#24 -マスターになるという事②-
帝国の中央都市の郊外にある、閑静な山中にある大きな館。
比較的新しく建てられていながら、どことなく一世紀前を想わせるシックなデザインの屋敷の最上階。
窓と扉以外の壁は全て本がぎゅう詰めにされた本棚に埋め尽くされた部屋で、革張りの椅子にフェルディナンドが腰かけていた。
「イレーヌが捕縛に拘っているな……。あの戦闘狂にしては珍しいじゃないか」
頭部周辺に幾つも展開された空間投影パネルを操作しながら、フェルディナンドが興味深そうに呟く。
パネルには少し前の陸軍指令室の様子が映っており、音声データもフェルディナンドの電脳内で直に再生されている。
イレーヌとベルベット、そしてシエルの今現在の様子を、フェルディナンドは完全に把握していた。
「連中の事だから破壊に持っていくと思ったんだがな。流石に勅令であれば従うか……やはり人間は人間だな」
フェルディナンドがパネルをもう一度動かし、映像を読み込む。音声データは無かったが、そこには街道を駆け抜けていくロベルタ達の様子が映っていた。
マスターやアリアにも伏せて、フェルディナンドはケルヴィムが破壊された時からずっとロベルタの動きを追っている。
天使でも視認できない高高度から、専用の無人機と自分の特殊機能でロベルタ達の動きを観察しているのだ。
帝国の中で何が起こっているのかを、電子的なものが介入している場所であればフェルディナンドはいつでも知ることができる。
人形でも人間でも天使でも、フェルディナンドが暴けないプライバシーなど存在しないのだ。彼にとって全てのセキュリティはほぼ紙切れにも等しい。
しかし実のところ、フェルディナンドはこの行為があまり好きではなかった。
情報を思いのままに知れるという神の様な全能感に飽きた訳でも、人や機械の秘密をのぞき見することに罪悪感を感じた訳でもない。在ろう筈がない。
電子的な情報をただ電脳に流し込むだけというこの機能が、フェルディナンドにとってはこの上なくつまらないものだったからだ。
何かを知ることは元々好きな方ではある。だがこの様な手段で得られる情報というものは実に味気なく、得ても何の感動もないのである。
無味無臭な食べ物を延々と食べさせられる様な寂しさと僅かな不快感を、フェルディナンドは感じずにはいられなかった。
だが、ロベルタは違う。ロベルタだけはその枠には当てはまらないという予感がフェルディナンドにはあった。
当初の予定ではロベルタは南下せずに北上し、シャーロットを戦うはずだった。そしてそこでロベルタの計画とやらも潰える筈だった。
しかし現在ロベルタ達は南下していて、ベルベットを狙っている。
一度彼の電脳を探ろうとしたが、彼がどうして南下したのか、計画とは何なのかについては電脳内に何の痕跡もなかった。
何をしでかすのか分からない、不確定要素の塊。そんなロベルタにフェルディナンドが興味を示さない筈がないわけで。
――さて、君はどう動くのかなロベルタ。
暫くの間ロベルタ達の動きを確認した後でフェルディナンドはパネルを全て閉じ、腰かけていた椅子に何事も無かったかの様に深く座り直した。
フェルディナンドの視界に投影された拡張現実には自分のいる部屋周辺のマップが表示されており、レーダーに映った機体の反応が点で示されている。
良く知った機体の反応を、フェルディナンドは感じていた。
「入ってもいいよ、イヴ」
「……失礼致します」
静かに扉が開き、質素なデザインの
彼女はイヴ。フェルディナンドの部下の人形兵器であり――使用人である。
「こんな時間にどうしたんだい? 館の掃除と書庫の整理は終わったのかな?」
「午前中のスケジュールは全て完了しております。
……あの、一つだけ。以前から疑問に思っていたことがありまして」
「……へぇ、珍しいじゃないか。何が訊きたい?」
フェルディナンドが立ち上がり、イヴの下へと歩み寄る。見ればフェルディナンドとイヴの歩き方は良く似ており、イヴの所作は彼の趣味であるいうことが見て取れた。
「君からの質問だ。いかなる質問でも僕は何でも聞き、そして答えよう」
「そんな大仰なものではありません。ただ、必要な知識であれば全てデータでインストールなさればよろしいのに、何故紙媒体での情報収集を行うのかと……」
