第9話

 タバークル准尉はX字に組まれて刺さった柱に逆さに結ばれていた。全裸で喉元から性器まで体を切り裂かれ、内臓は全て引きずり出されていた。性器は切り取られて口につめ込まれていて、よく蟹をつぶしていた大きな両手は切り取られて持ち去られていた。

「中尉、あいつら……目までえぐり出して」ジェスタス少尉は吐き戻した吐瀉物の残りをまた吐き出しながら言った。

 フランソアは初めてタバークル准尉とあったときのことを思い出した。フランソアがここに着任し少尉に昇進した一年目、そのときはまだ曹長だった。経験豊かな砲兵下士官でフランソアの守備隊に砲が一門付け加えられたときにやってきた。歳を食った下士官が若い士官を陰でコケにするような態度は一切見せず、たいていは嫌われ役になる下士官が兵卒からはオヤジと親しまれていた。フォイ族は行列から二十メートル離れた場所にいる大男を音一つさせずに殺すか連れ去るかしてハラワタを抜き、先頭の伐採部隊が次の朝伐採する予定の茂みにオヤジを移動させ、X字に組んだ木にくくりつけた。テントで惰眠を貪っているあいだに七年来の貴重な部下を、頼れる父親のような存在を、想像を超えるやり方で殺された。

「埋葬してやれ」大佐は命じ、自分のマントを脱いだ。「これでくるんでやるといい」

 タバークル准尉が酷い殺され方をしたにもかかわらず、部隊の士気は下がるどころか天井知らずで上がっていった。

 大佐が全裸で殺された部下を包むためにあのマントをやったことが知れ渡ると、大佐に対する忠誠もまた上がるのだった。

「フォイ族のくそったれをぶち殺せ!」

「仇を取ろうぜ!」

 仲の悪いエラン中尉とベケ中尉が二人でやってきて、何かできることがあったら言ってくれといってきた。

「報いを受けさせてやろう」ベケ中尉が言った。「思い知らせてやる」

「今は辛いと思うが」エラン中尉が言った。「とにかく進もう。それしかない」

 タバークル准尉の埋葬が住むと、二十一発の弾丸が発射された。今度の遠征で初めての戦死者だ。だが、最後はどうなるか分からない。

「今後はぼくがタバークル准尉の仕事を引き継ぐ。だが、ぼくがいなかったら、それぞれの意志で発射しろ」フランソアは二人の砲兵軍曹に言った。「タバークル准尉の仇はきっと討てる。それまでの辛抱だ」

 三時間ほどの行軍で先発隊は政府に帰順したインディオの村に辿り着いた。

「昨日、フォイ族のものを見なかったか、きけ」大佐がインディオのガイドに命じた。

「数人のフォイ族の戦士を見かけたと言っています」ガイドが答えた。

「そいつらはどこに?」

「ハチドリの巣に逃げていったということです」ガイドが訳した。

「ハチドリの巣?」

「はい、大佐さま。そこには百の色を持つハチドリたちが絶えることなく咲く花から蜜を吸う美しい道です。奥にはフォイ族の村があります。フォイ族が敵対部族になる前に作られた交易所の跡も確かあったと思いますが――」

「よし、全軍、ハチドリの巣へ進む。目標はその先のフォイ族の村だ」

 まず音が聞こえた。何十、何百、何千というハチドリが放つ空気の振るえ。正確無比な動きで白、青、金の花へと次々と蜜を吸ってゆくハチドリたち。両側に花が咲き乱れるなかで、あざやかな色彩のハチドリたちが下を通る人間たちを気にすることもなく、蜜を吸う。彼らの世界を脅かすものなど存在はしないのだ。

 フランソアは全部隊三五六人中、一三三人目の位置にいた。そこはハチドリと熱帯の花々が織り成す楽園なのだが、花をつけた緑の枝がかなり道を狭めているのに気がついた。それに気づいた何人かの士官(それにはセバスシアン大佐も含まれた)は両側の森へ偵察を放つべきだと主張しようとした。

 そのとき、花とハチドリを吹き飛ばす一斉射撃が隘路に伸びた遠征隊を薙ぎ倒した。ちょうど左右から見下ろす形で発砲された弾は顎や背骨を砕き、馬の腹をぶち破りハラワタに躓かせた。

