570話 「ルアン投入 その2『悪の元凶』」


「はー、はーーー」



 ルアンが、ホテルの通路を蛇行しながら歩いていく。


 真っ直ぐに歩くことすら困難な状態とは、まさに病人に近い。


 視界が歪む。ぐらぐらと揺れる。



(僕は…何をしているんだ? そもそも僕は…誰だ?)



 記憶障害が進んで、自分のことすらよくわからなくなっていた。


 これは一時的なものなので問題はないが、状況認識能力が乏しいのは危険である。


 ずるっ ゴトゴトゴトンッ


 目の前が階段であったこともわからず、下まで一気に転げ落ちる。


 頭から落ちたので、常人ならば死ぬかもしれないが、今の強化されたルアンは痛みをほとんど感じていなかった。



「………」



 何事もなく、むくりと立ち上がり、しばらくボーっとする。


 そのまま何をするわけでもなく、階段の踊り場にいた。


 そんな時だ。



 侵入してきた裏スレイブと―――鉢合わせ。



 エレベーターが使えない今、唯一上層階に上る方法が階段である。


 もともと彼らは、このホテル内にいるすべての人間を、拘束および排除しようとしていた。


 エレベーターで最上階に上がり、そこから下に向かっていく部隊と、下から階段を使って上を制圧していく部隊とに分かれている。


 しばらくシーバンが押さえ込んでいたが、次第に突破されたことで、ついに階段を使って上がってきたのである。



「っ! 仮面の男…!」


「まさか…ホワイトなのか!?」



 ルアンを見た彼らの動きが止まった。


 まさかここにホワイトがいるとは、夢にも思わなかったのだろう。


 緊迫した空気が流れる。



(ホワイト…? こいつら…何を言っているんだ?)



