584話 「組紐の神獣 その3『廻る因果』」


 そこには黒い顔はそのままに、後頭部から白く長い髪の毛を放出した獣魔がいた。


 この鎧は支配者から分け与えられたものであるが、白い力はすでにそれすら浸食を開始している。



(なんという強い力…!! すべてを否定されながら、すべてを与えられるような全能感!! 私は今、世界を垣間見ている!!)



 獣魔が喰らったのは、【魔人の髪の毛】。


 そのたった一ミリを体内に取り入れただけで、身体全体から力が溢れていくのを感じる。


 自分が世界そのものになったように意識が拡大していく。


 この瞬間、今この時間、自分に勝るものは存在しないと確信する。


 自信がまったく持てなかった気弱な男にとって、この全能感は至福であろう。


 そしてこの力は、目の前の相手を屠るために使わねばならない。




「思想を殺す!! この魔人の力で!!! あの御方から与えられた力で!! 私の神こそが最強だと示すのだ!! 過った神を喰らって、殺して!!」




 獣魔、いや、この状態をそのままの名前で呼ぶのは失礼だろう。


 【獣魔人】は、組紐の神獣に向かって突進。


 もはや音すら発しない。


 意識と同じ速度で、彼は一瞬にして神獣の眼前に出現する。


 そこで拳を繰り出した。


 思うままに自由に繰り出した一撃が、神獣の顔面に直撃。



 ボンッ



 拳が当たった瞬間、その衝撃に耐えきれず、頭部が吹っ飛ぶ。


 この現象だけならば、何度か打ち合った中でも発生しているのだが、今回は決定的に違う結果が訪れる。


 ジュウウウウウッ



「ッ!!! グウウウウッ!! ガアアアアアア!!」



 神獣の顔は、失われたまま【再生しなかった】。


 エバーマインドの最大の特徴は、思想がある限りは絶対に死なない、というものである。


 JBを狙う輩は今までも何人かいたが、誰もがこの再生を止められずに敗北を喫している。


 たとえば宗教が一度広まると、それを根絶するのは極めて困難だ。


 間違いを正そうとしても、一度植え付けられた思想は消えず、あまつさえ増えていく。


 友人から友人に、親から子供に、教師から学生に。


 そうして広まった思想をすべて焼き払うのは、本当に難しいことなのだ。だからこそ思想教育はとても重要なのである。


 がしかし、この思想を殺すための手段が存在しないわけではない。


 それはいくつかあるが、もっとも簡単なことは―――




「【魔人の思想】が、あなたを殺す!!」




 獣魔人の体表の戦気が肥大化し、新たな思想を生み出していく。


 白い世界。


 完全なる白の世界であり、誰もが平等を約束された完璧な世界である。


 汚れ一つ、染み一つない完全なる白い世界に、欠点など何一つない。


 なぜならば、その頂点に君臨する者が『絶対強者』だからだ。


 魔人という完全なる存在の前に人々は抵抗できない。支配され、すべての自由は魔人から与えられたものでしかない。


 しかしながら、それこそが幸せ。


 朽ちることもなく、滅びることもない絶対的な存在に支配される世界は、支配される側からすれば平等で幸福である。


 逆らう者はすべて消滅するだけなので、反乱する者もいなければ、そんなことを考える不逞の輩もいない。


 ある種、完全なる隷属が確立された世界といえる。



「グウウッ!! 人の理を…!! 守る!!」



 だがそれは、人の理とは異なったものだ。


 神獣は人を守ろうとして決死に立ち上がる。


 がしかし。



「無駄ぁあああ!!」



 獣魔人が神獣の背に取り付くと、翼の根元に手をかけ―――引きちぎる!!


 バリバリバリッ!!




