第40話 二人の関係②


 隣のクラスの女子に呼び出され、太一は陸見学園の屋上へとやってきた。冷気を纏った風がびゅうっと吹き抜ける中、太一は未だに氷華の様子を考えている。それはもう、自分の置かれている状況を忘れる程に。


「その」


 ――あの氷華が恋煩い……ありえないありえない。


「北村くん……わたしね」


 ――だいたい氷華が恋なんてする訳ない。だって氷華は“あの人”しか眼中にないし。


「わたし、ずっと北村くんに憧れてて……北村くんの事がっ」


 ――だけど一応、歳相応の女子……いやいやいや、まさかなー。隠れファンクラブって奴を中心に例の噂も流れてるから、氷華に近付く奴は少ないと思うけど……もしも、氷華の方から近付こうとしてたら……もしも、そんな状況になったら……俺はどうすればいいんだ?


「好きなんです!」

「え?」

「つ、付き合ってください!」

「…………」


 ――やべぇ、全然聞いてなかった!


 太一はだらだらと冷や汗を流し、「どうしたものか」と困ったような表情を浮かべていた。その表情に気が付いた女子は、悲しそうな瞳で太一を覗き込む。


「あの……やっぱり北村くんは、水無月さんの事が好きなの?」

「え、氷華?」


 そこで氷華の名前が出て一瞬焦ったが、太一は冷静になって、自分と氷華の関係を考えた。


 太一と氷華は、小さい頃からの幼馴染だ。太一がまだ幼い頃、北村家の隣に引っ越してきた水無月家。近所な事がきっかけで交流が始まり、両親同士もすっかり意気投合し、すぐに家族ぐるみの付き合いになった。幼馴染らしく、毎日のように遊んでいたりした時期もある。


 そして、ある事件をきっかけに氷華は自分が護ると心に決めた事もあった。それは、あの頃とは大きく環境が変わり始めている太一の中で、今も変わっていない決意だ。


「氷華は、大切な相棒で……護らなきゃならない人なんだ」

「!」

「氷華とは、好きとか嫌いとか、付き合うとか付き合わないとか、そんな関係じゃない」


 太一に好意を寄せている女子生徒は、その言葉を聞いて「それって、もう――」と心が揺らいだ。


「俺、今すっごい忙しくてさ。氷華以外にも、もっと大きなものを救わなきゃいけないんだよ。だから……ごめん、君の気持ちには応えられない」


 そして太一はもう一度だけ「本当、ごめんな」と謝り、そのまま屋上を後にした。取り残された女子生徒は、顔を押さえながら悲しそうな表情で声を漏らす。


「北村くんにとって、水無月さんは……彼女とかの枠より、もっと先に居る……私なんかが敵う訳、ない……ッ」



 ◇



「あっ、あなたは」


 氷華は再び陸見公園へ赴き、例のキッチンカーへ足を運んでいた。宝石のようにキラキラと目を輝かせながら、美人店員に「抹茶一つ」と注文すると――美人店員は氷華の表情がよっぽどおかしかったのか、「かしこまりました。お茶目さん一つです」と笑っている。ちなみに、氷華の事を“お茶目”と表現した訳ではない。“お茶目さん”は、アイスの名前だった。

 氷華がアイスを受け取りって噴水近くのベンチに座ると、美人店員も何故か我が物顔で隣に腰掛け、氷華は驚いたように美人店員を見つめるのだが――彼女の興味はアイスにあるらしく、再びアイスへと視線を戻していた。


「仕事中じゃないんですか?」

「休憩中です」

「ふーん」


 氷華はパクッとアイスを口に含ませる。ひんやりした感覚が口内を支配した。深みのある抹茶の味もじんわり口に広がっていく。幸せそうな表情を浮かべ、また一口、二口と氷華は口にアイスを運んだ。


「本当、幸せそうな顔で食べますね」

「だって、ここのアイス美味しいんだもん!」

「その表情と、一切止まらない手と口。見ていてとても愉快です」

「……貶してる?」

「いいえ、褒めていますよ」


 そして氷華は自分から熱く力説し始める。アイスについて、味の豊富さと名前の奇抜さ、学生にも優しい価格設定、このアイス屋と他のアイス屋との比較――美人店員は苦笑いを浮かべ、半分呆れながら氷華のアイス論に耳を傾けていたが、話が終わるのを見計らって口を開いた。


「だけど――本当に、またきてくれたんですね」

「え? うん。アイスが美味しかったから」


 すると氷華は静かに立ち上がり、スプーンとカップをゴミ箱に投げ入れる。既に氷華はアイスを完食してしまったらしく、くるりと背を向けていた。赤くなる顔と恥じらいを隠しながら告げる。


