Episode.20 Jealousy, I don't need you.
「――もしもし」
「あっ、ちはるー?」
聞こえた声になんとなくの安心感を覚えながら、「おはよ」と一言紡ぐ。
受話器越しに聞こえてきた声は、幼稚園から大学までずっと一緒の大親友のものだった。元気が良くおてんばで、ちょっとお気楽思考のこの親友――
「今日スペシャルデーなんですけど!」
意気揚々と語り始めた親友の言葉を聞きながら、ちはるは冷蔵庫からお茶を取り出しコップに注いだ。
そのまま一口飲んでほっと一息つけば、「お茶飲んでないで聞いて!」とお怒りを受ける。どうやら集中して聞いて欲しいらしい。
そんな美月に苦笑して「何があったの」と質問してやった。話したくてたまらない、うきうきした様子が彼女の声色にしっかり表れていた。無視するなんてことは、このかわいい親友にはできない。
「よくぞ聞いてくれた、我が親友よぅ!」
無駄に大きく弾んだ声が、ちはるの聴覚を刺激する。
きっと受話器越しに手振り身振りを加えながら、
「バイト行こうと思って、大学前の大通り歩いてたわけ! そしたら突然声かけられてっ」
「やだ、ナンパ? 変な人についていかないようにね」
「あんなカッコいい人、ついてっちゃうよーっ」
「えっ、今その人と……」
「いるわけないじゃん! ものの例えだよ、たーとーえっ」
そう言った美月に、人知れず安心する。もし彼女に何かあったらと思うと気が気でない。
打算的な部分がないわけではないが、それでも美月が純粋であることはよく分かっている。嫌な思いはしてほしくない。
なにより、男性関係に関してはどうにも騙されやすい性格をしているのだ。彼女の恋愛事で相談に乗った回数は計り知れない。
「でね、吸血鬼のさ、花嫁シリーズ知ってる人で!」
「――へぇ」
吸血鬼の単語に、どきり。
「さらさらとなびく黒髪は、どことなくダークな雰囲気をもっていて」
「ほう?」
「鋭く射抜く瞳は、まるで高級な宝石のように美しい赤!」
「ふ、ふむふむ」
「がっしりとした男性特有の上半身には、白いファーコートだけを1枚羽織り」
「……ん?」
「端正な顔を仕立て上げているその唇で、彼はこうやって言うの」
ちはるは思わず、聞こえてくる声に全神経を集中させてしまった。
「オネエサン、美味しそうだな……って!」
「ぶふっ」
思わず吹き出した。
口から吐き出されたお茶は、きれいに机の上に飛び散る。
弧を描いて放たれたその場所に、薄い虹が出来あがっているような気がした。実際には無い。
「えっ、ちょっと大丈夫?」
心配する声が聞こえたが、気管に入り込んだお茶に対処するため咳き込むばかり。げほっ、げほっ、と息を吐き出す。
ちはるは最後のその男のセリフとやらで、見事に確信してしまった。
そう、美月が出会ったであろうその男が、自分の知り合いであること。そして、本の名前に重なるようにその種族の名を持つ――吸血鬼であることに。
その余裕気な表情を思い出して顔が歪む。全てをごまかすように発した声は、かすかな震えを持っていた。
「す、すごく変な褒め言葉を言う人ね」
「変だけど、でもなんか吸血鬼みたいっしょ?!」
正しい認識です。
「また逢えたらいいなぁ! それに、アーク好きなこと語っちゃったし」
その言葉にようやく、ちはるは固まっていた表情を元に戻し、呆れたように言うのだった。
「初対面の人に何してるのよ」
しかしそんなセリフを完全にスルーし、美月は「ちはるも逢えたらいいねっ」と元気よく受話器の向こうで笑顔を振りまく始末。花が咲いているような気さえした。
あぁ、本当にお気楽思考なんだから。
「私は遠慮するわ」とため息を吐いたちはるに、「信じられない!」と美月は叫ぶ。あんなイケメン様に会わないなんて人生損してる、とまで聞こえた。
会った方が人生損するかもしれないのにね、なんて言えやしないため、彼女を適当にたしなめて電話を切るのだった。
聞こえてくる音がすっかり消え去り、沈黙だけが残る室内。
すこしだけ、ちいさな寂しさを覚えながら、胸の中を黒い感情が渦巻いているのを実感してしまった。
息ができない――その状態に全力で反発するかのように、ちはるはお茶を一気に飲み干した。
この黒い感情には、覚えがある。
呼吸を奪われるような感覚、自身をどん底へ突き落とす悪魔――そう、これは「嫉妬」。紛れもない、嫉妬だ。
けれど、そうであっても、なぜシンと美月が仲良くなったことに対し、このような感情を持たなければならないのか。
