57.〈砂痒〉星系外縁部―13『Ghost In The Realm―1』

「お疲れ~」

 深雪が、ほんのり湯気のたつカップを手にボンヤリしていると、声をかけられた。

 てんてこ舞い、という程ではないが、忙しさから解放されて少し気が抜けていた。

「あ、は、はい、お疲れ様です」

 バーカウンターテーブルを挟んで向かいの席に腰をおろした相手に挨拶をかえす。

 場所は〈あやせ〉の懇話室。

 相手は実村よし子曹長だった。

 深雪は主計科、実村曹長は飛行(二)科と、所属は違うが兵員室が同室のため、顔見知りというより、いっそ妹のように可愛がってもらっている仲だった。と言うか、深雪の艦内における立ち位置は、妹でありマスコット――乗員たちのほぼ全てから、そう見なされ、扱われているものではあったが。

 とまれ、

 深雪は、給食担当者としての仕事がちょうど一段落したので、カウンターに据え付けられた小さなスツールに、ちょこんと腰をおろして一服していたところだった。

〈あやせ〉がナルフィールドを展張してから早や二日目。

 御宅曹長を除いて、後藤中尉は医療業務、そして、深雪は給食業務と、主計業務のなかでも更に細分化された個人の割り当て業務に、ほぼ専従状態な時間となっている。

 そして、(別に御宅曹長がヒマしているというワケではないが)後藤中尉も、深雪も、二人ながらに結構、多忙なのだった。

 つまり、

 深雪の場合は、艦乗員の大部分を占める兵科の人間たちがヒマ――時間を持て余してしまっているというのが理由の一つだ。

 八時間交代のこそ、いまだ維持されてはいるものの、常のようには課業しごとは無い。

 だから、乗員の誰もが、さして疲れることもなく、疲れてないから、いつものようには睡眠を身体が欲しない――そういう状態になっていたからである。

 二日というのは、娑婆にて過ごす一般人にとっては大した時間ではないかも知れない。

 しかし、『月月火水木金金』な勤務が当然とされる宇宙軍将兵にとってはそうではない。

 そういう事だ。

 本を読んでもいいし、ビデオを鑑賞してもいい。なんならトレーニングなどして汗を流してみるのいいだろう。

 しかし、ずっと一人きりではつまらない。

 時間の経過とともに、しだいにそう感じる人間が、増えていく一方となっていたのである。

 そこで、

 基本的にはセルフサービス――無人での運用が可能であるから、懇話室は二十四時間あいている。

 そこに行けば、まず間違いなく『誰か』がいるに違いない。

 そう考えたヒマ人たちが、ひとり二人、三人、四人と、懇話室へ懇話室へと足を運ぶ流れとなった。

 当然、その『誰か』の筆頭となるのは懇話室業務を管理する立場の主計科員――わけても責任者の看板を背負わされた深雪。

 彼女が常より忙しい時をすごすハメとなったのは、つまりは、そういうワケだった。

 バーカウンターにやってくる人間に注文されたドリンクや菓子、料理を渡し、その際、すこしばかりのお喋りをする。

 業務といえば、ただ、それだけの事だが、軍人生活はおろか社会経験も不十分な深雪にとっては、それが少なくない負担だという事実はかわらない。

 塵もつもれば、ではないが、そうした時間がずっと続くと、やはり気疲れしてしまう。

 身体はさして疲れてないものの、深雪がスツールに腰掛けたのも、主には精神的にくたびれてしまったからだった。

 そこに実村曹長がやって来たのだ。


「なに飲んでるの?」

 まだ湯気をくゆらせているカップの熱で手をあたためているのか、

 それとも、包み込むようにして持つ手でカップを温めているのか、

 深雪の手許に目をやって、実村曹長が訊いてきた。

「ホットのエッグノッグですよ」

 深雪が答えると、

「ああ、卵酒ね。だったらノンアルじゃダメでしょ」と、自分が手にしていたグラスを深雪に向かって突き出し、実村曹長は、ツッとそれを傾ける。

 とぽとぽとぽ……と、中身を深雪のカップに注いだ。

 あっと言う間もない早業だった。

「安眠するなら、ちょぴっとアルコール入りの方が効果あるわよ?」

 今のが、ちょぴっと?――はなはだ疑問な量ではあったが、そう言う顔には曇りも悪気も茶目っ気も、何も浮かんでいはしない。当人にとっては、きっと、そうなのだろう。

「って言うかサ――大庭機関長が、奥さんから持たされたお酒をお裾分けするって言ってくれてるんだから、お言葉に甘えればいいのに」

 めったに飲めないようなお高い銘柄だってことらしいわよ? と付け足してきた。

〈ヴァレンタイン〉の二一四年モノ、だろうか。

 安眠については、その通りなのかも知れないが、先日、さんざん絡まれた酔っ払い――そのキャラ崩壊の非道さを思うと、ちょっと躊躇ためらってしまうところだ。

「いえ、お酒ってあんまり飲んだことないから」

 程度ものではあるのだろうが、自分の限界がわからない以上、今のような状況下でチャレンジしてみる勇気は、深雪にはなかった。

「あ~、そっか。深雪って元・アスリートだもんね。やっぱ、競技に支障ないよう、節制してたんだ」

「え、ええ、まぁ……」

 悪気はない、と思う。しかし、実村曹長が口にした『元』の一言は、やはり、グサリと胸に突き刺さる。

 思わず吐息が、ふぅと出た。

 すると、