「それに、この前のお礼、言ってなかったから。助けてくれて、ありがとうございました」

「わざわざ、それを言いに?」

「借りっぱなしは嫌だから」


 自分で言った言葉だったが、氷華はその言葉で「そういえばスティールにも借りがあったな……」と完全に忘れていた“借り”を思い出した。溜息を吐きながら「嫌な事思い出した」と眉間に皺を寄せていると、美人店員はくすりと笑いながら「へえ、意外と律儀な方なんですね」と関心している。


「でも、そういう人は嫌いじゃないですよ」

「はあ、それは……どうも?」

「何故疑問形?」


 予想もしなかった美人店員の発言に氷華は戸惑っていたが、顔を上げた瞬間、整った顔立ちが視界いっぱいに映し出され――氷華は逃げるように顔を引いた。距離感に驚きつつ、氷華は少し警戒するように美人店員に視線を戻す。


「僕は昴(スバル)。お嬢さんの名前は?」

「……氷華」


 氷華は純粋に「珍しい名前だな」と思った。昴は「氷華さん……いい名前ですね」と微笑むと、氷華は名前を褒められて照れる顔を隠しながら「昴さんも、可愛い名前だと思うよ。それじゃあ、私はこれで」と立ち去ろうとするのだが――それは昴によって、意外な言葉と共に遮られてしまう。


「あ、待ってください。氷華さん」

「?」


 パシッと氷華の腕を掴み、昴は無理矢理彼女の足を止めた。そのまま天使のようにふわりと微笑み、至極真面目に口を開く。


「次の土曜日、暇ですか?」

「はい?」



 ◇



「って、感じかなぁ」

「ひょ、氷華ちゃん――それって!」


 氷華はゆりえと桃子に昴との会話を事細かく話すと、ゆりえは肩を震わせながらガタリと席を立ち上がった。そして、教室全体を通り越して隣の教室まで聞こえてしまいそうな音量で叫ぶ。


「それって、デートじゃない!」


 その言葉にクラスメイトの視線が一気に氷華に集まり、氷華自身もぽかんと口を開けていた。


「でーと?」

「だって、あんた……了承したんでしょ? あの人と一緒に出かける事を!」

「更なる店の繁栄の為に、陸見町の事を知りたいから案内して欲しいって……昴さん、引っ越してきたばかりらしいから」

「それは、二人きりなんでしょ?」

「何か、ああ見えてプライベートは人見知りらしくて」

「氷華、あんたはそれをどんな風に思う?」

「え……協力? お店が繁栄してメニューが増えたり、価格が安くなったりしたら、嬉しいなぁって」

「とりあえず、あんたが歪みない事は充分わかったわ」


 ゆりえは盛大な溜息を零し、呆れた表情で氷華を見下した。ぽんっと肩に手を置き、まるで小さい子供に言い聞かせる親のような雰囲気で話す。


「氷華。男女で出掛ける事。世間一般ではそれをデートと呼ぶのよ」

「流石にそれくらいは知ってるって。でも何で? だって女の子同士だよ」

「「え?」」


 氷華の爆弾発言にゆりえと桃子は目を点にして固まり、その反応を見た氷華自身も理解できずに困惑していた。そして桃子は「も、もしかして」と氷華の大きな勘違いを察する。


「あのね、氷華ちゃん。あの人は、男の人だよ?」

「……え?」


 次は、氷華が目を点にする番だった。



「で、でも! 太一とはよく二人で出掛けるし」


 一時は驚きのあまり取り乱したものの、普段に近い冷静さを取り戻した氷華は太一の方に向き直り、「ねっ、太一!」と同意を求める。しかし、太一は何故か顔を蒼ざめながら「報告案件? いや、でも自分からとか正直嫌だし……こんな時どうすれば……」と、念仏のようにぶつぶつ呟いていた。氷華の声は一切耳に入らないらしく、思い詰めた様子で自分の世界に閉じ籠っている。


「あー、水無月ちゃん。何かわかんないけど、こいつ今日は駄目っぽいよ。さっきからずっとこの調子」

「……太一とはいつも二人で冒険デートしてるもん」

「北村と氷華は別! あんた等二人は漫才コンビなんだから、冒険デートなんて言ったら埋蔵金か温泉掘り当てて帰ってくるわッ!」


 氷華は「デート、かー。確かに太一以外の男の人と二人きりは――」と呟き、今更になって自分が置かれた立場を考え始めていた。一方の太一は「氷華がデートって……だって氷華には“あの人”が……うわー、自分から連絡するとか全く気が進まない……でも後にバレたら俺が制裁される……?」と謎の自問自答を繰り返しながら悩んでいた。

 そんな二人を見て、クラスメイトは「これは校内新聞で一面記事確定だな」等と、いかに新聞部の誤解を解くか考えている。


「あの氷華が、北村以外の男とデートなんて、ねぇ」

「どうなっちゃうんだろう、氷華ちゃんと北村くん……」



 ◇



「おお、何だか面白い展開になってきたぞ。いやぁ、若いというのは実にいいものだな」


 太一と氷華の様子を楽しそうに眺めていたゼンの横で、カイは呆れながら「他人の人間関係とか、そんなに面白いかよ」とミネラルウォーターを飲みながら呟いた。メロンパンを夢中で頬張っているソラは「でも、ソラもちょっと気になるなぁ」と続ける。


