569話 「ルアン投入 その1『ルアンとセノア』」


 男たちは、エレベーターもろとも吹っ飛んだ。


 この至近距離かつ密室で爆発すれば、さすがの裏スレイブも死亡確定だ。



「ふぅ、なんとかなったな。さすがホロロ先輩だ」



 実はまだ戦気が出せないサリータでは、裏スレイブたちの相手はかなりしんどかっただろう。


 相手の戦気術が極めて雑で未熟とはいえ、まったく使えないよりはましだ。(裏スレイブの中でも使えない者は多いが)


 そうした戦力差を待ち伏せによってカバーした、というわけである。


 猪突猛進のサリータではこんなことは考えられないので、ホロロの指示によるものである。



「ひぃいいい、ひ、人を…人を撃っちゃった!!」



 安堵するサリータの隣で、シャイナが銃を持ったまま青ざめる。


 彼女の射撃によって致命傷に至ったわけではないが、相手を傷つけること自体が一般人には重荷なのだろう。



「ああああ! なんでこんなことに…! ここも地獄ですよ!!」


「甘ったれるな!! 気合だ! 根性だ! 子供たちを守ると言っただろう! 最後までやり遂げろ!」


「そのために手を汚すとは言ってないのにいいいい!」



 なんて女だ。何も提供していないのに、ただ守ってもらおうとは、あまりに都合の良い話である。


 だが、現実はそう甘くない。シャイナにもきっちり人殺しの責任を負ってもらうことにする。


 生きるためには何かを犠牲にしなければならない。それが相手の血ならば、自分が痛くないだけありがたいものであろう。




「無事、片付いたようですね」



 そこにラノアを連れたホロロがやってきた。


 彼女もメイド服の上から皮鎧を着ており、第一警備商隊から奪った銃を持っていた。(ラノアはサナの予備として作ってあったものを着せている)


