第十章 開幕は爆発と共に

 松明に灯った炎が、陽炎のように揺らめいている。

 俺は意識を集中させるため、両眼をゆっくりと閉じた。

「紅き炎は我が剣。猛き炎は我が誇り」

 ここは『テルノアリス城』の敷地内の一角にある、『修練場』と呼ばれる場所だ。

 幅二十メートル、高さ十メートルほどの広さで造られている室内。その中心には、俺の身長とほぼ同じ高さの、鉄製の丸い籠状の燭台がある。

 松明がくべられたそれ以外、室内には目立った物が置かれていないため、異様なほど殺風景に見えてしまう。

 燭台から二メートルほどの距離を取って佇む俺が、今まさに行なっている事。

 それは、『紅の詩篇フレイム・リーディング』を使いこなすための修練だ。

 長年に渡って会得できずにいるこの能力の真髄は、ありとあらゆる炎を従属する事にある。

 一度能力が発動すれば、術者が発現した炎とは別の炎、例えば自然現象の炎や、『魔術』によって引き起こされた炎を、自由自在に操る事ができる。

 つまり、眼の前の松明の炎を思い通りに動かす事ができれば、それが『紅の詩篇フレイム・リーディング』を会得したという、確実な証拠になる訳だ。

「剣は誇りに直結し、誇りは剣に帰結する」

 全ての『魔術』の基本となるのは、『自分が起こしたい現象を頭の中で想像し、目の前の現象として投影する事』だ。

 個々の『魔術師』によってその現象は様々だが、俺の場合、まず炎が生まれている所を想像する。そしてそこから派生する形で、炎が剣になったり、火球になって飛んでいく様子を思い描き、現実に投影する事で、『魔術』の基本形態が生まれていく。

「荒ぶる炎の使徒達よ。紅き詩篇の名の下に、我が理の従者となれ」

 だが想像できたからと言って、必ずしもそれが成功に繋がるとは限らない。

 強大な能力になればなるほど、想像と投影にはかなりの集中力が必要となり、容易に発現する事ができなくなってしまう。故に何度も同じ工程を繰り返す事が、『魔術』を発動するために必要な事柄となってくる。

 集中力を高め、言霊を詠唱すると共に、瞳を開けて言い放つ。

「『紅の詩篇フレイム・リーディング』」

 それは、魔法名を口にした瞬間だった。

 眼の前にある松明の炎が、波打つかのように小さくうねり、俺の許へ伸びるように近付いてくる。

 しかし――

「くっ!」

 右手に届く寸前で、炎の帯は拡散するように辺りに飛び散り、やがて消え去った。

 軽く息を吐いて視線を戻すと、松明の炎はまるで何事もなかったかのように、静かに、だが盛んに燃え続けている。

「くそ……、また失敗か」

 俺は悔しさの余り、思わず憤慨の言葉を呟いた。

 集中力の維持が難しいのは確かだが、それ以前に、『紅の詩篇フレイム・リーディング』はこんな脆弱な力じゃない。この松明くらいの大きさの炎なら、一瞬で全てを奪い取るぐらいの、従属能力を持っているはずなんだ。

