地祇と成長の火曜日

第79話 不安と思惑の錯綜


 ――TUESDAY 8:30



「今日も、か」

「一日で状況が変わるってのも逆にびっくりだと思うよ」


 教室に入り、昨日と変わらない光景を前にして太一は静かに溜息を零した。その横ではスティールも不機嫌極まりない表情を浮かべながら、教室がざわめき立つ原因の人物を恨めしそうに睨み付けている。


「僕等の日常もある意味変わりませんけどね……ふわあ」


 ディアガルドは欠伸をしながら「この遅刻ギリギリの登校は」と自身の発言に補足した。しかし、ディアガルドに対してアキュラスは「だが、一つだけ違うだろ」と目を鋭くさせながら呟く。彼の発言に、ディアガルドは深刻そうな表情で沈黙していた。


「カイ……どこ行っちゃったんだろう」


 ソラシアが心配そうにぼそっと呟いた事をきっかけに、一同は再び暗く沈んだ面持ちになる。


 結局、あれからカイリは戻らなかった。そして教室に行っても彼の席は空席のまま。カイリは突然、彼等の前から“消えてしまった”のだ。


「みーんな、暗い顔しちゃ駄目だって」


 いつもと変わらずアイスを食べ、いつもと変わらずハンカチ状態のノアを引き連れながら、いつもと変わらない笑顔で――氷華はその場の暗い雰囲気を簡単に破壊してみせた。そのまま静かに「カイなら大丈夫。きっと大丈夫だよ」と続ける。

 根拠はないのだが、氷華の言葉は何故かやけに説得力に満ちていた。自信に満ち溢れた笑顔で、仲間を信じ切っている風な物言いで。まるで魔法のようなその言葉は、不安に包まれていた彼等の空気を一変させる。


「氷姉の言う通りだよね……そうだよ、きっとそう!」

「ああ、カイなら大丈夫だ」

「カイリがその辺でのたれ死ね訳がねえ」

「へえ、アキュラスがそんな風に言うなんて意外」

「まあ、彼の実力は僕たちが一番理解していますからね」


 氷華に影響されて次々と奮い立つ仲間たちを見て、氷華自身も「そうそう。それに万が一カイがピンチって時は、皆で助けに行こうよ! ドヤ顔で「なにやられてんだよ?」って笑いながら!」と発言していた。


「って偉そうな事を言ってみたけど……私もノアの受け売りなんだけどね」


 氷華の突然の自白に、今まで黙っていたノアは「なっ!」っと照れながら氷華の机の上をくるくる飛び回る。その様子を見て、一同は再び笑っていた。



 ◇



「ねえ、次はどーすんの?」

「また俺が行くか?」

「いや、次は誘き出せばすぐに片が付くだろう」

「へぇー……ならその役、アタシが担当してあげるわ」

「一人で大丈夫?」

「うふふ……当ったり前じゃない。アタシを誰だと思ってんの?」

「じゃあ、次は君に手伝ってもらおうかな……“嘘裏”」



 ◇



 ――TUESDAY 10:30



 十分程度の短い休み時間、太一や他の仲間たちは校舎内を徘徊し、カイリの気配や情報を懸命に探っている。

 氷華はと言うと、ハンカチ状態のノアを連れて屋上に立っていた。吹き抜ける風に当たりながら、ふうっと深呼吸を繰り返す。陸見学園近隣の景色を一望し、氷華は瞳を閉じながら魔力を集中させた。カイから発せられる筈の強い水天の魔力は――残念ながら感じ取る事はできない。

 氷華は溜息を零しながら「どこまで遠くに行ってるんだろう」と呟き、そのまま背伸びをした。


「……風が気持ちいいね」

「ああ」

「ノア、気を付けてね。飛ばされたら大変だから」


 ノアに笑いかけると彼は「ふん、僕が簡単に飛ばされる訳ないだろう」と自信満々に答えるが――言葉とは裏腹にノアの身体はふわふわと風の流れに乗って動き出す。


「ほら、危ないって」


 そうして氷華はノアの身体を掴んで自分の手を出した。ノアは少し戸惑いながらも、きゅっと氷華の指に絡み付く。その時、ギギィっと屋上の扉が鈍く開く音が響き、氷華は咄嗟に振り返った。


