581話 「弛緩と休息、そして」


「どうだ。真っ白になったぞ!」


「ひぃいい! 私のお尻に何をしたんですかー!」


「色素が沈着していたからな。皮膚ごと削り取って再生させただけだ」


「ひー! なんかすごいこと言った!!」



 デリケートゾーンのケアは「アナルブリーチング」とも呼ばれ、色ムラで悩む女性たち(あるいは男性)の中では比較的メジャーなものである。


 日本でも専用のジェルなどが通販サイトで普通に売っているので、そう珍しいものではない。


 ただアンシュラオンの場合は命気があるため、直接皮膚を削り取った瞬間に細胞の活性化によって再生させる手法によって、一気に改善することが可能だ。


 カサブタの下から綺麗な新しい皮膚が生まれるのと同じである。



「うう、酷い目にあった…もうお嫁に行けない……」



 が、やられる側としては相当ショックである。


 シャイナはぐったりと浴室の隅で崩れ落ちた。しばらくは起き上がってこられないだろう。



「まったく、綺麗にしてやったのに感謝の言葉一つないのか。恩知らずなやつめ。まあいいや。それよりサリータの傷も治ったようだな」


「はい! ありがとうございます!」



 命気水で生み出した風呂なので、浸かっているだけでサリータの怪我もあっという間に治ってしまう。


 やはり女性にとって顔は命。綺麗に治ったのが嬉しいのか、サリータも安堵しているようだ。



「サリータ、いい仕事だったぞ。守りながらも攻撃ができた。お前の最大の長所は防御だが、防御だけでは勝てない。サナがいるときならばいいが、単独で行動する場合や戦力が乏しい場合は、攻撃も仕掛けなければならないからな。といっても、まだまだだ。セノアがいなければ危なかった」


「はい! 身に染みております! 師匠、質問をよろしいでしょうか!」


「何だ?」


「あの…まるで見ていたかのようなお言葉ですが……もしかして近くにおられたのですか?」


「うむ、見ていたぞ。だが、オレが直接いたわけじゃない。こいつが見張っていたんだ」


「わっ、なんですか!? これは!?」


「オレが命気で作った媒体で、名前をモグマウスという。こいつが常時、近くにいて監視していたのさ」



 浴槽の中からモグラのようなラットのような、どちらともいえない不思議な生き物が顔を出す。


 プライリーラとの戦いでも役立ったモグマウスと同種のものであり、これを媒体にして情報を得ることができる優れものだ。


 言ってしまえば『無線中継器』である。離れれば離れるほど精度は落ちるものの、この程度の距離ならば問題はない。



「さすがは師匠! すべてを把握なされているとは…感服です!」


「うむうむ、そうだろう。お前たちは常にオレの管理下にあるから安全なのだ」


「ではやはり、これは試練だったのでしょうか?」


「飲み込みが早くて結構なことだ。一応言っておくが、お前が自爆しようとしたら止めるつもりではいたぞ。そんなもったいないことはしたくないからな。お前にはまだまだ明るい未来がある。無駄に散らすことはない」


「し、師匠…そこまで評価していただけるとは…感動です!!」


「うんまあ…感動してくれるなら、ありがたいけどさ」



(このあたりは体育会系だよな。素直に受け入れちゃうからなぁ)



 普通、あのような状況で自分が試されていたら、シャイナ同様「なんで助けてくれないんですか!」と激怒しそうなものである。


 しかしそこは体育会系のサリータ。強くなるためにはスパルタ教育が当然であると理解しているらしい。


 むしろ期待されていると感じたのか、顔には興奮の色合いが見て取れる。若干マゾ気があるのかもしれないが、鍛える側としてはありがたいものだ。


 ただし、こうした人材は貴重で稀だ。


 普通の少女はといえば―――



「………」



 セノアは湯船に浸かりながら、いまだにぼーっとしていた。


 彼女の身体には少しの擦り傷と、捕まった際の内出血くらいしかなかったので、傷はすでに完治しており肉体的には健康だ。


 問題は、彼女の心のほうであろう。



「落ち着いたかい」


「…はい」


「そうか。ここは安全だから、ゆっくり休むといい」


「…はい」


「………」



(少し刺激が強かったかな。銃で人を殺せたんだから打たれ弱いとは思わないが…やはりこちらが普通の反応だよな)



