579話 「ホテル脱出」


「サリータ、後ろはどうですか!?」


「追跡はありません!」


「このまま突っ走ります! あと少しです! セノアたちも足を止めないように!」


「は、はい!! ラーちゃん、転ばないようにね!」


「うん、んしょんしょ!」



 ラブヘイアの行動によってJBから逃げ延びたホロロたちは、急いで階段を駆け下り、エントランスホールまでやってくる。


 ただし、シーバンたちが死守していた入り口には向かわず、反対側にある職員専用の通路に入り込む。


 そうして裏口に向かうと思いきや、また方向を変えて狭い通路に入った。



「え!? 裏口から逃げるんじゃないんですか!?」


「あの死体をもう忘れたのですか? 裏口には敵がいるのですよ。出て行ったら殺されます」


「あっ! そ、そうでしたね。じゃあ、どこに向かっているんですか!? どこにも逃げ道なんてないじゃないですか!?」


「静かにしなさい。まだ敵がいるかもしれないのですよ。無駄に騒げば危険が増すだけです!」


「あううう…ごめんなさい…」


「ホロロ先輩、これからどうするのですか?」


「安心なさい。すでに準備は整っております」



 そう言ってホロロが向かったのは、職員専用通路をしばらく進んだところにあった『料理場』である。


 グラス・ギースで一番大きなホテルでもあるので、料理場もかなり立派で大きい。


 ホロロたちは料理場に入ると鍵をかけた。



「料理場…ですか? これだけ大きければ隠れるには隠れられるでしょうが…」


「このような状況下で隠れるなど自殺行為でしありません。一刻も早くこの場を離れますよ」


「ですが、ここからどうやって?」


「いいから付いてきなさい。警戒は怠らずに。ここが一番重要な局面ですよ」



 ホロロは料理場の奥にあった食品庫に向かい、扉をゆっくりと開く。


 料理場も大きければ倉庫もそれなりに大きいが、それでもやはり密閉された空間なのは同じだ。


 だが、ホロロが迷わず入った以上、皆も続くしかない。訝しげな表情を浮かべたまま全員が中に入る。


 殿のサリータがしっかり閉めた倉庫の入り口に、ホロロが一枚の術符を張り付けると淡い光を放って砕けた。


 核剛金の術符で強化したのだ。これでもし敵がやってきても時間稼ぎくらいにはなる。


 それから視線を部屋の奥に向ける。倉庫の隅には複数の木箱が積まれていた。



「シャイナ、そこの箱をどけなさい」


「えええ? 私がですか?」


「まだ戦いは終わっていません。サリータは疲弊していますから、あなたが代わりにやりなさい。ほら、早くなさい!」


「うう、わ、わかりましたよ…! あっ、おもっ!?」



 中身は砂糖やら塩やらの調味料であったが、だからこそ重かったりもする。


 シャイナは泣き言を呟きながらも、なんとか木箱をどけることに成功した。何だかんだ言いながらも労働者なので、最低限の体力はあるようだ。


 何もせずにホテルでぬくぬくしていたのだから、これくらいは働いてほしいものである。



「はぁはぁ、どけました」


「よろしい。では、そこをどきなさい」


「うう、がんばったのに…褒められもしない」


「生き残るために皆が苦労してがんばっているのです。あなたも我慢しなさい」


「あうう…」



 ホロロはシャイナをどけると床に軽く触れる。


 何の変哲もない木造の床だ。他の床と差異は見受けられないが、そこには窪んだ『取っ手』が存在した。


 ぐいっ ガゴンッ


 ホロロが取っ手を引っ張ると、床が音を立てて開く。



「床下収納ですか? 食品をしまうやつですよね?」



 セノアが、中に納められている袋などを見て確信する。


 よく一軒家のキッチンに備え付けられている床下収納庫、あるいはもっと大きめなものならば床下倉庫と呼ばれるものである。


 用途はもちろん、こうして食材の保存などに使われるだけのものだ。深さも大人の身長程度くらいしかなく、幅も広いとはいえない。



「ここが…目的地なのですか?」



 セノアの表情に不安が見える。


 必死になってたどり着いたにしては、あまりにも拙く頼りないからだ。この場所が小さな棺桶に見えても不思議ではないだろう。



「ええ、そうです。しかし、ここが私たちにとっての命綱なのです」



 このままではたしかに単なる収納庫だ。


 がしかし、ホロロが胸元から取り出したネックレス、そのトップにはめられたジュエルを押し当てると、収納庫の床にさらなる『取っ手』が出現した。


 ホロロが躊躇なく取っ手を引っ張る。


 ガコンッ


 開いた床下は暗く深い闇が広がっていた。どうやらさらに下に向かって穴が続いているようである。



「これはどういうことなのですか? 何もなかったはずなのに…」



 穴を覗き込んだサリータが、首を傾げる。



「いざというときのための『脱出路』です。『割符結界』と呼ばれるもので隠されていますので、従業員の中にも気づいた者はいないでしょう」


「こういったものは、ホテルに常備されているものなのでしょうか?」


「まさか。私たちの主、アンシュラオン様がご用意してくださったものです。普通のホテルにこのような代物はないでしょう」


「なんと!! 師匠が!! それはありがたい! しかし、どうやってこんなものを…いえ、師匠のお力をもってすれば簡単なことなのでしょうね」


「その通りです。さあ、早く行きますよ。まずは私、次にセノア、ラノア、サリータ、最後にシャイナが来なさい」


「また最後だ!!」


「当然です。銃も忘れないように」



 ここでも序列が最優先である。


 とはいえ、この順番は理に適ったものでもある。


 まずこの通路が完全には安全とはいえないので、大人であり事情を知っているホロロが先頭に立ったほうがいいだろう。


 その次に弱い子供が続き、後方のサリータが万一の追撃にそなえて護衛する。シャイナが最後尾になったのは完全なる囮ではあるものの、それもまた上の人間を助けるための大切な犠牲となるだろう。




