544話 「戦罪者と対峙する者たち その8『アンチポイズン』」


 戦場は廻る、ぐるぐると廻る。




「フフフ、ははははは! クケケケッ!! いいっ―――眺め!! サイッコウですねぇえええ!」




 ぶわっ ブワワッ


 マングラス側で毒をばら撒いているハンベエが、歓喜の声を上げる。


 何の制限もなく毒を撒けるのだ。これほど楽しいことはない。


 しかも規制線の中で使った毒煙玉は、こうして彼らをおびき出すためのフェイクでもあった。


 そこではあえて毒は効かないと思わせることで安心と優越感を与え、無防備で毒のエリアに誘い込むことに成功した。


 相手がそれに気付いた頃には、時すでに遅し。


 被害が相当広がることになる。



「やはり殺すならば、人間が一番いい。魔獣ではつまらないですからね。ああ、いいですね…この顔。クカカカカ」



 ぶちゅ ぶちゅっ


 毒によって肉が溶け始めた兵士の顔を棒でつつくと、先っぽがずぶずぶと中に入っていく。


 この絶妙な柔らかさも、毒でしか生み出せないものだ。


 タンパク質が身体の構成要素である生物にはたいてい効くため、魔獣でも同じように効果を発揮するが、彼らは反応が乏しくて楽しさは半減するものだ。


 人間のように豊かな感情がないと、悶える顔も『美しくはない』のである。



 そう、美である。



 ハンベエにはハンベエの美意識が存在する。


 それが過ったもので他人の迷惑を伴うものであれ、独創的な『芸術家』という存在が、いちいち他人のことを考えるわけもない。


 彼は彼の思うまま、自由に自分を表現するのである。


 ただし芸術家である以上、見物客は必要だ。それを見て楽しむ人がいてこそ、芸術は芸術足りうる。


 ハンベエにとっては、それが雇い主だった。


 雇い主は彼に新たなインスピレーションを与えてくれる。自分だけではマンネリしてしまうので、気晴らしにもちょうどよいだろう。


 多くの雇い主は、彼の芸術の表現過程で死んでいった。


 ハンベエ自身が飽きたこともあるし、運悪く彼の芸術の肥やしになってしまった者もいる。


 彼が毒を使い続ける限り、身近な誰かが死なねばならないのだ。


 今だって他の戦罪者を巻き込まないように、独りだ。


 同じ毒を使うファテロナがそうであったように、彼はたった独りで生きることを常に強いられている。



 しかし、【あの男】は違う。



 アンシュラオンという存在は、自分がどうやっても殺すことができない。


 おそらく特殊毒を送り込んでも即座に分解して、さらなる巨大な毒素となって自分に襲いかかるだろう。


 アンシュラオン自身が世界にとっての毒素のようなものだ。


 自分程度が、たかだか人間ふぜいが勝てるわけがない。



 だからこそ―――美しい



 とても、美しい。



「フフフ、オヤジさんの道を作ってあげないといけませんねぇ。たくさんのお花畑を作って、アーチを掲げて、たっぷりたっぷり楽しく、顔色の悪いお首をいっぱい並べた愉快な道をねえええええ!! クケケケケケケケッ!!!」