 セノアが何度もショックを受けたり狼狽する様子を見て、面倒臭いやら打たれ弱いと思うのは早計だ。


 たとえば普通の人間が仕事で失敗をした場合、何日も、あるいは何ヶ月も思い悩むことがあるだろう。


 これがもし人を殺すという衝撃的な体験ならば、一生引きずって暮らす人間もいるのだ。ならば、セノアの反応こそ普通といえる。


 がしかし、単に普通の人間ならば人は殺せない。


 ここが資質を見極めるための重要なポイントである。


 彼女は殺せたのだ。誰かを守るためならば人が殺せる人間なのだ。



「改めて言うが、君は正しい行動を取った。オレが認めるから安心していいよ」


「ご主人様は…ずっと……見ていたのですか?」


「そうだよ」


「どうして…ですか? なんでこんな…」


「君たちが、より安全になるためだ」


「安全?」


「オレは君たちに安全を保証するが、それは守ってやるという意味だけではない。君たちを強くしてあげることも含まれる。君自身が強くならなければ、いつまでも怯え続けることになるからね。だからオレは、君が強くなるためなら何でもやるよ。試練だって与えるし、時には痛みも与える。すべては強くなるためさ」


「…強く……。強ければ…怯えないで済む…」


「そうだ。大切なものを失わなくて済む。君自身とラノアが幸せになれるんだ」


「でも、そのたびに…あんな思いを……ルアン君みたいに……あ、ルアン君…! か、彼は…その…」


「ん? ルアン?」


「ルアン君……あんな怖い人がいるなら、もう死んじゃったかも……」



 ルアンがJBに勝てないことくらいはセノアにもわかるらしく、泣きそうな顔になる。


 ルアンの姿こそ、まさに弱者のあがき。


 どんな手段を使ってでも強くなろうとした、惨めで愚かで、なおかつ愛らしい存在である。


 そこでこの男も思い出す。



「あ、忘れてた。ルアンならそこにいるぞ」


「…へ?」


「そうだった、そうだった。ほんと、すっかり忘れてたな」



 アンシュラオンは浴槽から出ると部屋に戻り、そこから幅が二メートルはありそうな大きな水瓶を持ってきた。


 それをどすんと床に置く。



「あ、あの…何を…」


「はい、どうぞ」



 アンシュラオンが水瓶の中に手を入れて、ズルンッと何かを引き出した。



 それはまるで―――昆布



 真っ黒になった大きな海草のようなものだった。



「…?」



 セノアは、まじまじとそれを見つめるが、何かわからずに首を傾げる。


 それこそが彼女が求めるものとは知らずに。



「これがルアンだよ」


「…え?」


「まあ、わからないよね。なら、ちょっと待ってね。命気を満たして―――」



 アンシュラオンが命気を昆布に注ぎ込むと、見る見る間に膨れ上がって人型になっていく。


 その様子はまるで、干物が一気に潤って元の魚に戻るような光景であった。



「ええええええええ!?」


「はい、これで元通り」


「ほ、本当にルアン君…なんですか!?」


「うん、そうだよ。ほら、顔はそのままだろう?」


「…見た目がその……随分と変わったような……」


「それはしょうがないね。勇者君の炎竜拳を受けて燃え尽きたし、咄嗟の防御で身体中の生体磁気をすべて使ったからね」



 復活したルアンの姿は、【ガリガリ】だった。


 薬で筋肉モリモリだった身体は見る影もなく、骨と皮だけの痩せこけた老人のような姿になっていた。


 これは生体磁気が『水』のようなものだからだろう。


 生体磁気は細胞の活力を維持するものであるため、不足すると老化を早めるとは以前述べた通りだ。


 ルアンの場合は、それが薬物によって一時的に強化されたものであり、なおかつアンシュラオンが渡した命気水によって結合していただけなので、ビッグの攻撃によってすべて吹き飛んでしまったと思われる。


