番外編17 ワールド・トラベラーの活躍と暗躍①
その時、僕の世界は劇的に変化した。例えるならば、今まで灰色だった視界が一気に色付くような。まるで稲妻が直撃したような。他人から「流石にそれは大袈裟だ」と馬鹿にされるかもしれないが、僕にとってはそれくらいの変化だ。
まず、目の前を横切った彼女に瞳を奪われた。琥珀色の髪が僕の視界でふわりと揺れる。端正な顔立ちの彼女は、それはもう花のように可愛らしく、だけどどこか氷のように儚げで――正に美少女と呼ぶに相応しい顔立ちだった。
更に、目の前を横切った彼女に思考も奪われた。どこか見覚えのある色合いのシャツとスカート姿は、まるで彼女の為に用意されたのではないかと見誤る程の着こなしだ。胸元ではスカートと同じ色の細いリボンが揺れ、手元には棒状の何かが握られている。その棒がいったい何なのかは残念ながら識別できなかったが、とりあえず彼女の手に触れられるのならば「あの棒になりたい」なんて考えていた。
ちなみに、この間僅か一秒の出来事である。
「遅刻! 今日遅刻したら流石に危険!」
どうやら彼女は遅刻するかもしれないという瀬戸際らしく、非常に焦っているらしい。それにしても彼女の声も、僕好みの綺麗な声色だ。
そして僕は気付いた。彼女が駆け抜けた場所に落ちていた一冊の小さな手帳に。それを迷わず拾い、恐る恐る中を確認してみると、生徒手帳のようだった。彼女の顔写真の横には、僕も今年の春から通い始めている陸見学園と記載されている。
「三年D組の……水無月氷華さん」
水の月、氷の華。名は体を表すとは正にこの事なんだろうか。少し先の方から鐘の音のようなもの聞こえたが、ひとりで感動していた僕にとってはどうでもいい。
それが、僕と彼女の一方的な出会いだった。
◇
そこから僕の行動は早かった。僕は自分の教室に向かう訳ではなく、不思議な事に――気付けば真っ先に階段を上っている。僕等の教室がある階と同じ造りの筈なのに、二階違うというだけでそこは未知の領域だ。三年D組と書かれた教室の扉の前に立ち、僕は落ち着く為に深呼吸。すると丁度授業が終わったタイミングなのか、前方の扉から先生が退出し、僕に気付いて不審な目を向けていた。それを皮切りにするようにガヤガヤと騒ぎ始める教室内に踏み入るべく、僕は意を決して未知の世界の扉に手をかける。
「……ッ!?」
しかしそこに広がっていたのは、本当に未知の世界というか――僕にとっての別世界のような場所だった。視界に飛び込んだのは、西洋風の顔立ちで淡黄色の髪、おまけに常にキラキラ輝いて見える風貌の“いかにも王子様”という男と、「絶対に高校生じゃないだろ」とツッコミを入れたくなるような幼い少女。思わず世界が変わったみたいな錯覚を覚える。しかし悠然と窓際に座りながらアイスを食べる彼女の姿が視界に飛び込み、ここは現実なんだと再確認した。ああ、やっぱり彼女は何をしていても麗しい。
「あ、あのッ!」
しかし、いざ本人を前にして――僕は人生で一番の緊張に見舞われていた。小学の頃に好きな女の子と二人三脚のペアになった時よりも、中学の頃の部活の大会前夜よりも、高校受験の時よりも、遥かに緊張している。情けない事に声が裏返った。
「……あれ? 私に用?」
「こ、これ! 今朝、落ち、てッ!」
「あっ、私の生徒手帳! 嘘、いつの間に落としたんだろう。届けてくれてありがとう」
にこり、と。彼女が、僕に向かって微笑む。僕に、僕の為に。その事実だけで天にも昇るような喜びを感じ、同時に正常な思考回路も吹き飛んだ。
「ひ、一目惚れでした! よろしければ僕と! 付き合ってくださいッ!」
その瞬間、教室内の空気が凍り付く。三秒後、僕はとんでもない事をやってしまったと自覚した。第一、僕はまだ名乗っていない。流石に名前も知らない男と付き合おうなんて間違っても思わないだろう。さっきの男みたいに“いかにも王子様”程のルックスがあれば、可能性はあるのかもしれないが――僕は残念ながら“いかにも普通”の顔だ。
そんな事を考えていると、今まで唖然としていた彼女は苦笑いを浮かべながら口を開く。
「えっと、今の私そういうの興味ないから……ごめんね」
◇
「……という事があった」
「まさか“あの水無月氷華”に堂々と告白したって猛者がお前だったとはな……」
僕は放課後、友人に一連の流れを説明すると、彼は「確かにあの人ってすっげえ可愛いけどさ」と頷いていたので、僕は「個人的には美しい派だけど」とひっそり主張する。実際に目の前にした時には、神々しい感じもしたけど。
「でも物騒な噂もあるんだよなー。だからあの人に憧れる奴は全員、告白とか以ての外らしい」
「物騒な噂?」
「ある筋で有名らしいぜ? “水無月氷華に告白すると祟りに遭う”って噂」