 以前よりだいぶ手馴れてきたとはいえ、実戦で使うにはまだまだ心許ない。

 そして改めて思う。こんなとんでもない能力を行使していたミレーナは、やっぱり凄い人間なんだと。

 しかし、だからと言って諦めたりはしない。

 迷う事も、立ち止まる事も、もうしない。

 自分自身の大切な気持ちを思い出した今なら、絶対に。

「よし! もう一回だ!」

 深呼吸して気持ちを切り替え、俺は再び松明の炎に向かい合う。

 と、その時だった。

「まだここにいたのか」

 冷静さをまとった聞き慣れた声が、室内に響き渡る。

 声のした方を振り向くと、『修練場』の入口付近にジンが立っていた。驚きと呆れが半分ずつ混ざったような、器用な表情を浮かべて、俺を見つめている。

 俺は一旦作業を中断し、苦笑しながら言葉を返した。

「今の状況を考えたら、のんびり休んでなんていられなくてさ。それにあんな豪華な部屋、俺の性に合わねぇよ。ずっと閉じ籠ってたら、逆に肩が凝りそうだ」

 俺は思いっ切り顔をしかめて、二度とゴメンだとばかりに手をヒラヒラと振った。

 するとジンは、やれやれと言いたげな表情で苦笑する。

「随分な言い草だな。まぁ、その方がお前らしい」

 切迫した状況下であるにも拘らず、俺達の間では、普段通りの会話が成立していた。それだけ、ある種の余裕のようなものが生まれているらしい。

 そんな事を感じさせるゆっくりとした歩調で、ジンは俺の傍まで歩いてくると、腕を組んで立ち止まった。

「ついさっき、討伐隊の編成が完了した。これからアーベント・ディベルグの大規模な捜索が始まる。作戦開始の前に、お前には伝えておこうと思ってな」

「ああ、そっか。……って言うか、今何時?」

「午前八時を回った頃だ。修練に夢中になるのはいいが、時間の確認ぐらいちゃんとしておけ」

「……面目ない」

 ジンに注意されると、なぜか平謝りしてしまう。何かいつの間にか、上下関係が出来上がってるって感じだ。我ながら不甲斐ねぇよなぁ、色々と。

「それと、昨日お前が教えてくれた件だが……」

「! ああ、エリーゼからの伝言の事か」

 自然と肩を落としていた俺は、すぐさま頭を切り替えた。

 昨日の夜、『修練場』の使用許可をもらう前に、俺は例の伝言をジンに伝えておいた。

 内容を把握すると、ジンは一人納得した感じで頷いて、「後は任せておいてくれ」と言った切り、それ以上何も教えてくれなかった。

 だからずっと気になってたんだよなぁ……。修練に支障が出なかったのが不思議なくらいだ。

「で、何か成果は出たのかよ、あの伝言聞いて」

「ああ、ある程度はな」

 容易く互いの意図を察するという、ジンとエリーゼの繋がりの深さを見せつけられた俺としては、一人蚊帳の外に置かれている感が否めない。俺が根暗な人間だったら、間違いなく根に持ってる所だぜ。

 ……などと思う俺の胸中を知ってか知らずか、ジンはようやく説明を始める。

「あいつ――エリーゼは恐らく、すでにテロリストの仲間がこの街に潜伏している、と伝えたかったんだろう。しかも、かなりの人数がな」

「潜伏って……この街は東西南北全ての門に、検問所があるじゃねぇか。列車を使うにしたって、停留所にも監視の眼はある。テロリストがこの街に入り込むなんて真似、そう簡単にできる訳が――」

 と、否定し掛けた俺は、すぐに気が付いた。

 そうだ、絶対にないとは言い切れない。現に俺は昨日、身を以て体験したばかりじゃないか。

 廃材置き場でのアーベントとの戦いが、まざまざと脳裏に思い浮かぶ。奴自身を含め、あとから現れた連中も全員、ご丁寧に武装してやがった。

 つまり――

「なるほどな。昨日、俺が街中で戦った事が何よりの証拠って訳か。……あっ。もしかして、ある程度の成果って……」

「ああ。奴らがこの街に潜伏するためには、第三者の手引きが必要になる。俺もそう思って、検問所の兵士全員を、取り調べようとした矢先の事だ。街の北側、第二検疫所の兵士二名が、行方不明になった。恐らくその二人が、テロリストの一味だったんだろう」

 思えばこの街に来る前、『ディケット』において解決した列車テロ事件。あの時も、運転手と整備士がテロリストの仲間だった。今回の件も、それと同じだ。

 この街へ入る際に体験したから知っている事だが、この街の東西南北に二カ所ずつある検問所には、一カ所につき常時二人の正規軍兵士が、見張り役として待機している。その兵士達の内の誰かが、テロリストの一味なら。他の仲間がこの街に入る際、色々と手を加える事ができるだろう。それこそ、武器と成り得る物資などを運び入れる事も。

