41.Collateral Damage Report―3『被害者が深雪の場合―3』

「なるほどねぇ……」

 深雪の反応を見て、埴生航法長は溜め息をついた。

 直接の部下でこそないが、〈あやせ〉に乗り組むにいたった経緯から、各科の長たちは深雪について、おおよそのこと(身体情報、心理特性、思想傾向、出生履歴、家族構成、交友関係etc.)を把握している。ただでさえ同情的だった視線が、更に度合いを増したのは、だから自然なことであったろう。

(そっか、初恋かぁ……)

 深雪の上官であり、自分の同僚でもある後藤主計長の姿を脳裡に描く。

 はじめての裏宇宙体験に、多分は恐慌をきたしたのだろう少女を救うため唇をかさねた。

 後藤中尉の選択は、船医としての一種のショック療法だったと了解できはするものの、それでもそれはディープキス。――ソフトなそれさえ未経験であったにちがいない深雪にとって強烈すぎる体験だったのだ。

(マジメなだし、主計長の方も浮いたはなしは聞いたことないしねぇ)

 だったら、二人がデキちゃったとしてもいいのかなぁ、と心の中で、う~~んと唸った。

 他国と異なり大倭皇国連邦における宇宙関連業務従事者――特に恒星間移動従事者は、圧倒的にその構成男女比が女性の側に傾いている。裏宇宙航法特有の欠点が為、いつしかそうなっていた等、理由原因については諸説あるものの、いずれにしても、同じ航宙船フネに乗り、〈連帯機〉によって心と肌を結びつけられる経験を重ねた乗員たちからカップル――職を離れ、地上に降りてからも居を共にする、いわゆる同性婚者が多く出ていることは事実。

 裏宇宙での過酷な試練を互いが協力することで乗り切った――そうした経験の累積が、個人的な親密さに繋がった結果がそれとされているのは事実であった。

 目の前に立つ、(おそらくは)全身を真っ赤に染めてうつむいている少女もそうなのか。

(う~~ん)

 埴生航法長は、心中また唸る。

 できることなら応援してもあげたいが、自分にはすこし荷が勝ちすぎた難題はなしとも思う。だから、深雪のさを可愛く思うと同時に、すこし困った気持ちになって、隣に座る大庭機関長の脇を肘でかるくつついたのだった。

「既婚者から、なにかアドバイスはないの?」

 顔を寄せると、〈あやせ〉コマンドスタッフのうち、唯一、結婚している同僚にそう囁きかける。

 が、

「え? ナニ、そのムチャ振り」

 唐突すぎたか、大庭機関長は目をまンまるに見ひらいた。

「そんなこと出来ないわよ、私」

 無理無理とばかり両掌をひらひら振ってみせたのである。

 自分の依頼を一顧だにせず、即断で断るその態度。――埴生航法長はカチンときた。

 普段は温和知的な物腰で、かつ、職掌柄タッグを組むことの多い機関長とは個人的にも仲の良い彼女だったが、とにかくカチンときたのであった。

「はぁん?」

 声の調子トーンがすぅっと下がり、半目になると、すとんと表情の抜け落ちた顔で相手の顔を眼差した。

「アァソオ。ソウデスカ。兵ガ困ッテイルノニ士官ガソンナコト言ッテシマウンデスカ。自分ハイツモイツモイツモイツモ、『嫁ちゃんが嫁ちゃんが嫁ちゃんが……』ッテ、私ガ耳たこニナルクライ惚気のろけマクルクセニ、他人事トナルトほんっト冷タイコトデスヨネェ……」

 なんだか呪詛じみた文句を低くちいさくブツブツ口から吐き出した。

 そして一転、

「ねぇねぇ聞いて、深雪ちゃん!? この人ったらね、非道いんだよ!? いつもはこんな澄ました顔をしてるけど、裏にまわればたらしでサ。うっとうしいくらいらぶらぶ♡してる奥さんだって元をたどれば……!」と、深雪に向かって身を乗り出して何事か言いかけた矢先、これ以上ないというくらいに慌てた様子の大庭機関長から口を両手でふさがれる。

「わ、わかった! わかったわよ! ゴメン! ゴメンってば!……わ、私の場合は、田仲一等兵とは立場がだから、だったら参考にならないなと思っただけよ。――だから、本当ゴメンって!」

 なおフガフガと荒く口を動かし両手を振りまわそうとし続けるのを大庭機関長から、ほとんど羽交い締めされ止められることになったのだった。


「……さて、お嬢ちゃん」

 胸の底から吐き出すような深い息をもらすと、大庭機関長はいかにも重たげに口をひらいた。気のせいか、少し(かなり?)疲れた顔になっている。

 ちなみに既婚/独身の別をおいても、さして深雪と年齢差がない(ように見える)大庭機関長が深雪のことを『お嬢ちゃん』呼ばわりするのには違和感がある……ようで、実のところはそうでない。なにせ平均寿命が一二〇歳、生産労働年齢の上限は九〇歳に達しようかという時代である。長寿医療をふくむ形成美容技術全般が長足の進歩を遂げた世界にあって、ヒトは若く壮健な状態をながく維持しつづけることが可能となっている。外見からその個人の実年齢を推し量ることは、ほぼ不可能。神話でいうところの『常若の国』、幻想作品ファンタジーでまま描かれる『』――それらには未だ及ばざるといえども、そのひながたと称せる域には到達している。『老い』は、『貫禄』を演出するためのファッションともなりつつある時代であった。(もちろん、だからといって、いたずらに女性の年齢を晒す行為が依然禁忌タブーなことは言うまでもない)