 身軽に移動するために、それ以外のものは何も持っていない。着の身着のまま、というよりは、それ以外の財産がないだけのことだ。


 唯一あるとすれば自分の母親くらいだが、そのことも含めてアンシュラオンに任せてある。



「はっ! しかし、エレベーターを壊してしまって、よろしかったのでしょうか?」


「相手はホテル内部に詳しいわけではありませんから、そのほうがこちらに有利です。これで挟み撃ちされずに済みますからね」


「なるほど…。次はどうしますか?」


「非常階段を下りて、下の階でセノアを拾います」


「そんな悠長にしていて、本当に間に合うんですか!? ここは上の階なんですから、上ってきたら鉢合わせますよ!!」


「なさけない。あれだけ主人にかまってもらっているのに、まだ覚悟が決まっていないのですか?」


「だ、だってぇえええ! 怖いんですもの!」


「行きたくないのならば置いていきます。野蛮な連中の慰み者になって野垂れ死になさい」


「嫌ですううううう!! 助けてえぇええ!」


「うるさいぞ、シャイナ! お前は何を学んだ!! その手を血で汚せと教えてもらっただろう!」


「初耳ですけど!?」



 思えばシャイナは、荒野の修行に連れていってもらったわけでもなく、単に麻薬の売人を続けていただけだ。


 何も自己防衛手段を教わっておらず、いきなり実戦では喚くのも仕方ない。


 が、負け犬の泣き言など聞いている暇はないので、ホロロたちは迅速に移動を開始する。



 このホテルに、エレベーターは一つしかない。


 いくら高級ホテルといっても、東側の辺境都市レベルでは一つ置くのが精一杯である。


 そのエレベーターを壊した以上、残る手段は『階段』という原始的なものに限られる。


 そして、ホテルの階段は二種類存在する。


 一つは内部の通常階段。もう一つは外部の非常階段だ。


 通常階段はホテル内にあり、地上一階から地上二十五階まで繋がっている普通の階段だ。


 特に高層階において普通の客は階段でわざわざ上がらないので、従業員以外はあまり使用しないものといえるだろう。


 一方の非常階段は二十五階と二十四階に存在し、ホテルの外壁を伝って外に脱出することができるルートだ。


 アンシュラオンが借り切っているこの二つのエリアは、最上級の客をもてなすために造られたので、構造自体も下の階とは違うのである。


 まずはこの非常階段を使い、下でセノアと合流することを目的としている。




 では、その下の階の様子を少し見てみよう。




 二十四階に誰がいたのかは、もう述べた通りだ。



 彼の名前は、ルーアノーン。



 略してルアンと呼ばれる存在だ。


 マングラスの筆頭監察官であるレブファトの息子にして、アンシュラオン打倒を誓う十二歳の少年である。


 彼は年下のサナにあっさりと負ける程度の弱い存在であった。


 しかし、根性はある。我慢する力だけは人並み外れたものがある。


 アンシュラオンはそんな彼を気に入って、さまざまな【薬の実験台】にしていた。


 その中には、ベ・ヴェルに投与された『凛倣過りんほうか』と呼ばれる生体磁気を活性化させる増強剤も含まれている。


 このアンプルは普通は一回、最低でも一週間の間隔をあけて一本使うのが一般的だ。


 ソブカが隠し持っていたくらいなので、かなり強力な薬のため、それくらいにしておかないと身体への悪影響が半端ないのである。



 が、それをルアンは、【五本投与】した。



 この短期間で、それだけ投与すれば―――




「ふーーーふーーーー!! ううううううう!!」




 ギチギチギチッ!!


 少年が持つ綺麗でしなやかな筋肉など、もはや見る影もない。


 その白い服の中は頑強な筋肉の鎧で覆われ、「よっ、肩にちっちゃいジープ乗せてんのかい!」といったマッチョな世界が待ち受けている。(あるいは四万十川でも可能)


 さらに凛倣過に加え、置いていった薬物のすべてを投与している。


 アンシュラオンが薬の安全性など考えるわけもなく、相性や副作用なども知らないため、本当に適当に置いていったものである。


 そんなものを手当たり次第に投与すれば、常に全身に痛みが走るのは当たり前。


 眠れなくなるのは当たり前。頭痛が起こり、幻覚が見えるのは当たり前。


 精神過敏になるのは、当たり前!!!



