第九章 誰が為の意義

 太陽も完全に落ち切り、夜を迎えた街の中を、街灯や店の明かりに照らされながら、俺はどこへともなく歩いていた。

 ジンには休めと言われたが、とても眠れる気分じゃない。早々に城を抜け出した俺は、こうして一人、街の大通りを歩いているという訳だ。

「……何やってんだろ、俺」

 こんな事をしていても、事態が治まる訳じゃない。リネが帰ってくる訳でもない。だけど俺は、彷徨せずにはいられなかった。

 これから俺はどうするべきなんだろう?

 アーベントの行方を追い、再戦したとしても、『紅の詩篇フレイム・リーディング』を使いこなせない今の俺では、勝つ事はできないだろう。況してあいつは、俺以上に『深紅魔法』の事を熟知している。そんな奴相手に、一体どう戦えば勝てると言うのか。

 リネの事だってそうだ。あいつは俺を守るために、自らを犠牲にしてアーベントに付いて行った。そんな彼女の意志を、思いを捻じ曲げてまで、俺が助ける必要は本当にあるんだろうか。

 ならばいっそ、全てを放り出してミレーナの捜索を再開するのはどうだろう。

 噂の真偽なんて、この際どうでもいい。元々俺の旅は、彼女を見つけるために続けてきた事なんだから。

 ……いや、捜し始めて一年経った今でさえ、何の手掛かりもない状態が続いているんだ。新しい情報を手に入れた訳でもないのに、捜索を再開した所で、事態が進展するとは思えない。

 甘言めいた考えを思い浮かべては、自らの意思で否定する。そんな無意味な作業を、一体どれくらい繰り返しただろう。

 何もかも、手詰まりだった。こうして宛てもなく歩く事でしか、現実を逃避できなくなっていた。

 街灯に照らされているとはいえ、暗い夜道は続いていく。

 まるで自分の心象風景を映したような闇だなと、自虐的な事を思った時だった。

「随分辛気臭い顔をしてるわね、お兄さん」

 思考の渦に呑まれ、溺れ掛けていた俺は、そこでようやく我に返った。

 声のした方を見ると、煌々とした灯りを発する街灯の下に、顔を銀色のベールで隠した女性が佇んでいた。

 ベールと同色の、踊り子が着ていそうな派手なドレスを身に纏い、まるで宝石のような輝きを放つ翡翠色の瞳で、真っ直ぐこちらを見つめている。

「……誰だ、あんた」

 無関心半分、警戒心半分で尋ねると、不思議な雰囲気を放つ女性は、銀色のベールの下で優しく微笑んでみせる。

「私の名前はエリーゼ。この街で占いをやってるの。見た所、何か悩みを抱えてるようだけど、良ければ力になりましょうか?」

「……占い師になんか用はねぇよ」

 そういう胡散臭いものを、最初から信じないようにしている俺は、素っ気なくエリーゼをあしらった。

 相手にする必要はないと判断し、俺は占い師の横を素通りする。

 その直後だった。


「ふーん。行方不明になった師匠を捜すために旅をしてるのね、あなたって」


「!?」

 妙に弾んだ声で告げられた言葉に、俺は警戒心全開で振り返った。

 この女、何でそんな事を……!?

「どう? 当たってる?」

 屈託のない笑顔を見せる、自称占い師の女。確かに邪気は感じられないが、逆にその笑顔が、何か得体の知れないものを隠していそうで、素直に恐ろしさを感じる。

 エリーゼとの距離を慎重に測りつつ、俺はもう一度問い掛けた。

「あんた、何者だ?」

「さっき言ったでしょ? この街で占いをやってるって。あなたがあまりにも興味なさそうだったから、試しにと思って言ってみたんだけど。もしかして不味い事を言ったかしら?」

 相手の姿を見据え、無言で警戒を続ける。一体彼女は、どうやって俺の素性を探り当てたのだろうか?

 あれこれ思考を巡らせていた所で、ふとある事に気付く。

 この女は確か、『ミレーナ・イアルフスを捜してる』じゃなくて、『師匠を捜してる』って口にしたはずだ。それはつまり、俺の素性を全て知り得ている訳じゃない、という事に繋がるんじゃないか?