 きっとそのお花畑は、紫色の綺麗な毒素の花道に違いない。


 アンシュラオンが満足するためならば、彼は毒を使って何千人もの人々を殺すだろう。


 しかし、毒が毒である以上、表が表である以上、その反対側の性質を持った存在が必ずいるのだ。


 世の中は表裏一体、表と裏、光と影によって際立つ仕組みになっているからだ。




 トコトコ トコトコ




 誰かが歩いてくる。


 ハンベエの周囲は、もはや死毒の空間。


 その中を歩ける生物はいない。アリ一匹、ノミ一匹、ダニ一匹存在しえない。


 ましてや人間がけっして立ち入ってはいけない領域となっている。


 だが、彼女は口を押さえることもなく、防毒マスクをするわけでもなく、ただただ普通に歩いてくる。



「おや、これはこれは。珍しいものが来ましたね」



 ハンベエが歩いてきた女性、ドクリンに視線を移す。


 彼女はすでにフードを取っており、顔はそのまま剥き出しになっている。


 見た目はそこそこ可愛らしい十代後半の少女であるが、普通の女性がこんな場所には来ないし、こうして歩いてこられるわけがない。



 キラキラキラッ



 ドクリンの身体から放出された輝く粒子が、空気中の毒を吸着し、分解中和することで周囲の色が元に戻っていく。



「すごい毒。私でもすぐに中和はしきれないわ」



 これだけの密度である。


 時間をかければ別だが、即座に中和は不可能だろう。


 それでも彼女の能力はハンベエの毒素の大部分を中和し、症状を和らげることに成功する。


 これくらいならば、武人でも目の痛みや嘔吐くらいで済むかもしれない。


 ハンベエが発している毒素は特殊毒なので、それすらも中和するとは恐るべき能力である。




「『アンチポイズン〈毒浄化者〉』ですか。いるんですよね、たまに。私の毒が効かない人がねぇ」




 ハンベエはドクリンを見ると、その能力の正体をすぐに見破る。


 彼の毒は広範囲に広がるため、結果的に何千人もの人々を殺すことになるが、全員が確実に死ぬわけではない。


 稀に毒に耐性を持つ者もいるし、さらにもっと珍しい場合は、毒自体を中和したり分解できる『酵素』を持った者がいる。


 それは先天的なものだったり、たまたま投与している薬の作用だったり、何かの成分が影響を及ぼすのだろう。



 そういった酵素を意図的に生み出し、使いこなすのが―――アンチポイズン〈毒浄化者〉と呼ばれる存在だ。



 毒にはさまざまな種類があるため、それぞれに得意分野は違うが、彼らは毒の治療や未開の大地の開拓(主に毒沼開拓や毒をもった魔獣対策)などには必須の存在といえる。


 ハンベエが戦罪者として起こした毒事件なども、彼らが地道に毒を研究して解毒したおかげで再び人が住めるようになるのだ。


 ハンベエは毒を生み出せるが中和はできないので、真逆の能力の持ち主であるといえる。



 ただ、ドクリンものは少しばかりやり方が違う。



「くんくん。この匂いは…なるほど。【カビ】ですね」



 ドクリンが発した粒子は、無味無臭ではない。


 常人にはわからないほど薄めてはいるが、鼻が良い人間が嗅げば「カビ臭い」と思うはずだ。


 それも当然。



 彼女から出ているものは【カビの胞子】である。



 バイラルがキノコの栽培をしていたことを覚えているだろうか。


 あれはマングラスが所有している特殊な菌類であり、人間に寄生して共生関係を生み出す生物だ。


 マングラスは一部ながらも『箱舟』の技術を得ているし、大災厄で情報が失われた他派閥が所有する秘宝の一部も見つけている。


 このカビも、本来はジングラスが保有していた菌類の一種で、その増殖力の強さから現物は存在せず、因子情報として封じられていたものである。


 ドクリンは、それを移植されて生み出された『カビ人間』だ。



 ずずず ずずずずずず



 記述はしていなかったが、ドクリンの目の下には大きな黒い『クマ』がある。


 メジャーリーガー等が反射避けに付ける「アイブラック」というものがあるが、あれに似た大きなクマがあった。


 よく二次元創作では、根暗や病弱等のキャラ付けで使われる安易な表現方法だが、彼女のものはそういった類のものではない。



 ドクリンの目の下のクマが広がっていき、顔を黒く埋め尽くす。



 外套を羽織っているので全身は見えないが、おそらく身体全部がカビに覆いつくされているだろう。


 そして、黒いカビが徐々に白くなっていくと同時に、より強い胞子を生み出して周囲の毒を『喰らって』いく。


 彼女が寄生させているものは『毒喰いカビ』と呼ばれるものの一種で、名の通り、毒を喰らって増殖する性質を持っている。



 毒は、彼女にとって栄養なのだ。



 中和作業そのものが食事にも似たものなので、これ自体はまったく苦ではない。


 この毒喰いカビの最大の長所は、毒の種類を問わないことだ。


 遺伝子操作によって、人間に適した大気状態が最適の生活環境と認識させているため、カビは常に清浄な空気を生み出そうとする。


 また、人体に無害であることがとりわけ重要だ。


 普通の人間の体内に入っても環境に馴染めずに死滅するので、毒のある場所でしか生きることができない。


 ドクリンも定期的に毒物を摂取することで彼らを養っているくらいだ。



 その努力もあって―――無敵。



 毒に対して彼女は無敵である。




「私の前で毒は無力。あんたの毒は効かないわ」


「すべて対策済み、というわけですか。あちらの彼も普通ではなさそうですねぇ」



 少し離れた場所ではカラスもおり、これ以上毒が広がらないように吸収と換気を続けていた。


 本来ならば、彼らはこの戦いに手を出さない予定だった。


 しかし、予定は変わった。



「よくも…よくも! グマシカ様が愛する市民を殺したな!!」



 突然ドクリンが激情。


 可憐な顔が憎悪と怒りに滲む。


 ハンベエたちが奇襲を仕掛けたことで、被害は予想以上に膨れ上がった。


 見物に訪れていたマングラス派閥の市民も、毒でかなりの人数が死亡あるいは意識不明の危篤状態に陥っている。


 武人でも死ぬような毒である。一般人ならば少しでも吸ってしまえば助からない。


 ドクリンが少し遅れたのは、彼らにカビを摂取させて延命措置を施していたからだ。


 だが、元凶を殺さない限り状況は変わらない。被害は出続ける。


 もう我慢の限界だったのだ。



「市民を守るようにと、セイリュウ様から言いつけられていたのに!! それはグマシカ様の意思なのに!! 守れなかった!! 守れなかった!!! 許さない!! 許さない!! 全部お前のせいだ!!」