 一体いつからそんな不正が行われていたのか、と疑問に思う所だが、今はそんな事を言ってる場合じゃない。

「そいつらの捜索は、もう始めてるんだよな?」

「もちろんだ。だがアーベントと同じで、見つけ出すのは困難だろう。それに、あまりそちらに時間を割いている余裕は、恐らくない」

「? どういう意味だ?」

「ここへ来て奴らが引いたという事は、近い内に何かが起こるという証明に他ならない。それが今日なのか、或いは明日なのか。詳しい事はわからないにしろ、こちらも本格的な戦いの準備を始めなければ、有事の際に対処ができなくなる。……それで、お前の方はどうなんだ?」

 難しい表情のジンに尋ねられ、俺は僅かに押し黙った。

 光明すら見えないという訳じゃないが、かと言って順調という訳でもない。どれだけ甘く見積もっても、『紅の詩篇フレイム・リーディング』を完全に会得するためには、まだまだ時間が掛かりそうだ。

 だがもう、以前のような迷いはない。

 自分で言うのもなんだけど、諦めの悪さだけは折り紙つきだ。

「どれだけ時間が掛かってもやり遂げてみせるさ。何たって俺は、『英雄』ミレーナ・イアルフスの弟子なんだからな」

「……そうか」

 根拠など全くない、己を過信しているとも取れる俺の発言に、しかしジンは優しく微笑してみせる。そして背を向けると、静かにその場から立ち去っていった。

 物言わぬジンの背中を見送った後、俺は視線を松明に戻し、再び集中を開始する。

 静けさが戻った『修練場』に、松明の火が爆ぜる音が響いた。




 ◆  ◆  ◆




 どれぐらい時間が経った頃だろう。

 室内に籠り切りだった俺は、休憩を兼ねて城の外に出ようと考え、敷地内を歩いていた。

 高さ十メートルはあろうかという、『テルノアリス城』の巨大な門を潜り、相変わらず多くの人で溢れ返る大通りに出ると、俺は大きく伸びをしつつ、雲一つない青空を見上げた。

 太陽が高々と昇っている事から、恐らく昼時が近いと思われる。そのせいか、大通りに軒を連ねる飲食店の多くは、どこもかしこも満席になっているようだ。

「あ~、腹減ったなぁ……」

 正直な俺の腹が、グウゥというわかりやすい表現で空腹を訴えている。

 昨日の夜から『修練場』に籠っていた俺は、体力を回復させるために寝る事はあっても、食事を取るという事をしなかった。今朝にしても、ジンが去った後も修練を続けていたため、結局朝食すら口にしていない。

 急に空腹感を思い出したのは、休憩を取った事で集中力が途切れたからだろう。とりあえず、まずは腹ごしらえからだ。

 俺は混み合っている飲食店を避け、大通りにある色々な出店で買い食いをする事にした。

 新鮮な野菜と肉汁がたっぷりのソーセージを使ったホットドッグや、酸味と甘みが絶妙に合わさった果物のジュース。他にも出店で色々と食べ物を買い、行儀悪く食べながら歩き回った。

 そんな事を飽きるまで繰り返し、だいぶ腹も膨れてきた頃。果物のジュースを片手に歩いていた俺は、ふとジンに注意された事を思い出した。

「そういや時間の確認してねぇや。こんな事してたら、またジンに何か言われるな。え~っと……」

 苦言を呈するジンの表情を思い浮かべつつ、俺は辺りに小さい時計塔などがないか見回していた。

 するとその時。ゴォーンという大きな音が、規則的な旋律を奏でながら響いてきた。『首都』では名物として知られている、腹に響くような独特の深い音色を持った鐘の音だ。

 背後を振り返り、音のする方を見上げる。

 視線の先、『テルノアリス城』の中央に建つ時計塔。白く聳え立つその塔の上部には、太陽光を反射して煌めく、金色の巨大な鐘が吊るされていて、それが正午を迎えた事を告げている。

「もうこんな時間か。ジンの奴は昼飯食ったのかな?」

 今朝『修練場』で別れた切り、ジンの顔を見ていない。今頃彼は、どこで何をしているんだろう?