 考えが正しいのかわからないが、俺は若干警戒心を緩め、そしてまたエリーゼに問う。

「あんた、俺の師匠の名前までわかるのか?」

「残念ながらそこまでは。私のはただの占いであって、読心術じゃないの。だから全てがわかるって訳じゃないわ」

「……」

 まだ完全に信用できた訳じゃないが、エリーゼの言葉に嘘はないように思う。

 戦闘態勢に移行しようとしていた身体を、何とか落ち着かせ、俺は軽く息を吐いた。

「……わかった。とりあえず、警戒心の強さは下げておくよ」

「フフ、いい心掛けだわ。やっぱり一人旅をしてるんなら、それぐらいの警戒心を持っておくのが正解なのかしらね」

 言いつつ苦笑していたエリーゼは、そこで急に真剣な顔付きになった。翡翠色の彼女の瞳が、女性とは思えないほど強い眼光を放っている。

「あなたに少し聞きたい事があってね。声を掛けたのはそのためよ」

「聞きたい事? ……ハハッ。占い師にも、他人に聞きたくなるような事があるんだな」

 真面目な雰囲気を壊すつもりはなかったが、思わず俺は苦笑してしまった。

 するとエリーゼは、気を悪くした様子も見せず、可笑しそうにクスッと笑う。

「まぁね。何でも一人で解決できれば、それに越した事はないんだろうけど。――こんな所で立ち話もなんだし、私の店に行きましょう。すぐ近くだから、案内するわ」

 そう言って彼女は、華麗に身を翻して夜の街を歩き始める。

 どこか雅さを感じさせるエリーゼの立ち振る舞いに、しばらく見蕩れてしまった俺は、どうにか気を取り直して、彼女の後を追った。




 ◆  ◆  ◆




「なるほど。こういうオチって訳か」

 眼の前に屹立している建物を見つめて、俺は呆然と呟いてしまった。

 別に嫌な予感がしていた訳じゃない。ただ単に、こうなるんじゃないかなと予想が付いてしまっただけだ。

 俺が視界に捉えたのは、一階建ての煉瓦造りの建物。その上部に掲げられている、『LIME』という文字が刻まれた鉄製の看板。

 見間違い、読み間違いでなければ、あれは『ライム』と読むのではなかろうか。

 ……何やらこの件、酷く既視感があるように思うのだが。

「何の話?」

 入口の前で俺の方に振り返ったエリーゼが、首を傾げて尋ねてくる。

 なぜだろう? もしかしたら、ジンの奴に嵌められたんじゃないかと、捻くれた俺の内心が告げている。多分考え過ぎなんだろうけど、エリーゼに事の経緯を説明するのが物凄く億劫だ。

 が、話さないと後々面倒な事になりそうな気がしたので、結局俺は観念する事にした。

「なぁ。あんた、ジン・ハートラーって名前を知ってるか?」

 質問返しをすると、エリーゼはこちらの予想通り、その翡翠色の眼を丸くする。

「えっ? あなた、ジンの知り合いなの? ……ああ、そっか。その紅い髪……。もしかして、あなたがあのディーン?」

「……多分な」

 彼女が口にした『あの』の部分が若干気にはなったが、とりあえず聞き流しておいた。

 対して、エリーゼは嬉しそうな表情で、軽く拍手をしながら口を開く。

「あはは、凄く光栄な事だわ! まさか『英雄』ミレーナ・イアルフスのお弟子さんと、直接話せる機会が来るなんて思わなかったもの。ねぇねぇ、握手してもらってもいい?」

「あ、うん。もちろん……」

 俺が最も苦手とする反応を、実にわかりやすく再現する占い師様。今は夜で人通りも少なかったから良かったものの、これが昼間であれば、間違いなく周囲の人間にも騒がれていた事だろう。偉大な師匠を持った未熟者の弟子としては、複雑な心境である。

 エリーゼに握られた右手を、上下にブンブン振られながら、俺は苦笑する事しかできない。

「まぁ狭い店だけど、とりあえず入って頂戴。お茶でも飲みながらお話しましょ?」

 ようやく手を離してくれたエリーゼは、そう言って軽くウィンクしてみせた。

 何だかやけに可愛らしさを強調したがっているような振る舞いだが、彼女は一体何歳なのだろう?