「呼んでる…だと!! あいつが……あいつがああ!! はーーーはーーー! どこまでもあいつは…腐って腐って腐って!! 腐ってやがる!!!」



 ドゴンッ! ミシィッ


 ルアンが壁に拳を叩き込む。


 この壁はアンシュラオンが命気結晶で強化したので、そう簡単に壊れるものではないが、叩いた部分がほんのわずかだけ軋んだ。


 以前の彼ならば、まずありえない現象だ。


 いくら薬物投与で強化されたとはいえ、そう簡単に人はここまで強くはなれない。


 なればこそ理由がある。



 その一つが―――命気水。



 ルアンに与えたものは、サナが飲んでいるものと同じ濃度かつ、アンシュラオンが直接生み出したものだ。スラウキンが生み出した紛い物とは根本が違う。


 この命気水があればこそ、さまざまな薬を飲んでも副作用が出にくく、なおかつ相乗効果によってムキムキな身体になっていくのだ。


 だが、薬を使えば代償を支払わねばならない。



「ルアン君…大丈夫? 手、痛くないの?」


「お前は…はぁはぁ…ううう…誰だ……」


「セノアだよ。また忘れちゃったの?」


「せ、セノア…うううっ! 頭が痛い…!」



 記憶障害の症状が出ており、物忘れも酷くなる。


 今の彼ならば、今朝食べたものすら忘れるに違いない。



「あ、あの、頭が痛いなら…無理をしないほうが……」


「無理…無理だと!! 僕に無理なんてないんだ!!! あいつを殺すまで僕は…ううう! 薬…薬を……!」


「もうやめたほうがいいよ…」


「うるさい! 薬を…! 早くクスリを…!!」


「はい、薬ならここにあるわよ」


「薬…!! これがあれば…僕は…強くなれる!!」


「ミチルさん! どうして!」


「セノアちゃん…もう無理なの。私たち…薬がないと生きていけないの」



 この部屋には、ルアンとセノア、ミチルことリンダの三人がいた。


 アンシュラオンの命令通り、ルアンの世話はリンダがやっていたので、彼女がここにいることはおかしくはない。



「僕と…あなたを一緒にするな…! 僕はあいつには…負けない!」



 ただしルアンは、リンダに嫌悪感を抱いていた。


 自分がもっとも嫌う相手に媚びへつらい、抵抗することも忘れて薬漬けになる彼女が、あまりに弱々しくて嫌いだったのだ。



「無理よ。そんなこと…無理よ…どうせ無理なのよ…」


「無理なんて言うなあぁあああ!」



 ドゴンッ


 ルアンは力任せに壁を殴りつける。


 ピシッ


 ほんのほんのわずかだが、かすかに傷が入った。


 おそらくヤキチがポン刀で斬っても、傷一つ付かないであろう壁に、わずかながら傷を付けた。


 だがその代償として―――



「うううううう!!」



 ビシイイイッ


 筋肉に強い負荷とダメージが入り、薬でさえ鎮静できない強烈な痛みが走る。


 これはもはや痛みというよりは拒絶反応に近い。身体の限界を超えて薬を投与した結果だ。



「ルアン君…」


「ルアン…時間よ。ほら、これを…」



 心配するセノアをよそに、リンダは命令に従い『白い仮面』を持ってくる。



「仮面…!! 仮面!!! なんて醜い仮面だ!!」


「いちいち声を荒げないで…疲れるの」


「反吐が出る!! あんたたちのような弱いやつらには、本当に反吐が出る!!!」


「あなただって同じでしょう? 命令に従うしかないのよ。それを被って、戦いなさい」


「戦う? 誰と…?」


「それは…すぐにわかるわ。あなたは頭がいいもの」


「何を言っているのか…理解できない。だが…外に出ないと……お父さんの正義を守らないと…僕は僕は僕は……守らないといけないんだ…」


「武器を忘れないように」


「武器…ああ、そうだ。殺すには…武器が必要だ……」



 アンシュラオンに従わないと言いながら、白い仮面を被って武器を持ち、ふらついた足取りで部屋の外に出ていく。


 意識はかろうじて存在しているが、すでに正常な判断ができていないらしい。これも薬の副作用である。



「ミチルさん、どうして止めないんですか!!」


「止める? どうして?」


「このホテルが襲われているんですよね? なら、どうしてルアン君を向かわせるんですか? あんな状態で戦えるわけないじゃないですか!」


「声を荒げないで…」


「あっ、すみません…。でも、こんなのおかしいです。変です」



 おとなしいセノアにしては珍しく、目上の人間に声を荒げる。(実際はセノアのほうが何千倍も地位が上だが)


 彼女がこうした感情を見せるのは、やはりルアンが同世代だからだろうか。


 なぜセノアがここにいるかといえば、今日に限っては連絡係だが、彼女もルアンの世話を少しだけしていたからだ。


 世話といってもリンダのように直接関与するというよりは、掃除や物の片付け等、間接的な接触にとどまっていた。


 ただ、セノアは頭がいいし、こうして近くにいれば次第に状況がわかってくる。


 少しずつリンダに事情を訊いて、ルアンの異常性に気付くことになったというわけだ。(詳細な生い立ちは教えてもらっていないが、ホロロから手伝いの許可はもらっている=アンシュラオンも知っている)



「ふふふ…セノアちゃん、緊張しているの?」


「は、はい。だって…こんなことになるなんて…」


「もしかして、あの…あのひとの…あのあの…はーーはーーー!!」


「大丈夫ですか!?」


「だ、だいじょう…ぶよ。もし、あの人の……ことを…疑っているなら……やめたほうがいいわ。服従しなさい。心の底から這いつくばって…媚びて、従うの。あなたの主人は……おぉぉ…怖ろしい人…だもの」



 シーバンに茶を差し入れていたことからも、ビッグの予想に反して、リンダは表に自由に出られるような状態だった。


 彼女が逃げ出そうと思えば、たしかにそれも可能だっただろう。


 だが、そんな怖ろしいことはできない。もしそんなことをすれば、自分の身だけでは済まない大惨事が起きるだろう。


 彼女たちが唯一助かる道は、ただただ従うこと。リンダはそれをよく知っていた。



「あなたの主人はね…いつだってあなたたちを見ているのよ…。だから心配することはないの。あなたたちがしっかり動けるか…見ているだけなのよ。子供のあなたには、まだわからないかもしれないけれど…これが真実よ」


「私はどうすればいいんですか?」


「そんなこと簡単よ。私を見て、知ればいいの。あとはあなたの好きにしなさい。あなたの主人が許す限りの範囲内で…好きにしなさい。私とは二度と会うことはないでしょうけど…忘れないでね。受け入れて…従うのよ」


「ルアン君は救えないんですか?」


「彼が自分で望んだことだもの。放っておきなさい」


「………」


「もう行きなさい。私も最後の仕事をしないと…元気でね」


「はい…さようなら。ありがとう…ございました」



 セノアも親との別れを経験していることもあり、こういうことには慣れていた。


 これが荒野で暮らすということだ。


 出会いと別れが当たり前にある世界。だから子供であっても強くあらねばならない。



 セノアは、ゆっくりと部屋から出ていった。



 まだ納得はしていないかもしれないが、そもそも彼女にはそんな権利もないのだ。


 それをよく知るからこそ、セノアは現状を受け入れて過ごしているのだろう。


 だが、彼女とリンダとでは決定的な違いがある。



「あなたは幸運よ。この世で一番怖ろしい存在に飼われるのですもの…私とは違うわ」



 リンダにはリンダの役目がある。それに従えば、少なくとも彼女の命は保証される。


 そして、ビッグの命も。


 それが魔人との契約なのだから。



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