 フランソアが二人の砲兵軍曹に命じた。「山砲を組め! はやく!」

 撃たれた兵士たちは左右の森目がけて撃ったが、相手は分厚い枝葉に隠れて弾をやり過ごすことができた。

 またフォイ族の一斉射撃が起きて、フランソアの部下一人が胸を撃たれて絶息した。フランソアはコルトの海軍リヴォルヴァーを抜いて銃火が光った場所に一発撃ち込んだ。銃を左手に持ち帰るとサーベルを抜いて、歩兵全員についてこいと命じた。フランソアは先頭に立って、森のなかに突っ込んでいった。ミニエ銃を持ったおかっぱ頭のフォイ族がちょうど弾を銃口から注ぎ込んでいるところだった。腰に巻いた布に石で作った斧をこさえただけのインディオがなぜ世界で最も新しい武器をこうも効果的に扱えるのか? 素朴な疑問を感じて立ち止まった。相手も敵の思わぬ出現に作業の手を止めた。そして、腰の手斧に手が届く前にフランソアの部下の一人でジャン・ルイと呼ばれている十九歳の兵士が銃剣で相手の胸を刺し貫いた。

 轟音がした。山砲が組み終わり霰弾が左の森をフォイ族ごと薙ぎ倒していた。するとフォイ族が奇声を上げながら森の裂け目から飛び出して、隘路の底にいる兵士たちに襲いかかったフランソアがいる右の森からもやはり襲いかかった。彼らは探検隊から奪った帽子やシャツ、外套などを身につけて、石の斧と槍で襲いかかった。白兵戦が始まると、既に二度の一斉射撃を至近距離から受けていた遠征隊のほうが分が悪く、黒色火薬が焼けた白っぽい煙のなかで一人また一人と石の斧や槍の犠牲になっていった。

「下がれ!」第一副官のビュシェット少佐が叫んだ。「退却だ!」

 退却ラッパが鳴りだすと我先にとハチドリの巣から逃げ出そうとしていた兵士たちが逆に押し戻されて返ってきた。

「後詰も攻められたあ!」

「もうおしまいだあ!」

 フランソアは目を疑った。おかっぱ頭のフォイ族と丸坊主のレダンゴ族、髪は伸ばしっぱなしにするナク族という三つの不帰順部族が一度に襲いかかってきているのだ。フォイ族とレダンゴ族とナク族といえば、どれも尚武の精神が強い部族で何百年と対立してきたはずなのが、今回だけは一致団結して襲いかかってきているのだ。しかも、彼らもまた銃で武装していた。フランソアの山砲部隊は設置したばかりの砲をまたラバの背に乗せようとしたが、ラバが尻に弾を食らって走りだすと百キロの砲身が砲兵の足の上に落ちて真逆の方向に足を折った。その叫び声は聞こえなかったし、またレダンゴ族の剣が彼の首を切り落としたので苦痛もそう長くは続かなかった。退路をふさがれ、両側からミニエ弾が飛んでくる以上、兵士たちは罠と知っての上で密林へと逃げ込まなければならなかった。その森は土地は平坦だか、叢の繁茂が常識を外れていて、注意していなければ、緑の壁によってお互いを見失ってしまうほどだった。

 フランソアは何とか命からがら生き延びた。だが、部下の数は半数以下になってしまった。ジェスタス少尉は生き延びたが、工兵四名が命を落とし、歩兵隊も半数が死ぬか傷つきあの場に置き去りにされていた。砲兵は残っているのは砲兵軍曹一人と砲兵一人で砲を失い、武器といったら短剣くらいしかない自分たちの身の上の情けなさに涙をこらえていた。

「大佐殿はどうしておられるだろう?」

 誰もそれに答えなかった。ただ、馬に乗って一番目立つ格好をしていたのだから、間違いなく最初の一斉射撃で殺られているに違いない。

「レルー中尉がやられるのは見ました」歩兵の一人が言った。「撃たれたんです」

 ジェスタス少尉は黙って呻いた。コルカやレーゼンデルガー、デ・ロンタンは無事だろうか?

 みなが見失った友人の無事を祈るなか、銃声がパチパチと豆を炒る音のように聞こえたので、一斉に身を低くした。突撃ラッパを吹いているやつらがいる。七、八名ほどでどこにいるかも分からない敵目がけて突っ走っていた。また豆を炒る銃声がして、森は静寂を取り戻した。

 蜥蜴が樹を登るだけでもびくつきながら、フランソアはなるべく草を揺らさないよう注意しながら歩いた。棕櫚の葉を除けたり、背の低い椰子をまたいだり、蔓のようにうねる根に足を引っかけないようにしているが、どうしても音は鳴ってしまう。ところが敵は何の音もさせずにこの叢を移動する術を知っている。