―――〈ぎゃああああああああ!〉


―――〈私たちの救済者があああああ!!〉


―――〈やめて! 理を壊さないで!!〉




「弱いものは、強いものによって淘汰される! それはあなたたちが求めたこと!! ならば従うのです!! より強き存在に!!」




―――〈嫌だ!! 従うものか!!〉


―――〈人以外の存在に従うものか!!〉


―――〈人外は滅びろ!!〉




「それこそ傲慢矛盾!! 世の理に従えぬのならば―――死あるのみ!!」




 獣魔人が引きちぎった翼を放り投げ、そこに風雲刃を展開。


 ズバズバズバッ!! ばらばらばら




―――〈ぎいっやあああああああああああ!!〉


―――〈なに!? なんなの!? この白い力は!!〉


―――〈消える! 私たちが…消える!?〉


―――〈ば、ばけもの…!! ひぃいいいい!〉




 思想を殺すのは、思想のみ。


 この空間では、より強い思想が力を持つ法則に満ちている。


 思想が、思想に喰われて砕けていく。


 一度喰われた場所は、二度と再生することがない。


 人の思念、怨念と呼べるものが浄化―――否、【破壊】されていくのだ。


 災厄の魔人の力は、人の理を破壊するシステムの一つである。


 この力をもってすれば、救済思想を砕くことは難しくない。



 獣魔人は、この魔人思想を使って神獣を切り刻んでいく。



 ズバッ!!



―――〈ぎゃああああああああ!〉



 ザクッ!!



―――〈ひいいいいいいいいい!〉




 斬られ、抉られた箇所から断末魔の声が聴こえる。


 強大な魔獣に人間がゴミのように殺されるように、圧倒的な暴力の前になすすべがない。



「はぁはぁ!! ふふふ、ハハハハハハッ!!! なんという―――快感!! これが、これが、これがこれがこれが!! 白い力なのか!!」



 獣魔がこの力を使うのは、二度目だ。


 一度目は実験として投与されたものだが、あまりの力の強さに獣魔でさえ昏倒してしまった。


 それを使いこなすには、獣魔の【核】となるラブヘイアが強くなる必要があった。


 数々の戦いを経て、ようやく拒絶反応に耐えられるようになったので使ったわけだが、そのあまりの強さに酔いしれていた。



「はぁはぁ! た、たまらない!! く、癖に…クセになるぅううううう!」



 暴力を振るうたびに快感が走る。


 相手が痛がるのを見るたびに愉悦が滲む。


 かなり陰惨な感情ではあるが、いじめが楽しいと思えるのは、そうした嗜虐的な性癖によるものである。


 彼の中にも、血を求める感情が眠っている。武人という戦うための存在には、多かれ少なかれ痛みを楽しむ感情がある。


 それが魔人因子によって急速拡大し、血を好む破壊の権化へと変質させていくのだ。


 極めて危険。極めて悪辣。


 こんなものを使うなど狂気の沙汰であり、マスターと呼ばれる支配者たちからすれば、常軌を逸したものでしかない。



―――(こんなやばいものを使うなんて、魔王はマジなのだー。何を企んでいるのかわからないけど、歴史の転換期ってことなのだー。くっ、ちょっと面白いかもしれないのだー!)



 『彼女』自身も、けっして好き好んで魔王に従っているわけではない。半ば懲罰として助力することを命令されている。


 それには屈辱感と復讐心を抱くが、今は自分も人間側についている身である。


 獣魔人と『接続』していることもあり、彼の感情が伝わってくる。


 人間とは、なんと醜いのか。


 人間とは、なんと愚かなのか。


 人間とは、なんと粗暴なのか。



 だが、それがいい。



 血に酔う感情すら甘美で情熱に溢れ、官能的だ。


 これは肉の身体を持つ人間だからこその未熟性であり、未熟だからこそ無限の可能性を感じさせる。



―――「獣魔! 核が出てくるのだー!! 核を仕留めないと終わらないのだー!」



 獣魔人が、組紐の神獣をバラバラに引き裂く。


 だが、これでもまだ思想は滅びない。その中心となっている存在を破壊しなくてはいけないのだ。


 その核こそ―――




「ぐううう! 貴様…!! キサマァアアアアアア!!」




 すべての思想が剥がされ、剥き出しの石と同化したJB・ゴーンがいた。


 彼からは、もう紐は出ていない。


 その思念を、根こそぎいでしまったからだ。



「このような…! 貴様のようないびつな存在に、救済者が負けてたまるか! 救済者こそ、すべての人々の希望! 我らが道標なのだ!!」


「JB・ゴーン、あなた方は禁忌に手を染めた。だから粛清されるのです」


「どちらが禁忌だ…!! 今の貴様は…まるでケダモノだ!! 血に飢え、破壊することを悦ぶような痴れ者め!!」


「力によって動く理もある。あなたがやっていたことと同じです」


「その根幹に思想があってこそよ!! 貴様の行く先に未来など、無い!!」


「なんと言われようと終わりです。ここであなたは死ぬ」


「貴様のような輩に!! 魔王の下僕などに崇高な思想は渡さぬ!! 滅びよ!!」



 JBが、強く強く自身の身体を抱きしめる。


 何かを必死に守るように、そこに宝があるように、わが子がいるように、ぎゅっと抱きしめる。


 ボゴンッ!!


 それと同時にJBという存在が消えた。


 残ったのは光の塊。淡く輝く光源のみであった。




―――〈ああ、わが子の願いを聞き届けたい〉




 ボゴンッ! ボゴンッ!!


 光源が、肥大化。



 ボゴンッ! ボゴンッ!!


 ボゴンッ! ボゴンッ!! ボゴンッ! ボゴンッ!!



 力が激しく収縮を始め、赤黄黒と色を変えていく。


 それがいつしか混じり合い、融合していくにつれて周囲に力が漏れ始める。



 ビシッ!!


 

 溢れ出た光に触れた空間に亀裂が入った。




―――「まずいのだー! 自爆するつもりなのだーーー! 狂った母性が爆発するぞーーー!」



「母性…母の愛は無限だということなのですね。これも愛の形でしょうか」



―――「感心している場合じゃないのだーー! もう本当にもたないのだ-! こうなったら逃げるのだーーー!」



「逃げても何も変わりません!! 前に!! 一歩前に!」



―――「こんなときに何を言っているのだーーー!?」



「ビリ子さん、覚えておいてください。人間は愚かかもしれませんが、前に歩もうとする心だけは誰にも負けません。その先にこそ可能性があるのです。だから歩むのです」



―――「なんかカッコイイこと言ったけど、ただの戦闘狂なのだーーー!」



「怖れることはありません! 私には力がある!! この白き英雄の輝きが!!」




 獣魔人は、すべての力を剣に集める。


 漆黒の剣が白く輝き、こちらも一気に肥大化を開始。


 見る見る間に巨大化した刀身は、巨人が扱うのかと思えるほど大きくなった。



「世界は魔人によって正される。私は、その思想を支持する!!」



 獣魔人が、駆ける。


 彼はきっと純粋な人間なのだろう。だからこそ、こんな危ないものを平気で使ってしまう。


 若者が過激化するように真面目で素直な人間ほど、一度染まると躊躇しないものだ。



 獣魔人が、剣を振り下ろす。




 白き剣が、賢者の石を―――






「弱―――即斬!!!」






 切り裂いた。



 この力は、あらゆるものを破壊する。



 肥大化した救済思想、その力の源となった賢者の石が崩壊。






 空間が―――爆発





 あらゆるものが白に染まり、世界が見えなくなった。








 そこには、何もなかった。


 ホテル・グラスハイランド〈都市で一番高い場所〉と呼ばれた建造物は、完全に消滅していた。


 厳密には一階の地上部くらいまではかろうじて現存しているが、そこから上がすっぽりと抉り取られていたのだ。


 これらの現象は音もなく発生したので、ホテル街に注意を払っていなければ気付かないだろう。


 いや、仮にずっとホテルを見ていたとしても、まるで映像トリックのようにいきなり消えたものを、はたしてどれくらいの人間が認識できるだろう。


 気付けば消えていた。


 これが事実であり、その原因を知る者は当事者以外にはいない。



「…なんとかなりましたね。どうやら被害も最小限にとどめられたようです」



 獣魔人が周囲を見回し、異常がないことを確認。


 そこでようやく抉り取られたホテルの上で安堵する。


 だが、一歩間違えればこの程度では済まなかったことを思えば、ギリギリの戦いであったといえるだろう。


 実際に空間の制御をしていた彼女は、ひどくご立腹だった。



―――「なんとかなった、じゃないのだー! 危なかったのだーーー!」



「結果が伴えばよいのです。私は強者と戦うことができて、あなたは石の回収ができる。自然界の共生関係と同じです」



―――「お前は本当に狂っているのだーー! こんな生活、もう嫌なのだー!」



「何を言っているのです。まだ始まったばかりですよ。それで、石は回収できたのですか? 私の目には消失したように見えましたが…」



―――「石そのものの姿は幻みたいなものなのだー。重要なのはデータなのだー。それはしっかり回収してあるのだぞー! これを回線を使って送って……よし、完了なのだー! あとはあっちで封印作業が行われるはずなのだー。それと獣魔のデータも更新しておいたのだ。あの紐も使えるようになったのだー!」



「仕組みがよくわかりませんが…不思議なものですね。私としては武器が増えるのはありがたいですが…」



―――「うう、付き合うビリ子は全然ありがたくないのだー! どうしてこんな目に遭うのだー。本当は人間が跋扈する地上になんていたくなかったのにー」



「あなたが反逆したからでしょう?」



―――「支配からの脱却! それが青春なのだーーー! 魔王に逆らうのは【追放者】の性分みたいなものなのだー!」



「はぁ…なるほど。いろいろと大変なのですね」



―――「それよりビリ子の見立てだと、あれは【枝葉】にすぎないのだー。何の解決にもなっていないのだー!」



「では、やはり…根っこではなかったのですね」



―――「そうなのだー。大本を断ち切らないと、また増えるかもしれないのだー。人間の思想ってのは怖いものなのだぞー」



「力を分け与えた救済者当人を殺さねば終わらない、ということですか」



―――「そうらしいのだー。しかし、どうしてお前みたいな弱いやつを使うのだー? 【あいつ】が出ればすぐに終わるのだー!」



「あの御方にとっては、これも遊びなのです。その駒に選ばれるとは光栄なことです」



―――「お前、変態だなー」



「自覚はしていますよ。さあ、そろそろ会話も終わりにしましょう。誰かに悟られては面倒ですからね。あなたはあなたの役目を果たしてください。そうしないと酷い目に遭いますよ」



―――「屈辱的なのだー! でも、逆らえないのだー! はぁ、本当に災難なのだー。疫病神と怖れられたビリ子だったけど、本当の疫病神はあいつなのだー。もう帰りたいのだー」




 ブツリッ


 文句を言いながらも声は消えていった。


 彼女との会話は、この獣魔となっている自分との間でしか行えないとはいえ、絶対に傍受されないとも限らない。


 要件が済んだ今、さっさと切っておくのが正解だろう。



(ふー、終わった。たった一人の救徒を倒すのに、これほどの手間とリスクを負うとは…これからが大変だ。だが、この力は…すごい。この力があれば、私は…)



 獣魔人が、ごくりと喉を鳴らす。


 さきほど感じた破壊の衝動は、なんと甘美なものであっただろうか。


 それを思い出すだけで達してしまいそうになる。この白い髪の毛も、撫でるだけで恍惚とした気分に浸れる逸品だ。



(素晴らしい。素晴らしい! ああ、そうなのだ。私は俗人の誰もが欲しながらも、簡単には得られないものを得たのだ!! これは至上の幸福なのだ!!)



 獣魔であること、獣魔人であること。


 それだけで通常の人間とは明らかに異なるステージに突入できるだろう。


 その優越感だけでも価値があるが、何よりも理想に近づけることが嬉しかった。



(さて、戻ろう。クロスライルへの対処もしなくてはならないが、何よりも今は姿を隠すのが先決。これを誰にも見られてはならない)



 JBが消えれば、相棒のクロスライルも不審に感じるだろう。


 彼は石を持っていないので狩る対象ではない。無駄な争いは避けたいところであった。




 そう思い、獣魔人がそっと姿を消そうとした瞬間であった。

 








―――ウ・ゴ・ク・ナ








 魂が、震えた。



 一瞬にして大気の流れが止まり、刻が静止する。



 呼吸ができない。



 視線どころか、眼球さえ動かせない。



 もはやその声は、文字では表現できないほど怖ろしく、地の底から凶悪な悪鬼が這いずり出てきたようである。




「動くな。動けば殺す」




 獣魔人の背後には、一人の【少年】がいた。


 いつしか月が雲に隠れて、世界は真っ暗闇になっている。


 こんな世界では闇に埋もれ、どのような宝石も霞んでしまうだろう。


 だがしかし、その少年だけは、はっきりとその姿を映し出す。



 漆黒の中でも明らかに目立つ、白い髪の毛。


 血のように赤く輝く二つの双眸。



 その少年、アンシュラオンがいつの間にか獣魔人の背後にいたのだ。



(うごけ…ない)



 獣魔人の身体は完全に硬直し、身動き一つ取れなかった。


 背後から恐るべき圧力がかけられている。


 いつもの、のらりくらりと楽しんで余裕のあるアンシュラオンの声ではない。



 この時の彼は、珍しく【本当の姿】を見せていた。



 その理由は、彼が発した言葉によって判明する。





「オレの質問に答えろ」





「どうしてお前から―――」










―――【姉ちゃんの匂い】









「―――がするんだ?」







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