「おやおや? 先客が居たみたいだね!」


 にこっと軽くウインクを飛ばす男子生徒に、氷華は至極面倒そうな表情をしながら顔を顰める。


「えっと、転校生の――」


 氷華が名前を思い出そうと努力する姿を見て、明亜はすかさず「あっくんって呼んでっ」とキラキラしたアイドルのような笑顔を見せていた。その笑顔に数々の女子は悩殺されているが、氷華は普段通りのペースで「あ、確か無能くんだ」と呟く。


「流石にその間違いは傷付くから指摘するけど、夢東です」

「あっ、ごめんなさい。間違えた」

「そこで謝るって事は素で間違えたんだ……。それにしても、君は皆みたいにあっくんって呼んでくれないんだね……残念だなあ」


 寂しそうに眉を下げる明亜の姿には見向きもせず、彼の発言を無視して氷華は表情を変えずに口を開いた。


「それで、私に何か用?」

「意外と辛辣!? ……いやあ、屋上で話し声が聞こえたからちょっと気になっちゃって」


 ノアの存在が気付かれてしまったかもしれないと内心で焦った氷華は、咄嗟に「……電話してただけ」とポケットから取り出した携帯電話を見せて嘘を吐く。彼女の僅かな間を見逃さなかった明亜は「ふぅーん」と含んだような笑みを見せていた。


「僕――君の事、色んな意味でちょっと気になってたんだよね」

「それはどうも?」

「ねえ、君の名前……教えてよ」

「…………」

「さあ、僕に教えて」


 その瞬間、明亜の紅の瞳が怪しく輝く。突然射抜かれたような視線を真に受け、氷華はそのルビーのような紅色から目が逸らせなくなった。

 すかさず「よくわからないが、とにかく危ない」と察知したノアが「氷華!」と叫んだ事で、氷華は金縛りが解けたように我に返る。それを見て明亜はチッと心の中で舌打ちをし、「失敗か」と小さく呟いた。

 氷華は冷や汗を流しながら「さて、そろそろチャイムが鳴るから教室戻らなきゃ」と続ける。


「知りたかったら自分で調べなよ! じゃあね、夢東くん!」


 そして、氷華は逃げるように屋上を後にした。



 ◇



 ――TUESDAY 12:30



 太一は溜息を吐きながら教室の机に突っ伏していた。仲間たちは昼食の為に既に屋上へ向かっていて、太一も続いて屋上へ向かおうとしたのだが――どうにも足が進まない。教室の異様な空気から脱したいのは山々だが、この場から動く気にもなれなかった。

 理由はやはり、カイリの失踪にある。


 ――カイの実力は相当だから大丈夫だとは思うけど……何だろう、この胸騒ぎは。


 太一は重い足を動かして屋上へ向かおうと立ち上がる。すると、目の前には転校生の一人である南条法也がじっと太一を見つめながらその場に立ち尽くしていた。


「うわっ!?」


 ――き、気付かなかった! 存在感薄ッ!?


「…………」

「えっと……」


 しかし法也は一言も喋らず、ひたすら太一を見つめているだけ。正確には群青色の前髪で目も隠れている為、自分を見つめているかも確認できなかったのだが。太一はどうしていいか迷った末に「何か用か?」と恐る恐る法也に問いかけてみるのだが、彼は已然と押し黙ったままだった。


「…………」

「……おーい」

「警察戦隊?」

「は? ケイサツ……センタイ?」


 太一は法也の呟いた言葉が理解できず、オウムのようにそのまま繰り返す。法也はと言うと、その微妙な返答に満足しなかったのか――一言だけ「やっぱり駄目だね」と太一に何故か駄目出しをすると、そのまますたすたと立ち去ってしまった。


「……は? 俺なんでいきなり駄目出しされたの!?」



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