第66話 おかえり、そしてただいま②


 ――――ドクンッ!


 ゼンとアクは、身体の奥底で複数の“何か”の気配を感じ取った。

 自分たちとは全く違う、だけど何か強大な力の気配。

 この世界において神に次ぐ影響力を持つ精霊、その精霊同士が共鳴する気配。

 この真実の塔で唯一とも言える“気配がない者が動く気配”。

 人間の域を超えた魔力を持つ者が、何かに接触する気配。

 そして――。


「貴様、何をしたッ!」

「ふっ……きたか」

「まさか、そんな筈がない! この力は――」


 アクは驚いて目を見開かせ、ゼンはその力を全身で感じ取るように両腕を広げる。そのままゼンは紺碧色の目を細めて笑い、優しい声色で口を開いた。


「お前は神力石の力を誤認していた。そして、自分の仲間を甘く見ていた」


 アクはぎりっと奥歯を噛みしまながら「――あの精霊共」と悔しそうに呟く。


「あいつ等は仲間なんかじゃねえ。只の駒だ」

「そんな態度では足下を掬われるぞ」

「あいつ等がこの俺に敵う筈がない」

「……どうかな?」


 ゼンは仲間を駒呼ばわりしたアクを鋭く睨み付ける。アクはふんっと鼻で笑い、次の瞬間――彼は神力石を自らの肉体に取り込んでしまった。胸部に神力石が埋め込まれた瞬間、重苦しい暗黒の光に包まれていく。


「お前――」

「後は貴様を殺して、俺が完全な神になるだけだ……」

「ッ!?」


 そして、アクの背には悪魔のような――ごつごつと角ばった漆黒の羽が生えていた。肌は漆黒に染まり、ルビーのような深紅の瞳がより一層際立つ。

 今までとは桁違いの力の差をはっきりと認識してしまい、ゼンは冷や汗を流しながら笑っていた。


 ――今の私だけでは……。


「早く集え……希望たちよ……」



 ◇



 氷華は真っ白な空間を全力で走り回っていた。しかし、いくら走っても広大な雪原地帯のような風景から変わる気配がない。


「だぁああ! 出口どこぉぉおおぉ!」


 氷華は二回程この空間にきた事はあったが――その時は決まって、自分の身体も消えたり暗闇に落ちたりで、どうすれば自分の意思でこの場所から脱出できるのかわからなかった。いつまで走っても見つからない出口に、氷華の足は重くなり、遂に止まる。俯いて、じっと頭を抱えた。