 と、呑気にそんな事を考えた後、そろそろ城に戻ろうかと思った時だった。


 天地が裂けたのかと思うような、巨大な爆発音が、突然辺りに響き渡ったのは。


「なっ!?」

 正午を告げる鐘の音を掻き消すほどの爆発音。その衝撃の余波なのか、地面が揺れ、微かに何かが崩れるような地響きも伝わってくる。

 あまりにも突然の事で、俺は手にしていたジュースの容器を地面に落としてしまう。だが、驚き戸惑っているのは俺だけじゃなかった。

 大通りを行き交っていた人々は、地面に身を伏せたり、何事かと騒ぎ始めたりと、様々な反応を見せながら忙しなく辺りの様子を窺っている。

 まさかこの騒ぎ、いよいよ始まったって事なんじゃ……!

 胸を圧迫するような不安に駆られ、俺は状況を確かめようと走り出そうとした。

 だが、その瞬間――

「きゃああああああ!!」

「!」

 大通りの一角から聞こえてきた、女性のものらしき悲鳴に振り返ると、そこには信じられない光景があった。


 黒いマントに身を包み、顔の上部を隠す白い仮面を付けた怪しげな人物達が、謎の騒動に戦慄く人々を容赦なく襲っている。


 視界に捉えた範囲だけでも、仮面の人物の数は十を下回っていない。その全員が、凶器となり得る様々な得物を手にしている。

 すでに辺りは血の海となり、刺されたか斬られたかわからないが、通りには何人もの人間が倒れ伏していた。

「何してんだてめぇらーーーーーッ!!」

 俺は叫ぶと同時に走り出し、今また民衆を襲おうとしていた仮面の人物に飛び蹴りを喰らわせた。

 思い切り身体を仰け反らせて、仮面の人物はあらぬ方向へと倒れ込む。

 俺はすぐさま、右手に『紅蓮の爆炎剣フレイム・ロングソード』を出現させ、立ち上がった仮面の人物と対峙した。

「……おいおい。見覚えがある、どころの話じゃねぇぞ」

 相対する連中が身にまとうマントは、昨日廃材置き場でアーベントと戦っていた時に、俺を取り囲んでいた奴らが着ていた物と全く同じだ。

 どうやら、今朝ジンが口にしていた懸念が、現実のものとなってしまったらしい。

「ふざけやがって、アーベントの野郎!」

 俺は右手の炎剣を強く握り締め、対峙している仮面の人物に斬り掛かった。

 仮面の人物は、俺が上段から放った斬撃を、持っていたロングソードで受け止める。すると、昨日アーベントと対決した時のように、炎剣から炎と爆発が生まれなかった。

『魔術』が正しく発動しない。つまりこいつらが握っているのは、『導力石』を用いた武器って事だ。

 ならば、このまま斬り結んでいても埒が明かない。こいつらを確実に倒すためには、別の手段を用いる必要がある。

 即断した俺は、相手の剣を押し返して距離を取り、『紅蓮の爆炎剣フレイム・ロングソード』を消滅させた。そして新たな炎を出現させ、頭上の一点に集束させる。

「『深紅の流星クリムゾン・レイン』!」

 叫んだ言葉と共に、頭上の炎の塊が弾け飛び、火球となって、辺りに散らばっている仮面の人物達に降り注いだ。

「ぐああああぁぁっ!!」

「ぎゃああああぁぁっ!!」

 火球を喰らった連中は、皆口々に苦痛の叫びを上げ、地面に倒れ伏して動かなくなる。

 辺りにはまだ避難できていない民間人もいたが、『深紅の流星クリムゾン・レイン』は目標を定めて撃てば、対象物以外に被害が及ぶ事はない。標的の数が増えるほど、より精密な計算が求められる術だが、『紅の詩篇フレイム・リーディング』に比べれば、難易度はそれほど高くはない。

 一応、この辺りの敵は無力化できたようだが、遠くの方からは、未だに悲鳴や怒号、そして小規模な争いによる、戦闘音らしきものが聞こえてくる。恐らくここ以外の場所でも、テロリスト達が暴れ回っているに違いない。