 とまれ、

「とりあえずは二つだけ、現状、あなたがわきまえておくべき事を言っておくわね」

 大庭機関長はそう言って、指を二本立ててみせた。

「は、はい」

 何を言われるのかと、深雪はゴクリと息をのむ。

「一番目。ここは職場で軍隊で、お嬢ちゃんとお嬢ちゃんの想い人である後藤主計長(なのよね?)とは部下と上司の間柄だということ。

「二番目。特定の個人を恋い慕う気持ちと憧れの目で眼差まなざすことは似て非なる感情なのだということ――この二点を了解しておきなさい。

「それが出来るようなら構わない。勇気をだして告白をして、自分の想いの丈を告げるのもヨシ。まずは課業にいそしんで、自分の価値を知らしめるもヨシ。――意中のひとを射止めるためのアプローチ法は、お嬢ちゃんしだいということになるわ」

 そこまで言って、立てていた指をたたむと、ハイ、おしまいと話を終える。

 深雪は目を瞬いた。何か大変なこと――しかつめらしくも難しい指摘要求をされるのに違いないと身構えていたから当然だった。

「え、えっと……、あの、そ、それだけ……なんですか?」

「そうよ、それだけ」

 恐る恐るの問いかけに、簡単でしょう? といった感じの頷きを返され、ふたたび両目を瞬く。

 深雪の当惑した様子に大庭機関長は、ふっと表情をやわらかくした。

「あのね、意外に思うかもしれないけれど、職場恋愛を禁ずる規則は宇宙軍ここには無いの。風紀うんぬんが口にされることがあったとしても、それはあくまでマナーの範疇はんちゅうでのはなし。先の二点を守った上のマジメなお付き合いなら、誰からとがめを受けるでないわ。むしろ、祝福されるかも知れない。私と……嫁子ちゃんみたいにね……♡」

 実例として、ということなのだろう――言葉の最後に(音量ボリュームも小さく)自分のことを引き合いに出した。

 が、

 次いでまったく間髪入れず、

「それでね!」と声を張り上げたのは、すぐ隣から、「ケッ!」とが吐き出される音が(微かにではあるが)聞こえたせい……なのかも知れない。

「それでね!」――大庭機関長は言った。

「それより何より、用心しておくことがあるから、そちらの方こそ気をつけなさい。

「今回、お嬢ちゃんを的にかけたのは〈RPG〉……まぁ、ぶっちゃけ、艦長だった。

「どうせ退屈しのぎの恒例の悪戯のつもりなんでしょうけど――まぁ、見てなさい」

 今度という今度は、何が何でもとっ捕まえて、キッツいお灸を据えてやるから……と、低くちいさく呟いて、顔にはくらわらいをうかべかけ、

「あ、あ、もとい。そうじゃあなくってね……!」と、途中で、ハッと表情をあらためた。

「艦長をどうせっかんするかについてはひとまず置いて――この世の中には、私たち航宙船乗員ふなのりや〈連帯機〉まわりを狙う不届き者が他にもいるから、日頃から身の処し方に気をつけるよう心がけなさい、と、そういうはなし。

「たとえば、〈連帯機〉を介して得られる『愛』こそ至上。唯一にして尊ぶべきものとかほざく〈殉愛の守護者〉や、現行の皮膚内蔵感覚にとどまらない知覚情報入力の範囲拡大、また心理要素の追加等、〈連帯機〉の機能拡張パワーアップを目論む〈真・合一教団〉とか、心底どうしようもないクズい手合いがまだまだいるの。

「ホント、誰が言ったか――『の御星の尽きるとも、世にHENTAIの種は尽きまじ』ってヤツね」

 どうしようもないわ、といまいましそうに舌打ちをする。

「どう対処するのがベストか、正直、私たちですら未だ確たる答は持ち合わせてない。でもね、とにかく、そういうワケだから、今回の件はひとまず教訓に、でも、必要以上に思い悩むものではないと理解をしときなさい。だって、『べろちゅー』と似たようなは遷移の度に皆やってるのだし、そもそも不謹慎でも不道徳でもないんだから。

「お嬢ちゃんが上官を好きになったことについては、職場結婚をした、まぁ、先輩として、私もいろいろ相談にのってあげられると思う。だから、今みたいに行き詰まってしまって、どうしていいかわからなかったら、遠慮しないで声をかけなさい。くれぐれも一人でくよくよしたりはしないこと」

「で――」と、そこで目線を横に向け、

「とりあえず、お嬢ちゃんの方はこれまでとして――嗜好品個人保管の私の分に〈ヴァレンタイン〉の二一四年ものがある筈だから、それを出してくれるかな?」

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