「……大丈夫? 疲れた? もしかして、深雪も……」と、真剣な目で覗きこまれる。

「へ、平気ですよ。今だって、なんだか合宿みたいで、ちょっと楽しいですし」

 すこし慌てて食い気味に、ちいさくかぶりを振ると、懇話室の様子を示してみせる。

 深雪に後藤中尉、二人を忙しくしているもう一つの理由――が出るのは、どうにも勘弁してほしかった。

「合宿? ああ、深雪が所属してたスポーツクラブとかのね」

 幸いにも実村曹長は、深雪が示した先へと目をむけると、それで納得した風にうなずいてくれた。

 現在、〈あやせ〉の懇話室内は、隣室である医務室との壁が取り払われ、一続きとなった広大なフロアとして、乗員たちにひろく開放されている。

 利用時間的にも利用者的にも、事実上、なんら制限・制約は無い。

 飽きるまで室内でっていて良いし、喫食はもちろん、そこで就寝してさえかまわない。

 課業がほとんど皆無である今、入浴をのぞけば、事実上、懇話室だけで生活行為を完結させても良いと、おおやけに許可されていたのである。

 理由は、乗員の不安神経症対策のため。

 ナルフィールドは、遷移をしない裏宇宙航法と言えるものである為、遷移実行時ほどひどくはないが、それでも、相似た事象が生じてしまうからだった。

 単純にいうと、、のだ。

 いや、実際にそうか否かはさておいて、そう感じる者がかなりな割合で生じてしまう事になるのである。

 暗がり、背後、物陰、曲がり角の先――そうした場所に、『なにかがいる』

 あるいは、一人でいる時、ふと気がつくと、『何者からかの視線を感じる』

 思わず背筋がゾクゾクするような、不安に苛まれる事となってしまうのだ。

 裏宇宙にひそむ……、と言うより、裏宇宙そのものである〈超・存在〉の『視線』――それだけではない。(そう思うには、『視線』の『圧』が低すぎる)

 そうではなくて、もっと矮小わいしょう、かつ卑近なモノだ。

 言うなら、『魔神』と『怨霊』の『格』の違いである。

 一説によると、重畳構造を為す宇宙連続体の『壁』の薄い箇所から、本来、感知できない筈の異宇宙に属する存在の『気配』が、に滲出してきている。

 しかし、お互いが異なる『うちゅう』に属しているため、明確なかたちでの認識はできず、当然、コミュニケーションもとれず、ただ、それが存在することの不自然さが違和感を生み、結果としての、不安心理へ繋がっているのではないか――そう説明されている。

〈授学〉では、これを『世界』構成基盤の差異に起因する知性体の異階層認識の不可能性、および、それに関連する階層間接触にともなう知性体心理平衡状態異常のじゃっきなどと語っているが、意味するところは同じである。

 つまりは、

 無限につらなる『階層』からなる宇宙連続体において、異なる『階層』に所属している知性体は、互いに互いを認識することができない。

 その知性体が所属している『うちゅう』の基本原理が違っているため、たとえ同じ座標ばしょにいようとも、見ることも、話すことも、触れることもできない。

 ただし、ある条件を満たした『特異点』においては、相手存在の『影』をおぼろに感知することはありうる。

 しかし、その『接触』は、当然、不完全すぎるものであり、加えて、自分にとっての〈常空間〉での相手存在は、その存在そのものが不自然、かつ、あり得ざるものでしかない。

 そうした『異物感』、『異質感』――『違和感』が、すなわち、異なる『階層』に属する知性体、その『影』を『オバケ』として捉える結果となっている。

――この事象について言わんとするところ、その表現が異なっているだけであるからだ。

 対処法として、(交戦時以外で)ナルフィールドを展張した時は、艦内には癒し、軽快、情熱的な曲がBGMに、また、照明は、演色をやわらかく、暖かいもの、照度は平常時よりも増して、字義通り無影灯で照らし出されたような環境の提供をする。

 それでも『怖い』――そう感じてしまう乗員のためには、集団生活ができる場として、懇話室を(医療とよりリンクしやすくした上で)ひろく開放しておく。

 今では艦の運用マニュアルに、そう定められるに至っているのだが、いずれにしても、日常生活の端々で、『オバケ』に遭遇するというのは、決して楽しい経験ではない。

 強制的に、不安な気分にというのも同じである。

 給食担当官の深雪が、常より忙しくなるワケであったし、なるほど、ことさら『お喋り』が、最重要な課業とされる道理でもあった。

 実村曹長が、『もしかして、深雪も……』と言いかけたのも、それである。

「だったら、良いんだけど、もしも、なんだったら、隠さず言うのよ? 抱き枕役くらい、いつでもやってあげるんだから」

 せっかく、その話題を避けようとしたのに、また、そこに回帰して、深雪は曹長の言葉に感謝しながらも、内心、苦くうなずく。

 自分が気づいてないだけで、今、この場所にもオバケ――異なる『階層』に属する知性体がいるのかも知れない。そう思うだけで、なんだか身の毛がよだつ思いになってしまうからだった。


「と、ところで――」

 アルコールの香りが、湯気にまじって鼻腔をくすぐるカップの中身を一気にゴクリとやりながら、深雪が違う話題を口にしたのは、つまりは、そういうワケである。

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