「くそっ! どこもかしこも敵だらけって訳か!」

 吐き捨てるように叫び、走り出そうとした時だった。後方から聞こえてきた複数の足音が、俺の足を踏み止まらせる。

 足音の主は、灰色の軍服を身にまとった、正規軍兵士の一団だった。走り寄ってきた彼らは、地面に伏して動かなくなった仮面の敵兵達を、次々と拘束していく。と同時に、負傷者の傷の手当ても行い始めた。

 やはり軍人というだけあって、どの兵士も実に手際が良い。俺が手を貸さなくても、この場は任せておけば大丈夫そうだ。

 突然戦闘が始まった事で、軍も混乱しているのではないかと危惧していたが、どうやら杞憂だったらしい。

 なら俺も、次の行動を起こすべきだろう。あの悪趣味な男を捜し出して、この騒乱を止めなければ!

 不敵な笑みを湛えるアーベントを、脳裏に思い浮かべながら、俺は気を引き締め直し、疾走を開始した。




 ◆  ◆  ◆




 眼が覚めて最初に視界に映ったのは、爆発による黒煙を巻き上げる『首都』の姿だった。

 一体自分は、いつ意識を失って、どうやってこんな所に運ばれたのだろう?

 疑問を抱えたまま、リネは相変わらず拘束されたままの身体を必死に動かして、どうにか脱出しようと試みる。

 だがその努力は、全くの無駄だった。

 リネの身体は、金属製の十字架に磔にされている。両手両足を拘束している太い鋼鉄の鎖は、彼女の頼りない腕力でどうにかできるような代物ではない。どんなに激しく揺さぶっても、精一杯力を込めて引っ張っても、外れるどころか緩む気配すらない。

 何をしても無意味だと認めるまでに、一体どれくらい掛かっただろう。抵抗の意思を削がれたリネは、もう一度前方を見つめた。

 遥か彼方に見える白い外壁の中で、激しい戦乱が巻き起こっている。そして恐らく、リネのよく知っている人物が、あの戦乱の渦に巻き込まれているはずだ。

 だというのに、自分には何一つできる事がない。ただ意味もなく、破壊行為の行く末を眺めている事しかできない。

「――起きたか、化物」

 無力感に苛まれているリネを嘲笑うかのような声が、視界の端から聞こえてくる。

 声の主が誰なのかは、改めて確認するまでもない。彼女を化物と呼ぶ人間は、一人しかいないのだから。

「あなたって、最低の人間ね」

 リネは思い切り顔をしかめて、侮辱の言葉を返してみた。

 しかし、遠く『首都』の街並みを見つめるアーベントは、愉快そうに笑うだけで、気にしている様子は全くない。

「クク、相変わらず強情な小娘だ。少しはこの景色を堪能したらどうだ? 狂おしいほどの激しい戦乱に呑まれ、悲鳴と怒号を撒き散らしながら、燃え盛る炎に包まれていく街。実に美しいじゃないか」

「……わかんないよ、あたしには。どうしてそんな風に笑ってられるの? あなたが起こした戦いのせいで、たくさんの人が犠牲になるかも知れないのに――」

「興味がないからだよ」

「!」

 リネの言葉を遮って振り返るアーベントの表情は、途轍もなく平淡な物だった。どこまでも無感情で、無慈悲で、彼が操っていた炎の熱さとは全く正反対の、氷のような冷たさを感じる。

 一瞬で気圧され、口を噤んでしまうリネを蔑むかのように、アーベントは冷徹な微笑を浮かべる。

「その辺にいる人間の命など、俺にとっては無価値も同然だ。誰がいつ、どこで死のうと知った事か。――まぁ、強いて言うならただ一人、例外となる人間はいるがな」

「! それって、ディーンの事?」

 もしかしたらという思いが働いて、気付けばリネは、ほとんど反射的にその名前を口にしていた。

 しかしアーベントは、予想に反してあからさまに顔をしかめ、忌々しそうな口調で吐き捨てる。

「奴が例外? フン、笑わせるな。誰があんな未熟者に入れ込むものか。奴は所詮、この街と共に消え去る運命だ。自らが操る力と、同じ力によってな」

「? どういう意味……?」

 疑問を投げ掛けるリネに対して、アーベントは嘲笑うかのように冷笑すると、黒煙を上げ続ける『首都』の景色に、再び視線を向けた。

「直にわかる。その時が来るまで精々大人しくしているんだな、化物」




 ◆  ◆  ◆




 騒動が始まって、すでに一時間は経っただろうか。あらゆる方向から聞こえてくる戦闘音を聞き流しながら、大規模な襲撃と破壊で荒れ果てた『首都』の大通りを、一心不乱に駆け抜ける。

 疾走を続けながら、前方の十字路を右に曲がろうとした、その時。何らかの騒ぎで破壊され、残骸と化した出店の陰から、突然仮面の男が現れた。

 手にしているロングソードを無慈悲に振るいながら、猛然とこちらへ迫ってくる。

「くっ!」

 無理矢理身体を捻って右に跳ぶ事で、俺はその凶刃を、紙一重で回避する。二、三度地面を転がり、その勢いを利用してすぐさま立ち上がった。

 するといつの間にか、仮面の男が追撃を加えようと、間近に迫っていた。

「てめぇの相手してる暇はねぇんだよ!」

 吐き捨てるつもりで叫びつつ、右手に集束させた炎を、『紅蓮の爆炎剣フレイム・ロングソード』に変化させる。

 直後、仮面の男は上段に構えたロングソードを、勢い良く振り下ろしてきた。

 俺は相手の剣線を瞬時に見切り、下段から炎剣を振り上げる事で、それを易々と弾き返す。接触の瞬間、炎剣の刀身から飛んだ火の粉が、右頬を掠めた。

 斬撃を弾いた事でがら空きになった相手の胴体に、炎剣を横一文字に叩き込む。

「がああああぁぁっ!!」

 紅い刀身が交錯した瞬間、仮面の男の身体から炎が勢い良く噴き出し、踊るように燃え盛った。

 皮膚を焼かれる熱さと痛みから、仮面の男は狂ったように悶え続けていたが、炎が消えると同時に、そのまま地面へと倒れ込んだ。

 無論、力を加減しているため死んではいない。焼き払うのは簡単だが、それでは意味がないんだ。

「ったく、次から次へと……」

 倒れて動かなくなった男を見つめ、俺は息を整えながら呟いた。

 ここに来るまでに倒した仮面の敵兵士は、この男を含めて二十一人。他の場所でも大規模な戦闘が続いてる事を考えると、敵側にはかなりの人数が揃っていると見て間違いない。

 尤も、本気で『首都』に戦争を仕掛けるなら、少なく見積もっても何百という単位の人間が必要なはずだ。そう考えると、これはまだまだ序盤戦。これから先、かなりの大人数を相手にしなければならなくなるだろう。音を上げている暇などない。

 それに、こうして敵を撃破しつつ、同時に情報収集を行った結果、わかった事もある。それは、都市内部にある列車の停車駅が、謎の爆発によって破壊された、というものだ。

 俺自身、過去に何度か『首都』を訪れて知った事だが、この街には東西南北のとある一角に、列車を停車させるための駅がある。

 そもそも『首都・テルノアリス』は、商業区、劇場区、住宅区、工業区といった、四つの区に分かれた構造で、それぞれその場所に則した建造物が建てられている。そして、その四カ所に造られた停車駅には列車が発着していて、『首都』から大陸のあらゆる地域へ鉄道が伸びている。

 そんな、移動手段の要と言える機関が、破壊されてしまったという事実。最初に聞いたあの大きな爆発音は、それが原因だったんだ。

 ……しかし、だ。こうして駆けずり回ったにも拘らず、一向にアーベントの行方が掴めない。一体あいつは、どこに潜んでいるんだ?

 列車の破壊なんて派手な真似をしている以上、指揮を取っているはずのあの男も、必ずどこかにいるはずだ。

 だが舞台となっているこの街は、大陸の『首都』であるが故に、他とは比べ物にならない広さを誇っている。そんな場所で人間一人を見つけ出すのは、決して容易な事じゃないだろう。俺のように、ここの地理にあまり詳しくない者が捜そうとしてるんだから、尚更だ。

 とはいえ、いつまでも無駄足を続けていれば、こっちの体力が底を付いてしまう。……いや、もしかしたら、それも奴の狙いの一つなのかも知れない。

 いずれにしろ、何か打開策を考えるべきだ。……ってのはわかってんだけど、一体どうすりゃいいんだ?