彼は結構な噂好きらしく、新聞部としても情報通でもある。この手の話題は得意分野だそうで、喜々としながら詳細を教えてくれた。
どうやら小学生の頃から彼女を知る者たちの間では「水無月氷華に言い寄ると死よりも恐ろしい恐怖が待つ」と言い伝えられているらしい。実際にも、告白した者たちは次々に謎の事故に遭っているなんて実績もある。
「って訳で、水無月氷華に好意を寄せてる人は多いけど、それを伝える人ってかなり少ないらしいんだ。だから非公式の隠れファンクラブとかもあるらしいぜ」
「マジかよ……ちょっと入りたいかも」
誰に問い合わせればいいのかなと真剣に思案していると、彼は「それより、お前も気を付けろよ? 噂通りなら、今からお前の身に死よりも恐ろしい恐怖が待ってるぞ?」と心配そうに僕を見つめる。でも、僕は正直、そんな事は考えていない。今考えているのは、主に「どうやって彼女に近付くか」という事だけだった。
「やっぱりまだ諦め切れない。“恋愛事に興味がない”って事は、可能性はゼロじゃないと思うから」
「だけどな――正直に言うと高嶺の花だぞ。あの人は」
「それでも、彼女によって僕の世界は変わったからさ。改まった場所で、今度は名乗って、ちゃんと想いを伝えたいんだ」
希望に満ち溢れた目を輝かせながらその場を立ち上がれば、彼は少し呆れつつも「そっか。そこまで言うなら俺も止めないぜ。頑張れよ」と応援してくれた。
◇
思い立ったら吉日。翌日から僕はすぐに行動を開始した。とりあえず僕は彼女の事を知らなすぎる。だから、まずは彼女の周りを調べる事から始めよう。断じてストーカーという訳ではない。断じて。
まず、彼女の名前は水無月氷華さん。僕と同じ陸見学園に通う女子生徒。クラスは学園内でも危険度ナンバーワンと噂されている魔の三年D組だ。確かにあの教室は一際異様な雰囲気だった気もする。
何故三年D組が危険視されているのかは――「よくも悪くも、有名な生徒ばかりが異様に集まってしまっているから」らしい。前に新聞部が決死の覚悟で教師陣に「狙ったのか」と大胆に取材したところ、言葉を失うような驚きの結果が返ってきた。実際に取材した生徒たちは「狙った訳ではありません」とひたすら否定されるかと思っていたのだが、教師陣は顔を伏せながら「うちの学校はな、クラス分けの時に学力基準とか運動ができる云々とか――そういうのは、一切考慮しない方針なんだ」と、恐ろしい真実を告げる。
「厳正なるくじ引きの結果です」
僕等が通う学校のクラス分けは、つまり――神頼みだった。
よって彼女は“運悪く”魔の三年D組の一員になってしまったのだ。ああ、なんて悲運なんだろう。できれば僕が変わってあげたい――と一瞬だけ思ったが、やっぱり僕には魔の三年D組で生き抜く度胸はない。
「でも、せめて――変人クラスメイトたちに振り回され、疲れ果てた彼女の心をそっと照らす光に僕がなれれば!」
太陽なんて言わないから、せめて蛍光灯程度に――と思いながら、魔の三年D組の教室の窓を覗き――僕は絶句した。
「はい、じゃあ二ヶ月後に迫った体育祭についての会議始めるぞ! 休み時間だし任意参加でいいから」
休み時間中なのだが、どうやらクラス会議を始めるらしい。しかも司会っぽい男が「任意参加でいい」と言っているにも関わらず、教室内に居る誰一人として席を離れようとしない。司会の男は人のよさそうな雰囲気しているし、奴の人徳なのだろうか? というか、二ヶ月後の体育祭の計画を今から立てるって、どれだけ気合い入れてるんだ。
「んな事はどうでもいい! どうやればてめえとその退屈祭ってので真剣勝負できんだよ!?」
「開幕早々、話の腰を折るな!」
司会の男にいきなり叫んだのは、緋色髪のかなり目付きの悪い男だった。きっと不良だ。絶対に不良だ。風貌と言動でもうそうとしか思えない。司会の男は無害そうだし別に何とも思わなかったけど、あんなに柄の悪い奴が彼女と同じクラスに居るなんて危険すぎる。できれば早急にクラス替えをしてもらいたい。
「同じクラスに居る時点で勝負は無理だって。俺ら仲間、他のクラスの奴等が全員敵」
「って事は倒した数勝負か! 俺が全員纏めて倒してやるぜ……!」
「はいはい、頑張れっと……よっしゃ、ステージクリア」
携帯ゲーム画面から視線は逸らさない男は緋色髪の不良に助言すると、暫くしてからやっと顔を上げた。空色の髪を横に流し、耳にはピアス。チャラい。きっと奴も不良だ。彼女を危険に晒したらどうしてくれるんだと睨んでいると、不意に奴は苦しそうに咳込み――そして。
「ちなみにその退屈祭、だるいから俺欠場でいい?」
何故か吐血していた。や、奴は本当に不良なのだろうか?