 ……なんて聞いたら、ブッ飛ばされるんだろうなぁ。

 かつて師匠相手に、年齢に関する事で恐ろしい眼に遭わされた弟子として、聞くのは野暮だと懸命な判断を下しつつ、彼女の後に続く。

 非常に失礼な話だが、エリーゼの言う通り、店の中はあまり広くなかった。

 入ってすぐの場所に、白いテーブルクロスを掛けられた四角い木製のテーブルが一つと、同じく木製の椅子が二つ、向かい合う形で置かれている。四角い店内の壁の両側には、額に入れられた風景画や写真、何に使うのかわからない骨董品などが、数多く飾られていた。

 店の奥には、仕切りのための紅いカーテンが掛けられていて、そこからエリーゼは、紅茶らしき香りを漂わせるティーポットと、ティーカップ二組を乗せたトレイを持って現れた。

「ほら、座って座って。別に大した物は飾ってないわよ?」

 骨董品の一つを、首を傾げながら見つめていた俺に、エリーゼは手をひらひらと振りながら催促した。

 彼女が先に店の奥側に座ったので、俺はその反対側に腰を下ろす。

「それで、聞きたい事って何なんだ?」

 紅茶をティーカップに注ぎ入れ、静かに差し出すエリーゼの動作を見つめながら尋ねると、彼女は自分の分を注ぎながら、再び真剣な表情を作って答える。

「最初は、あなたがこの街に住んでる人じゃなさそうだったから聞こうと思ったんだけど、ジンの知り合いだって言うんなら話は早いわ」

「どういう事だ?」

 前置きを挟むエリーゼの表情は厳しい。一見すると、まるで聞くのを躊躇っているようにも思える。

 数秒間を置いた後、彼女は意を決したようにこう尋ねてきた。

「もしかして今この街って、テロリストに狙われてるんじゃないの?」

「!」

 エリーゼの口から、そんな確信めいた言葉が出ると予想していなかった俺は、思わず眼をみはった。

 彼女は俺やジンと違って、一般人と呼べる立場の人間だろう。にも拘らず、なぜこんな台詞を口にする事ができたのか。

 俺の表情から困惑を読み取ったのか、エリーゼは両手を組みながら説明し始める。

「最近街の外の地域で、妙な噂が流れてるみたいだから、もしかしたらと思ったんだけど……。どうやら当たりみたいね。ひょっとしてあなたやジンも、この件に関わってるのかしら?」

「……」

 何もかもお見通しだと言わんばかりの発言に、俺は口を噤んだ。

 こういう状況下において、エリーゼのような一般人に、この街にテロリストが潜伏している、などという情報を与えていいものだろうか。

 ……間違いなく、控えるべきだよな。下手に不安を煽るような真似をすれば、それこそどんな事態に発展するかわからない。相手がジンの知り合いとはいえ、余計な情報は漏らさない方が賢明だろう。

 俺が終始黙っていると、エリーゼはそれを察してくれたらしい。真剣な表情を消し、苦笑混じりに言う。

「ごめんなさい、答えられる問題じゃないわよね。ジンだってきっと、あなたと同じ事をすると思うし。どうやら良い関係を築いてるみたいね、あいつと」

 そう言って、エリーゼは優しく微笑む。その言葉と表情は、何だか俺以上に、ジンとの親密さを感じさせるものだった。

 まぁ当然か。ジンとは以前から交流があるとはいえ、それほど頻繁に会っていた訳じゃない。それに比べて、エリーゼは恐らく随分前から、ジンと友人関係を築いているに違いない。

 或いは、それ以上に深い関係だという可能性も――

「何か変な事想像してない?」

「へっ? い、いや、何も……」

 若干冷ややかな視線を浴びせられ、我に返った俺は、首を激しく左右に振った。

 正直、冷や汗を掻かずにはいられない。こいつ、本当は読心術も使えるんじゃないのか?

