第74話 始まりと終わりの足音
――SUNDAY 20:00
「――と、いう訳で。一週間くらいお世話になります。ソラシアの兄、スティールです」
愛想のいい笑みを心掛け、過去にディアガルドから叩きこまれた礼儀を思い浮かべながら、スティールは氷華の両親へと頭を下げた。隣ではソラシアも「ティル兄も一緒によろしくお願いします!」と目を輝かせ、氷華の両親も彼等を暖かく迎えている。
それに対し、ノアは面倒そうに、氷華は引き攣った笑みを浮かべながら、その光景を眺めていた。
普段、カイリは北村家で、ソラシアとノアは水無月家で暮らしている。ちなみにアキュラス、スティール、ディアガルドの三人は、シンの屋敷で悠々自適に暮らしていた。
しかし、シンが一週間不在となる影響で――アキュラスとディアガルドは北村家に、スティールは水無月家で世話になる事になった。
自慢ではないが、彼等は自炊ができなかったのだ。
資金的には特に困っていないので、常に外食をしながらそのまま暮らすという形でもよかったのだが、この機会を面白がったスティールが「折角だから、妹の下宿先にお世話になりたい」と言い出した事により、彼等はそれぞれ北村家と水無月家に転がり込む事に成功したのだ。
「氷華、そんなに嫌そうな顔しないの。一人や二人くらい増えたって今更変わらないわ」
「一週間と言わず、一ヶ月でもいいぞスティールくん」
「ありがとうございます、お義父さん」
「誰がお義父さんだ!」
調子に乗るスティールに氷華自らツッコミを入れると、スティールはそっぽを向きながら涼しい顔で口を尖らせていた。そんな様子を見てソラシアが「だけど、氷姉がソラの本当のお姉ちゃんになってくれたらいいのになあ」と本音を漏らす。ノアはつまらなそうな顔で「僕はよくない」と否定していた。
「いやあ、でも……スティールくん……あなた、よく見るとやっぱり似てるわね」
「?」
「髪の色が近いからかしら?」
氷華の母・凛華はスティールの顔をじっと見つめ、感慨深そうに呟く。その様子を見て、凛華の考えを察した氷華は「お母さん!」と慌てて声を荒げた。凛華は、スティールを見て“ある人物”の面影を重ねていたのだ。
「どことなーく似てる気もするわね。何て言うかオーラとか。スティールくんって、もしかして有名人か何か? それとも外国の王族の方とかかしら?」
「ぜ、全然似てない! 私も初めて見た時はちょっと思ったけど、やっぱり世界一には遠く及ばないから! という訳で、この話はここまで!」
無理矢理話を反らし、氷華は「それより!」と叫ぶ。
「明日からシンが居ないみたいなの。何かあったら私も出るから」
「そう……怪我には気を付けるのよ」
「大丈夫。もうあんな痛い思いはごめんだから」
「また腹を壊したら大変だからな!」
「壊したじゃなくて刺されたんだけどね……」
「そうよ、お腹に雑誌でも入れておくのはどうかしら? ほら、丁度お父さんが撮影した写真が載ってる雑誌が――うーん、ちょっと薄いかしら」
「電話帳はどうだ?」
独特のテンポながらも、慣れたように話す姿は、氷華の両親は彼女がワールド・トラベラーである事実を理解している事を物語っていた。最も、太一と氷華がワールド・トラベラーになる時、シンの前身――ゼンを交えて交渉をしていたし、氷華の父親と太一の父親に至っては、何度かシンと共に杯を交わしていたりしている。
よって彼等の両親は、ワールド・トラベラーやシン、精霊たちの事情も何となくは理解しているのだ。
「まあ、僕が氷華ちゃんの事も護ってみせますから安心してください。勿論、ソラシアやノアくん、お義父さんやお義母さんの事も」
「だから、誰が誰のお義父さんやお義母さんだって!」
「おい、氷華は僕が護る」
「ソラだって皆を護るんだよ、ティル兄!」
「兄っていう存在はね、妹には常にかっこいいところを見せたいものなんだよ、ソラシア」
ガタガタと騒ぎ立てる中、氷華の両親は「あらあら、氷華ったらモテモテじゃない」「ははっ。これなら頼もしいな、母さん」と呑気に彼等の様子を見守っていた。
◇
――SUNDAY 23:00
「おい、次はこれ行くぞ」
「絶対負けねえからな!」
「はあ、まだやんのかよ……」
太一は呆れながら、テレビゲームに白熱するカイリとアキュラスを見て呟いた。アキュラスとディアガルドが太一の家にきてからずっと、彼等は格闘ゲームで勝負し続けている。
日頃からゲームをしている腕が存分に発揮され、次々とアキュラスを圧倒していくカイリ。負けず嫌いなアキュラスは、熱くなって永遠とカイリに勝負を挑んでいる。太一に至っては、昼に続いてまたしても巻き添えだ。
ちなみに、ディアガルドは既に太一のベッドを占領し、我が物顔で眠り続けている。
「なあ、明日からも普通に学校だろ? だったら、そろそろ……って、あぁぁあ! 俺、宿題やってないじゃん!」