「情報収集ではなく読書だよ。この二つは、厳密には似ていて非なるものなんだ」
「……違う、ということですか?」
不思議そうな顔をするイヴのさらさらとした金髪を撫でながら、フェルディナンドが続ける。
その手付きはさながら高級な毛皮の織物に触れるが如く優美で、いたわる様な優しいものだった。撫でられているイヴは特に何か感じている訳でもなく、窓のほうをじっと見つめている。
「本を読むという行為はね、興味深いことにただ情報を知るだけのものじゃないんだよ。それは世界との対話なんだ。
本という一つの物質化された『世界』を手に取り、
どれだけ難解な書き方をしようと、どれだけマニアックなジャンルを取り扱っていようと同じさ。中身がどれだけ嘘塗れでも、文章は嘘を吐かない。
育ちと性格、思想や普段の言動は必ず文の端々に現れているものだよ。
そしてそれは、テキストデータだと今一つ分かりづらい。人の心というものは感覚を伴うことで分かり易くなるからね」
「人の心……ですか。あいにく、私には理解しかねますが、フェルディナンド様はご存じなのですね。私もいつかは……」
視線を窓からフェルディナンドに移し、イヴが嬉しそうに言う。
イヴのどこか誇らしげな言葉に「いや」とフェルディナンドが首を横に振った。
「僕も完璧には分からないよ。分からないから知ろうとしているんだ。
僕の【ラジエル】は全てを知ることができるけど、結局は俯瞰だ。ただ全体をぼんやりと眺めているだけに過ぎないし、まだまだ分からないことだらけだよ」
「――――――」
突如イヴがフェルディナンドから離れてスカートをめくり、腿から小ぶりのナイフを二本抜いた。
素早く振りかぶり、腕をしならせ遠心力を利用してナイフを投擲する。放たれたナイフは一直線に窓へと飛び、ガラスを破って虚空に深く――『刺さった』。
刹那、蜘蛛の形をした共和国製の小型ロボットが姿を現した。
対人形用ウィルスがインストールされたナノマシンの入った弾丸を打ち出す口部がばっくりと開かれており、コアである頭部にはイヴの投げたナイフがしっかりと二本刺さっている。
殺気に満ちたイヴの視線の先で、蜘蛛は確かにその活動を停止していた。
わざとらしく驚いた顔をするフェルディナンドの視線の先で、蜘蛛はゆっくりと地上へと落ちて行く。
「お話の途中で失礼しました」
まるで最初から何事もなかったかの様に、しれっとした様子でイヴが言う。
「……っと、いけないいけない。突然のことでびっくりしたよ、まさか僕の気付けない共和国機がいたなんて! これは帝国も敗色濃厚かな?」
「馬鹿なことは仰らないで下さい。気付いた上で無視していたことはきちんと存じ上げております」
「あははっ、バレていたか。君は優秀でとても助かるよ」
まるで今から散歩にでも行くかのような気軽さでフェルディナンドが歩き始め、イヴがその数歩前を先行する。二人は部屋を出て階段を下り、正面玄関へと向かっていた。
「敵は共和国の偵察型十体と強襲型五体、そして狙撃型二体だ。
二人で手分けして壊そう。外に出たらイヴは東から、僕は西から攻める」
「かしこまりました。只今より近接戦闘モードに移行し、敵機の撃滅を開始致します」
イヴがスカートから赤い端末を取り出し、大振りの
A級装備『カーリー』、同じくA級装備『
「さあ、始めようじゃないか。狩りにも値しない……退屈な『処理』を」
心底退屈そうにそう言って、フェルディナンドは勢いよく扉を開け放った。
「……何だったんですか。さっきのは……」
シエルが去った直後。クラリスに連れられて部屋に戻ってきたエリーゼは、ロベルタに力なくそう尋ねた。その顔は憔悴し切っており、目は未だ恐怖に揺れている。
「今の女はシエル。帝国最高の人形兵器の内の一体である第三天使ベルベットの部下だ。……そしてあいつは、俺を倒す為にまずお前を殺そうとした」
「…………私を殺せば、ロベルタさんが戦えなくなるから……ですよね?」
エリーゼの問いにロベルタが気まずそうに顔を逸らして「そうだ」と答える。エリーゼの脳裏には、初めてマスターになった時のことがありありと蘇っていた。
あの時エリーゼは無我夢中だったが、それでも会話の内容はきちんと覚えている。