「氷姉と太一の関係。只の幼馴染? 恋愛感情は? みたいなの!」

「女ってそういう話ほんと好きだよな……」

「いや、ソラは甘いものの方が好き!」


 花のような笑顔を浮かべたソラは、そのままチョココロネを食べ始めていた。カイは「お前はおやつをどんだけ食べるんだよ」と呆れつつ、ゼンに向かって“ある物”を投げ付ける。ゼンは一切目を合わせずに気配だけでそれをキャッチすると、「もういいのか?」とだけ問いかけた。


「氷華は重要な部分覚えたからいいって。太一も把握したみたいで「返しといて」って頼まれたから」

「そうか、わかった」


 ゼンの掌の中に収められたUSBに視線を向けながら、カイは「俺も、ちょっと気になった事があるんだけど」と目を細める。


「全て教えるって言った割には、あいつ等に教えてない事あるじゃん。それってわざと?」

「さーて、何の事かな?」

「誤魔化すって事はわざとか」


 そしてカイはすぐ諦めたように「いいよ。ゼンが言わないって事はそれなりの理由があるんだろうし」と言いながら座り込むと、隣から落ち着いた声色で「正直、私もわからないんだ」というゼンの本音が零れた。


「魔法、魔役、魔術、その他も――どれを取るにしても、重要なのは精神力だ。カイも、ソラも、他の精霊たちも……困難を乗り越えて今の自分たちがある」

「「…………」」


 カイとソラは複雑な表情で黙っていた。確かに、自分たちには大きな困難を乗り越えた自覚がある。


「私の力を受け入れられる最低条件としての才能――光か闇の属性を宿す事。大きな困難を乗り越えられずにもがく者は闇の属性を宿し、大きな困難を乗り越えた者が光の属性を宿す」


 しかしゼンは、敢えてその情報を太一と氷華に教えなかった。


「確かにあの二人は光の属性を持っている。だが――」


 仲間に引き込むにあたり、ゼンは太一と氷華の過去をほんの少しだけ調べていた。あの年齢で光の属性を宿すくらいだ、きっと過去にどうしようもないくらいの大きな困難に絶望し、それを乗り越えたのだろうと思っていたのだが――。


 ――少し、おかしい。


「恐らく、太一の困難は幼少期に巻き込まれた事件に関連している。だが、氷華に関しては――これだと思えるポイントがない」

「って事は、困難とかは特に乗り越えず、光の属性を宿した希少種の中の希少種って事か?」

「氷姉って本当に凄い!?」

「今は、そう判断するしかないだろうな」


 氷華がどうして光の属性を宿したのかは不可解だったが、だからと言って仲間である事には変わりない。それに、もしも自分でもその真実に気付き、不安や迷いで心が揺らいでは――今後の任務にも支障が出るかもしれないだろう。


「今はまだ、知らなくていい。魔力とは心の強さだ。思い込みというのは、案外馬鹿にできないからな」


 ゼンは真剣な表情で「この事は他言無用だ。いいな?」と確認すると、カイとソラは黙って頷いた。



「はいはい! カイのちょっと気になる事は教えてくれたんだし、ソラのちょっと気になる事の方も教えてよ、ゼン!」


 ソラがひらひらと手を挙げながら主張すると、カイは「だから、他人のそういう話題には簡単に首突っ込むなっての」と忠告すると、ソラは「でもー、気になるんだもん」と頬を膨らませる。


「それに、氷姉と太一は他人じゃなくて仲間だよっ」

「はいはい、わかったわかった」

「むぅ~」


 カイとソラが言い合っている横で、ゼンは「そうだな。確かに太一と氷華に関しては“只の幼馴染”という訳ではないな。もっと複雑で、繊細で、でも意外に簡単なような――そんな不思議な関係だ」と笑いかける。そのままゼンは「でも根本的な問題があってな~」と顎に手を添えながら続ける。


「ゼン、それじゃあよくわかんないよ!」

「ゼンにしては回りくどいな。って事は、また言えないような内容?」

「恐らく、この問題を語る上では“もう一人”をこの場へ引っ張らなければいけなくて、だな……」

「じゃあその人を連れてこようよ!」

「いや、それはまだちょっと……たぶん将来的には、カイやソラも嫌でも思い知らされる事になるとは思うんだが……」


 ゼンは“ある事”を思い出し、苦笑いでこの場を誤魔化しつつ、「現状、一番適切な表現は“家族”といったところだろうな」と二人の関係を評していた。



 仲間たちからそんな風に考察されているなんて気付きもしない太一と氷華は、平和な時間を穏やかに過ごしながら、時はあっという間に流れ――気付けば金曜の放課後となっていた。


 そして例の土曜日になり――。


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