530話 「走れ、ソイドビッグ! その1」


 シィイイーーーーンッ



 狼煙が上がっても、事務所一帯は静まり返っていた。


 こちら側の盛り上がりとは完全に真逆の反応である。



「やっこさん、もう諦めたってか? つまらねぇな」


「相手は戦罪者です。そのような者たちではないでしょう」



 クロスライルとラブヘイアが、じっと事務所を見つめる。


 事務所に明かりは灯っておらず、月明かりだけがそのシルエットを映し出している。


 やはり反応はない。静寂だけが支配していた。



「たしかにな。戦罪者って野郎どもは、オレらと同じく壊れた連中だ。なら、こっちを油断させるための戦術ってことか」


「その可能性は高いでしょう」


「相手の数はどれくらいだっけ?」


「いろいろあって減ったそうですが、多少補充したとも聞いていますから、我々の半数程度だと思われます」


「普通にやりゃ楽勝だな。で、もう行っていいの?」


「そうしたいところではありますが…面子の問題もありますしね」



 ここはせっかく雇った殺し屋連中を前面に押し立てるのが普通の戦法である。


 そのために雇ったのだから、一番危険な任務を任せるのは当然のことだろう。


 だが、今回はラングラスの面子といった問題が関わっている。


 彼らが容赦なく蹂躙して終わるだけでは、なんとも味気ないものになってしまう。



「さて、あの兄さんはどうするかね」



 クロスライルだけではなく、人々の視線がビッグに集まる。


 ラングラスの代表として参戦している以上、彼の動向を確かめてから動くしかない。


 ちなみに作戦は特にない。


 メンバーの大半が銃でも武装しているので、射撃を行いながら包囲し、幹部の戦罪者が出てきたらクロスライルたちが叩く、といった程度だろうか。


 数でも質でも圧倒的優勢なので、無理に変な作戦を立てる必要がないのだ。




「ふー、ふーー、ふーーー」



 そのビッグは、緊張感の真っ只中にいた。


 自ら本番が弱いタイプと公言しているだけあって、圧力に押し潰されそうになっているようだ。


 ただし、それだけではない。


 彼の中には、アンシュラオンへの恐怖が宿っており、ホテルでの一件がどうしても頭をよぎるのだ。


 リンダが焼かれ、自身も腕や目を引きちぎられたことがトラウマとして蘇ってくる。


 一度大怪我をすると、再発を防止するためにリミッターを設けてしまうのが人間の防衛本能である。


 アンシュラオンに対抗することへの畏怖や忌避といったものが渦巻いているわけだ。


 人間が魔人に抵抗する潜在的な恐怖だ。こればかりはビッグを責めるわけにはいかない。



 彼は今、【種】としての限界に挑戦しようとしているのだから。



(怖ぇ、怖ぇぇよ、めっちゃ怖ぇ!!! なんだよ、これはよ! ふざけるな! 決めただろうが! 俺は戦うって決めただろうがよ!! はーーはーーー! ひーーふーーーー!)



 足がガクガクと震えている。


 周囲に悟られないように軽くステップを踏んで誤魔化しているが、がっくんがくん、ぶるんぶるん震えている。


 さらに過呼吸まで襲ってくるのだから、彼が決めた決意など簡単に揺らぐものだったのだ。


 これも責められない。


 いざ【自殺】しようとする人間が躊躇うのと同じことだ。


 それは正しい本能なのである。




 しかし、しかし、しかしながら、だがそれならばこそ―――





(俺は…俺は……!!! 負けられない!! みんなのために!! 家族のために!! 俺が育ったこの都市のために!! どんなに惨めでもよ! あがいてあがいて、あがいてやるのが人間なんだよ! それを見せてやるんだよ!! あんなやつに好き勝手されてたまるか!!)





 恐怖が―――怒りに変わる。




 人にはいくつか強い感情というものがある。


 一つは、恐怖。


 怖いという感情には誰もが囚われるものだが、これは自己放棄、あるいは自己犠牲という感情によって排除できる。


 もうどうなってもいいと自暴自棄になれば、恐怖という感情からは解き放たれる。


 次に来るのは、怒り。


 人の根源的な感情にして、恐怖とセットで訪れることが多いが、サナが最初に覚醒したことを思えば原初の感情の一つであるといえるだろう。


 怒り、怒り、怒り。


 どんなに恐怖を克服しても、怒りという感情だけは簡単に制御することはできない。


 悪への怒り、不正への怒り、無秩序への怒り、反故にされる怒り、ただただムカつくやつへの強烈な憤り!!!



 ふざけるな。


 ふざけるな。


 ふざけるな。



 あいつだけは。


 あいつだけは。


 あいつだけは。




 あいつだけはあああああああああああああああ!!







「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」







「ホワイトぉおおおおおおおおおおおおオオオオオオおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」







 ダンッ!!