あの時ロベルタは確かに――マスターがいなければ戦えないと言った旨のことを言った。何の戦闘経験もないエリーゼにマスターになるよう提案したこともそれで説明がつく。
――だから、私は……。
「俺達人形……特に天使型は、力が制御できなくなった時に簡単に制圧できるよう、マスター権限が消失した時に基本性能の七割がセーブされ、Angelが発動できなくなるように安全装置が掛かっている。
そうすればエースモデルでも十分に俺を倒せるようになるからな……。ある意味、とても合理的な作戦だ。正攻法で仕掛けるより余程確実だ」
「つまり……これから先もまた、こういうことがあるってことですか……?」
「………………」
ロベルタは何も答えない。クラリスも黙ったまま、じっとエリーゼを見ていた。
質問に対する沈黙は、即ち肯定を表す行為である。
当然ながら、これから先もエリーゼは優先的に狙われる様になるだろう。
ベルベットとイレーヌの考えた通り、正面を切ってロベルタと戦うよりも遥かに効率が良く損失も少ない方法だからだ。
狙ってくるかどうかは各々のマスターにもよるが、これから先全くエリーゼが狙われないと言うのは考えにくい。
「…………いいんです。分かってますから……。こうなることも覚悟した上で、ロベルタさんについて行くって――」
そこでエリーゼが言葉を詰まらせてえづき、床に手をついて胃の中のものを全て吐き出した。
すえた臭いを漂わせてびちゃびちゃと音を立てながら、吐瀉物が床に飛び散る。なおも吐き続けながら、エリーゼが双眸からぼろぼろと大粒の涙をこぼし始めた。
「エリーゼ……っ!」
ロベルタが屈み、小さく身体を震わせて涙を流すエリーゼの方へと近寄る。
しかしその手はまるで見えない壁に阻まれているかの様に、エリーゼに触れる小とができなかった。
「あ……あ……ぁ」
あまりにも、無力だった。
ロベルタの目の前で恐怖に震えるエリーゼは、間近で感じた戦いの前であまりにもか弱くて脆い、マスターでも何でもないただの村娘だった。
「大丈夫です……ちょっと、気分が悪くなっただけですから……」
弱々しい声をエリーゼが絞り出す。
「……エリーゼ」
ロベルタがいつになく恭しく、エリーゼの肩に触れる。
ロベルタの手に伝わってくるエリーゼの体温は、驚く程に冷たかった。着ている衣服は冷や汗でじっとりと汗ばんでいる。
左手でハンカチを取り出し、そっとエリーゼの口元を拭う。エリーゼは暫くの間ぼうっとしていたが、やがてふらふらと思つかない足取りで立ち上がった。
「……ありがとうございます、ロベルタさん。本当に、本当にもう大丈夫ですので……床のお掃除、手伝ってもらえませんか?」
「……勿論だ。俺はお前の人形だからな」
ロベルタがクラリスを一瞥し、廊下へと出る。
「クラリス、お前はエリーゼに着いていてくれ。一人にはしておけない」
「了解しました」
ロベルタが廊下に出ると、先程の騒ぎを聞きつけてか宿の主である中年の男が部屋の近くにきていた。宿主がロベルタに近付き、心配そうな声で尋ねる。
「あの、お客様。先程何か大きな物音が致しましたが……何がありましたか?」
「……分かりません。起きたら部屋に知らない人がいまして、窓から逃げて行きました……。大方強盗の類じゃないでしょうか」
白々しい嘘ではあるが、人形は人間とは違い無意識にボロが出る様な事は無い。ただ無表情に話すロベルタの言葉を、店主はすんなりと信じた。
「そうでしたか……それは災難でしたね。ここは港町ですので、そう言った連中も多くいまして……何も盗られておりませんか?」
「はい。その後色々ありまして、部屋を汚してしまったので少し掃除道具を貸して頂きたいのですが」
「ええ、勿論構いませんよ」
ありがとう、とロベルタが笑顔で礼を言い、宿主に連れられて階下へと降りていく。その様子をクラリスは部屋の中からこっそりと覗き見ていた。
「行きましたね……」
ロベルタ達が完全に視界から消えたのを確認して、クラリスが呟く。現在この階には生体反応は一つも無かった。
クラリスがまとめた荷物の中から以前エリーゼが着ていたワンピースを取り出して、エリーゼに渡す。エリーゼが寝間着として使っていた服は、吐いたもので少しだけ汚れていた。
「今のうちに服を着替えましょう。私が見張っておきますので」
