47.〈砂痒〉星系外縁部―3『臨場―3』
「空間
能代少尉の告知が、また響く。
あと三分少々の経過をもって〈あやせ〉はクルリと半回転し、艦尾を進行方向へ向け、主機の噴射をおこなう。
これまでにも八回にわたり、実行してきた必須の航程。
だが、同時に、それは何とも不経済なやり方ではある。
減速噴射完了後、ふたたび艦を正転させての航行続行。
民間船舶であれば、決してそのような方法はとらない。
減速航程は可能な限りまとめて、手間を省こうとする。
しかし、〈あやせ〉が――と言うより大倭皇国連邦宇宙軍所属艦艇が、恒星系へ進入する際、効率重視の観点から減速噴射の回数を減らそうとはせず、むしろ、進行方向に対して艦位の正転反転をくりかえし、制動作業を分割しておこなうのは、おのれの存在を可能な限り周囲から隠しておくため、それによって自艦の安全を確保しようとしているからだった。
艦反転の後、減速噴射が完了すれば、ふたたび正転――艦首を進行方向に戻して観測作業に取りかかり、今しがたの噴射を探知し、対応行動をおこした者の有無を確認する。
減速噴射と、それを実施したことによって自艦をとりまく状況が変化したか否かの警戒作業のふたつを反復実行。――そうすることで、危険の予測と度合いの減少を図ろうとしていたのである。
「全スラスタは噴射待機状態にアリ。
機関科次席――守脇中尉が、そう告げた。
こちらも航法科と同様、代理指揮官である。
「慣性中和装置は
船務科次席――大水少尉が報告する。
「
自分のコンソール上を
「
大水少尉の言葉が続いた。
自艦がクルリと
みずからの存在を暴露することのないパッシブセンサーが、回頭にともない自艦周辺空間を
「静かね……」
そんな、艦橋内部の音どもを耳に入れつつ、難波副長はぽつりと呟いた。
瞳はジッと戦術ディスプレイに据えられている。数値、情報と言うより、場の雰囲気を掴もうとしているかのような眼差しだった。
「情務長、どう思う?」
〈纏輪機〉越しに問いかけた。
「そ、うです、ね。おっしゃ、る通り、自、分も静か、す、ぎると思い、ます」
羽立情務長が応じる。
度がきわめて強そうな
表情の欠落した顔に強い吃音。努力して発声しているのがアリアリだが、口調は淡々というレベルを超えた棒読みだ。
ヒアリングする側にとっても苦労が必要だから、意図的でなければ、かなり損な、それは口調であり態度であった。
上官に対する返答なのに礼を欠いている――最悪、そう取られかねないからだが、本人にそんなつもりは全くない。
別に腹に一物ある故の無礼等ではなく、(吃音の要素を除けば)それは、いかにも情務科員らしい対応なのだった。
情務科。
大倭皇国連邦宇宙軍において、情報収集、分析、また伝達他を担当する兵科。
そして、戦闘航宙艦内に置かれたそこは、人間よりも機械を相手にする方が得意、あるいは周囲に諜報謀略を仕掛けることが習い性化している者の集う場所(と噂されている)。
まさかに科員が
実情を知っていれば、そこを構成している
なまじ仕事面では有能な人間が揃っていることも災い(?)し、プライベート(?)もそうかと思われがちだった。個人的に親交を深めない限りは、情務科員が
そして、〈あやせ〉で当該部署を束ねる羽立情務長などは、周囲から
難波副長とおなじく怜悧と形容できる――しかし、副長のそれよりもっと冷たい、いっそ非人間的とも思える美貌。
およそ表情をあらわす事のない顔と、機械の方がまだ暖かいと感じさせる対応。
肌の色が抜けるようにしろい事と相まって、
とまれ、
情務科は、宇宙軍戦闘航宙艦のすべてに設置され、人員が割り当てられているわけではなく、艦級としては巡洋艦以上――旗艦担任艦、また当該機能付与艦に優先的に配備をされる兵科でもあった。
操艦や交戦、装備管理といった、直接的なマネジメントを担う他兵科と異なり、間接的に自艦担当任務にアプローチをおこなうことが務めの部署だからだ。
指揮官と同等(あるいはそれ以上)の量と密度でもって種々の情報に接し、しかし、部下や自分の運命を決する断を下さねばならない
端的に言うなら、情務科員とは『参謀』と呼ぶのがもっとも近いのか。
すくなくとも現状、難波副長が相手に求めた役まわりは、それだった。
当然、言葉にされなくとも、その要求は、羽立情務長も了解している。
「距離、かしら?」
自分自身、内心ではそうは思っていない想定を難波副長がつづけて言うと、だから、「違うでしょう」と即座に答をかえしてきた。
(やはり、早期警戒網が正常に機能していない……か)
自分とおなじ違和感をおぼえているのだろう部下の返事に、難波副長は、かるく唇を噛む。
――静かすぎる。
難波副長は、現状をしてそう感じていた。
〈砂痒〉星系は、大倭皇国連邦の最東端に位置する星系で、事実上の要塞である。
自国にとって最大最強の仮想敵国たる〈USSR〉に接する星系だから当然だ。
主権領域に対する防備は固く、最良の状態を常に保って外部と向き合っている。
つまり、外宇宙から寄り来る航宙船に気づかず、見過ごすことなどありえない。
であるのに、現在、〈あやせ〉の接近に呼応した動きの一切が、そこにはない。
――まるで
通常であれば、既にある程度の触接がはじまっていてもおかしくはない頃合い。
(つまりは、そういう事、なんでしょうね)
難波副長は思う。
星系主権領域内に本格的に進入する前段階――進入側と警備側の接触初期段階にあたるこの過程は、進入船舶が民間船であれば入域手続きはかなり簡略化され、スムーズなクリアが可能である。
民間船舶は、〈ホロカ=ウェル〉銀河系において超光速航行可能な航宙船に搭載と常時の使用が義務づけられている
それにより自船に関する身元情報を常に四周に向けて、いわば垂れ流しているため、星系警備の側は、船籍偽装の可能性について検証をおこなえば良いだけとなるからである。
が、
軍艦の場合はそうはいかない。
それら装置を搭載してないわけではないが、特に作戦行動中のフネにおいては、いずれもその機能をカット、停波している。敵手(もしくは、それに等しい立場の存在)に、こちらの行動を予測、また履歴を把握されるわけにはいかないからだ。
それに加えて光速限界が
先触れを出し、前もって告知しておくことが出来ない故に、そうならざるを得ないのである。
最悪の結末である同士討ちを避けるための手段が、近距離系の通信が可能となりしだい実行される必要情報の交換――IFFをはじめの直接的な応答のみという現状。
味方といえど、仮にも軍艦に臨検など受け入れることは出来ないが為、一触即発とまではいかなくとも、かなり冷や汗まじりの時間をすごす事となるのだった。
わずらわしさと緊張と
それが戦闘航宙艦が恒星系に入域する際、付きものとされる三要素だったのだ。
けっして味わいたいわけではない。しかし、自艦が国境星系――重要拠点へ進入しつつあるというのにルーチンとも言えるこの手順がはじまらずにいるということは、〈砂痒〉星系が通常の状態にないことを如実に示している。
そう結論づけざるを得ない状況、また、それにより招来される未来は、なおのこと避けたい。
なのに、
(艦長は当てにならないし……)
誰頼る人もない現状に、難波副長は、きゅ、と唇を噛みしめた。
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