 もぞもぞしていたビッグが、何を思ったか突然駆け出した。


 それは準備運動をしていたと思っていた選手が、スタートの合図も聞かずに飛び出した光景に似ている。


 いやいや、みんなで合わせて一緒に行くんじゃないの?


 そんな感じで周囲は完全に呆気に取られた結果、反応が遅れてしまった。




「うおおおおおおお!!」




 その間にもビッグは、すでに百メートル以上駆けていた。


 ただただ前を見て叫びながら必死に走っている。




「ぺっ、あの兄さん! いきなりそれはないだろう!」



 それを見たクロスライルは、思わずタバコを吐き出す。


 修羅場に慣れている彼とて、まさかいきなり全力で突っ込むとは思いもしなかったのだ。


 力に圧倒的な差があれば、JBのように単独での正面突破は大いにありえるが、はっきり言ってビッグにそこまでの力はないのだ。


 ならば、明らかに無謀ともいえる行動である。


 隣にいたラブヘイアも意外そうな顔で、その『奇行』を見つめていた。



「クロスライル、あなたが彼に何か言ったのですか?」


「『青年よ、突っ走れ』とは言ったぜ。だがそれってよ、普通は比喩だと思うだろう? 人生を真っ直ぐにがんばれ、とかに捉えるよな? オレはべつに敵陣に走れなんて言ってないぜ」


「たしかに真っ直ぐ走ってはいますがね…。真っ直ぐに受け取るとは純粋な人です。好意的ではありますが…」



 オブラートに包んではいるが、人はそれを『馬鹿』と呼ぶ。


 恐怖を克服するために激怒する必要があったのだろうが、それによって見境がなくなれば極めて危険である。



「カァアア!! 兄さんに死なれるとまずいぞ!! タバコの後味も悪くなる。追いかけるぜ!」


「いえ、あなたは少し様子を見ながら来てください」


「あ? どうしてだ?」


「あなたも感じているでしょう? これは『誘い』です。何かやってくる可能性があります」


「まっ、このままってことはありえねぇだろうな。じゃあ、あの兄さんはどうする?」


「私はあなたより速いですからね。彼の援護は私がしますよ。それよりJBの動きを見ていてください」


「お目付け役に徹しろってか。見せ場は残しておいてくれよ?」


「ええ、私は彼らを侮ってはいませんよ。なにせ、あの人の配下なのですからね」


「兄さんから高評価を受ける、そのホワイトってやつも楽しみだ」


「あなたは彼と気が合うかもしれませんね。それまでに殺されなければ、ですが」


「カカカカッ! そりゃ楽しみだ。じゃ、あっちの兄さんは任せたぜ」


「はい」



 ラブヘイアはビッグを追う。


 身体に風気をまとわせることで空気抵抗を減らしつつ、加速力に転換して一気に走っていく。


 これも風属性を操った戦気術で、風を得意とするラブヘイアには必須と呼べる技であろう。




「若頭!! お待ちを!!」



 クロスライルたちも焦ったが、もっとも驚いたのは、おそらくソイドファミリーの面々だろう。


 世間で怖れられるソイドファミリーの若頭だ。敵になめられることがあってはならないと思うのが普通であろう。


 だからといって単独で突撃するのは無謀である。中級構成員たちも、慌てて後を追う。



「俺たちもいくぞ!! 手柄を立てろ!!」


「うおおおお!!」


「やってやるぜええええ!」



 それに引きずられるように他のメンバーも駆け出す。


 全員が一直線に事務所に向かったものだから、縦長の隊列が自然と生まれてしまう。


 これを見れば、群れを率いるリーダーがいかに重要かがわかるだろう。


 不正問題で企業のトップが罰せられるのは、やはり影響力が強いからなのだ。


 アンシュラオンが率いれば特攻部隊となり、ビッグが率いれば『猪突猛進部隊』となる。


 そのあたりは若干似通っているのが不思議である。(二人とも指揮官には向いていない証拠)



 しかしまあ、包囲殲滅とは何だったのか。あまりにも無策である。


 数の暴力が圧倒的がゆえに、人は数がいると安心してしまう側面がある。


 これだけの全派閥の人間が集まり、万全の態勢においては何一つ怖れるものはない、という『幻想』が彼らを突き動かすのだ。




 ビッグが、ちょうど中間地点に到達した頃だろうか。




 パスパスパスッ パスパスパスッ



 事務所から銃撃。


 窓から数人の戦罪者が銃を出しているのが見えた。


 それ以外にも館には自動発射タイプの銃が備え付けられているようで、思った以上の銃弾が襲いかかってきた。


 ビッグはバズーカにすら耐えられる男だ。この備え付けのものは、軽く戦気を出しただけで簡単に防御可能である。



 ただし、射手を使ったものには【戦気】が宿っていた。



 パスンッ ギュルルル バンッ!!!