 今のルアンは自覚がまったくないが、正常な精神状態で鏡を見れば、自身が「ホワイトそっくり」であることに気付くだろう。


 実は薬の影響で髪の毛も白髪になっているため、仮面と服を含めて全身真っ白である。


 多少色が残った部分は、ルアンの意識がない間にリンダが脱色しているので、どのみち白になる予定だった。



 ホワイトが、いる。



 この情報は裏スレイブたちには伝わっていないので、どう対処していいのかわからず動きが止まったのだ。


 ただ、それも長くは続かない。



「このホテルにいる者は誰だろうが関係ない! 男ならなおさらだ! 殺せ!」


「だ、だが、ホワイトなら…勝てる相手じゃないぞ! ハングラスに雇われた暗殺者も殺されたっていうし…第一警備商隊も倒したんだぞ!」


「俺たちだって、後には引けないんだぞ! やるしかない!」



 男が銃を構え、ルアンを狙う。


 ルアンは状況が理解できていないため、そのまま棒立ちだ。



―――銃撃



 パスパスッ ドスッ



「うぐっ…」



 そこまで距離が離れているわけではないので、一発がルアンの胸に命中。


 いきなりの衝撃にどうすることもできず、前のめりに倒れた。



「………」


「………」


「………」



 誰もが動かない。


 裏スレイブ業界でもホワイトの話は有名であるため、この程度で死ぬとは思っていない。


 だが、ルアンはそのまま動かなかった。


 しばらく注視していた裏スレイブも、少しずつ状況を認識し始める。



「もしかして…倒した…のか?」


「お、おう…そんな…感じだな」


「本当に…本当なのか?」


「あ、ああ…だって動かないしな……」


「お、おおお! これは大金星ってやつじゃないのか!?」


「きっとボーナスが出るぞ! これでやばい裏スレイブ生活からもおさらばだ!」



 男たちは、まさかの事態に大歓喜であった。


 たしかにルアンは薬によって強くなったが、まだ普通の子供である。


 戦闘に駆り出せば、こうなることは誰にでもわかるだろう。






「セノア、大丈夫か!」


「あ、サリータさん」



 一方その頃、セノアは非常階段において、二十四階に下りてきたサリータたちと合流する。



「すぐにホテルを脱出するぞ。準備を急げ」


「は、はい!」


「お前も銃を持て。使い方は教えた通りだ。シャイナでは不安だしな」


「わ、わかりました!」


「うう、私だって好きでやっているわけじゃないのに…」



 セノアも皮鎧を着て、脱出の準備をする。


 まだ子供といえる年齢ではあるが、ラノアよりは成長しているため、銃を任せて大丈夫だろう。



「ルアンはどうしました?」


「彼は…行きました」



 ホロロの問いに、セノアが俯いて答える。


 まだルアンのことを気にしているのだろう。表情は暗いままだ。


 それとは対照的に、ホロロは事務的に受け止める。



「そうですか。ご苦労様です。あなたたちの能力は、やはり便利ですね」


「ありがとうございます」


「これからもアンシュラオン様のために役立てなさい。それが自らの生活を豊かにするでしょう」


「…はい」


「ホロロ先輩、まだここには敵が到達していないようです」



 その間にサリータが、非常口から通路の様子をうかがう。


 ルアンの意識には残っていないが、彼は知らずの間に二十二階まで下りていたのだ。


 あの銃撃は、そこでの出来事である。



「非常階段を使って、一気に外に出ますか?」


「いいえ、今行っても敵がまだいますから、もう少しここで待ちましょう。私には、主から授かった策がありますから大丈夫です」


「はい! 師匠にお任せすれば、何も問題はありませんね!」


「おかしいですよ! どうしてそんなに信じられるんですか! あの人、いつも適当なんですから、簡単に信じちゃ駄目ですって!」


「なんだその口の利き方は!! 立場をわきまえろ! ばちんっ!」


「あいたー! ビンタされたーーーー!」



 サリータのビンタがシャイナに炸裂である。


 これは後輩を指導するために仕方なくやる体罰なので、まったくもって罪ではない。



「あ、あの…! 彼は大丈夫なんですか!?」



 目の前でそんなことがあっても完全スルーしたセノアが、ホロロに訊ねる。


 今は駄犬にかまっている暇はないのだ。



「彼?」


「る、ルアン君です」


「大丈夫とは、どういう意味ですか?」


「あのまま行かせたら…死んじゃうんじゃないかと…行かなくても死にそうですし」


「同情する必要はありません。彼は自らの意思で戦いを欲しているのです。その実戦の機会を与えてくださった主人に感謝こそすれ、恨む理由はないでしょう」


「もしかして…彼を【囮】にするのですか? ここで待っているのは、そのためですか?」


「ええ、そうです。そのためにここに置いていたのですから」



 ホロロは即答。まったく迷いがない。


 なにせこれもアンシュラオンの計画の一つだからだ。


 ルアンを気に入ったのは、根性があることだけが理由ではない。


 これも前から言っているように、いざという場合において『影武者』として利用するためだ。


 強くしてやるのだ。それくらいは役立ってもらわねば割に合わない。


 そして、ここで一つのビッグの誤算が生まれている。


 口からでまかせで言ったことではあるが、実際にここにはそのための人材が配置されていたのだ。



「彼に敵の注意を引き付けてもらいます。そうすれば、こちら側の負担が減ります」


「そんな…無理ですよ。死んじゃう…」