「……まぁいいわ。それよりも、ジンに伝えてほしい事があるの。これから何かが起ころうとしてるなら、あなたの方があいつに会う確率、高いでしょ?」

「ああ、多分。でも一体何を?」

 眉根を寄せて尋ね返すと、エリーゼはこれまで以上に厳しい表情を見せ、どこか探り探りといった様子で、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「最近になってからなんだけど、この街で怪しい連中を見掛ける事が多くなった気がするの。それも一人や二人じゃないわ。何十人もよ」

「怪しい連中? どこがどういう風に?」

「何て言えばいいのかな……。雰囲気って言うか、気配って言うか……。ただ街の外から来ただけじゃない人間、って言ったらわかる?」

「いや、全然」

「だよねぇ~。でも他に表現しようがないのよ」

 上手く伝えられない事がもどかしいのか、エリーゼは困り果てた様子で頭を抱える。

 そんな彼女の姿を見ながら、俺は出された紅茶に手を伸ばした。ゆっくりと口に運び、音を立てないように啜る。すると口の中に、紅茶の独特な香りが広がっていく。

 それにしても、怪しい連中か。もしかしたら、付き合いが長そうなジンになら、今の言葉の意味が伝わるかも知れないな……。

 紅茶を飲むと頭が冴える、なんて聞いた事がないが、とりあえずそう思い至った俺は、ティーカップをテーブルに戻した。

「今の言葉、そっくりそのままジンに伝えるよ。俺にはわからなくても、あいつにならわかるかも知れないし」

「ありがとう。そうしてもらえると助かるわ」

 そう言って申し訳なさそうに苦笑すると、エリーゼ自身も紅茶を飲み始めた。

 互いに紅茶を飲み交わしながら、ふと物思いに耽る。

 こうしてエリーゼと知り合えたものの、特に何か問題が解決した訳ではないし、状況が変化した訳でもない。このお茶会が終われば、また一人で街を彷徨う羽目になるのか……。

 と、やや暗い感情に浸っていた時だった。

 不意にエリーゼがカップをテーブルに戻し、やけに食い入る感じで迫ってきた。

「そうだ! その代わりって言ったらなんだけど、今からあなたの師匠の事、占ってあげましょうか?」

「え? な、何だよいきなり……」

「実は前に、ミレーナさんの捜索が思うように進んでないみたいだって、ジンから聞いた事があってね。いつかあなたに会う機会があったら、力になってやってくれって頼まれてたの」

「あいつが、そんな事を?」

 自分の知らない所で、友人が気を遣ってくれていた事に驚く反面、俺はようやく得心がいった。ジンがこの店に来させようとしていた理由は、どうやらこれだったらしい。

 彼が懸念してくれた通り、ミレーナ捜索は良い成果が得られていない。その上、彼女にとって不名誉となる噂まで流れている始末だ。そんな現状を理解しているからこそ、ジンはこの店を訪れる事を提案してくれたのだろう。

 しかし、だ。

「何かあんまり乗り気じゃないみたいね。心配しなくても、料金なんて取らないわよ?」

「あ、いや、そういうのを気にしてる訳じゃなくて……」

 否定しつつも言い淀む俺の様子から、何かを感じ取ったのか。エリーゼが、やや意地の悪い笑みを浮かべて告げる。

「あーなるほどねー。要するにあなた、占いを信じてないんでしょ?」

「えっ!? え~っと、何て言うか、その……」

 読心めいた鋭い指摘に、俺は思わず眼を泳がせてしまう。

 占いなんて胡散臭いものは信じてねぇし、関わりたくもねぇ。……などと、本物の占い師を眼の前にして言えるはずがない。自殺行為もいい所だ。

 身体中に嫌な汗を掻きながら、どう言い訳しようか迷っていると、エリーゼは見兼ねた様子で苦笑して、静かに右手を差し出してきた。

「そんなに重く考える必要なんてないわ。占いなんて、所詮何の根拠もない不明確なものなんだから。信じる信じないはあなたの自由よ。ね? だから軽い気持ちでさ」

「……」

 差し出された右手に視線を落とし、俺は複雑な思いを抱いてしまう。まさか、自分が占いなんかに頼る羽目になるとは、全く考えもしなかった。

 ある意味これも、俺の情けなさが招いた結果なのか。……と、自虐的な事を考えつつ、俺は渋々右手を差し出した。

 するとエリーゼは、両手で俺の右手を優しく握り、ゆっくりと眼を瞑った。

 占いだと言うから、てっきり奇妙な模様の入ったカードやら、怪しげな水晶やらが出てくるのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 特にやる事が思い付かなかった俺は、集中している占い師の顔を見つめてみる。話している時も不思議な雰囲気のある女性だったが、瞑想している今の姿は、どこか『魔術師』に近い印象が感じられる。

 しばらく沈黙が続いた後、突然エリーゼが口を開いた。

「それじゃあディーン。いくつか質問をさせてもらっても構わない?」

「あ、ああ」

「ありがと。――まず一つ目。師匠と一緒に暮らしていた間、『首都』を中心にして、この大陸で行った事のない方角はある? 大体でいいわ。教えて頂戴」

「行った事のない方角? ええっと……」

 またいきなり妙な質問だな。一体今エリーゼの中で、どんな作業が行われているんだろう?