「あー、もう! アクを一発ぶん殴りたいのに!」


 その時、氷華の近くでふわりと空間が揺れる。だが、非常に焦っている今の氷華はそれに気付いていない様子だった。


「私は――大切なものを護って、世界を救って、救世主になるって決めたのにッ!」


「それなら、こんなところで立ち止まってちゃ駄目だよな」


「え――」


 聞き慣れた声に、氷華はふっと顔を上げる。そこには、氷華の仲間で――。


「た、いちぃいい……!」

「ははっ。泣くなって、氷華」


 かけがえのない、大切な相棒の姿があった。



 ◇



「あれは――」


 ノアとディアガルドは互いに肩を貸しながら、よろよろと歩き――氷華が眠る最深部まで進んだ。


 そこには光り輝く魔法陣の中央で眠っている氷華、その上に覆い被さる太一の姿が飛び込む。ノアは近付いて太一と氷華に呼びかけるのだが、二人の身体はピクリとも動かない。


「氷華! 太一!」

「二人は――」


 そして、その呼びかけに応えるように太一と氷華の身体は突如輝き出した。目が眩むような輝きを前に、ノアとディアガルドは咄嗟に目を瞑る。



 ◇



 氷華は感激の余り、ぺたりとその場に座り込んで太一を呆然と見上げていた。紛れもなく、正真正銘の太一だ。


「やっと会えた……捜したぜ」

「……たい、ち!」

「ああ。俺だよ氷華」


 優しく微笑む太一を見て、氷華は乱暴に涙を拭う。自分の置かれている状況を即座に思い出し、慌てて太一に叫んだ。


「太一! 私生きてた!」

「知ってるよ、俺たちは信じてたから。氷華がこんな事で死ぬ筈がないって」

「なっ――私だってお腹を貫かれちゃ死にかけるよ」


 いつもの応酬の後に沈黙が続き、二人は自然と声を上げて笑う。


 ――氷華が居る。


 ――太一が居る。


 平和な世の中で生きていた太一と氷華は当たり前すぎて忘れていたが、「こうやって誰かと隣で笑い合える事はとても幸せな事なんだ」と再確認した。


 もしかしたら、明日にはこんな風に笑い合えなくなるかもしれない。

 何かを喪って、笑えなくなるかもしれない。


 身近に感じた死の恐怖で、それを痛いくらい実感した。だからこそ、その幸せな時間の為にも――二人は再び、闘う事を決意する。


「太一、信じてくれてありがとう」

「当たり前だ。皆だって信じてたぞ。本当の事を言うと、俺よりノアの方が氷華を信じてた」

「そっか、ノアにも早く会いに行かなきゃ」


 太一はニッと笑い、氷華に向き合う。


「今、外が大変な事になってるんだ」

「うん、わかってる。フォルスが教えてくれた」

「じゃあ話は早いな」


 すると太一は真剣な表情で「護れなくて、ごめん」と続けると、氷華は戸惑ったように「太一……」と彼の名を呟く。


「俺――大切な仲間ひとり護れなかった。それなのに何が世界を救うだよ。俺、まだまだ未熟だった。こんなんじゃ世界を救える訳がない」

「私も、仲間を護るって言ってるのに自分が倒れちゃって、死にかけちゃって――これじゃあ救世主志望が呆れちゃうよね」

「俺の世界も、俺の大切な人たちも、全部護る。その為には……」


 ――全てを救って、全てを護る為に。


「だけど、こんな私でも世界を救いたい。痛い程実感した死の恐怖……これを、大切な人に誰ひとり感じて欲しくない。だから……」


 ――全てを護って、全てを救う為に。


 そして、太一と氷華は互いに向かって手を差し伸べた。それぞれ“只の北村太一”、“只の水無月氷華”として、最後の言葉を贈り合う。


「氷華、助けてくれ。やっぱり俺はお前の力が必要なんだ」

「太一、助けて。私には太一の力が必要なんだよ」

「氷華、俺と一緒に救世主になろうぜ!」

「太一、私と一緒に救世主になろう!」


 互いに手を取り合うと、二人の身体は煌々と光り出した。

 その時、太一は氷華に対して何かを呟く。


「                                   」



 希望の光は、覚醒を迎えた。



 ◇



 ノアとディアガルドが恐る恐る目を開けると、そこには相変わらず眠っている太一と氷華の姿があった。そんな二人に向かい、ノアは悔しそうに声を振り絞る。


「……さっさと、起きろ……バカ」

「うっ」

「!」


 その声に反応するように、太一が頭を抱えながらむくりと起き上がり――それを見たノアとディアガルドは「太一!」「太一くん!」と各々に叫んだ。


「っ……いってー……寝違えたんじゃないかな、これ」


 太一は首を捻りながら目を擦っていると、寝違えたという言葉にディアガルドが「雷療法、しますか?」と問いかける。太一は何故か心のどこかで既視感を覚えつつ「いや、遠慮しとく」と自然に答えるが――そこで同時に、状況に気付いた。


「ってか……よく考えろ俺!? 何で敵と仲よくしてんだって!」

「ああ、ドクターなら僕等側に就いた」

「はあ!?」


 ノアの堂々すぎる対応に、太一は思わず大きな声を上げてしまった。信じられない風にディアガルドを見ていると、彼は「そういう事です。よろしくお願いします」としれっとした顔で述べる。

 最初は戸惑ったものの、太一にとっては左程大きな問題に感じていないらしく「まあ、闘わなくて済むならいいか」と特に深追いはせずに「よろしくな」と返事をしていた。


「太一、氷華は?」

「ああ、それなら――」


 もう大丈夫と続けて太一は氷華に目を向けるのだが、氷華は何故か未だに起きない。しかし血色は既によくなり始めている事を確認し、太一は「こいつ、もしかして」と呟いた。


 ――いや、絶対そうだ。


「起きろー、氷華」

「…………」

「……しょうがない」


 太一はすうっと息を吸い込み、そのまま勢いよく“氷華専用の起床呪文”を口にする。


「あー、あんなところでアイスの特売してるぞー」

「!」


 その言葉に、氷華の身体はピクリと反応した。そして何かを悟ったディアガルドは、すかさずアルバイト中の昴モードで太一の声に続く。


「本日はサービスデーなので全品半額ですが、売り切れ次第終了となります。ああ、そう言ってる間にもスペシャルバニラ、ベリリーン、ズッキズキが残り僅かに!」


 ――――ガバッ!


「残り全部私が買います!」


 そう叫びながら、氷華は勢いよく起き上がった。普段通りアイスに対しては目がない氷華の様子を見て太一は苦笑いを浮かべ、ノアは呆れ果てたように溜息を零す。ディアガルドに至っては必死に笑いを堪えているようで、震えながら口元を押さえていた。


「やっぱりな」

「…………」

「ふふっ……流石、氷華さんです……」


 ぐるりと辺りを見回すと、太一、ノア、ディアガルドの姿。首を傾げて数秒考え、氷華はやっと現実を理解した。


「えっと――私、戻ってこれた?」

「ああ」


 そして、三人はそれぞれ氷華に微笑みかける。


「さて、寝起きのところ悪いけど……世界救いに行くぞ!」

「遅い。いつまで寝てるつもりだ」

「おかえりなさい、氷華さん」


 氷華は溢れそうになる涙をぐっと堪えながら、太陽のような笑顔でにこりと笑っていた。


「ただいま!」



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