第114話 少年と少女の葛藤



 ――SUNDAY 20:00


 それぞれ四凶の怪物を圧倒した明亜たちを眺めながら、京はそれが理解できず目を細める。


 負の象徴である四凶。まず普通の人間がそれに立ち向かえる筈がない。恐怖で足が竦んで動けなくなり、逃げ惑うだろう。既に“普通”から逸脱している氷華、人間から逸脱しているノア、それに精霊たちが立ち向かえるのは、京にとっても理解できる。

 しかし――明亜たちがここまで生き残るのは、予想外だった。


「あいつ等は、俺がちょっと力を貸しただけの普通の人間。それがどうして生き残る?」


 自分に対して脅え、畏怖し、忠誠を誓うしかできなかった明亜。意見すらできないくらい支配した筈だ。

 それなのに、今の明亜はどうだろう。恐怖心は残るものの、希望に溢れた目をして、況してや自分に立ち向かおうとさえしている。


「あの女が唆した――本当にそれだけ?」


 京にとって、氷華は未知の存在だった。シンが認めた人間、というだけではない。氷華の魔術も、京にとっては不可解なものだった。

 それに、未知の存在はもう一人居る。


「そして、あの男と刹那……」


 何度負けても自分に立ち向かう太一。彼に味方する刹那。あれだけの返り討ちに遭えば、心はとっくに折れている筈だ。それなのに、太一は光を喪う事なく、今も走り続けている。その目はまるで今の明亜のようだ。それに、過去に見た父の眼差しも光に溢れていて――。


「くそっ……あいつ等の所為で不愉快なもの思い出した」


 奥底に封じた過去を払拭するように、京はぐしゃりと前髪を掴む。悔しそうに、そしてどこか苦しそうな表情を浮かべ、京は声を震わせた。


「俺は……あの目が……あいつの光が……心底嫌いだ」



 ◇



 ――SUNDAY 21:00


 太一と刹那は、しんと静まり返った街中を駆け回る。途中で徘徊する負の人影をかわしつつ、京を捜索していたのだが、一行に手がかりは掴めない。宛てもなく捜し続け、気付けば再び住宅街の中心部へ戻ってきていた。竹刀を握りながら「ここから京の奴はどこに移動したんだ……?」と呟き、太一は細心の注意を払うが、やはりいつまで経っても京の気配は現れない。


「なあ、刹那。この場所って――」


 口を開きかけ、太一はぎょっとしていた。刹那は両手を押さえながら、祈るように何かを呟くと――足元には巨大な魔法陣が輝き始め、その光はみるみる内に刹那と太一を飲み込んでいったのだ。この感覚は、何度か経験がある。三半規管に違和感を覚えるので、太一は少し苦手だった。


「く、空間転位するなら事前に言ってくれぇぇええぇ!」




 太一がゆっくりと目を開くと、何もない空間に星空だけが広がっていた。見渡す限り、満点の星空。まるでプラネタリウムを体験しているような感覚だ。しかし足元へ視線を移すと、星空に反転するように青空が広がっている。


「く、空中――落ちる!?」

「大丈夫だよ、たいっちゃん」


 刹那は冷静に「ここは時空の歪み。時空と時空の間にできた歪み。何もなかった筈の場所。何もない空間だから、空中っていう考え方もないの。だから落ちないよ」と説明する。

 刹那の言葉を聞いて、太一はワールド・トラベラーとして初めて異世界へ空間転移した際の、時空の狭間を思い出した。あの時ゼンは「数多の世界と時空を繋ぐ境界線」と言っていたが、この空間はそれに近いものなんだろうと感覚的に理解する。

 太一は「つまり重力もないから浮いてるのか……あれ? だったら息は!?」と咄嗟に口元を押さえた。空気がなければ死ぬという考えが太一の頭を支配すると同時に、京と対面した時の息苦しい感覚が脳裏を過ぎる。


「私たちの身体の構成って人間と殆ど同じだから、私たちも空気は必要なんだ。だからこの空間にも、空気だけは存在していた」

「空気だけはあるって事は――けどそれって重力――ああ、もしかしてそういう概念すらないのか? うわ、なんか混乱してきた。ディアガルドならすぐ理解できんだろうけど」


 考える事を放棄した太一の傍ら、刹那はすっと瞳を閉じ、懐かしむように語り出した。過去を振り返るように、脳裏には父や京と一緒だった頃の記憶が駆け巡る。


「ここは、私と京が生まれた場所。お父さんに拾われた場所。お父さんが私たちをここから連れ出してくれたんだよ」


 刹那が微笑みながら説明すると、背後からは一人の少年が姿を現した。


「だけど、あいつは真実を隠していたんだ。俺は、誰からも望まれずに生まれてしまった事を。俺は、負の感情から生まれた存在という事を!」


 瞳孔を開かせながら激昂する京を見て、太一はぎゅっと竹刀を握り直す。京の姿を見た刹那は、悲しそうな表情で「それで、負の感情に捕われた京は暴走してしまった。だからお父さんは――」と呟く。


「あいつも清々しただろうね。邪魔者だった俺を封じる事ができて」

「そんな事ない! お父さんは悔しそうだったし、京に会えない時は悲しそうで――」

「黙れ、黙れ黙れ黙れッ!」


 怒り狂った京が振り払うように手を動かすと、刹那に向かって黒い刃が飛び交った。それを太一が竹刀で叩き斬ると、その先では京が苦しむように顔を歪めている。


「あいつが人間なんてものを作ったから、俺が生まれたんだ。こんな世界……人間も、あいつも、世界も……全部壊してやるッ!」


 完全に憎しみに囚われている様子の京を見ながら、太一は以前闘ったアクという存在を思い出していた。それと同時に、太一は確信する。


 ――シンが大丈夫だったんだ……その子供だって大丈夫の筈だ。


「俺は、お前と刹那に似た奴等を見てきた。それぞれ悩み、苦しみながら闘っていた。だけど、その二人だって最後にはわかり合えたんだ」


 太一の言葉に刹那は顔を上げ、京は「そんな他人、俺には関係ない」と否定した。そのまま太一に向かって白い粒子を飛ばすが――太一は竹刀で防ぎながら叫び続ける。


「それがさ、お前たちに関係大ありなんだよ。やっぱり親子ってのは似るもんだなッ!」

「たいっちゃん、それってまさか……」

「全く、親子揃って厄介事押し付けやがって」


 そして、太一は竹刀を剣に変形させ、京目掛けて飛び込んだ。


「過去も未来も神も世界も! 纏めてワールド・トラベラーが面倒看てやるぜッ!」



 ◇



 ――SUNDAY 21:30


 怪物を攻略した後、夜通し闘っていた事で体力の限界だった氷華は、魔力を回復させる為に少し休んだ。

 その後――急いで京の元へと向かおうとしたのだが、何を思ったかその場でぴたりと足を止める。明亜は「どうしたの、氷華ちゃん?」と不安そうに彼女の様子を窺うが――一方の氷華は、五大精霊が捕われていた場所を見つめ、じっと立ち竦んで何かを考え込んでいる。


「ねえ、夢東くん。ここに捕われていた五大精霊だけど……そう仕向けたのも京なの?」

「うん。僕たちは全て京の指示で動いていたからね」


 それを聞くと氷華は「ちょっとだけ時間頂戴」と言い、輝きを失った魔法陣の中心でぺたんと座り込んでしまった。氷華の謎の行動に困惑した明亜は事情を尋ねようとするが、ひたすら集中している様子の彼女を見てぐっと言葉を飲み込む。


「氷華ちゃん……?」


 何か理由があるのだろうと判断した明亜は、せめて邪魔にならないように閉口し、氷華を信じてその場で待つ事にした。




 一方の氷華は、京に対抗する策を考えていた。五大精霊の力が京復活への鍵となっていたくらいだ、だったらその逆も可能だろう。


 ――この魔法陣を利用すれば五大精霊の力を纏められる……大丈夫、解放する時には成功してるし。


 しかし、それだけでは京の力に対抗できたとしても、勝利する事は難しいかもしれない。世界の命運が懸かっている状況では――慎重すぎるくらいが丁度いい。これ以上の更なる力が必要かもしれない、と氷華は危惧していた。


 ――五大精霊……って言い換えれば属性の事だよね。水天、火炎、風光、地祇、雷電?


 魔法陣をそっとなぞりながら思い浮かべていた氷華だったが、そこである真実に気付く。


 ――あれ、だったら氷雪系は?


 人間は大方、六つの属性に分かれているらしい。水天系、火炎系、風光系、地祇系、雷電系、氷雪系――そして一部の限られた人間には、陽光と冥闇の属性を有している場合もあるようだ。

 人間である太一や氷華が神の力を受け入れられたのも、自分の元来の属性の他に陽光の属性も有しているから――らしい。ちなみに異世界からきたノアだけは例外で、どれにも属さない絶無属性である。


 ――京の力を受け入れた夢東くんって、光か闇の属性を持っているのかな……って、今重要なのはそこじゃない。


 ぶんぶんと首を横に振り、逸れかけていた思考の軌道を自ら正す。氷華が重要に考えていたのは、自分が色濃く受け継いでいるらしい氷雪系の事だった。


 ――確か、シンがゼンだった頃に言っていた……「氷雪系は五大属性の後から発見された新しい属性だ」って。つまり、五大精霊じゃない氷雪系の力の指示を出さなかった京は……氷雪系を知らない?


「それなら!」


 何かを閃いた氷華は、そのまま魔法陣に手を添える。魔力を集中させ、すっと瞳を閉じると――彼女に応えるように、魔法陣の形状が頭の中で想像している形へと変わっていった。明亜自身には理解できなかったが、氷華が何かを施している様子を見ながら「何か思い付いたの?」と尋ねると、彼女は得意気に笑いながら「これならいけるかも!」と立ち上がる。

 氷華の足元には、先程までとは違う形の魔法陣が光り輝いていた。それは前の魔法陣より更に複雑な模様になっていて――六つの頂点から成っているような形だ。


「認識外の攻撃なら、けっこう痛いかもって思ってね」


 そして、氷華は明亜を連れて走り出す。京と闘っているであろう、大切な相棒や、かけがえのない仲間たちの元へ向かって。


 しかし、その時の氷華は目の前の京という存在に集中していた為――“ある違和感”を見落としていた。

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