「セノア、なぜ彼にそこまで入れ込むのですか。もしや、やましい感情でも抱いたのですか?」


「や、やましい?」


「あなたも若いとはいえ女です。そういう『男女の感情』を抱くこともあるでしょう」


「そ、そんなことは! 私はご主人様だけに仕えています!」


「それならばよろしい。あなたが考えることは、ただただ主人の命令に従うことだけ。それだけで十分です」


「はい、わかっています。…ただ少し…気になって…」


「従者なのですから、仕える者を履き違えてはいけません。彼は単なる道具にすぎません。余計な情は身を滅ぼしますよ」


「…はい」



 セノアには、頷くしかなかった。


 自身は何の力もない少女だ。もしアンシュラオンから見放されれば、また路頭に迷うしかなくなる。


 しかも能力を知られているので、下手をすれば危険視されて処分される可能性もある。


 もちろんアンシュラオンは、そんなもったいないことはしないが、敵に厳しいことは事実だ。彼女が不安に思うことも致し方がないだろう。


 しかし、こうした普通の感情を持つからこそ、彼女には存在する意味があるとアンシュラオンは考えている。


 ホロロのように、心の底から幸福感に満ち溢れた従者のほうが異常なのだ。


 普通の感性を持つセノアの存在が、他のスレイブにも張りと彩りを与えてくれるに違いない。



「ご主人様は、彼を簡単に殺すつもりはありません。まだ役に立ちますからね。そこは安心なさい」



 レブファトとの契約があるので、ルアンはまだ殺すつもりはない。


 グマシカと遭遇したといっても偶発的で、いまだ居場所を知るに至っていない。


 彼が聖域に引きこもっていれば見つけるのは困難だが、このたびの接触において表に出てくることも考えられる。


 そうしたことも考えて、わざわざレブファトという人物を引き込んだのだ。


 まだ投資に見合うメリットを回収できていない以上、アンシュラオンがルアンを殺すことはありえない。


 ただし、いつだって事故は存在する。予期せぬことが起こるものだ。



(仮に死んだとしても、それはそれでマングラス側に対して不信感を与えることができます。さすがはご主人様。あなたなんて素敵なのでしょう。すべてがあなた様の手の中で動いております)



 マングラスがルアンを殺せば、レブファトはアンシュラオンを憎むかもしれないが、直接手を下したマングラスに強い不信感を抱くだろう。


 そうした不協和音と憎しみを利用すれば、まだまだ使える駒として動いてくれるに違いない。


 よって、どちらに転んでもよいのだ。






(なんだ…こいつら。誰だ…?)



 銃で撃たれたルアンは、生きていた。


 肉体がかなり強化されているので、普通に銃をくらっただけでは死なない。


 むしろ、それによって刺激を受け、少しずつ頭がはっきりしてくる。



(そうだ。僕は…ルアン。ルーアノーンだ! 思い出した…。じゃあ、こいつらは…誰だ? あの首のジュエルは…スレイブ…なのか?)



 倒れながらも視線を首元に向けると、たしかに彼らの首には緑のスレイブ・ギアスが存在した。


 スレイブ。スレイブ。スレイブ。


 その単語が、頭の中をぐるぐると回る。



(どうしてここにスレイブが…? …そうか、兵隊代わりか…。前にお父さんが、そういう役割で使われるスレイブがいるって言ってた。裏スレイブ…だっけ)



 ルアンの意識が覚醒していくうちに、情報を整理するだけの余裕が生まれた。


 これもまたすぐに忘れてしまうかもしれないが、今の彼は平常時のルアンの思考に近い状態にあった。


 だからこそ、気付く。



(こいつらは【誰に雇われている】んだ? 誰が襲っているんだ?)



 ルアンは何も知らない。ワカマツのことも知らない。


 シーバンは、おっぱいの妖精からの情報によって、彼らがマングラスに雇われていると思ったようだ。


 それは事実だった。



―――最初のチンピラ部隊【だけ】は



 彼らは自ら「マングラスの兵隊」と名乗ったので、ワカマツに用意されたのは間違いない。


 しかし裏スレイブたちは、誰に雇われたとは言っていない。


 これから死ぬ相手に、そんなことを言う理由もないだろう。



 では、誰か。



 薬の力で妙に感覚が鋭敏になっているルアンには、そのスレイブ・ギアスに込められている『思念』が少しだけ見えた。


 おそらく命気水を飲んだことや、彼も命気によって治療されたことが要因なのだろう。



 この感覚は、この醜悪な臭いは―――




(―――ホワイト…!! またあいつ…か!!!)




 裏スレイブたちを操っている【真なる存在】に気付く。


 すべての黒幕にして、人々たちをあざ笑い、自己の快楽の道具にしている悪の元凶!!!


 そして用済みとなればすべてを破壊して、利益だけを奪っていく悪魔のような男。



「お前…たちは……!! お前たちのようなクズが…いるから!!」



 ぐぐ ぐぐぐっ


 ルアンが、ゆっくりと起きる。


 その目に、ついに【意思の力】が宿った。


 身体は強制的に強化されても、意思だけは自ら生み出すしかない。




「ううううっ…うおおおおおおおおおおおお!!」




 ボボボッ ボオオオオオオオッ!


 そして、着火。


 ルアンの怒りに呼応するかのごとく、身体から揺らめく炎が生まれる。


 怒り、怒り、怒り!!!




 それは―――怒りぃいいいいいいいいいいいい!!




「全員、殺す!!!! あいつの言いなりになるやつは、全員殺すぅうううううう!!」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー