574話 「交錯する陰謀 その3『勇者は姫とともに去りぬ』」


 ビッグの必殺技が決まり、ホワイトは地面に落ちていった。


 ブスブスブスッ


 炎竜拳の余波で、部屋が焦げた臭いが鼻をくすぐる。



「やった…のか?」



 ビッグは、拳を突き出したまま動きを止めていた。


 本当はすぐに窓の外を覗くべきなのだが、怖くて怖くてしょうがない。



 がんばって足を一歩動かそうとするも―――





「よぉ、夢を見られた気分はどうだ? 俺を倒せて楽しかったか?」





「―――っ!?」



 ドクンッ!!


 ビッグの心臓が跳ね上がる。


 ドクンドクンドクンッ ドクンドクンドクンッ



「はーーはーーー! はーーーはーーーー!」



 呼吸が荒くなり、眩暈がする。


 いつだってあの男のことを考えると胸が苦しくなる。


 心臓が握り潰されたような最低の気分になる。



 が、それは―――幻覚。



 呼吸が落ち着くと同時に、幻はスゥゥと闇夜の中に消えていった。


 全部自分が生み出したもの。不安も恐怖も、迷いも苦しみも。



(大丈夫。大丈夫だ…)



 そろり そろり そろり



 びくつきながら壊れたバルコニーに出ると、下をそっと覗き見た。


 夜ということもあり、外の茂みの様子はよくわからない。


 ただ、しばらく見ていても何も反応はなかった。



(…本当にやったのか? 俺が…あいつを倒した? まるで実感が湧かねぇ)



 拳に残った感触は本物だ。


 炎竜拳は間違いなく相手を噛み砕き、燃やした。


 そのはずだが、今までのことがあるので、どうしても疑ってしまうのだ。


 コンッ



「っ!?」



 背後で音がしたので振り返る。


 完全に気が動転していて、前のことしか見えていなかった。


 また心臓が大きく高鳴るが、今回の高鳴りは別の種類のものだった。


 そこにいたのは―――




「リンダ…」




 視線の先には、彼の愛する婚約者の姿があった。


 顔色は青白く、以前よりもかなり痩せてしまったため、一瞬別人にさえ見えた。



「ビッグさん…ここにいたのね……」



 されど、その声は彼女当人のものだ。


 何度も何度も確かめるように見るが、何度見たってリンダである。



「ああ、リンダ…リンダ…よかったぁ…」



 ここで駆け寄って抱きしめるのが格好良いヒーローなのだろうが、ビッグはその場に泣き崩れる。


 実際問題として、そんなことができるのは映画や漫画の世界だけだ。


 込み上げるものがありすぎて、強すぎて、動けなくなるのが普通の反応であろう。



 彼が求めるものは、ただただ家族との幸せな日々。



 お金がなくてもいい。生活が苦しくてもいい。


 親と弟が元気で嫁さんがいてくれれば、それだけで何も言うことはない。


 畑で作るものを麻薬から麦に変えてもいい。平凡な幸せこそが、本当の幸せだと知ったのだ。


 だから彼は泣くのである。まだ間に合ったことを喜ぶのだ。


 リンダは、そんなビッグの傍にゆっくり近寄り、肩をそっと抱く。


 立場は逆になったものの、彼女の気持ちは痛いほど伝わってきた。


 それからしばらく二人は、そのままでいた。


 互いの手を握り合う。それだけで満足だった。





「ホワイト…を倒したのね」



 沈黙を先に破ったのは、リンダ。


 一瞬その名前にドキッとしたが、彼女から言われたことで正常な思考力が戻ってきた。



「ああ、そうだ。倒した…と思う」


「あなたは強いもの。倒したわ」


「だ、だが…あいつがこんな簡単に…死ぬとは思えなくて…くっ、まだ身体が震えてらぁ。…はは、不思議だよな、こんな状況なのに怖くて怖くて…まだ怖いなんて…びびりすぎだよな」


