エピローグ
「きゃはははははは」
眉間と左眼。
そこにぽっかりと二つの穴を開けたまま笑うマネキン人形。
俺は寸での所で美沙の手を取ると、その銃口を奴に向け、また同時にタグナイザーの特製弾丸を奴に向けて放った。
狙い違わず、二つの銃撃は奴の頭部に黒々とした大きな穴を開けた。
その穴から風が吹く。
淡く光が溢れる。
その光の中から、聞き慣れた懐かしい時計塔の鐘の音が聞こえて来た。
「なるほどね。私のこの世界での存在力を侵食して、空想の街への扉に変える弾丸か。やるわね。橘アズサ」
マネキンはそう独りごちながら、ヒビだらけになってグズグズと崩壊し始めた。
「また会いましょうネームハンター。虹はいつでもあなたのそばに」
レインボーメイカーを名乗ったマネキンは完全に崩れ形を失い、そこには重厚な作りの、輝くドアが残された。
そして世界は元に戻った。
週末のペットショップ。
行き交う人の群れ。
犬や猫に目を輝かせる小さな子供と、それを温かく見守る夫婦。
忙しそうな店員。
レジの音。
店内放送。
俺とネモ、輝くドアだけがどこか異質で、浮いていた。そんな俺たちを、間村美沙が驚愕の表情で見つめている。
「京太郎……? あなた、どうしたの……一体……何よそのカッコ。ドッキリか何か? 」
美沙……すまない。
俺はこの世界の住人じゃないんだ。
津村先輩……レインボーメイカーに記憶を操作され、無理矢理連れて来られた異世界の貧乏探偵。それが俺の正体さ。
「そんな、そんな筈ない! 私はあなたと一緒に育って来た! この世界で! 私たちの街で! あなたにも、その記憶が……思い出があるでしょう⁉︎ 」
……。
それは間村美沙の言うとおりだった。俺の中には、志村京太郎として生きた十六年分の記憶があった。間村美沙との青春の思い出があった。
だがそれは朝日に溶ける霜のように時を追って頼りなく、滲んで消えて行こうとしていた。
さっきまで視ていた夢の記憶が、起きた途端に薄れて思い出せなくなるように。
「思い出して京太郎! 私たちは高校生! 北星ヶ谷高校のミス研! それが本当の、きゃあッ⁉︎ 」
俺に触れようとした彼女の手は、火花を上げて弾かれた。
俺と、この小説世界の因果は、そのベクトルを互いに逆向きに変えつつあった。
「ダーリン。何時までも扉が通じたままだなんて……思わないでよ」
ふわり、と美女の姿に戻ったネモが、俺の後ろに寄り添いながら、そっとそう囁いた。
許してくれ。美沙。俺は、帰らなければならない。
ドアノブを捻り、扉を開ける。
眩しい光が溢れだし、吸い慣れた街の空気が柔らかな風となって俺の頬を撫でた。
「待って! 一つだけ教えて! あなたが去ったら、この世界はどうなるの⁉︎ 外に一歩でたら、今まで通りの街や世界がそこにあるの? 私が家に帰ったら、両親や弟がそこに居るの? 」
すまない。……分からないんだ。本当に。
「ダーリン」
さよならだ。間村美沙。俺を、憎んでくれていい。
絶望の悲鳴。
扉をくぐり、ドアを閉める。
ドアの向こうに長く尾を引く哀しい悲鳴を聴きながら、真っ白な光の中で俺は、意識を失った。
---------------
薬っぽい匂い。
糊の効いたシーツの感触。
目を開けると白塗りの天井。
賃貸事務所の二階じゃない。
「あ、気がつきましたか」
茶髪の小柄な看護婦には見憶えがある。
第一東西病院。
「だいいちひがしにしびょういん」と読むその病院名は捻くれた医院長のセンスの賜物だ。
「おはよう七篠くん、気分はどうだい?」
現れた長身痩身眼鏡の白衣姿のその男は、これ見よがしに爽やかな笑顔でそう言った。
おはようドクター。最悪の気分を想像して、その最悪さを三十倍して見てくれ。大体そんな感じだ。
「おかしいな。身体は健康そのものなんだけど」
気分が体調からだけ生じるなら分かりやすくて生きるのも楽だろうぜ。
「メンタルな要因か……落ち込むなよ。見逃し配信があるさ。DVD化を待ってレンタルしてもいい」
録画失敗で凹んでるんじゃねえよ!
「じゃ、ワイドショーの占いの順位が低かったのか。気にするな。あんなのは製作会社の派遣社員の気まぐれな言葉の羅列だ」
正直、ドクターのようには決してなりたいとは思わないが、あんたの精神構造を羨ましく思うことがある。
「よせやい。何も出ないよ」
褒めてねえよ。
「診療代は財布から抜いたし、病院食クーポンは入れておいた」
それまだやってるのか。じゃなくて人の財布から勝手に金を抜くな。
「適当に休んだら勝手に帰っていいよ。お大事に」
あー、この街に他に病院できねえかなー。できねえんだろうなー。
ドクターが去ると、ナースの扮装をしたネモが、ヒョコッとベッドの下から顔を出した。
「医者は行ったわね? 」
行ったよ。お前普通に待合室で待てば?