「はい、ありがとうございます」
クラリスが頷いて、入口の方へと移動する。エリーゼの着替える衣擦れの音と風の音だけがクラリスの耳に入ってきていた。
静かな、そしてどこか落ち着いた雰囲気を醸し出した時間がそこには流れている。
外に出ましょうか、というクラリスの提案にエリーゼが頷き、二人が廊下へと出た。
「……どうして、あなたはマスターになろうと思ったんですか?」
「え?」
突然のクラリスの質問に、エリーゼが戸惑う。
「ですから、どうして危険を冒してまでロベルタと私のマスターになろうと思ったのか、と訊いているんです。
あの時あなたは村に戻ることだってできた。でもあなたはそうしなかった」
「……そうですね、何でと思うのも仕方ないですよね。私はこんなに弱いのに……」
エリーゼがワンピースの裾をきゅっと握りしめる。まだ手は微かに震えていた。
――私が、ロベルタさんと一緒にいたい理由は……。
一瞬の間考え、エリーゼがふっと笑う。深く考えるまでもない。理由などとうに決まっていた。
「ロベルタと私の行く道は、言ってしまえば修羅の道です。とても人間……それも軍の者以外の人が付いて行けるものではありません。
ですがあなたはそれでもついて行こうとしている。……何故ですか?」
「……初めに言った通り、ロベルタさんがいるからですよ」
エリーゼの言葉に、クラリスが驚いて後ろを振り返る。クラリスの視線の先で微笑むエリーゼは、先程とは打って変わって自信のある顔つきになっていた。
「ロベルタさんがいたから、私はあの暮らしから抜け出せました。ロベルタさんがいたから、私は両親と自分の仇を討つことができました。
ロベルタさんがいたから――私は私の世界を変えられたんです。
私が命を懸けてロベルタさんに着いて行くのに、それ以上の理由は要りません」
――この子は……。
クラリスは今、目の前にいる少女を完全に過小評価していたことを理解した。
クラリスが思っていた以上に、エリーゼは強くまっすぐにロベルタのことを慕っていた。危なげなほどに、しっかりと。
「ありがとうございます、クラリスさん。あなたのお陰で自分の決意を……最初の気持ちを思い出すことができました。もう……怖くありません」
「……好きなんですね、ロベルタのことが」
な……っ、とエリーゼが言葉を呑み込み、微かに顔を紅潮させる。
「べ、別に……好きって訳では……」
「分かり易すぎますね。憧れか敬いかは分かりませんが何かしらの強い好意を持っているということが丸わかりですよ」
「あ、ああ……そっちの方ですよねそうですよね……。つい取り乱してしまいました……」
「そっち?」
不思議そうな顔でクラリスが尋ねる。エリーゼの言ったことが何なのかまるで分かっていない……といった感じの意味を含んだ反芻だった。
「……ええと……」
「そっちって何なんですか? 尊敬しているという意味ではないのですか?
分かりません……私には分かりません……『好き』って何なんですか?
ロベルタの言ってる『好き』もあなたの言ってる『好き』も分かりません。私は――」
クラリスはそこで、言葉を紡ぐのをやめた。その視線の先で、エリーゼが人差し指を自分の唇に当てている。
「ごめんさない、実は私も、この気持ちが何なのかよく分かっていないんです。だから今は、クラリスさんが満足できるだけの説明ができません」
ですが、とエリーゼが言葉を続ける。
「分かりたいと思って知る努力を続けていれば、きっと……私もクラリスさんも、『好き』が分かる日が来ますよ」
「……そういうものでしょうか」
「そういうものです」
「いつか、必ず分かるでしょうか」
「ええ、いつか必ず、分かる日が来ますよ」
階段を上って来たロベルタを見つけたエリーゼが、ロベルタに向かって小さく手を振る。それに気づいたロベルタも、エリーゼとクラリスに小さく手を振った。
――そう、今はこのままでいい。
微笑を浮かべてこちらへと歩いてくるロベルタの顔が、今のエリーゼには少しだけ眩しく見える。
――今はほんの少しだけ、勇気を貰えたなら。
「私はそれで充分です」
誰にも気づかれない様、そっとエリーゼは呟いた。
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