「そんなことはないわ。あ、あんなものと出会ったら…だ、誰だって怖いもの。わ、私もまだ…震えが…止まらないわ。ほら、一緒ね」


「リンダ…ありがとう。こんなことを言ったらおかしいかもしれないけど、俺…今回のことで、もっとお前と近づけた気がするんだ」


「ええ、私もよ。ビッグさんのこと、前よりもっとわかった気がする」


「だよな。俺たち…お似合いだよな」


「震えているところも…ね」



 ホワイトは最悪の存在だった。


 二人の人生を滅茶苦茶にした。


 されど同じ恐怖を味わった者同士、より強い仲間意識が芽生えていた。


 彼が震えていることも、彼女が怖がることも、すべてが手に取るようにわかるのだ。


 何一つおかしくないのだと。これが普通の人間なのだとわかるから。



「それじゃビックさん…確かめに行きましょう」


「確かめる? 何を?」


「ほ、ホワイトが…本当に死んだかどうか…を」


「っ! そ、それは…!!」


「怖いのは…わかるわ。でも、それはあなたの役目…でしょう?」


「………」


「私たちから始まったことだもの。…終わらせましょう。二人でなら…大丈夫よ」



 最初のきっかけを作った者。


 グラス・ギースを揺るがすほどの大事件を起こした男を招いた者。


 この場で唯一、彼だけが幕を下ろせるのだ。その資格があるのだ。


 ビッグはしばらく逡巡していたが、覚悟を決めて頷いた。



「わかった。見に行こう」






 ビッグたち二人は、注意深く周囲を警戒しながら、階段を下りてゆっくりとロビーに向かう。


 ロビーの炎は、いつしか鎮火していた。


 そこには何人もの焼け焦げた死体があり、すでに人物の特定が不可能なほどに炭化している。


 鎧を着た者もいれば軽装の者もいるし、上半身が裸の者もいる。


 ビッグは焼死体に顔を背けながら、リンダと一緒に外に出た。



「ええと、どこだっけか…」


「あっちよ。裏側のほう」


「詳しいな」


「だって私、ずっとここに勤めていたのよ。嫌でも覚えてしまうわ」


「それもそうか…長くいたもんな」


「…ええ。でも、もう終わったわ」



 そんな会話が、今は少しだけ嬉しかった。


 ただ、まだ心の中には不安が渦巻いている。


 もし生きていたらどうしよう。むしろ平然としていたらどうしよう。


 すべてが演技だった、と言われたらどうしよう。


 そんな恐ろしい想像がビッグに襲いかかる。



「リンダ…逃げてもいいかな?」


「そんなことをする必要は…ないわ」


「でもよ…今なら二人で都市を出ることも…」


「大丈夫。大丈夫よ。あなたがあなたでいる限り…大丈夫なの」


「…? そう…か?」



 その言葉の意味はわからなかったが、彼女の手の温もりが歩く勇気をくれた。




 そして、たどり着く。




「あそこね…ほら、窓があれよ」


「た、たしかに…そうだな」



 リンダが指をさした場所には、自分の攻撃によって破壊されたバルコニーがあった。


 そこの真下が、ここ。


 その先にある茂みにホワイトは落ちたのだ。



「………」


「ビッグさん、見ないと」


「わ、わかってる。わかってるよ。見ないと終わらない…よな」



(本当に死んでいるのか? こぇえ、こぇええよ…)



 ホワイトが与えた恐怖心は、そう簡単に拭えるものではない。


 いまだ自分を縛り続けている。



(だが、終わらせないと。いつまでも心にしこりがあったら、これから普通に生きていくことなんてできねぇんだ。俺は…やるぜ。みんなが後押ししてくれるからな)



 ザッ ザッ ザッ


 一歩、また一歩。


 本当に一歩ずつ茂みに近づいていく。


 そうして近寄ると―――



 足が―――見えた。



 わずかに血が付いた白いズボンが見えたが、膝から上は焼け焦げているので真っ黒だ。


 さらに一歩進むと、胸が見えた。


 こちらも服はなくなっており、身体も焼け焦げている。



「はぁはぁ…」



 心臓がバクバク鳴る中、顔を見る。


 そこには半壊した仮面があった。熱で溶解したのか、半分ほどしか残っていない。


 しかし、それは間違いなくホワイトの仮面だった。



 ビッグは息を荒くしながら仮面を―――取る。



 ズボッ ボロロッ



 仮面を取ると同時に、焼け焦げた顔の一部も取れた。


 またあの赤い目が自分を覗くのではないかという幻覚に襲われたが、それは杞憂。


 目の部分は蒸発し、何もなかった。


 顔もかなり焼けて白骨化しており、かろうじて骨格から少年ということしかわからない。


 常人が炎竜拳をくらえば骨ごと消滅してしまうほどなので、この結果も不思議ではない。



(髪の毛…は。…白い!!)