 河の流れる音が聞こえてきた。

 突然、視線の先に青白い縞模様が見えた。注意深く近寄ってみるとそれが小川沿いに開けた野原に月明かりを樹木越しに見た姿であることがわかった。野原には腰丈の葦が生えていて、その先には黒い影が見える。岩でも倒木でもないその正体を探ろうとフランソアは野原に一歩葦を踏み出した。破裂音とブゥンという耳元を弾が通り過ぎる音が同時に聞こえ、フランソアは反射的に身を伏せた。部下たちも同様で雷管がしっかりはまっていることを手触りで確認してから、弾の飛んできた方向に狙いをつけた。

「こっちに来るんじゃねえ!」相手が叫んだ。「このクソインディオどもが!」

 フランソアは叫んだ。「待て、ぼくらは味方だ。メイベルラント人だよ!」

 フランソアはまず一人で姿を現わし、葦の野原を歩いた。そこは湿地で一歩足を進めるたびに靴でグシャ、グシャと音がした。

「そこで止まれ」

 フランソアは止まった。

「姓名と階級を名乗れ」

「フランソア・デ・ボア。階級は中尉だ」

 階級を聞くと相手の声の調子が変わって敬礼した。「失礼しました、中尉殿。自分はヘンドリク・ミケルス曹長であります」

「敬礼はやめてくれ。もしインディオが潜んでいたらぼくが狙われる」

「失礼しました。気づかなかったもので」

「そっちは何人いるんだい?」

「二十五名であります。中尉殿」

「こっちは十九名だ。そっちで一番偉いのは?」

「第一副官のビュシェット少佐であります、中尉殿。ただ、負傷していてあまり、お加減がよろしくなく――」

「つまり、もうもたないと?」

「おそらくは――」

 フランソアは交易所に入った。大きな部屋だったので、何とか全員が入ることができた。交易品はもちろん一つも残っておらず、蜘蛛の巣が張った空の棚が壁から壁まで並んでいるだけだった。フランソアはなかの様子を見たが、想像以上にひどかった。二十五名のうち半数以上は負傷していて、なかには一人で歩けないものもいる。そのうちの一人がビュシェット少佐だった。

 裸の上半身の胸の部分を覆うようにしてかけられた包帯は赤く滲んで、リンゴ色に見えた。すっかり憔悴しきっている少佐はフランソアを見ると、

「中尉。きみからも行ってくれ。わたしの銃を返すように」

 フランソアがミケルス曹長を見ると、

「中尉殿。少佐殿は自殺を考えておられます」と言った。

「いざというとき――」少佐はビスケットの食べかすみたいに小さな声で言った。「自分で死にたい。やつらの慰みものにされるのだけは絶対に嫌だ」

「そんなことにはなりません、少佐殿。新たに十九名の友軍と合流できました。弾薬は十分ありますし、食料もまだあります」

 フランソアは曹長を少佐から離れた場所に引っぱると、言った。

「銃をお渡ししろ」

「しかし――」

「ぼくはひどいやり方で信頼できる部下を失った。あんなことはもう一度で十分だ。わかったね」

「――はい、中尉殿」

 曹長はカウンターの上においてあった革製の嚢を拾い、それからリヴォルヴァーを抜いて少佐の手に持たせた。

「ありがとう、曹長」それからフランソアのほうを向き、「ありがとう、中尉」

 ジェスタス少尉は交易所内の兵士たちにコルカ、レーゼンデルガー、デ・ロンタンがどうなったか知っているものはいないかきいたまわった。

 歳を食った一人の上等兵が手を上げた。「自分は知っています」

「誰を知っているんだ?」

「ロデリク・コルカ少尉です。亡くなられました」

「……そうか」

「やつらに殺られるまでに二人のインディオを撃ち殺しました」

「わかった、ありがとう」

「どういたしまして、少尉殿」年かさの上等兵は首をふった。「ご愁傷さまでした、少尉殿」

 このなかで一番階級の高いのはビュシェット少佐だったが、指揮を執るのは困難な様子だった。連隊付き士官のレナン・アンドレルゼン大尉も太腿を打ち抜かれて重傷だった。

 四十四名で実質無傷で動けるのはその半分、しかもそのほとんどがフランソアの部下だった。指揮はフランソアが自然に執ることに決まった。

「小川沿いに逃げて、艦船まで行くしかない」フランソアは行った。「敵は間違いなくこの道で仕掛けてくるが、今度密林に入ったら最後、もう二度と生きては出られない」

「敵は我々の軍艦の位置まで把握していると思われるのですか?」ジェスタス少尉が言った。

「フォイ族だけならありえないが、レダンゴ族とナク族が加わっているなら、船のことは知っている」

「船を餌に我々はおびき出される」

「だが、ここに籠れば餓死は間違いなしだ。他の連中も似たりよったりの状況だろう」フランソアは言った。「夜明けとともに出よう。やつらがここを包囲していないことを祈って」

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