ネモは俺の言葉を軽やかに無視すると、スマホをいじってどこかに何かを送信した。
ドドドド……。
遠くから何かが、凄い勢いで近付いてくる気配がする。
「たーんてーいちょおおおおおおおおっっっ!!! 」
バタン!と急停止して扉を開けた勢いで、その娘の頭の後ろでポニーテールがぐるぐる回転した。
我が七篠名前捜索事務所唯一の正規スタッフ。大学生の橘アズサだ。
「無事ですか⁉︎ 大丈夫ですか⁉︎ 命燃やしてますか⁉︎ ほんとは五体バラバラなのに隠したりしていませんかっ⁉︎ 」
どうどう。落ち着けアズサ。安心しろ。俺は五体バラバラを隠し通して誰かと話したりできるほど器用じゃねえよ。
「ずみ”ばぜんでじだぁぁぁぁッッッ!!! 」
アズサはそう叫ぶと、病室の床に這いつくばって土下座した。
「わだすのっ! わだすの力が足りないばかりにっっっ! 探偵長をっっっ! とんでもない目にィイィイィイッッッ!!! 」
よせ。アズサ。顔を上げてくれ。他の患者の皆さんが迷惑しながらドン引きしてるじゃねえか。
事情はネモから聞いたさ。お前の書いた話じゃないんだろう?
「はいそれはもう! 世界中の神仏と死んだおばあちゃんに誓って! 」
ってかおばあちゃん何者? いや、それはまあいいや。
「私が用意してたプロットは、探偵長が手強い名前獣を次々と捕まえる普通のお話だったんです。『ネームハンターなのに最近あまりネームをハントしてない』ってご意見がありまして」
そんな作者の内情を作品登場人物に語られてもな……。
こんなことができる奴に心当たりは?
「……憶測で、余りこういうことは言いたくないんですが」
言ってくれ。憶測だという前提で聞くさ。
「私と同じ……空想の街の、書き手の誰か、じゃないかと……」
「主犯格かどうかは分からないけど、少なくとも『空想の街の書き手の誰か』が一枚噛んでるんじゃないか、ってのが私とお嬢ちゃん、志垣教授の出した答えよ」
ネモが補足する。
……道理だな。に、しても。他人の創作の主人公を、勝手に自分の創作に閉じ込めるなんて。
次に同じ事をされたら、感知したり防いだりできるか?
「それは、ないんじゃないかと」
アズサは確信がある様子でそう言った。
何故、そう思う?
「今回の書き手……レインボーメイカーは結構、力のある書き手です。そういう作者であればあるほど、読者が『またか』と思う展開は慎重に避けるもの」
判断の根拠としては……弱いな。形振り構わず同じ手で来るかもしれない。問題はその時に対処できるか、だ。
「前回私は、創作の中に作者が出て、作中人物が創作自体を書くのをアリにしてしまった。そう言う意味で、レインボーメイカーの『他の創作世界にキャラクターをさらう』という攻撃方法は私が生んだ、と言っていい。でも今回、あいつの罠から私とネモさん、志垣教授が協力すれば、七篠権兵衛を他者の創作世界から連れ戻すことができる、がアリになった。だから、次回同じ手で探偵長がまた別の創作世界に連れて行かれても、私たちで連れもどせます」
急になに? そのテンション。
……そういうもんか。
「そういうもんです」
もう一つ。間村美沙のことなんだが……。
アズサは哀しそうに目を伏せると、静かに首を振った。
「例えば私が、彼女を主人公にした話を書くことはできます。でもその『間村美沙』は、探偵長が守ろうとした彼女とは連続しない。彼女を助けることには……」
ならない、ということか。
「とても……残念ですが」
いや。いい。
二人ともよくやってくれた。アズサ。ネモ。手間を掛けてすまなかった。助けてくれてありがとう。優秀なスタッフに恵まれて、俺は幸せだ。
「助けられてよかったわ。私ももう少しこの世界にいたいし。レインボーメイカー。殺したい相手がいた方が、悪魔としては日々が充実するし」
「私も、あんな形で探偵長を失いたくなかったので。戻ってくれて嬉しいです」
ネモとアズサはそう答えた。
せめて、間村美沙の名前を記憶に刻もう。ケースファイルとは別に、彼女との思い出を書き留めておこう。
俺が生きている限り、彼女が確かに存在したと証明できるように。
そして、レインボーメイカー。
俺は、お前を許さない。
手前勝手に世界を創っては投げ捨て、そこに住む住人の魂を踏みにじって高笑いするお前を。
(心当たりなら沢山あるのではなくて? 街を守る正義の味方さん。でもそうね……)
(銀の星の代金を頂くため、というのはどう? 私は言わば債務の取立て人。あなたには支払うべきツケがある)
脳裏に奴の台詞が蘇る。
正義の味方……支払うべきツケ…………銀の、星?
まさか。あいつは……。
---------------
俺の名前は七篠権兵衛(ななしのごんべえ)。
この街じゃちょっとは知られた「名前捜索人」だ。
探偵のようなものと考えてくれればいい。
最近ではネームハンター、なんて横文字で呼ぶ奴もいる。
「にゃー」
……分かってるよ。
こいつは相棒の黒猫。
名前はネモ。
色々あって俺はこいつの言葉が解る。こいつ、見た目通りの只の猫じゃねえんだ。
俺の仕事は失くした名前を探すこと。
この街じゃ、何時の頃からか名前が人や物から抜け出してどこかに散歩するようになっちまった。
俺は憐れな依頼人の失くした名前を見つけ出して、元通り人に名乗れるようにしてやるってわけさ。
【カランコロンカラン♬】
さぁて仕事か。
今日も危険でクールな一日が両手拡げてウィンクしながら俺を迎えに来たぜ。
ネームハンター8 〜The malicious nocturne〜
〜〜〜 f i n 〜〜〜
ネームハンター8 〜The malicious nocturne〜 木船田ヒロマル @hiromaru712
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます