第10話 叱責 (現実)

 (現実世界)


 土屋は、同僚の火野美香からのメールを見て、相当混乱していた。


「ツッチ-って、優美ちゃんの事、好きなの?」


 その内容を、何度も読み返した。


 彼は学生時代から今まで、美香と具体的な恋愛関係の話などしたことはなかった。

 せいぜい、誰かいい人がいたら紹介してほしい、と冗談を言い合う程度だ。

 それが、いきなり具体的に同じ職場の後輩の名前が出てきたものだから、混乱するなと言う方が無理だった。


 美香の真意を量りかねた土屋は、


「なんで突然、そんなことを聞いてきたんだ?」


 と返した。それに対する返事は、


「なんとなく。答えにくかったら、そう返してくれればいいよ」


 だった。


 そう言われても、困った。

 答えにくいと答えると、それはそれで何か思うところがあるように勘ぐられる気がしたのだ。


「なんとなくと言われても困る。ひょっとして、彼女から何か言われたのか?」


「ううん、まさか。優美ちゃんとの間で、ツッチーのことはなんにも話題に出てないよ。ごめん、たぶん私の勘違い。単なる偶然。このメールのことは忘れて。じゃー明日の仕事もがんばろー! おやすみ!」


 彼女は一方的にそうメールを返してきた。

 こうされると、土屋としても


「ああ、おやすみ」


 としか返せなかった。


 一体何を勘違いしたのか、なんの偶然だったのか、腑に落ちないものを感じながら、土屋は眠りについたのだった。

 

 翌日。


 土屋達が勤務しているフロアに、本来、別のフロアである会計課の山川係長(女性、38歳)が怒りの形相で入ってきたので、一同、顔を引きつらせて身構えた。


「水原優美さん、いるかしら!」


 キンキンするような甲高い声で、彼女はそう叫ぶように声を出した。

 新入社員の水原は、青ざめながら


「は、はい、私です……」


 と小さく答えて立ち上がった。


 山川は、ツカツカツカッと早足で水原の元に近寄り、持っていた書類を、バンッと、彼女の机に叩きつけるように置いた。


「これ、この数字! どうしてこんな計算になったの!」


 その迫力に怯えながら、水原は指差された箇所をしばらく見つめ、


「あっ……」


 と、小さく声を出した。


「どうしてこんな計算になったのって聞いてるのよ!」


「……す、すみません……あの……計算間違いです……」


「そうよね、すぐ分かるでしょう! 確認しなかったの!」


「いえ、あの……すみません……」


「謝ってすむ問題じゃないでしょう! 私が気付いたから良かったけど、これがそのまま通っていたら、決算の作業がすごく遅れて、会社全体に迷惑をかけるところだったのよ!」


「……すみません……」


 水原は、今にも泣き出しそうな表情だった。


「まったく、最近の新人は仕事をなんだと思っているのかしら。これだからゆとり世代は……」


 と、ヒステリックに、喚くように、新入社員の水原を攻めている。


 さすがに言いすぎだろう、と、土屋は立ち上がろうとしたのだが、隣の席の火野美香が彼の腕を掴み、首を左右に振った。


 土屋は、彼女が何を言いたいのかを悟った。


 この山川係長、怒りに火が付いて相手を攻撃しているときに、それを止めたり、なだめたり、かばったりしようとすると、それこそ火に油を注ぐような勢いでさらに攻撃が激しくなり、叱られている当人はもちろん、止めようとしている人にまで飛び火して、大炎上となってしまうのだ。


 ある程度の役職の者ならば穏便に済ませることができるのかもしれないが、肝心の課長代理の金田は、会議に参加していて不在だった。


 土屋は、つくづくタイミングの悪い人だと、少し怨んだ。


 残る同じ係のメンバーは後輩の風見俊一だけだったが、彼の手に負えるはずもない。

 そのため、現在の状況においては、山川係長が言いたいことを一通り言い終えるまで我慢するしかない。


 それにしても、酷い怒り方だ。

 彼女の世代がどうだとか、それこそどうでもいい話ではないか。


「本当に、とんでもない結果になるところだったと反省しているの?」


「……はい、すみません、今後は十分気を付けて、何度も確認するようにします……」


 水原は声を震わせながら、何度目かの謝罪を行った。


「……そう、じゃあ、私がこの数字をちゃんと直して上に回しておきます」


 山川の言葉に、やれやれ、やっと終わったか、と、土屋も美香も安堵したのだが、


「じゃあ、明日までに反省文、提出しなさい」


 と、追い打ちをかけるように指示を出したのだ。


「は、反省文、ですか?」


「そう、反省文よ!」


 水原の言葉を、口答えと捉えたのか、キッと睨みながら厳しく言い放った。


「……はい、分かりました……」


「じゃあ、明日の昼過ぎにまた来ます!」


 山川は、来たときと同じように、ツカツカツカッと早歩きで帰っていった。


 ひどい。


 彼女は、社内でもヒステリックに怒ることで有名な女性だ。

 それはもはや、モラハラ……モラルハラスメントの域に達していると、土屋は考えていた。

 彼の創作小説に出てくるハラスメント四天王の一角は、実は彼女がモデルだった。


 青ざめ、震えている水原を、美香が


「……よく耐えたわね。あんなの、気にしなくていいよ、ちょっと間違っただけなんでしょう? 反省文、私も前に書かされたことがあるの。それ見せてあげるから参考にして」


 と元気付ける。


 (いや、おまえの反省文なんて、慰めにも参考にもならないだろう……)


 と土屋は思いながら、それでも美香の優しさを感じた。


 それが伝わったのか、水原も、わずかに目に涙を溜めて、


「ありがとうございます……」


 と感謝していた。


「俺も、あの人に何度も怒られているよ。ちょっと異常なぐらいヒステリックによく怒るよね。でも大丈夫、俺たちは君の味方だから」


 土屋がそう優しく声をかけ、風見も、


「僕も、手伝えることがあったら協力するから」


 と声をかけた。


 すると、それらが嬉しかったのか、それとも、今になって悔しさがこみ上げてきたのか、水原は涙を溢れさせ、その場を逃れるように化粧室へと向かった。


 そのあまりにも可哀想な様子に、土屋は怒りで肩を震わせながら、一言、こう呟(つぶや)いた。


「……許さん!」


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※彼の最後の一言は、実際の係長にというよりも、モデルとした敵キャラクターに向けられています。

※次回から、また土屋の創作の世界に戻ります。

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