黒板の横の掲示板には様々な注意事項が記された紙が張られ、ギザギザの見出しに【鍵は必ず掛けること】というのが一番目立つ。テーブルにも目を向けると無駄な物が置いておらず、きちんと整理されていた。


「綺麗にされてるね」

「当たり前だな。薬品を扱う部屋なんだから整理整頓、清潔さは厳守だ。清潔さは学校一だろう」

「あんたさっき薬品がテーブルに置いてあるとか言ってなかった?」

「冗談に決まってるだろ。普通に考えれば置いてあるわけがない。バカなのか?」


 いつも一言二言多いなこの野郎!


「さて、さっさと調べるわよ。え~と、問題の人体模型は……」

「こ、こっちにありました」


 りっちゃんの声に反応すると、教室の後方、窓際の端に人体模型と骨格標本が並んで立っていた。


「う~ん、相変わらずキモいね」

「キモい言うな」

「だって内臓モロ見えじゃん」

「そういうもんだからね」

「こっちは骨以外全部持っていかれてるけどね」

「別に持っていかれたわけじゃないと思いますが」

「エドは弟の魂を右腕で、イズミは我が子を生き返らそうとして数ヵ所の内臓が代償だったが、こいつは骨以外を持っていかれたか。一体どんな錬成を……」


 こいつに至っては何を言ってるんだ?


「だ、台座にはしっかり足が固定されてます」


 お遊びはここまで。真面目に捜査しているりっちゃんの声に、私達も真剣に取り掛かる。


「これはボルトか何かで固定されてるね」

「外れた形跡は?」

「な、ないです」

「というか、よく見たら結構古いね、これ」

「たしかに。塗装が取れるというか、薄くなってる部分があちこち」

「関節辺りはどうだ」

「何で関節?」

「走るとなれば関節を曲げなければならない。本当に走っていれば関節部の塗装が極端に剥がれているはずだ」


 まともな指摘に、私は腕と足の関節部を注意して見てみた。しかし、剥がれているどころか皺一つ入っていない。


「人体模型って他にあったりする?」

「いや、これ以外見たことないよ」

「私も知らないな~」

「じ、じゃあ人体模型の不思議は?」

「別の何かと見間違えた、かもな」


 果たしてそうだろうか。七不思議の文にははっきりと“人体模型”と記されている。過去に誰かが見たからこそ固有名詞が使われたのではないのか。


「これ以上触って調べても何も分からないわね。長居は無用よ」

「そうですね」

「イエッサー」


 理科室を出る前にカーテンを元に戻すと、私達は廊下に出た。


「どうします? 他の七不思議調べますか?」

「そうね。時間もまだあるし、行きまし――」

「俺は帰らせてもらう」


 そういうと蜷川はさっさと背中を向けて歩き始めた。


「ちょちょちょ、何帰ろうとしてるのよ」

「用事があるんだ。悪いがこれ以上は調べられん」

「用事? こんな時間に?」


 時刻は二十時半を回った辺り。学生という身分でこの時間から用事があるのだろうか。


「これは大事な用事でな。遅れることはできない。毎週の決まり事なんだ」


 蜷川が真剣に話す。ここまで真っ直ぐに伝えてくる蜷川は珍しい。余程大事な用事なのだろう。


「じゃあ、今日はここまでにしますか?」

「そうね。仮にも祐一は男だし、セイタン部唯一の男子部員。男手が必要になったらいないと困るし」

「仮とは何だ。男の娘にでも見えるってか?」


 百パーないわね。


「そ、それじゃあ帰りますか?」

「よし、総員帰還せよ!」


 全員一致で今日の調査はこれまでとなった。


 出口の昇降口へ向かう途中、明里が蜷川に質問した。


「ねぇ、蜷川君。大事な用事、って何なの?」

「峰岸に分かるかどうかは分からんが、聞きたいか?」

「聞いてみたい」

「だが、ここだけの話にしろよ? 他言無用だからな」


 私も実は気になっていたので耳を立てる。蜷川は顔を少し上げどこか哀しそうに、そして諦めたかのような雰囲気を滲ませている。こんな蜷川を見るのは初めてだ。もしかしたら、身内に何か不幸があったりでもしたのかもしれない。


「実はだな……」


 ……ゴクリ。


「……今期最大の推しのアニメが今日で最終回なんだ」


 ……おい、こいつ今何つった?


「……今期最大の推しのアニメが今日で――」

「いや、二回言うなよ! 何だその理由!」

「何だとは何だ。神アニメが終わるんだぞ。一大事だろうが」

「どこが!? そんなもののために調査切り上げたの!?」

「夜中に放送だが、ファンとしてはリアルタイムで観るために一時間前待機が常識だ。帰って飯食って風呂入って、さらにこれまでのストーリーの総復習という準備を済ませるには今から帰らんと間に合わん」


 限りなく要らない準備!


「しかも、そのアニメは新人の若手声優で占められててな。観るかぎり、技術も声の魅力も申し分なく、これからの声優を支えていくであろう期待の声優達だ。見逃すわけにはいかん」

「帰宅中止! 戻るぞ蜷川!」

「断る。アニメを観終わるまで朝まで掛かるからな」

「何で!? 三十分でしょ!?」

「DVDに録画をしながら観ているんだが、ラスト五分辺りでいつもテレビを消してしまうんだ。最後まで観たら本当に終わってしまうからな。その心の準備が出来るまで十回以上は繰り返し観て、ようやく三十分フルで観終えられる。この気持ち分かるだろ?」


 まっっっっっったく理解できん! たかがアニメを観るのに心の準備が必要か!?


「分かるわ~。私もコロッケ食べてる時、最後の一口は時間掛かるもん」

「同類がここにいたぁぁぁ!」

「由衣ちゃん、りっちゃん。祐一を確保」

「当然です!」

「甘い」


 腕を掴もうと手を伸ばすが、直前で蜷川が階段を駆け降りたので空を切った。


「待て! 蜷川!」


 静かな校内だからダダダッ、という明確な足音。逃げる蜷川を必死で追い掛けた。


 その私達を後方から見つめる視線に気付かずに……。

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