第四章

第n話 これから




 あの日々から先も、世界は続いている。




「遥斗の運転は丁寧で安心するわ」


 助手席の千世は微笑みながらそう言った。


「僕は不器用だから、このくらいで丁度いいんです」


 隣に千世を乗せるときは特に神経質になる。ただでさえ宝物のような彼女に、今や二人分の命が宿っているのだから。


 当初の予定では、今日こうして車に乗るのは僕一人のはずだった。でも千世たっての希望で、彼女も同行させることになった。身重の妻に無理はさせたくなかったが、家で留守番することを良しとしない気持ちのほうを汲み取ることにした。


 無造作につけていた音楽のプレイリストから、ふと聞き覚えのあるメロディが流れる。


「この声……沙智よね?」

「はい。彼らが少し前に出た新曲です」


 メロディラインと調和した伸びやかな唄声。佐久間沙智は大学在学中から、声楽科で培った歌唱のノウハウを生かしてバンドのボーカリストになっていた。


『ザ・チョークスリーパーズ』は名前を『ウェイク』に変え、今も活動を続けている。不在だった正規ボーカルに沙智を据え、最近では次期メジャーデビューの筆頭候補として挙げられるほどになっていた。音楽業界の末端で働く僕から見ても、彼らの快進撃はこれから始まるのだと予感させる。


「……うん、良い。すごく良いよ、この曲」


 まるで自分のことのように喜んで、千世はひまわりみたいに笑った。それを横目に捉えてつい余所見をしてしまいたくなるが、堪えて運転に集中する。安全運転を心掛けなければ。


「これで、私の言った通りになるわね」


 誇らしげな千世だが、僕には何のことかわからなかった。すると千世は、

「弾き語りの少年はプロになれるのでしょう?」

 と言った。


 その台詞を聞いて思い出す――まだあの病院に居た頃、年内最後の面会日に話した水平思考の空論を。


 あのときの弾き語りの少年が司だったことに気づいたのは、実はつい最近のことでもある。親交を深める前から出会っていたという事実に、奇妙な巡り合わせを感じずにはいられなかった。


 巡り合わせと言うなら、これから向かう場所もひとつの運命が行き着いた結果だ。僕と千世がそこに至れたのも、あの少女の存在無しには在り得なかったのだから。


 曲が終わり、次の曲が流れ始める。それを幾度か繰り返した後、目的地へと到着する。


 そこは、団地の日陰にひっそりと設けられた集合墓地。


 かつて憂月と共に訪れた、因果の行き着く先だった。



  ◇ ◆



 白野家の墓の下には千世の実母眠っている。


 その事実を知ったのは、憂月がライブ前日に沙智へ送った一通のメッセージがきっかけだった。


【もうすぐお盆だからお墓参りに行きたい】


 何の脈絡もなく送られてきたというその一文に、僕は意図的なものを感じていた。お盆に関係なく、彼女が定期的に墓前へ参っていたことを僕は知っていた。そしてその月にまだ墓参りに行っていなかったということを示唆している。これらの繋がりに意味を見出すことは容易だった。


 果たしてそれが意図的であったかは別として、僕はその後、憂月が続けてきた墓参りを代行することを決めた。憂月の親族に墓の位置を訊き出し、花を手向けることを自分に課した。そうするうちに偶然知ったのだ。


 憂月の母、白野藍里の旧姓が英であることを。


「あの病棟で過ごしていた頃、黒い人影を見ることがあったの」


 墓前でぽつりと千世は言った。


「その人影は高校生くらいの女の子で、いつも扉の隙間からじーっとこっちを見てくるの。たまに看護師さんに見つかっては逃げていったけれど、懲りずに何度も私を見に来たわ。とっても可愛らしかったから、もしも死神がいるならあんな子がいいなぁと思って、その子を死神と呼ぶことにしたのよ」


 思い出話を語る千世の姿からは憂愁が漂っていた。聞かせたい相手は僕ではなく、手の届かない場所へ行ってしまった縁者に向けてだろう。


 僕は黙って、不作法を承知でその語りに耳を傾ける。


「私は彼女と話してみたかった。私とあの子はどこか似ていて、きっと好みだっておんなじだったかもしれないから。そう思っていたら、いつの間にかその女の子は私の大切な人たちと親しくなっていた。それが、とても嬉しかったの」


 本心からの、慈しみに満ちた声だった。


 そこからは言葉にすらならなかったのか、眼を瞑ったまま千世は口元を固く結んだ。ここに来ると、彼女は普段しない表情をする。それを見るのが僕はあまり得意ではなかった。


 墓へ参るのは人の弱さを露呈させる行為に思える。かつての彼女もそうだった。


 けれどそれが、虚飾のない人間の姿なのだと、今は思う。


 誰もが脆さを抱えていて、そんな自分を正当化するために手を尽くす。僕らはその繰り返しの中から意味を見つけて、世界を作っていくのだ。その世界がいつか終わってしまうとしても、後悔だけは残さないよう、切実に。


 そして僕は幾度となく思い出すだろう。


 ここには居ない少女と交わした、約束を。


「行こう、千世」




 眠りに就いた彼女へ別れを告げることは、しない。


 この世界の先で、きっとまた逢えると信じているから。








  『唄う少女と

      ハーフエンドワールド』


              了

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唄う少女とハーフエンドワールド 吉野諦一 @teiiti

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