 疑問に思いながらも、昔の記憶をどうにか辿り、求められた答えを導き出す。

「北、かな?」

「北ね。もう一つ質問するわ。あなたの師匠、何か苦手にしているものはなかった? 人でも物でも、何でもいいんだけど」

「苦手にしてるもの?」

 またも妙な質問をされ、俺は更に首を捻った。

 さっきからエリーゼの意図が全く掴めない。これが彼女のやり方なのだと言われれば、口を挟む余地はない訳だが、それでも不明瞭な方法だと思わずにはいられない。

 とはいえ、このまま黙っていても埒が明かない。今はとにかく、エリーゼを信じて続けてみよう。

 師匠が、ミレーナが苦手にしているもの。意外と色々あったはずだが、やはり一番苦手なものと言えば……

「水、だと思う。別に泳げないとか、水が飲めないとか、そういう訳じゃないんだけど。やっぱ『魔術』の属性の関係で、苦手にしてるって感じだったかな」

「水ね。わかったわ」

 ……ん? 黙っちまったって事は、これで終わり? 質問された内容は、『行った事のない方角』と『苦手なもの』。このたった二つなんだぜ? こんなので一体、何がわかるってんだ。

 一人悶々とさせられる事、十数秒。瞑想したままだった占い師が、ようやく静かに眼を開いた。と同時に、俺の右手を包んでいた柔らかい感触が消え去る。

「ここから北。より正確に言えば北東の方角だけど、『紺碧の泉アジュール・ファウンテン』って呼ばれてる、湖上都市があるのを知ってる?」

「ああ、話ぐらいなら聞いた事は……って、何? そこにミレーナがいるって言うのか?」

「確証はないけどね。私の占いではそう出たわ」

「……」

 呆ける俺を尻目に、一切気負った様子のないエリーゼ。

 大切な友人の知り合いである占い師様には申し訳ないが、いかにも胡散臭い結論であると言わざるを得ない。確証がない以上、お世辞にも状況が進展したとは言い難いだろう。

 それを隠そうともせず顔に出す俺に、エリーゼはクスッと笑って言う。

「だから言ったでしょ? 信じるも信じないもあなたの自由だ、って。胡散臭い占い師の戯言だと思うんなら、無視してくれて構わないわ。実際そうする人だって大勢いるもの」

「いや、別にそこまで否定してる訳じゃねぇけど……」

 エリーゼがやけに自虐的な発言をするため、俺は少々困惑してしまう。

 占いを信じていないのは事実だが、エリーゼが自分を騙そうとしているとも思えない。いずれにしろ、判断するには材料が足りなさ過ぎる。

 戯れ言だと切り捨ててしまうのも、占ってくれたエリーゼに申し訳ない。なら彼女への感謝の意味も込めて、せめて頭の片隅くらいには置いておくとしよう。

「何にせよ、参考にはなったよ。ありがとな、エリーゼ」

 ふと壁に掛けられている時計を見ると、店を訪れてからだいぶ時間が経っている。長居は無用だと判断した俺は、それを別れの挨拶として、椅子から立ち上がった。

 するとエリーゼは、若干慌てた様子で、立ち去ろうとする俺の手を握って引き止めてきた。

「待って! あともう一つだけ」

「なっ、何だよ突然?」

 急に手を握られた事に対する照れ臭さから、思わず口籠ってしまう。

 が、エリーゼの方は特に気にした様子もなく、真剣な表情でこう言ってきた。

「あなた、他にも何か悩みを抱えてるんじゃない?」

「!」

 予想だにしない指摘をされて、立ち去ろうとしていた気持ちがどこかへと消え失せる。

 本当に、彼女は一体何者なんだろうか。占い師だと言うのは重々承知しているが、ここまで来るともう、完全に心を読まれているとしか思えない。

 感心を通り越して呆れてしまった俺は、一瞬言葉を詰まらせた。だが不思議と、自らの思いを吐露する事ができた。

 エリーゼの、どこか優しげな雰囲気がそうさせるのか、自分でも驚くくらいに。

「……俺さ。ミレーナに、『深紅魔法』っていう『魔術』を教わったんだ。だけど何年腕を磨いても、どうしても使いこなせない能力があるんだ。だから――」