 逆に言えば、それによってルアンは死なずに済んだのだ。


 最初昆布のように黒かったのも、炎竜拳によって焼け焦げたからであるが、最後の最後でかろうじて生き延びることに成功していた。



「オレがルアンを殺すわけがないだろう? こいつの父親と約束したんだ。約束を守るのがオレの流儀だからね」


「…でもその…そのままじゃ……」


「大丈夫、大丈夫。すぐ戻るからさ」



 アンシュラオンは水瓶の中を命気で満たすと、ガリガリに痩せこけたルアンを放り投げる。


 ゴポゴポッ ジュワワワッ


 まるで炭酸水のように細かい泡が包み込み、身体中の細胞に命気が浸透していくにつれて、ルアンの肌が少しずつ弾力を帯びてきた。



「しばらくこうしていれば火傷も裂傷も治るさ。まあ、完全に元通りってわけにはいかないかもしれないが、それもこいつが望んだことだからね。これもルアンとの約束を守っているにすぎないんだ。才能もないのに強くなりたいって言うからさ、それならこれくらいのことはしないとね」


「そこまで…強くならないといけないんですか?」


「君も見ただろう? こんな都市内部にいても、弱い者は簡単に殺されてしまう。まずは殺されないだけの力を身に付けることが重要なんだ。間違っているかな?」


「…そう…ですね。仕方ない…ですよね」


「望むのならば力を与えよう。でも、望まないのならば無理をすることはない。君はどうする?」


「………」



 その問いにセノアは何も答えられなかったが、彼女の目はじっと水瓶の中のルアンを凝視していた。


 表面上はどう思っていようが、彼女の本能はアンシュラオンという存在の強大さをしっかりと理解している。


 目の前にチャンスが転がっているのに断るのは愚か者である。どのみち彼女自身に行き場などはないのだ。



「私は…ご主人様と一緒にいます」


「そうか。ならば君に力を与えよう。だが、君はまだ子供だ。そんなに急ぐことはない。ルアンを反面教師にするといいさ」


「…はい」



(セノアはデリケートだけど、それもまたいいか。他人だったら面倒だけど、自分のものならば多様性の一つだしな。それにしても…ルアンか。最後はオレが助けようと思ったが、自力であれを防ぐとは面白いやつだ)



 ルアンは殺すつもりがなかったので、最悪は自分が影ながら助けようと思ってはいたが、自力でビッグの攻撃を防ぐことに成功していた。


 もちろん放っておけば死んでいたものの、あれだけの実力差がある中で、ギリギリで生き残ったことは賞賛に値するだろう。


 ちなみに勇者ことビッグが発見した死体は、あらかじめ用意していたものである。(豚からまさかの勇者に格上げである)


 ホワイト商会制裁において同年代の少年の死体が手に入ったので、状況を見極めながら細工をしてすり替えたのだ。


 ルアンにはまだまだ利用価値があるし、影武者として責務を全うしたことを考えれば、彼にも及第点をあげてもいいだろう。



(薬の効果はそれなりにあったようだな。ルアンには、またいろいろやらせて実験してみよう。あのハンター連中もまだ生きているから、ソブカにでも与えればいいかな。今回の一件で領主への恨みをさらに募らせただろうしな)



 ここでは話題になっていないが、実はライアジンズの面々も回収を終えてある。(全員気絶させてある)