「何だ太一。お前まだだったのか」
得意気な顔でプリントを見せびらかすカイリを見て、太一は異様に彼を殴りたくなった。一方のアキュラスは既に諦めているらしく、「そんな紙切れより、大事なのは実戦だろうが」と逆に堂々としている。その潔さが何だか少しだけ羨ましくなった。
「宿題に実戦とかあるかよ……」
「言葉で語るより、実際に闘った方が相手の考えがわかんだろ」
「だからお前は何でも闘いに繋げるなって」
そう言いながら太一は筆記用具入れを取り出し、カチカチとシャープペンシルを動かす。
「えーっと……“大切なものが二つある。しかし一方を手にすれば、手にしなかった一方が壊れる。どちらか一方しか選択できない場合、自分の考えと行動について述べよ”……って、何だこれ……心理テスト?」
太一が読み上げる問題文を聞き、ゲームをしながらカイリは「何かを選ぶって行動から、それぞれの利点欠点を考えさせて、自分は何に重きを置いて選択するのかって自覚させる。そこから哲学とかを交えたりしつつ、最終的に次回の宿題は進路調査」とつまらなそうに呟いた。
「カイ、よくそこまで教師の心理がわかるな……もしかしてシンにでも訊いた?」
「ディアガルドが十秒で見抜いてた」
今も尚眠り続けているディアガルドを一瞥しながら答えるカイリを見て、太一は「なるほど」と感心していた。優秀すぎる程の頭脳を持つディアガルドにかかれば、宿題の意図を読み取るどころか、教師の深層心理を察する事まで造作ないらしい。
――進路か……どうなるのかな、俺の将来って。
そんな未来への疑問を頭の片隅で考えつつ、太一は自分なりの解答を迷いなく書き始めた。
◇
――SUNDAY 23:30
「カミの気配は消えた」
「そろそろか」
「だが――」
「どうしたの?」
「微弱にだけど、何故かカミの気配を感じる」
「トキ?」
「あれは寝てるんでしょ?」
「トキも眠り、ホシたちも気付かない。微弱なカミは気になるけれど、今はそれでいいかな」
「その微弱なカミとやらは、後で潰しちまえばいいんじゃねぇのか?」
「ああ、そうだね」
◇
――SUNDAY 23:50
「「あ」」
突然、プツリとテレビが消える音がした。カイリとアキュラスは状況が飲み込めず、その場で呆然としながら固まり、机に座って寝かけていた太一も「ん?」と異変に顔を上げる。
次の瞬間、太一たちの視界は何の前触れもなく暗転した。
「お、おい、太一! こここれ、な、何だ? 呪いか!? まさか幽霊……お、俺は幽霊なんて非科学的なもの信じな――」
「落ち着け、カイ。只の停電だよ……それと精霊が非科学的とか言うな」
慌てふためくカイリの隣で、アキュラスは冷静に掌で炎を輝かせる。火炎の精霊であるアキュラスにとって、炎を自在に操る事は容易い。ゆらゆらと蝋燭のように揺らめく炎によって少しだけ視界が回復し、カイリと太一はほっと安堵の息を漏らしていた。
だいぶ普段の落ち着きを取り戻したカイリが、「ってか、ディアガルドは何で目覚めない? 停電とか、真っ先に反応しそうな事態なのに……こいつ、雷電の精霊だろ?」と、未だに眠り続けるディアガルドを指さす。アキュラスは少しだけ声のトーンを落とし、一言だけぼそっと呟いた。
「代償だ」
するとカイリは「……そうか」と少しだけ何かを思案し、それ以上追及する事はなかった。
そんな傍ら、未だに真っ暗で静まり返っている様子の隣の家の窓を見つめ、太一は密かに彼女たちの身を案じる。
――氷華たち、大丈夫かな。
◇
咄嗟の停電に真っ先に気付いたのは、意外にもソラシアだった。彼女は幼さが残る容姿からは想像も付かないような冷静さで、悲鳴も一切上げる事なく、隣の部屋の扉をトントンと叩く。
「ソラシア、無事かい?」
「やっぱりティル兄も起きたんだ」
「氷華ちゃんは?」
「ぐっすり寝てるよー」
太一が心配する以前に、氷華はディアガルドと同じように既に眠っていた。ちなみに氷華の枕元では、ハンカチ状態のノアも同じように熟睡している。
スティールは魔力を解放し、どこからともなく立派な魔剣を取り出すと「『エクレラージュ』」と呟いた。その剣は徐々に発光し始め、ソラシアとスティールの視界を確かなものへ変えていく。スティールは、ベッドの上で何事もない様子で眠っている氷華に「それで大丈夫かい、ワールド・トラベラー……」と苦笑いを浮かべていた。
◇
――SUNDAY 23:55
大規模な停電中の陸見町。普段は明るい町も、今は冥界のように真っ黒で、不自然なくらいの静寂に支配されていた。そして、その上空では謎の人影が蠢く。黒いフード付きのマントを被っている人影は、顔どころか性別すら確認できない。
「静かなものねぇ。これから起こる事、皆なーんにもわかってない。うふふっ、人間たちが驚く顔が楽しみだわぁ」