「規定によれば、何かしら一つの競技には強制参加らしいですよ」
「マジかよ……じゃあ俺、一番楽そうな奴で」
「って、勝手に話進めんな! 人数制限とか部員ハンデとか諸々考えなきゃならないんだって!」
「ねえ、僕は何のスポーツが似合うかな?」
「だから話聞けよッ!」
好き勝手言い始める無法地帯の中、必死に叫ぶ司会の男には少し同情する。それより、またしても危険そうな人物が現れた。以前見た“いかにも王子様”みたいな男だ。奴はクラスの女子たちに意見を訊いて回ってへらへらしているから、たぶん女好きのナンパ野郎だ。しかも奴は彼女に対しても他の女子たちのように軽く接し、「ねえ、今のところテニスで王子様になるって意見が多いんだけど、どう思うかな?」と馴れ馴れしく問いかけている。まさか彼女も、奴のキラキラオーラに魅了されてしまったのではと心配するが――彼女はアイスを食べながら、興味なさそうに一言。
「うーん……縄跳び?」
「いや、縄跳びは競技にないよ」
彼女はキラキラオーラには屈しない人だった。益々彼女に対する好感が上がってしまい、ひとりで固まっていると、彼女の声色に劣らないくらいの可愛らしい声が教室内に響き渡る。
「はいはーい! 身長で優劣が出ないスポーツがいい!」
太陽のように笑う少女が視界に飛び込み、思わず眩しくなった。以前、「絶対に高校生じゃないだろ」という印象を受けた少女だ。少女は「バスケットとかバレーとかは不利になっちゃうから、縄跳びみたいなのがいい!」と手を挙げて主張し、司会の男は「いや、さっき言ってたけど、縄跳びの種目ないんだって」っと少し呆れながらツッコミを入れている。魔の三年D組は絶対に無理だと思っていたが、彼女の他にあの少女も居るなら――ちょっといいかもしれない。
そういえば僕の友人はあの少女派で、できる事なら「お兄ちゃんと呼ばれたい」とぼやいていたっけ。
「全く、見ていられませんね」
流れを断ち切るようにそう言った生徒に、教室中の視線が一気に集中した。深紫色をした長めの髪を一つに結った、凄い眼鏡美人。座っているだけで「優等生の委員長タイプ」というオーラが滲み出ていた。
「やっぱり“頼りになる参謀様”に任せていい?」
「ええ、構いませんよ。これくらい」
疲弊し切ったような表情をした司会の男に、ぽんっと肩を叩かれた眼鏡美人は、くいっと眼鏡を上げて立ち上がる。そして僕は激しく動揺した。何故ならあの眼鏡美人は、僕と同じようなズボンを穿いていたのだから。つまり――いや、やっぱりやめておこう。もしかしたらズボンを履いているだけの女子かもしれない。すると眼鏡美人は、まるで教師のような慣れた手付きで黒板に種目名と生徒たちの名前をすらすら書き始め、暫くして「これが」と続ける。
「僕が考えた人選です。所属する部活動や人間関係を考慮し、一番本人の実力が出せる競技を割り出しました。これならば勝利数も稼げるでしょうし、総合的な優勝も狙えるでしょう」
す、凄い。あの眼鏡美人って一体何者だ? 呆気にとられているのは僕だけじゃなく、教室内の生徒たちも同じだったらしい。暫く沈黙が続いたが、全員がスタンディングオベーションで「我がクラスの頭脳が言うなら確実だ!」「流石だな!」「優勝狙って頑張りましょう!」と一致団結している様子だった。
すると今まで静かだった彼女が、「気合い入るようにシ……知り合いにクラスTシャツ発注しとくよ」と立ち上がる。
「絶対優勝して――三年D組で食券総獲りしようッ!」
「「「おーッ!」」」
まさか、ここまで本気を出す理由が優勝賞品(しかも食券)の為だとは予想もしなかったけれど、その時の彼女は確実にクラスの中心人物たちの中に居た。もしかしたら彼女も、魔の三年D組に馴染むくらいの変人なのかもしれないと思ったが――なんだかそれは認めたくなかったので、僕は黙ってその場を立ち去った。
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