第14話 勇者の素質
北条翔を客室へ案内したセレスは、一人そのまま城内を移動し、ある部屋の前で立ち止まった。
ここは彼女の主、ミルフィ・ヴァラン・アトノームの私室である。
今日はセレスにとっても目まぐるしい激動の一日であったが、彼女はその使命を見事に成し遂げた。
その最後の仕上げを済ませるため、セレスは部屋の扉をノックした。
「どうぞ」
聞きなれたミルフィの声を確認し、セレスは入室した。
ミルフィは備え付けの椅子に腰かけ、静かに紅茶を飲んでいた。
時刻は既に深夜。普段の彼女ならとっくにベッドに入っている時間だが、そんな気配もなくこうして紅茶を飲んでいるのは、セレスの訪問を待っていたからだ。
「カケルさんの方はいかがでしたか?」
「指定通りの客間にご案内いたしました。警備も厳重に」
「勇者様ですものね。大事があったら大変です」
どこかからかうような口調のミルフィ。
彼女のことをよく知るセレスは、ミルフィが本当にカケルの安否を気にしているわけではない、ということに気づいていた。
「カケル様は冒険者への転職を希望されておりました。ミルフィ殿下の推薦があったと」
「はい。間違いありません」
「畏まりました。速やかに手続きを済ませます。カケル様にはパーティメンバーはこちらで手配すると約束いたしました」
「そうしていただけると助かります」
ミルフィ本人に直接訪ねるまでは半信半疑だったセレスだが、これで確信した。
ミルフィはカケルが冒険者になることを望んだのだ。
「……何故、冒険者なのでしょうか」
「カケルさんのご希望です。騎士団に入るよりはマシでしょう」
「……冒険者など、もはや時代遅れの稼業です。魔王軍幹部を倒す程の勇者には相応しくないかと思いますが」
「冒険をする必要はありません。日銭のために危険な依頼を受ける必要もありません。こちらが用意した強力なパーティと一緒に、低報酬でも楽しそうな依頼を受けて日々を気ままに過ごしていただければいいんです。勇者様ですもの。生活の保障くらいどうとでも受けられます」
「……」
つまりミルフィはカケルに、冒険者としてすら活動させる気はない、ということだ。
安全と生活が保障されているなど冒険者もどきもいい所。冒険者という泥臭い稼業の、ほんの浅瀬を体験しているに過ぎない。
普通はそんな冒険者活動などできない。
――ならば、誰かがカケルを、そのようにコントロールする必要がある。
「……では、私が?」
「セレスさん。明日から長期休暇を出します。長らく私の専属使用人としてのお勤め、本当にお疲れ様でした。しばらくお体を休めてください」
昔のように……セレスにもう一度冒険者になれ、ということだった。
「――畏まりました。ミルフィ殿下のお心遣い、ありがたく頂戴いたします」
苦い想いを鉄面皮の裏に隠す。
それがミルフィには通じないと分かっていても、いつもの癖でそうしてしまった。
セレスは冒険者へと転職し、カケルとパーティを組む。
そしてカケルの冒険者生活を裏でコントロールする、という使命をミルフィに課されたのだ。
「パーティメンバーはセレスさんがお決めになってください。私よりもずっとお詳しいでしょうし。かつてのコネクションはまだ残っていますか?」
「多少は。加入の条件はございますか?」
「美人。それが第一条件です」
「……美人、ですか?」
およそ冒険者には最も不要と思われる要素を言われ戸惑うセレス。
「先程、カケルさんと沢山お話をいたしました。とても有意義な時間でした。異世界のことも色々と知れましたし、カケルさん自身のこともかなり把握できました」
「つまり……カケル様は好色な方だと?」
「好色とまでは言いません。ごく一般的な青年と大差ないでしょう。女性経験はないか、あってもかなり少ないでしょう。――ふふ。カケルさんったら、私と目を合わせただけで顔を真っ赤にしてらっしゃって。可愛らしかったですよ」
「……率直に、カケル様はどのような方でしょうか」
「格好をつけたがり、自己を誇張して表現し、功績は自慢する。でも内心では多くのコンプレックスを抱え、自己評価は低い。しかし克己心は薄く、自身の不遇を環境のせいにする傾向はあるようです。常に他者からの評価を求めており、女性への強い憧れを持っているようです。おそらく、元の世界の環境でも平均以下の立場にいたのでしょう」
ミルフィの分析を聞き、セレスは軽く眩暈を覚えた。
「……そのお話を聞く限りでは……カケル様の人物像は、その……」
「普通です」
小物、と口が滑りそうになるセレスを遮り、ミルフィが言った。
「これくらいは普通です。今でこそ勇者なんて立場になられたせいでギャップを感じるだけで、カケルさん本人はごく普通の男性と言えるでしょう。ですので、カケルさんの願望も実に読みやすいです。富、賞賛、それに女性」
「とても勇者に相応しい人物とは思えません」
「そうですか? 私はむしろカケルさんに好感すら覚えましたが」
「好感……ですか」
今の話のどこに、カケルに好感を抱ける要素があったのかセレスには理解できなかった。
だがミルフィは大真面目な顔で言った。
「今まで私は何人もの英雄の方々を見てきました。そのほとんどが高潔と呼ばれるような人格者でした。彼らが何のために戦ってきたのか、セレスさんもご存じですよね?」
「……はい」
「国のため。人類のため。愛する者のため。――そんな、訳の分からない理由で戦う人たちのことなんて、ちっとも理解できません。とても同じ人間とは思えません」
そう断言するミルフィに、セレスは改めて空寒いものを感じた。
ミルフィの専属使用人になってそれなりの時間が経つ。彼女のことをよく知るセレスではあったが、こういう一面を見る度に普段のミルフィとのギャップに戸惑ってしまう。
「それに比べてカケルさんは素晴らしいです。カケルさんの願望はとても人間的です。とても分かりやすい。私には興味のないものばかりですが、共感はできます」
「……」
「それでいいんです。人間なんてそんな高尚な生き物じゃありません。人間を救うための勇者が人間らしからぬ程に聖人だなんて、その方がよっぽど不自然です。勇者はもっと人間的な方が相応しいんです。私にはカケルさんは、今まで見てきたどんな勇者よりも勇者らしく見えます」
「では、当面はカケル様の欲望を満たし続ける、ということでしょうか。そんなことをしても、魔王の討伐など……」
「セレスさん。カケルさんの元いた世界がどのような場所か、ご存じですか?」
「いえ、何も」
「凄いですよ。まさに人にとっての楽園です。その世界には魔法がないそうなんです」
「魔法が……ない、世界?」
にわかには想像できず眉を顰めるセレス。
カケルの常識に当てはめるならば、それはさながら火のない世界とでもいうべきもの。
あるいは、電気のない世界。エネルギーが変換しない世界。地球が自転しない世界。
魔法がない、というのはこの世界の人間にとってそんな次元の話に聞こえる。そんな場所で人類がどうやって生活するのか、どんな進化を遂げるのかまるで想像ができなかった。
「それだけではありません。その世界には魔族もいません。凶暴な魔物もいません。ドラゴンも、アンデッドも、エルフも、ヴァンパイアも、全て空想の中にしかいないそうです。人類の他には知的生命体と呼べるものはおらず、言葉を操るのも人類だけだとか」
「……」
「その世界では数千、数万年前から人類が地上を支配し、天敵もなく、外敵の脅威もなく、ひたすらに人類の文明を発展させてきたそうです」
「……」
「そんな世界が何千年も続けば、当然我々には想像もできない発明がいくつも生み出されます。鉄の塊が空を飛び、光も届かないほど深い海の底まで潜れるそうです。馬の数倍早く走れる馬車を一家庭が一つ持ち、世界中を走り回っているとか。数十桁の計算を瞬きの内に終わらせる超高速演算装置が様々な物に組み込まれ、生活の中で当たり前のように利用されているそうです」
「……カケル様の妄言では?」
「ふふ。であれば、カケルさんは稀代の文豪の才をお持ちなのでしょうね」
確かに、とセレスも納得した。
今ミルフィが語った内容は、どれ一つとっても信じられないような代物ばかりだ。この世界の人間にはそんなものはそもそも想像すらできない。
……実際にあるのだ、カケルの世界には。そんな想像を絶するような高度な道具が溢れかえっている文明なのだ。
「……夢のような世界ですね。あまりにも人類にとって都合の良すぎる世界です。そんな世界があるなんて……信じられません」
「私は信じます。だって現にカケルさんがいらっしゃるんですもの。人類の楽園……その異世界は必ずある。そして、必ずこの世界と繋がっているはずなのです」
理屈の上では、おそらくそうなのだろう。向こうからこちらに来れるのなら、逆も可能なはず。どんな形であれ、道は必ず繋がっているはずだ。
「私はその世界に行きたい。もうこんなくだらない世界うんざりなんです。王女なんて立場も何もかも全て金繰り捨てて、その楽園のような世界で一人の女として新たな人生を生きていきたい」
それはミルフィの、かねてからの願いだった。
彼女の傍で仕えてきたセレスはそのことをよく知っていた。そんな彼女の、叶うはずがないと思われた願いが、突如ふって沸いた一人の青年によって、一気に現実味を帯びた話となったのだ。
「先程の質問に戻りましょうか。『何故カケルさんの欲望を満たす必要があるのか』。……セレスさん、もうお分かりですよね?」
「……はい。カケル様が元の世界に戻りたい、とお考えになられないように、ですね」
「はい。カケル様は、今はこのような事になり一種の興奮状態になってらっしゃるんでしょうけど、いずれ気づくはずです。ご自身のいた世界がどれほど素晴らしい場所だったのか。この世界がどれほど不毛な地か」
「……」
「そうなれば、元の世界に戻りたいと思われるのは時間の問題です。――ですが、そんなことは絶対にさせません。カケルさんはこの世界と異世界を繋ぐ唯一の手がかり。万が一にもカケルさんが元の世界に帰還され、異世界への道が閉ざされてしまったら……私はきっと憤死してしまうでしょう」
普段のミルフィであれば有り得ないような事態だが、セレスは何故かその光景を容易に想像できてしまった。
「カケルさんをこの世界に繋ぎとめておく必要があります。カケルさんが『もっとこの世界にいたい』と思えるように、私たちは全力で彼をおもてなしするんです」
「それで、カケル様のパーティメンバーを美人ばかりで揃えたい、ということですか」
「そんなのは序の口です。カケル様の望みは全て叶えて差し上げる、くらいの意気でかかりましょう。ちなみに、これはカケル様には秘密ですよ? プライドを傷つけてしまうかもしれませんし」
「カケル様がどなたか女性と恋仲になる可能性がありますが」
「大歓迎です。結婚してお子様まで作ってくだされば最高ですね。そうなればカケルさんもこの世界に留まってくださる可能性が高いでしょうし。――セレスさん。貴女さえよろしければ、貴女がカケルさんと結ばれても構いませんよ? その時は私が主催で盛大に披露宴を催させてもらいますね」
「……お望みとあらば」
軽い愛想笑いで応えるセレスだが、これが冗談ではないと理解できた。
……いよいよとなれば、セレスも覚悟しておく必要があるだろう。
「ですが、どうやらカケルさんは私をお気に召してくださったようですので、何でしたら私が――」
「お待ちください殿下!」
咄嗟に制止するセレス。
そんな話を淡々と語るミルフィに、セレスも狼狽を隠せなかった。
「なにもミルフィ王女がそこまでされる必要は……!」
「私は別に構いませんよ? たかだか私のような小娘の身一つ、全然惜しくありません」
「し、しかし殿下は王女であらせられ……!」
「カケルさんがいなかったら、どうせあと数年と経たずに人類は魔族に敗れます。そうなれば王族の肩書など何の意味も持たなくなりますよ」
自分のことさえ無機質な声音で語るミルフィ。
その冷淡さに、彼女がどれほどこの世界を見限っているかがありありと見て取れた。
「それに私、個人的にはカケルさんのこと嫌いじゃありませんし」
「何故ですか?」
「私、聞いてみたんです。カケルさんの世界は人類にとっての楽園とも言えるような場所なのに、そんな世界で何故争いが起こるのですか、と」
「……」
言われてみれば確かに、とセレスも思った。
魔族のような天敵もなく、種としての障害もなく文明を育んできたような世界で、何故争いが起こるのか。
何と争う必要もなく快適に生きていける世界で、人類は何と戦っているのか。
「カケル様はなんと?」
「『人類の天敵は人類なんだろう』、と」
「……」
「そういう考え方が出来る人を、私は信用します。少なくとも愛とか名誉とか、そういうものを嬉々として語る人よりは」
「……魔族がこの世から消えても、人は……人同士で殺し合うのですね」
「残念ながらカケル様の世界が証明してしまいましたね。ですがまあ、この世界よりはきっとマシでしょう。そう信じたいです」
セレスは心のどこかで信じていた。魔族さえこの世から消え去れば、人類は争いのない平和な世界を享受できると。
だが天敵のいないカケルの世界でも人類は人類同士で殺し合うのだという。
それは言うなれば、人という種族が、どうしようもなく闘争を欲しているという証。この世界から争いが消えることはない。魔族を滅ぼしても次の相手に変わるだけ。
ミルフィの話は、そんな虚無感すら抱かせるものだった。
「魔王を倒すことは……無意味なのでしょうか」
「そんなことはないでしょう。少なくとも人類が近々絶滅する未来は回避できますし。まあそのためには目下のところ、カケルさんに期待するしかないわけですが」
「カケル様のお力で、本当に魔王を倒せるのでしょうか」
「可能性はあると思いますよ。あの人のスキルは、確かに非常に強力な運用ができます。最も有効なのは、カケルさんの存在は公にせず、局所的な戦闘で秘密兵器として投入することでしょうけど……」
「……それは、もうできませんね」
「勇者様になっちゃいましたからね。まったく、お父様にも困ったものです。カケルさんのスキルは強力ですが、同時にカケルさん自身は強化できないという明確な弱点があります。そんな人を勇者などと大々的に宣伝し危険に晒してどうなさるおつもりなのでしょうね」
やれやれ、とミルフィは呆れたように肩を竦めた。
カケルの存在を秘匿すべきだった、というのはセレスも強く同意できる。
アーグヴァランをどうやって倒したのかは、人類にも魔族にも知られるべきではなかった。そうすれば魔族も慎重に動かざるを得なくなる。
手段が分からなければ対策も講じられない。アーグヴァランを倒したときと同じ手が再び使えたかもしれない。
何よりもカケルのスキルは本来、非常に秘匿性を高く運用できたはずなのだ。
今までは突出した戦闘力をもった英雄が矢面に立ち先陣を切ってきたが、逆に言えば人類も代わりのない人材を前線に投入するという大きなリスクを抱え続けてきた。
だがカケルのスキルならば、代替可能な一兵士を超強化し、次々と戦場に送り出すことができる。
彼らが敗れても人類の被害は最小限で済む。そしてカケル自身は必要以上に危険を冒す必要もなく、魔族は何故人類がこれほど急激に力を増したのかわからないという、理想的な戦力投入の形がとれたのだ。
しかしカケルが勇者として名を上げてしまった以上、もうその策はとれない。
カケルという明確な弱点を知られてしまっているのだ。
「まあ、過ぎたことを嘆いても仕方ありません。今はカケルさんを満足させ、時が来たら魔族との戦争にも参加していただく、という形にしましょう」
「了解いたしました。私が責任を持って、必ずカケル様をこの世界に繋ぎとめてみせます」
「ありがとうございます。期待していますよ、セレスさん」
うっそりと微笑むミルフィに、セレスは頭を垂れる。
すべきことは決まった。まずはカケルに、快適な冒険者生活を満喫してもらう。併せてカケルのレベルを上げ、可能であればカケルの伴侶を見つける。
その末に、魔王の討伐を最終目標としつつ、カケルがこの世界にとどまり続けたくなる理由を作る。
この作戦には、セレスとミルフィの願いだけではなく、人類そのものの命運もかかっている。
失敗は許されない。大きなプレッシャーを感じながら、セレスは覚悟を決めた。
こうして、セレスの悩ましい奮闘記の幕が開けた。
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