「この静けさ、僕は好きだよ。僕の世界に引き入れ易いからね」
「俺はあんま好きじゃねぇな。最強に落ち着かねぇ」
「それより、さっさと始めちゃって」
「ふふっ、わかってるよ」
人影の中の一人が、ばっと勢いよく両手を広げた。背後には、只の人間とは思えない程の禍々しいオーラを纏っている。
狂気的な紅の瞳を輝かせる姿は、まるで――シンの悪の心を司る青年のような印象を与えていた。
「あのお方も、復活を心待ちにしている!」
◇
「ここは――」
氷華は真っ白な空間に立っていた。何も存在しない、ひたすら陽光のような真っ白が続く空間だったが――彼女にとって、ここは何度か見覚えがある場所だ。
「確か……最初は夢の中で、次は死にかけた時……って事は、私っていつの間にかまた死にかけてる!?」
「相変わらずだな」
聞き覚えのある声が響き、氷華は恐る恐る振り返る。そこには、彼女にとって様々な因縁がある人物――フォルスが真剣な面持ちで佇んでいた。
「……またフォルスが居る……ちょっと待って、私今回は何で死んだの? 確か普通に寝てた筈なんだけど」
「安心しろ、今回はてめえの夢の中だ」
「何でまた夢の中? それにしてもよく会うよね。フォルスってやっぱりまだ成仏してないの?」
「それを殺した本人が言うかよ」
「あはは……それも、そうだよね……」
氷華が悲しそうに笑うと、フォルスは話題を変えるように「あの石だ」とだけ続ける。
「あの石――って、もしかして神力石の欠片?」
「一時的ではあるが、俺はあの力を直接使っていたからな。って言っても、肉体は死んだから……魂の共鳴現象みたいなもんだろう」
「……私、カイ程じゃないけど幽霊苦手なんだけど」
「てめえマジで呪うぞ」
氷華が蒼い顔で「え、遠慮しておく」と声を震わせると、フォルスは「まあ、ヒントは言ったからな」と口を開いた。言葉の意味が理解できず、氷華は「ヒント?」と首を傾げる。しかしフォルスは、氷華の問いに答える事はなく一方的に続けた。
「神力石の力によって……そして既に死んでる事によって……俺は、誰よりも早く“真実”が見えちまったらしい。残りはてめえで考えな」
刹那、氷華の視界はぐらりと大きく揺れる。咄嗟にその場で膝を付き、フォルスを見上げると――彼は、何故か寂しそうに氷華を見下していた。悲しそうな、哀れむような――そんな悲痛な瞳で。
その瞳の意味が理解できない氷華は、「何、なの……その目は……?」と、声を震わせながら問いかける。異様に、心臓の鼓動がうるさかった。
「もうすぐ、始まる」
「な、何が?」
「真実はすぐ側にある」
「えっ!?」
「てめえと次に会う時は……全てが終わった時か、全てが始まる時だ」
そしてフォルスはパチンと指を鳴らした瞬間、この空間は割れた氷のようにバラバラと砕け散り、氷華も重力に従うように奈落へと落ちていった。落ち行く氷華の様子を目に焼き付けるように見つめながら、フォルスは救世主に対して最後の助言を述べる。
「こうやって、世界は簡単に壊せる。だったら、お前の くらい、簡単に壊せると思わないか?」
「ちょっと待って――それって一体!?」
白き陽光のような世界から一変、黒き冥闇の世界が広がった。その狭間で、氷華は必死に叫ぶ。
「この ……今度こそぶっ壊せよ、救世主。そして を救え」
そのまま、世界は陽光も冥闇さえも存在しない、絶無のような空間に変わり――氷華は酷い恐怖心を覚える。まるで、自分がここに存在している事が間違いだと思うような、存在すら否定されるような、酷い孤独感と絶望感だった。
「全ての歯車を動かすのは、 だ」
この世界から逃れようという一心で、氷華は必死に手を伸ばすが、どんどんフォルスの声が遠退き、意識が薄れ――。
◇
――SUNDAY 23:59
「時間」
「そろそろだな」
「いよいよ始まるわねぇ。あのお方の復活祭」
「いや、違うよ。これは――」
五。
それぞれの決意、様々な思いを抱え。
四。
今、再び。
三。
ワールド・トラベラーと、その仲間たちの。
二。
新たな闘いが。
一。
始まる。
「世界滅亡の……始まりだよ!」
◇
――MONDAY 0:00
ぱちり、と氷華は目を開き、意識を取り戻した。気付けば必死に何かを掴むように、宙へと手が伸びている。その手を静かに下ろしたと同時、バチッという音と共に、陸見町の電気は全て復旧した。
「夢……じゃ、ない……?」
氷華は今までに感じた事もないような、とてつもなく嫌な胸騒ぎを感じ、冷や汗を流しながらぎゅっとシーツを握る。暫くして、再び天へと仰ぐようにゆっくり手を伸ばし、よく聞き取れなかったフォルスの言葉を再度思い返しながら、氷華は一言だけ呟いた。
「私が……壊す……?」
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