 ただ、かすかに燃え残った髪の毛は、白い色を残していた。


 白い髪の毛、白い仮面、白い服。


 ほとんどがボロボロになってはいるものの、それはやはり『ホワイト』という人物の特徴と完全に一致する。


 いくら待っても、その『死体』が起き上がることはなかった。


 死んでいるのだから当然だ。だから死体と呼ぶのである。



 途端―――力が抜ける。



 とすんっ


 ビッグが地面に座り込む。


 そのまま何分か、何も言わずにじっとしていた。


 何を言っていいのかわからなかったからだ。



 ただ一言―――




「終わった…のか」




 静かな夜に、その言葉だけが響いた。



「終わったのよ、ビッグさん。あなたが…倒したの」


「俺が…ホワイトを? 信じられない」


「信じなくてもいいのよ。でも、倒したことは事実でしょう?」


「事実…か。そうだ…な。はは、こんなもんなんだな。俺はもっとこう、何かすごい感情が湧いてくるのかと思ったよ。今俺がなんて思っているかわかるかい?」


「…疲れた、かな?」


「何でもお見通しだな。リンダは」


「私も同じだもの。疲れたわ。ただただ…疲れたもの」



 何か偉業を成し遂げた時、人は達成感を得るものだ。


 ノーベル賞とまではいかずとも、何かしら他人から褒められることをすれば、きっと嬉しいのだろう。


 しかしながら、ビッグの中に喜びはまったく浮かばなかった。


 数多くの人が死にすぎた。


 たった一人の人間が巻き起こすにしては、あまりに被害が大きすぎる。


 たとえるのならば、災害や震災に近い感覚だろうか。


 過ぎ去ったことに安堵するが、それによって壊された残骸と損失は消えていない。だから憂鬱だし、虚しさすら感じる。


 ただし、人が生きている限り、生き続けねばならない。


 こういうときは女のほうが強い。


 座り込んだビッグをリンダが促す。



「さあ、戻りましょう。ここにはもう…いる必要はないわ。気分が悪くなるもの」


「そうだな…。ここの後始末は誰かに任せても…いいよな。今夜は本当に疲れたよ」


「ビッグさん、仮面は…持っていきましょう。あなたが倒した証よ」


「手柄が欲しいわけじゃない。お前を助けたかったんだ。本当にそれだけだ」


「ありがとう。とても嬉しいわ。…でも、みんながそれを望んでいるのだから…あなたが持っていくべきよ。それで安心する人が…大勢いるの」


「…そうか。そうだな。…わかった。みんなを安心させないとな」



 ビッグは半壊した仮面を、そっと手に取った。


 そして、二度と振り返ることはなく、静かにホテルから遠ざかっていった。


 もう関わりたくない。これっきりにしてほしい。


 そんな気持ちがありありと見て取れる。


 傍らに大切な伴侶がいれば、それだけで彼が望むものはないのである。



 彼は仮面を持ち帰り、すべてが終わったと伝えるだろう。



 本当は終わっていなくても、【世間的には終わった】ことなのだ。


 ホワイトという人物がこれ以後、表舞台に立つことはない。


 仮にこの後、ちょっとだけホワイトが出現しても、仮面を被れば誰でもコスプレができるので、そこにたいした意味はない。


 重要なことは、ここでホワイトを『ラングラスのソイドビッグ』が殺したということ。


 それが都市に暮らす一般人に浸透すれば、それだけで十分だ。目標達成だ。




 さて、これによって一つの話は終焉を迎えた。



 あっけない幕切れでもあったが、悪人の最期とはこんなものだ。


 終わってしまえば、こんなもの。あっさりしたもの。


 そう割り切れば、人生の奥深さを考える一つのきっかけになるかもしれない。


 その中にあったドラマに何か思うことがあれば、印象に残るものがあれば、それは間違いなく価値あるものなのだから。



 しかし、まだこのホテルの話には少しばかりの続きがある。



 なぜならば、彼らがホテルを離れて少し経った時―――




 【ホテルが消滅】したからだ。




 言っている意味がわからないと思うが、詳細はまもなく語られる。



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