#01 -人の似姿-

 黙るか、狂うしかなかった。


 誰もが皆、無力なのだから。


 誰も逆らえはしないのだ。


 運命という無数の歯車で編まれた、ことわりという時計に。



「……何なの……これ……」


 燃え上がる世界を見つめて、少女がうわ言の様に呟く。


 扉を開くと、地獄が広がっていた。


 熱に浮かされた様に思考がはっきりしない。今何が起こっているのか、どうしてそうなったのか――上手く判断できない。


 世界が焼ける音に混じり、辺りは怒号と悲鳴と足音、そしてそれを塗り潰す銃声が響いていた。銃声がひとつする度に、音が一つずつ消えていく。


 声はどれも知っているものだ。だが銃を撃っている者の音はどれも知らないモノだ。そしては、全く声を発しなかった。


 これは、生きている者ではない。少女はそう直感した。


 音が次第に、こちらへと近づいてくる。


「どうして、こんなことに……」


 大事な事が頭のどこかで引っ掛かって、思い出せない。


 炎の中からゆらりと、何かが姿を現す。


 それは、人に

 

 騎士の様な甲冑から覗くのっぺりとした無表情な顔は驚く程人間に似ていて、しかしその無機質さがたまらなく――それを「モノ」である事を語っている。


 身体が、動かない。今すぐに逃げなければならないのに、身体が動かない。


 目の前にいる人の様な何かが危険な物である事を、エリーゼの全身が告げていた。


 ――早く、逃げなければならない。


 ぼんやりとしていた少女の頭が動き始め、今の状況を全力で理解しようとする。


 エリーゼを見つめるが、少女の前に携えたライフルを向けた。トリガーには指が掛かっており、照準はこちらを迷いなく捉えていた。


「ひっ」


 少女の喉から掠れた悲鳴が零れ、次の瞬間に少女は踵を返して扉を閉めていた。

 一瞬遅れて轟音が轟き、木製の厚い扉ががりがりと削られていく。


「早く逃げなきゃ……」


 あまりにも心許ない、わずかばかりの時間稼ぎ。


 その間に少女は居間を駆け抜けて、勝手口から外へと転がり出ていた。炎の中を着の身着のまま、顔を恐怖に引き攣らせて少女が走る。


 声は、もう殆ど聞こえなくなっていた。


 ただ自分を追ってくる金属の擦れる様な音だけが、幾つも重なり賑々しくこちらへ近づいてくるだけだ。


「はぁ……っ、はぁ……っ!」


 膝ががくがくと震える。心臓が破裂しそうな程高鳴っている。


 それでも、走るしかない。生きる為には走るしかない。……だ。


 すぐ傍を銃弾が掠め、少し離れたところで榴弾が炸裂する。


 想像しがたい程の恐怖の中で、少女の頭は不思議と冴えてきていた。


 今なら、分かる。


 どうして今、ここが燃えているのか。どうして皆が死んだのか。


 どうして、自分が今逃げているのか。


 ――私の所為だ……。


 涙が一筋、零れる。


「私が……皆を殺したんだ……!」


 同じ顔をした人の似姿が、少女をどこまでも追いかけてくる。


 それが何であるか、少女は


 それは、人の似姿。人の様で人では無い、冷酷な殺人兵器キリング・マシン


 人の代わりを務めるモノで、決して尊ばれることのないモノ。


 人は彼らを、機械兵器ロボットと呼んでいた。


 ロボット達が、少女を追ってくる。


「こっちだ、早く来い!」


 不意に男の声がして、少女が右を見る。細い路地を少し入ったところで、少女のよく知る男女――少女の両親だ。


「お父さん! お母さん!」


 少女が泣き叫び、両親の下へと駆け寄る。人形達はその間もずっとこちらを追跡してきていたが、銃や剣を携えている分動きが遅くなってきている。


「くそ……どうして連中がここにやって来た? ここには何も無いのに!」


 少女の父親がぼやきながら、少女の手を引いて走る。後ろからはまだ、絶えず銃声が響いていた。時折レンガを銃弾が擦る嫌な音も聞こえてくる。


 息も絶え絶えに、少女は走り続ける。


 死にたくなかった。こんなところで死んではいけない――何故かそう思った。


 路地を抜けると一気に視界が開け、逃げ惑う人々が見える。人々はみな一様に、一方向を目指していた。丘を越えた先にある、身を隠せる林の中だ。


 一人の老人が少女達の通ってきた路地の方を見て、大きく目を見開いた。


 少女達のすぐ後ろを、ロボット達が追ってきているのが見える。


「機械共が来たぞ! みんな早く――」


 老人は、それ以上先の言葉を紡ぐ事ができなかった。


 一つ銃声が聞こえ、肉の潰れる音が聞こえ、身体の倒れる音がする。


 刹那の静寂の後、辺りは絶叫の海に呑まれた。


 悲鳴と怒号、銃声と金属音。


 先程少女の見た地獄が、再びそこに現れた。


「そんな……私達の所為で……」


「構うな、行くぞ!」


 少女の父親が母と少女の手を掴んで、脱兎の如く逃げ出す。


 少女の後ろでは、絶えず銃声と悲鳴が響いていた。助けを乞う声も泣き叫ぶ声も、まるで追いすがる様に少女の背中へとべったり貼りついてくる。


「――――っ!」


 見るな。聞くな。何も感じるな。


 ただそれだけを考えて、全ての音を振り切る様に、少女は父の後を追った。


 音が、次第に小さくなっていく。


 三人はやがて、村を見降ろせる小高い丘の上に出た。


「……酷い……」


 丘から村の方を見降ろして、少女が口元を覆う。


 少女が今まで過ごしてきた村は、一厘の隙無く焼き尽くされていた。炎の赤に混じってここからでも血の赤が見える。


 少女の知る世界は、もうどこにもない。


 それを知った少女は、力なく膝から崩れ落ちた。



 ここは、帝国。


 共和国との戦争により、全土が戦火に包まれた世界。


 人々は死の隣で、機械に怯えて生活している。


 だがその時、少女は何も知らなかった。


 機械が何であるか、帝国が何であるか、この世界が何であるか。


 少女がそれを知るのは、ある人形兵器と出会ってからの話である。

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