 アンシュラオンが放った銃弾を覚えているだろうか。


 言ってしまえば強めの空気銃である衛士の銃でも、戦気を加えるだけで威力が二倍にも三倍にも、五倍にも十倍にもなる。


 本来ならば有効射程距離は、せいぜいが百メートルといったところだろうが、戦気が宿った戦気銃弾は近代兵器の狙撃銃すら凌駕する。


 破壊の衝撃弾と化した銃弾が、一斉にビッグに放たれたのだ。



「おおおおおおお!! 銃くらいで、びびってたまるかよおおおおお!!」



 ビッグが戦気を放出。前面に防御の戦気壁を生み出す。


 ばしゅばしゅっ


 戦気壁が銃弾を受け止める。


 さすが戦罪者が撃った銃弾なので、まだまだ戦気術が拙いビッグではすべてを受け止めることは不可能だが、彼は肉体能力に優れる戦士である。


 何発か貫通したものがあれど、プロテクターのおかげで大きなダメージを負わずに済んでいた。


 だが、痛いものは痛い。



「ちっ!! 痛ぇな!! だけどよ、こんなもんじゃ、まだまだ足りないんだよ!! もっと、もっともっと痛みを与えてくれないと、俺の気が済まないんだよぉおおおおおおお!!」



 痛みは良薬である。


 こうして違うことに意識が向けば、それだけ恐怖を忘れることができる。


 それをさらに怒りに転換し、ビッグは銃弾を物ともせずに走り続ける。



 だが当然、これだけでは終わらない。




 足元が―――弾ける。




 ボンッ!!!



「っ―――!!!」



 ある一点を踏んだ瞬間に地面が盛り上がり、凄まじい圧力が下から上に放出される。



 【地雷】である。



 西側には対人地雷も存在するが、東側大陸ではまだ普及していないので、大納魔射津を使ったお手製の地雷を用意したのだ。


 本来の大納魔射津はスイッチ式であるが、あれは誤爆を防ぐための安全装置でもあるので、剥き出しのジュエルにしてやれば圧力をかけただけで爆発する。


 幼い子供が踏んだくらいならば大丈夫かもしれないが、こんな大男が全力で踏みつければ、いとも簡単に爆発するだろう。



(こんなもの、いつの間に! 昼間はなかったはずだぞ!)



 昼間は、かなり事務所に近いエリアにまで信者たちが入り込んでいた。


 マングラスの兵士たちも取締りの際にはズカズカ入ったので、もし地雷などがあれば誰かが犠牲になっているはずだ。


 兵士以前に信者が吹っ飛んでしかるべきだろう。


 昼間から夜までの間、規制線が張られてずっと監視されていたので、こんなものを埋める余裕などなかったはずだ。


 しかし、いくら議論をしても文句を言っても、あるものは仕方ない。


 ここには地雷があり、それを踏んでしまったのだ。その事実は変わらない。



 が、ビッグは一瞬だけ動きを鈍らせたものの、止まらない。




 地雷が爆発するのを待たずに―――突っ走る!!




 ボオオオオーーンッ!!



「ぐううっ!!」



 武人が走る速度は相当なものだ。


 踏んでから爆発するまでの刹那には、この鈍重なビッグでさえ五メートル以上は移動している。


 背中に激しい爆風を感じてバランスを崩したが、直撃を避けることはできた。



 パスパスパスッ ぎゅるるる ドンッ!!



 避けた直後にも銃撃は続いている。


 一直線に走ってくるので狙いやすく、次々と弾丸が当たるが、彼はまったく怯まなかった。



 ただただ走る。



 全力で走る。駆け抜ける。



 地雷があっても速度を落とさずに走るので、結果的に致命傷を受けることはなかった。


 もちろん、がむしゃらに走っているだけが無事である要因ではない。



(危なかった。あの【体験】がなければ、足を持っていかれるところだったぜ!)



 実際、ビッグは冷や汗を掻いていた。


 今までの彼ならば防ぐことはできず、まとう戦気も不十分で、足の指を何本か吹っ飛ばされて動きが鈍っていたはずだった。



 だが、あの体験―――アンシュラオンとの戦いが生きる。



 アンシュラオンが床に張った氷で、すっ転んだ経験があったからこそ、足元にまで注意が向いたのだ。



(ホワイトは最低のクソ野郎だが、強い! 武人としては最強だ! ちくしょう! あいつに助けられるとはよ!!! ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!!!)



 弄ばれた経験は、極めて不愉快で憎らしいものである。


 思い出すだけでも、なさけなくて泣きたくなる。


 しかし、アンシュラオンは覇王の弟子だ。


 彼と敵対して生き残るほうが稀であり、その高等技術を間近で体験できることは幸せなことなのだ。


 幾多の武人が憧れる体験をビッグはしているわけである。それが彼を鍛えたのだ。


 おそらくこの銃撃は視線を前方に集中させるためのものだろう。その状況で地雷にまで対処するのは難しいはずだ。


 こうして生き延びられたには、ほかならぬアンシュラオン先生のおかげなのだ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー