過去と絶望の土曜日

第100話 少年と永眠のキス



 ――SATURDAY 0:00


「ん……」

「一体、何が――」


 氷華が目を開け、太一が起き上がる。その後も次々に仲間たちは起き上がり、最後に正気に戻った様子の刹那が意識を取り戻した。


「確か私、魔力が暴走して――」

「礼を言うよ、刹那」

「ッ!?」


 聞き慣れない声が響き、全員は咄嗟に警戒する。周囲には京が封印されていたであろう結晶の欠片が飛散していた。刹那が恐る恐るその中央部を見て、言葉を失う。


 少年はそこに立っていた。

 刹那と対称的な純白の髪、その髪と同色の服。白に身を包んだ少年は、清潔感を纏うというよりも――どこか底が見えない不気味さを感じられた。幼い少年には思えない程の威圧感を放ち、幼い少年らしく無邪気な笑みを浮かべる、異質な雰囲気を纏った少年だ。


「京……」


 刹那にそう呼ばれた事で、太一は目の前の少年がシンのもうひとりの子供であると理解する。話によれば封じられていたという京だったが、こうして復活した今、彼は太一たちを冷やかな目で見下していた。


 そのまま京は、邪心は一切なく、心から感謝するように――にこりと純真な笑みを浮かべる。

 嘘偽りのない、本心からの言葉――明亜にとっては、それがたまらなく怖かった。


「お前のお陰だよ、刹那。強大な魔力を前にして、未熟なお前は自分の魔力を抑え切れずに暴発したんだ。あんなに俺を恐れていたのに滑稽だね。お前が自ら、俺の封印を解いたんだよ」


 ――私の力が……京の封印を解いてしまった……?


 その瞬間、刹那は顔を蒼に染めながら頭を押さえる。酷い絶望感で気が狂いそうだった。

 自分が「この世界を護りたい」と願っていた筈なのに、自分の力でこの世界を危機に陥れてしまった。その真実に押し潰されそうになり、「ちが、う……そんな、つもりじゃ……でも、私が……私がッ!」と悲鳴のような叫びを上げながら刹那は顔を歪める。

 その表情を見て京はけたけたと声を上げながら嘲笑い、太一は眉を顰めて「大丈夫だ、落ち着け刹那」と静かに語りかけた。


「でもッ!」

「落ち着くんだ刹那。また取り乱して暴走でもしたら、それこそ大変だろ?」

「……ッ」

「大丈夫。俺があいつを倒せばいいだけの話だ」


 太一は刹那の頭をぽんっと優しく撫で、恨めしそうにギリッと京を睨み付けた。その視線を受けても、京は太一には特に興味がないらしく、周りを見向きもせずに肩に残っている結晶をぽんぽんと払い除けている。


「精霊の力を奪い取ってこの世界を壊す予定だったけど――まあ、動けるようになっただけで今回はよしとしよう。ここからは俺の力だけでも充分だ。夢東、お前にも礼を言うよ」

「――ッ!」


 京に視線を向けられ、明亜は酷く脅えた様子で肩を震わせた。明亜は紅色の瞳を泳がせながら「これで、僕は解放されるのか……?」と恐る恐る問いかける。京はふわりと宙に浮き上がり、脅える明亜を悠然と見下しながら口元を吊り上げた。


「ああ、算段は異なったけど……こうして復活できたからね。主に刹那のお陰で」

「……わた、し! ……私の、せいでッ!」

「刹那の所為じゃない! 今は泣く時じゃないぜ、刹那」


 太一は仲間たちに「頼む」と涙を堪える刹那を任せ、京に対して迷いなく竹刀を向ける。珍しく怒っているようで、太一は鋭い眼光で京に堂々と言い放った。


「お前が世界をぶっ壊すって言うなら、俺がお前をぶっ壊す」

「俺を壊す? 笑わせるなよ、人間」

「笑ってられるのも今のうちだぜ、カミサマ?」


 太一は竹刀を構えながら京に向かって全力で走り出すと、勢いよく京の懐目掛けて竹刀を突き放つ。京は一歩も動じずに太一の攻撃を眺めていたが、竹刀が迫る中、面倒だと言わんばかりの溜息を零した。

 そのまま黙って手を掲げた、次の瞬間――。


「!?」


 ――――ビュンッ!


「へえ……避けたんだ」


 京が掲げた手からは鋭い光線が飛び出し、危機感を察した太一は咄嗟に身体を捻り、寸前でそれを避ける。冷や汗を流しながら後方へ視線を向けると、京が発した光線は背後にあった巨岩に穴を空けていた。

 直径は太一の背丈以上の大きさだった巨岩だ。それを貫通する程の破壊力、直撃したらひとたまりもないだろう。


「あ、危ね……」


 いくら子供とはいえ、神の力の一部を有する存在だ。比べる訳ではないが、刹那よりも戦闘経験が高い――というか、危うい感じがする。

 例えるならば、包丁で遊ぶ幼児だ。人を殺す力を持っているとも知らず、人を殺す意味も知らず、だからと言って本人に悪意もない。


 このまま頭ごなしで向かっては、危険かもしれない。そう太一は結論付け、竹刀は構えたままで状況を整理する。


 ――皆を救えたのはいいが、京が復活するのは想定外だ……氷華にサポートして貰いたいところだけど、さっきの魔術のせいで魔力切れだろうし……ここはノアかカイたちと一緒に……。


「へえ、そこの人間があの大魔術を発動したんだ」


 太一の心の声を読んだ京は、立つ事だけで限界であろう氷華を見て笑っていた。もしかしたら狙われるかもしれないと危惧した氷華は咄嗟に身構えるが、京は「精霊魔法を利用し、刹那の力も暴走させた大魔術を発動した人間。この中なら一番厄介かもね」と淡々と述べる。


「夢東」


 その時、明亜の身体が勝手に動き始め――彼は「な、何を!?」と訴えた。自分の意思とは反して動いてしまう身体に明亜は困惑していると、その横では京がまるで悪戯を仕掛ける子供のようにニヤリと笑みを浮かべる。その姿を見て、明亜は自分を使って京が何を始めるつもりか咄嗟に理解した。


「や、やめろ! それはやめてくれッ!」


 明亜の悲痛な叫びを聞き、太一たちは何か危険な技がくるのかもしれないと身構えるが、京がパンッと手を叩いた瞬間――全員がその場にぐしゃりと倒れ込んでしまう。何故か息苦しい感覚に陥り、意識が遠退きそうになってしまう。誰ひとりとして上体を起こす事ができず、身動きが取れなかった。


「なん、だ……これ!?」

「くる……しい……」

「動けな、いッ」


 金縛りにでも遭ったかのように、指先すらぴくりとも動かせなくなり――太一たちは倒れ込みながら、せめてもの抵抗で京を睨む。アキュラスが「お前、一体……何を!」と悔しそうに声を漏らすと、彼は楽しそうに状況を説明し始めた。


「お前たちの周りの空気、少しだけいじったんだよ。一時的に真空ってのを作り出してる。でも安心してよ、生命維持はしてあげてるんだからね」

「生命、維持……だと……?」

「そう。お前たちはこんな簡単には殺さない。この世界が壊れる中で、あいつの前で死んでもらわなきゃいけないから」

「やられ、ましたね……!」


 苦虫を潰したような表情をするディアガルドを見て、アキュラスは「ど、どういう、事だよ!」と叫ぶ。その態度にディアガルドは余裕がなさそうに「バカが……」と悪態を吐き、そのまま「真空曝露による窒息死――生命維持とは恐らく目に見えない宇宙服のような――つまり膨張した状態では身動きが――ああ、アキュラスにはきっと通じないですね!」と途中で説明を放棄した。


「何だよ、どういう事だ!?」

「結論だけ言うと、僕等は今、京によって生かされている状態な上、身動きすらまともに取れないって事です!」

「それじゃあ、あいつをぶっ倒せねえじゃねーか!」

「「当たり前だろ!」」


 太一とカイリはアキュラスに対して同時にツッコミを入れると、アキュラスはぐっと悔しそうに押し黙る。ディアガルドに至っては、芳しくない現状も相まって、既に苛立ちが最高潮だった。


「ちょっと、待って……何で、あの二人だけ!?」

「氷姉ッ!」


 スティールが苦し紛れに呟き、ソラシアが声を振り絞って叫んだ事により、全員はやっと今の状況を把握した。

 この状況下で、京以外で――この場に佇んでいる者が二人だけ居る。氷華と明亜だ。


「やめて、ください……この技だけは、使いたく……ない!」


 苦悩で顔を歪ませながら、自分に近付いてくる明亜を見て、氷華はじりじりと後ずさる。しかし、「仲間がどうなってもいいの?」という京の言葉によって、彼女の足はピタリと止まった。

 今、仲間たちの命は京が握っていると表しても過言ではない。仲間たちが必死に「逃げろ!」と叫ぶが――氷華にとって、仲間を見捨てるという選択だけは、どうしてもできなかった。


「動け、僕、の……身体ぁッ!」


 ノアは必死に身体を動かそうとするが、少しだけ身体を上げる事しかできずに悔しそうな表情を浮かべている。それを見た京は、少しだけ驚いたように「お前……既に人間を超えているね」と関心の態度を見せていた。


「だけど無駄だよ。やれ、夢東」


 そのまま京に操られた明亜は、氷華の両手をぎゅっと掴んで拘束する。


「僕の……目をッ!」


 ――氷華ちゃん……ごめんッ!


「夢東くん――いや、京。あなた夢東くんを操って何するつもり!?」


 怪しく輝く紅色の瞳を直視してしまった事で、氷華は自分の身体が一歩も動かせなくなってしまった。声も上手く出せない、魔力もほぼ残っていない。

 しかし、ここは詠唱破棄した魔術をどうにか発動して――否、しなくては――そんな風に氷華は考えていた。

 考えては、いたのだが――。


「……え?」


 徐々に近付いてくる明亜の顔を前にして、氷華は間抜けな声を上げる。


 ――え、ちょっと待って。ぶつか……。


 困惑する氷華を余所に、明亜は止まる事なく――そして、そのまま――。


「ッ!?」


「「「「「……えぇぇええええええぇ!?」」」」」


 明亜は、氷華の唇に――自身の唇を重ねていた。




「――あの野郎ぶっ殺す!」


 真っ先にキレたのは、意外にもディアガルドだった。身動きが取れない中で、雷電の力を思い切り解放する。真空状態の空間に放電させ、無邪気に笑っていた京目掛けてそれを放った。

 意外な攻撃に対して京はシュッと防御結界を張るが、その瞬間に太一たちを苦しめていた真空曝露は綺麗になくなった。オーロラのような光をバックに、ディアガルドは傾いた眼鏡のフレームを動かしている。


「やるね。雷の精霊」

「…………」


 ディアガルドの鬼神の如き表情に圧巻され、若干脅えていた一同だったが、一時は忘れていた現状をやっと思い出した。氷華と明亜の衝撃的な場面を思い出し、前方へと向き直るのだが――そこには光をなくした瞳で倒れている二人の姿が映った。


「だけどもう遅いよ。危険因子は取り除いたから」

「――氷華ッ!」


 太一たちが二人に駆け寄るが、氷華も明亜もピクリともしない。まるで死んでしまったように全く動かない氷華を見て、不安を覚えたディアガルドは彼女の脈を測るが――脈拍は正常だった。きちんと呼吸もしているので、死んではいないだろう。彼等は安心の色を見せるが――。


「無駄だよ。夢東とその人間は、二度と目を覚ます事はない」

「え……?」

「夢東に発動させた技は、“操縦”でも“昏睡”でもない――」


 京はくつくつと笑いながら言い放った。


「“永眠”だ」




 太一は黙って竹刀を人差し指、中指、薬指の三本でなぞり、水の刀身へと変形させる。その鋭い切っ先を京へと向け、震える声で「お前……!」と声を漏らす。そのまま勢いよく駆け出し、咆哮のように叫んだ。


「氷華に、何しやがったッ!」

「言った筈だよ、永眠だって」


 だが、怒りに身を任せた攻撃は当たる筈もなく――太一の攻撃は京に全て見切られてしまった。京がそのまま掌を正面へと突き出すと、そのモーションに連動するように太一も後方へと吹き飛ばされてしまう。ガツンと鈍い音と共に太一はその場に沈み、ソラシアは「太一!」と叫んで地祇の精霊魔法で傷を回復させていた。


「……あなた程の力なら、その術を解く術もある筈です」

「氷華ちゃん、起こしてもらおうか」


 続けてディアガルドはすっと両手を前に突き出し、スティールも魔剣を構える。

 その様子を見て京は「流石に五大精霊を相手にするのは厄介だからね。お前たちには丁度いい相手が居る」と言い放ち、瞬間移動で眠ったままの明亜の側まで距離を詰めた。京は明亜の頭部に触れ、彼の記憶を感じ取ると、何かを企んでいるような不気味な笑みを浮かべている。


 ――何をする気だ……?


 一連の行動を冷静に観察していたカイリは、どこか嫌な予感を覚え、じっと京を睨み続けていた。そして京がパンッと手を叩くと――背後から鋭い殺気のような何かが突き刺さる。


「!?」


 咄嗟に飛び退き、謎の殺気の正体を目にして――カイリはまるで幽霊でも見るかのように「な、何だよ……こ、れ」と震える声で呟いた。


「ああ、まだ君はそんな軟弱な身体のままなんだね」


 カイリの目の前には“カイリ”が居たのだ。その瞬間、カイリは持病による発作でゲホゲホと咳込む。それに気付いた偽カイリは、ニヤリと笑いながらカイリを哀れむような瞳で見下していた。


「可哀想に……本当の僕はそんな弱い身体じゃない筈だよ」

「何なんだよ! これ……!」


 同様に、ソラシアやアキュラス、スティール、ディアガルドの前に自分と似た姿をした偽物が現れる。


「私って、まだそんな子供のままなのね」


 少女ではなく、大人びた姿をしている偽ソラシア。


「へえ、もう一人の俺は随分と視界が悪そうだな? それじゃ最大の弱点になるだろうに」


 紫色の両目で指摘する偽アキュラス。


「…………」


 何も言葉を喋らず、不気味にじっと彼等を睨み続ける偽スティール。


「あなたはまだ誰にも認められず、いつも眠り呆けているんですね」


 不敵な笑みを浮かべる偽ディアガルド。


 彼等の姿を見て、スティールは「偽物の、自分……?」と呟く。ソラシアやアキュラスも驚愕の表情をしながら偽物たちを見つめ、ひとりだけ黙って考え込んでいたディアガルドは、ある仮説に辿り着いた。


「まさか、彼等は――」


 そう、精霊たちの前に現れた偽物の彼等は、“過去に自分たちが願い、望んでいた姿そのもの”。


「さて、鏡に映った自分自身とどう闘う? 彼等はお前たちが焦がれていたものを全部手にしている。そんな“自分より完全な自分”に果たして勝てるかな?」


 戸惑う精霊たちに背を向けながら、京はくるりと踵を返して歩き出した。


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