 完全に立ち止まってしまった俺は、当てもなく辺りを見回してしまう。

 すると、その時。


「あなたがディーン・イアルフスですね?」


 妙に落ち着き払った声が周囲に木霊したかと思うと、突然俺の身体が空中高くに浮かび上がった。

 ……いや、正確には地響きと共に地面を突き破って現れた何かが、俺の身体を足下から持ち上げているんだ。

「なっ!?」

 数メートル持ち上げられた所で、辺りに飛び散る瓦礫と共に、俺は地面へと落下する。

 何とか受け身を取って着地した俺は、砂埃が舞い続ける視界の中にある物を見つけた。

 それは、十メートルはあろうかという巨大な影。

 真上から覆い被さるかのように屹立するそれの正体に、俺は砂埃が晴れる前に気付いた。なぜなら、俺が『それ』を眼にする機会は、今までに何度もあったからだ。

「『ゴーレム』!」

 砂埃が完全に晴れた後に、その全貌を現したのは、人型を模した胡桃色の巨体。全身が石膏像のように滑らかに整形されているせいか、少し艶のある質感をしている。手足から胴体に至るまで、ほとんど岩の塊のような大きさだが、顔と呼べる部分だけが、他の部位に比べて僅かに小さい。その顔の中心には薄藍色の丸い窪みがあり、それがまるで眼だと言わんばかりに、淡く明滅を繰り返している。

 つい先日、『テルノアリス』に来る途中で遭遇した『ゴーレム』は鉄製だったのに対し、眼の前の『ゴーレム』は、岩石でできているようだ。この辺りの違いは多分、『製作者マスター』である『魔術師』の、属性や錬成方法によって変わってくるんだろう。

 俺は『ゴーレム』に関する少ない知識を総動員して、敵を分析しつつ、さっきの声の主を探した。

 相手は間違いなく、この『ゴーレム』の『製作者マスター』であり、俺と同じ『魔術師』だ。

「ディーン・イアルフス」

「!」

 再び聞こえてきた声は、どうやら男のものらしい。落ち着いた印象を感じさせるその声は、屹立したまま動かない、『ゴーレム』の足許の辺りから聞こえる。

「アーベント様から聞いていますよ。かの『英雄』、ミレーナ・イアルフスの弟子でありながら、碌に『深紅魔法』を扱えない、未熟者だと」

 言葉を発しながら現れた男は、今までの敵兵達とは、少々姿が異なっていた。

 白い仮面を付けてはいるが、黒いマントではなくローブを身にまとっており、右手に一メートルほどの長さの杖を握っている。『魔術』の核となる物なのか、木製の杖には、黄土色の宝玉が埋め込まれている。

 言葉の端に含み笑いを挟んで喋る男は、言葉遣いは礼儀正しい感じだが、何だか気に喰わない。……って言うか、誰が未熟者だって?

「下っ端の分際で随分な事言ってくれるな。何も知らねぇ野郎が、好き勝手抜かしてんじゃねぇよ」

 アーベントの野郎に未熟者扱いされるのも御免だが、見ず知らずの人間にそう言われるのはもっと御免だ。

 俺は『紅蓮の爆炎剣フレイム・ロングソード』を右手に造り出しながら、威圧するつもりで強く睨み付ける。

「邪魔するってんなら容赦しねぇ。退くなら今の内だぜ?」

「フフ、面白い人だ。この状況で敵に情けを掛けるとは……。折角の申し出、すみませんが丁重にお断りさせて頂きます。未熟者相手に背を向けるなど、『魔術師』として有るまじき行為ですから」