 クワディ・ヤオなどは真っ二つにされたが、その程度で武人は即死しないし、密かに付着させておいた命気が炎をかろうじて防いだようだ。


 最初は彼らを見捨てておこうかと思ったのだが、契約通りに命をかけて守っていた様子に心打たれて助けることにした。


 全員重傷であり、後遺症が多少残るかもしれないが、それもまた彼らの怒りを助長させるに違いない。


 アンシュラオンはしばらく姿を隠すつもりなので、彼らの処遇は戦力の足りないソブカに任せるつもりでいる。



「ラノアもがんばったな」


「うん! なでなでして!」


「よしよし、なでなで」


「きゅっきゅっ♪」



 ラノアを撫でてやると小動物のように喜んだ。


 なかなか愛らしいが、容姿や性格以外でも彼女を好む理由が生まれていた。



(ラノアだけはモグマウスの存在に気付いたようだな。あいつらでさえ気付かなかったのにな)



 上質の武人であるラブヘイアやJBも、モグマウスの存在には気付かなかったことからも、アンシュラオンの隠蔽技術が優れていることを示している。


 その中で唯一ラノアは、時々意識をモグマウスに向けていた。完全に探知はできていないようだったが、なんとなく違和感を感じていたようだ。


 これは明らかに【術者の資質】が影響している。


 危機的な状況下において、彼女も無意識のうちに才能を開花させたのだ。これも大きな収穫である。



(もうすぐしたら落ち着けるから、サリータやラノアたちの特訓もしてやろう。楽しみだなぁ。おっと、そうだった。まずはあれを見せてやらねば)



「サナ、サリータに戦気を見せてあげな」


「…こくり」



 サナが浴槽から出て、意識を集中。


 ボッ ボボッ


 浅黒い美しい肌の表面に、視認できるほどの赤い戦気がはっきりと生まれた。



「な、なんと!! サナ様!! この短期間で戦気をマスターされたのですか!?」


「…こくり」


「す、素晴らしい! さすがサナ様です! ううう、本当に…すごい!! 私とは才能が違いすぎる!」



 それを見たサリータが驚愕し、涙を流す。


 そこに羨望はあっても嫉妬はない。心の底から畏怖と尊敬の念に満ちていた。


 仕える主人が、自分を超えてあっさりと戦気を習得する。その才能に単純に感動しているのだ。



(うんうん、いいぞ。いい反応だ)



 媚びも嫉妬もない素直な賞賛。これこそアンシュラオンが求めた反応である。


 これもまたサリータの徳性であり、彼女の存在価値が大きいことを示している。


 何事も素直なことは美徳なのだろう。才能はなくても実直さで上司に好かれるタイプといえる。



「シャイナも触ってみな」


「え? 触っていいんですか?」


「面白いから触ってみな」


「へー、これがセンキってやつ―――あっつぅううううう!?」


「ゲラゲラゲラッ!! 指が焼かれやがった!! ゲラゲラゲラ!」


「なんで触らせたんですかああああ! あっつ! あつうううう! ぎゃー、指紋がなくなったーー!」


「な? 言った通り、面白かっただろう?」


「ほんと先生って最低です!! 人間失格ですよ!!」


「ありがとう」


「だからなんで感謝されるんですか!?」


「さあみんな、風呂のあとは食事だ。遠慮なく食べてくれ」


「無視された!?」





 という「いつものネタ」を披露したあと、彼女たちはゆっくりと食事を楽しんだ。


 疲れきったのか、サリータたちはすぐさま眠りに落ちた。やはり精神的疲労が大きかったのだろう。



「サナ、ここは任せる。やれるな?」


「…こくり」


「よし、いい子だ。すぐに戻るよ」


「…こくり」



 そんな自分の所有物たちを愛しそうに見つめながら、アンシュラオンはそっと扉から出て行った。


 そして扉を出た直後、その優しい顔が真顔になる。



(オレがこの世界でもっとも大切にするのは、オレ自身で選んだものだけだ。サナが一番大切だが、それ以外の彼女たちも重要だ。それを脅かすものは…絶対に見逃してはおけない)



 そう心に誓い、アンシュラオンは闇に消えていった。



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