だって、だって、そうだ。この黒い感情が、本当に先ほどから予想しているその嫉妬心とやらであったとするならば。
そうしたならば、それはまるで。それはまるで、自身がシンを――。
「……好きみたいじゃない」
「へぇ、だれを」
「っ!?」
ぽつり、呟いたセリフに、耳元で完璧なまでのリアクションがあった。ちはるは驚いて肩を揺らす。
ついでに言えば「だれを」の瞬間に、後ろから腕を軽く引っ張られたのだから、ホラーに感じる恐怖感さえ湧きあがってしまった。
そんなちはるの様子がおかしかったのか、至極愉しそうに声を出して笑う犯人・シン。振り向かずとも彼だと分かるのは、玄関から入ってこずとも現れた存在だからか――それとも。
「っ、いつの間に……!」
いくら窓を開けていたとはいえ、声をかけられるまで全く気が付かなかった。そう思いながら、彼の特異なその能力に感心するばかり。
すこし憎いと思わなくもないが、自分の心の内を占めるのはそんな感情ではなかった。
「くく、気になるセリフが聞こえたモンでね。ついつい飛んで来ちまったわけだ」
本来ならばここで罵声のひとつでも浴びさせて、適当にあしらって言葉遊びを楽しみたいところ。
それなのに、意識はそっちにいかない。
物凄い勢いで鼓動を鳴らし始めた心臓が、ひどく煩わしいのに、どこか安心感のようなもので心が埋め尽くされている気がするのは、なぜだろう。
ああ、ほんとうに、ばかみたいに――。
「で、誰を好きみたいって? アンタの好きな奴ってのもなかなか興味がある。アドバイスでもしてやっから、俺に教えてくれない?」
この高鳴りが果たして驚愕からきているものなのか、もはや考えたくなかった。
ちはるは横に頭を振って、意味のわからない考えを吹き飛ばす。
「なぁ」
後ろから彼の右手が、ちはるの顎下に入り込んだ。包むように置かれたその手に、ぞわりとした感覚が駆け巡る。
相変わらず彼の左手はちはるの腕を掴んでいるが、耳元に直接あたる彼の吐息が、なんだか息を呑むほど動揺させてくる。
――食べられてしまいそう。そんな考えが頭を過ぎった。瞬間、言いようのない恐怖と高揚感に襲われる。
なんだ、これ。
そんな自分の変な感情に、ちはるはそれこそ恐怖を感じたのだった。
「シ、ン」
かろうじて出た声は、非常に弱々しかった。発された瞬間、そのまま形をなさずに飛び散ってしまったかのように。
どくん、ひと際大きく鼓動が鳴り響けば、その音は体内でゆっくりと拡散し、ちはるの脳天へと駆け上がってゆく。
ただシンに手と顎を掴まれているだけなのに、体全体にがんじがらめの鎖が巻きついているかのような錯覚さえ起こしてしまった。
この手から逃れられない、この声に引き寄せられていく。まるで、そんな甘い誘惑のように思えてしまう。
嫌とは言わない。だけど、戸惑いを隠せないのも事実だ。
だって、嫌でないだなんて、いったいどのような心境の変化だろう。突然、まるで愛し合った異性がするような甘い触れ方をされて嫌でないだなんて、むしろ、それとは正反対の感情さえ起こっているだなんて。
自分が自分でないみたいだ。
本当にこの感情は自分のものなのだろうか。この体は、この心は、いったいだれのものなの。
そうは思うけれど、確かに反応している自分のすべては、一直線なまでに彼に向って叫び出している。
「なぁ、言えよ。誰を好きみたいって?」
「、や、だ」
「……ちはる」
「っ」
甘い声が耳元で響く。優しい感触が手に灯る。
その状態に耐えきれなくなったちはるの目元に、うっすらと涙が浮かぶ。
名前を呼ぶと同時に、強引に彼女の顔を後ろに振り向かせたシンは、それを見るなり驚いたように目を丸くした。
「え」こぼれた素っ頓狂な声が、その証拠だろう。
「、おーいおいおいおい、頼むから泣かないでくれよ。……あー、……っとだな」
焦ったようにちはるの顎から手を離したシンは、頭をガシガシと掻いてバツの悪そうな顔をする。
ただし、相変わらずもう片方は、ちはるの腕を掴んだまま。
ぷいっと顔を背けて「はなして」と言ったちはるに、シンはどうしようもない感情に襲われる。
これがなんなのかわからない。わからないけれど、突き放されたような感覚はなんだろう。行かないで、と叫びたくなるようなこの女々しい感情。どうしようもなく突き刺すナイフは、ゆっくりとしかし確実に自分の心を蝕んでいく。
シンはそんな感覚を胸に、何かに耐えるような表情をして――。
「ごめんな」
ふわりと、彼女を後ろから抱き締めるのだった。
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