 青劉隊の管理者であるセイリュウの言葉は、グマシカの意思に直結する。


 アンシュラオンと出会ったグマシカが言っていたように、あるいはセイリュウが最初に語っていたように、グマシカは都市の人々を愛している。


 だからこそマングラスが前面に出てまで、治安維持部隊の導入を決定したのだ。



 その市民が―――死んだ。



 毒で死んだ。


 それは毒対策のために派遣された彼女にとっては、完全なる失態である。


 何よりも『造物主』に対する申し訳ない気持ちで一杯になる。



「はぁはぁ!! グマシカ様…!! あの御方こそ、この世界を守る者!! あの人の意思こそが、私の意思なのに!! それをお前は…壊した!! 私とあの御方の絆を壊したのだ!! 許さない、許さない、ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ!!」


「あなた、自分では気付いていないようですけど、けっこう狂ってますよ。もしかして、マインドコントロールでも受けています? そのカビ、本当にあなたにとって有益ですか? 何か仕込まれているんじゃないんですかねぇ? 目も血走ってますし」



 初めて会うにもかかわらず、明らかに異常な忠誠心と狂信性が見て取れる。


 彼女の出自は不明だが、仮にマングラスの力を使って適応可能な一般人を選定したとしても、いきなり連れてこられた彼女がおとなしく従うわけもないだろう。


 普通の女性ならば怖くて動けなくなるだろうし、どこかに怯えの感情が残るはずだ。


 しかし、ドクリンにはそれがない。ただただグマシカへの崇敬と愛情の念しかないのだ。


 ならば、何かしらの手段をもちいて『精神制御』を行っている可能性が高い。



「あの御方の優しさも知らないくせに、好き勝手言う!! あの御方は、私に期待してくださっておられるのだ!! それがあれば、それだけがあれば私は生きていける!!」


「あー、なるほど。あのですね、裏スレイブの私が言うのもなんですが、人を動かす力は強さだけではないですよ。女性を動かすものは『優しさ』とも言いますからねぇ。まんまと乗せられて、可愛いものですねぇ」



 裏スレイブは強さを基準にするので、アンシュラオンがいくら横暴だろうが気にしない。


 強ければいいのだ。強さこそが重要なのだ。


 しかし、強さで動かない人間もいる。その多くが女性だ。


 彼女たちを丸め込むための方法の一つが『優しさ』であり、『共感』や『思いやり』である。


 よく結婚詐欺、今ならばロマンス詐欺とも言われるが、女性は優しさに弱いものだ。


 一度相手の影響力の中に囚われると、自力では正常な判断ができなくなる。その際にさまざまな思想を植え込まれて洗脳されてしまう。



 グマシカが子供の理由を考えたことがあるだろうか?



 傀儡者があれだけ狂っているのに、どうしてグマシカは博愛主義者のようなことを言うのだろうか。


 それこそ彼らが「あくどい」証拠であることに気付いた者が、いったいどれだけいるだろうか。


 人を水で融合するということは、懐柔することと同義である。


 愛らしい子供の見た目で優しさと強さを持ち、理念を持った者に惹かれるのは当然だ。


 なぜならば、そういうふうに『造られて』いるからだ。


 どんな手段で連れられてきても、グマシカの愛情(魅力)と、思った以上の高待遇を受ければ、若い女性ならばころっと騙されてしまうかもしれない。


 そのうえで精神制御を行えば、いくらだって忠誠心の強い『兵器』を生み出すことができる。



「クケケケッ! いやー、さすがですね! あなた方は本当に悪い!! 極悪だ!! オヤジさんが狙うわけです。ええ、ええ、好きですよ。そういうあくどい連中はね。だから私たちのような戦罪者が必要なんですからねぇ」


「きさまああああ!! あの御方を侮辱する者は、殺す!! コロスコロスコロス!!」



 しゅる しゅるり


 ドクリンが腰から二本のナイフを引き抜き、逆手に構える。


 毒さえ封じてしまえば、ハンベエの戦闘力は激減する。


 あとは肉弾戦で殺せばいいだけだ。



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