 ホロロが食品庫に用意してあったランプを手に取り、穴に取り付けられた梯子をしばらく降りる。


 セノアは恐る恐る降りたものだが、ラノアなどは物怖じせずに梯子を掴んで降りていった。このあたりの性格の差異はなかなか面白い。


 サリータに続いてシャイナが入り、上部の床を閉めると再び割符結界が発動し、取っ手は消失した。


 上から見れば単なる床下収納庫なので、ここを発見するにはそれなりの術者の資質が必要となる。



「どうやらここは発見されていないようですね。安心してよさそうです」



 先頭を行くホロロが梯子を降りきると、周囲は木から剥き出しの土に変化していた。


 土は階段状に掘られているだけではなく、何らかの手段で固められているため、そのまま地上と同じように歩くことができた。


 滑ることもなく、しっかりと足にフィットするので、むしろ歩きやすいかもしれない。


 薄暗いという欠点はあるものの、そこからは地下トンネルを歩くような気分で一行は進んでいく。



「あの…これはどこにつながっているのでしょう? たぶん方角からすると、【壁】のほうに向かっている気がするのですけど…」



 セノアが銃を握り締め、こわばった表情で訊ねる。



「方角を覚えていたのですか?」


「は、はい。逃げるときはそうするようにって、前にお父さんが…」


「そうですか。そのことは忘れないように。良い習慣ですよ」


「あ、ありがとうございます」



(やはりアンシュラオン様は、人を見る目があられますね。このまま私の代理になれるように成長していってほしいものです)



 ホロロは、セノアの利発さに期待を寄せる。


 仮に先頭を歩く自分が犠牲になったとしても、多少なりとも経験を積んだセノアがいれば、【普通の選択】ができるに違いない。


 平時ならば誰にでもできることであっても、いざ混乱が生じた際に普通の考え方ができることは大きな才能の一つだ。


 もしそれが誰にでもできることならば、人々の中で戦争というものは根絶されるだろう。それだけの才能である。


 アンシュラオンには『情報公開』スキルがあるし、ああ見えてそれなりに人を見る目がある男だ。


 彼が付けた序列は、サナがいなくてもしっかりと機能するようになっているのである。


 そして、セノアの予測は見事的中する。



「あなたの言う通り、私たちが向かっているのは【城壁】です」



 ホロロたちが向かっているのは、ちょうどホテルから真南の方角である。


 この先にあるものといえば一つしかない。城壁だ。



「あのぉ…ふと思ったんですけど、城壁って下から通り抜けられるんですかね?」



 シャイナがそんな疑問を発する。


 彼女がそう思うのも当然だろうか。普通の人間が見る城壁は地上部のものだけであり、地下のことまで頭が回らないものだ。


 東京には巨大な地下空間が存在し、貯水槽や通路として利用されていることを普段は意識しないのと同じといえる。



「いいえ、どうやら城壁は地下にまで及んでいるようです。穴を掘って侵入されたら城塞の意味がありませんからね」


「じゃあ、迂回か何かして、どこか違う場所で上に出るんですか? それだと西門から出ないといけないし…大丈夫ですかね?」


「あ、そこで止まりなさい」


「え? ここですか?」


「動かないように」



 そう言ってホロロが近くの壁にあったボタンに触れる。



 するとーーー爆発



 ちょうどシャイナのすぐ近くにあった壁が破裂し、ガラガラと通路が壊れ、あっという間に背後が閉ざされてしまった。



「ひ、ひぃいい! 何をしたんですかぁぁあ!?」


「追っ手が来ないように封鎖しただけです」


「壊すなら壊すって言ってくださいよ!!」


「動くなと言ったでしょう? あなたは命令だけを聞けばよいのです」


「ううう…この人、怖い!!」


「ホロロ先輩、このような仕掛けがあるということは、だいぶ前から準備されていたのでしょうか? このような通路自体、簡単に掘れるとは思いません」


「あなたがホテルに派遣された直後から、この通路は造られたようです。私も詳しいことは知りませんが、そういうことを得意にしていた者が裏スレイブにおりました」


「はぁ、なるほど…すごい特技を持った人間がいるものですね…」



 と、サリータは感心して頷いているものの、おそらくは何も重要性を理解していないだろう。


 この地下通路を造ったのは、戦罪者のムジナシである。


 初めてソブカと出会い、ある程度の打ち合わせをした時から、すでにこの計画は始まっていた。


 ムジナシを表に出さなかったのは事務所の穴を掘らせていたからであるし、実はこうした地下通路をいくつか掘らせていた。


 アンシュラオンが秘密裏に都市を移動するための手段にもなっているので、ムジナシの貢献度は高いといえる。




 一行はさらに進む。



 若干の下り道になっているせいか、疲れた身体でも自然と歩が進むように計算されているようだ。


 そうして三十分ほど歩くと、城壁にたどり着いた。


 ホテルが南寄りにあったこと、下り坂で足が進んだこと、さらには恐怖からか急ぎ足になったことも相まって、通常よりも早く到達することができた。


 そして、本来ならばそこには巨大な岩(城壁の材料)が待ち受けているはずなのだがーーー




 待っていたのは、仮面を脱いだアンシュラオンとサナだった。




 白い髪の毛に赤い瞳、人並み外れた中性的な美貌を持つ底知れない魅力を持つ少年。


 そんな少年に愛された漆黒の髪と浅黒い肌、深く静かに輝くエメラルドの瞳を持つ少女。


 紛れもなく本物の二人がそこにいた。


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