「自分は師匠に劣っている未熟者だと感じてしまう、って事?」

「……まぁ、そんな感じだ」

 その場に立ち尽くしたまま、俺は僅かに俯き、今は自由になった両手を固く握り締めた。

 そう、悔しいんだ。『紅の詩篇フレイム・リーディング』を使いこなせない事が。ミレーナより劣っていると感じてしまう事が。

 あの男に……アーベントに敗北した自分自身が、悔しくて悔しくて、怒りを感じてしまうんだ。

 だが、どんなに強く悔しさや怒りを感じた所で、結果は同じだ。きっとアーベントの言う通り、才能のない俺みたいな奴が『魔術師』を名乗るなんて、おこがましい事だったんだ。

 ただ黙って、暗い気分に浸り続けていると、瞼が重く閉ざされていく。現実を直視する力すら、俺には残っていないのかも知れない。

「ねぇ、ディーン。あなたは今、色々と深く考え過ぎているせいで、自分でも大切な事を忘れてしまっているんじゃない?」

「! えっ……?」

 不可視の重圧に支配されていた俺は、エリーゼの優しげな言葉で我に返り、顔を上げた。

 まるで闇の中を歩き続ける旅人に、一筋の光明をもたらすかのように、柔らかな頬笑みを湛えたエリーゼは、真っ直ぐこちらを見つめながら口を開く。

「そもそも、どうしてあなたは『魔術師』になろうと思ったの?」

「!」

 彼女に問われ、改めて気付かされた。

 自分の間違いに。道を見失ってしまった、自らの愚かさに。

 呆然とする俺を諭すかのように、エリーゼは問い掛け続ける。

「『魔術』を修得して、師匠に褒めてもらうため?」

「……違う」

「それとも、『魔術師』として師匠に追いついて、達成感を得るため?」

「違う。そうじゃない」

「だったら、どうして?」

 俺が『魔術師』になろうと思った理由。それは――


「『魔術師』がただの人殺しなんかじゃなく、誰かを守る事ができる存在なんだと、証明するためだ」


 そうだ、そうだったんだ。この台詞は昔、俺が『魔術師』を目指そうと決意した時に、ミレーナに対して告げた言葉だったじゃないか。

 何でこんなにも簡単で、一番大切な事を忘れていたんだろう。

 いつの間にか、ミレーナに認めてもらう事ばかりを意識して、大切な気持ちを見失っていた。アーベントに敗北した事で、己の信念を見落としていた。

 ミレーナに認めてもらうために、『魔術師』になろうと思った訳じゃない。

 アーベントに敗北した程度で、容易く折れてしまうような信念を掲げていた訳でもない。

 誰かを、例えばミレーナを、リネを、ジンを、他者を守りたいと思ったからこそ、俺は『魔術師』になる道を選んだんだ。

 何もわかっていないと嘲笑ったのは、他でもないアーベントだったが、確かにその通りだ。

 俺はわかっていなかった。本当に大切な気持ちさえも、見失っていたんだ。

「悩みを持つ事自体は、私としては良い事だと思うわ。だけどそれによって、あなた自身の本当の気持ちを、埋もれさせてしまってダメよ」

 そう言ってエリーゼは立ち上がり、もう一度両手で俺の右手を優しく包み込む。

「こんな事ぐらいしか言えないけど、頑張ってね、ディーン」

「……ああ。本当にありがとう、エリーゼ」

 久しぶりに、心の底から笑えたような気がして、俺は少し照れ臭かった。

 素直な笑顔を誰かに見せる。それがこんなにも簡単で、こんなにも喜びを感じられるものだったのかと、改めて感じる事ができた瞬間だった。




 その後しばらくして、俺は『テルノアリス城』に戻るため、街灯に照らされた夜の大通りを疾走していた。

 新たな目標を指し示してくれた占い師に別れを告げ、俺は城を目指して進み続ける。

 もう迷いはない。やるべき事は決まっている。

 今度こそ『紅の詩篇フレイム・リーディング』を会得して、アーベントを倒す。

 そして――

 絶対にあいつを、リネを助け出すんだ!

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