「……そうかよ。なら、どんな眼に遭おうと文句はねぇよな!」

 叫ぶと同時に、炎剣を携えて走り出す俺の視線の先で、『魔術師』の身体が僅かに動く。

「――行け」

『魔術師』が呟き、杖の石突きを地面に打ち付けた瞬間、今まで静止していた『ゴーレム』が、再び動き出した。岩石で造られた巨大な右拳を、こちらに向けて放ってくる。

 俺は咄嗟に、地面を強く蹴り付けて左に跳んだ。するとそこに、ほんの数秒遅れて『ゴーレム』の拳が突っ込んできた。

 轟音を響かせて地面に突き刺さる、巨大な拳。巻き起こった激しい揺れに、俺は一瞬足を取られそうになった。

 しかしどうにか体勢を保ち、反撃を試みようと、『ゴーレム』の太い右肘の辺りに、炎剣を振り下ろそうとした。

 だが、その時。

 しかし――

「『岩裂槍メテオ・ランス』」

「!」

 突然横合いから、槍の矛先を模した無数の鋭利な岩石が、次々と飛来した。

 間一髪、後退してそれらを躱した俺は、口許を歪めている『魔術師』の姿を捉え、僅かに舌打ちした。もしも上手く回避できていなければ、かなりの傷を負う羽目になっていただろう。

「不意討ちとはやってくれるじゃねぇか。あんたの辞書に、正々堂々って言葉は載ってないみたいだな」

「おや、心外な物言いですねぇ。誰もエルザだけがあなたの相手をするとは言っていませんよ?」

 愉快そうな笑みを挟みつつ、『魔術師』は傍らの『ゴーレム』の身体を、随分と優しい手付きで撫でてみせる。

 対して俺は、相手の妙な発言が気になり、首を傾げてしまう。

「……なぁ、エルザって誰の事だ?」

「何を言ってるんです? 決まっているでしょう。この『ゴーレム』の名前ですよ。『彼女』は私の大切な従者であり、永遠のパートナーでもある。まぁ、あなたのような未熟者には、到底理解できない事でしょうがね」

「……」

 何しれっと気持ち悪ぃ発言してんだこいつ……。今までにも『ゴーレム』を操る『魔術師』と戦った事はあるけど、こいつみたいに名前を付けてる奴なんて初めてだ。しかも女として扱ってんのかよ……。

 少々、どころかかなり嫌悪感を覚えるその思想は、奴の言う通り俺には理解できそうにない。

 と、露骨に顔に出しているにも拘らず、『魔術師』の方は涼しげな様子で続ける。

「さぁ、私達二人を相手にどう戦いますか? あなたが未熟者ではないと言うのなら、その証拠を今ここで見せて頂きたいものだ」

 妙な発言のせいで心が萎え掛けたが、俺はどうにか気を取り直し、会話を続ける事にした。

「その前に、あんたに聞きたい事がある」

「おや、何ですか?」

「アーベントの野郎はどこにいる?」

 然して戸惑った様子もなかった『魔術師』に対し、俺は即座に尋ね返した。

 言葉の端に、滲み出るような敵意を絡ませて。

 脅しが効くような相手じゃない事はわかっている。単に俺は、自分の内から沸々と湧き上がる感情を、抑える事ができなかっただけだ。

 憎しみや怒り。激しい感情は確かに渦巻いているが、それらに紛れて、強敵と戦う前の高揚感のようなものがある。

 そうだ。俺はきっと、心のどこかで望んでいるんだ。

 無抵抗なリネを連れ去り、『魔術師』としての信念にまで傷を付けた男、アーベント・ディベルグとの再戦を。

「さぁ、どこにいるんでしょうねぇ。私の口を割らせる事ができれば、自ずとわかるのではないですか?」

 俺の心中を察しているはずもない『魔術師』は、終始落ち着いた口調で告げる。

 確かにその通りなんだけど、どうもこの男、口調がいちいち芝居掛かっていてやり辛い。若干自己陶酔が入っているような気がしないでもないが、とりあえずそれは置いておこう。

「仕方ねぇ。あんたがそう言うんなら、望み通りブッ倒してやるよ!」

 身体の内から湧き上がる熱量を力に変え、疾風の如く駆け出す。

 戦闘再開は、ものの数秒後だった。

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