527話 「最終勧告 その3」


 信者たちを排除した事務所周辺には規制線が張られ、一般人どころか衛士隊すら立ち入り禁止になる。


 その代わりにマングラスの治安維持部隊が駐留することになったが、彼らもその中には入らない。


 中に入れるのは、ただ一人だけだ。



「では、最終勧告に行ってくる」


「護衛を付けます」


「いや、必要ない。一人で十分だ」


「凶暴な戦罪者たちがいるのですよ。もし何かあったら…」


「かまわないのだ。どうせやつらが本気で暴れたら、君たちでは太刀打ちできない。無駄な犠牲が出るだけだ。犠牲になるのは私一人でいいのだ」


「筆頭監査官殿…さすがです。しかし、何かあったら合図をください。すぐに駆けつけます」


「ありがとう。その気持ちだけで嬉しいものだ」



 レブファトはシミトテッカーが裏切っても、けっしてマングラスを裏切らなかった。


 その忠誠心が評価され昇進したのだから、周りの者たちも「高潔な人物」「義理堅い人物」と思っているだろう。


 実際にレブファトはマングラスの中でも職務に忠実で、組織に忠誠を誓っている者の一人だ。


 今回の最終勧告の立役者に選ばれたのも、前回の脅しや懐柔に乗らなかったことが評価されてのことでもある。


 彼から始まったマングラスの介入なのだから、彼で締めるのは筋というものだろう。



 レブファトは、誰もいなくなった敷地に足を踏み入れる。



 一歩、また一歩。



 完璧な歩幅を維持しつつ、淀みなく進む後姿は自信と誇りに満ちていた。


 後ろにはマングラスの『龍旗りゅうき』がある。


 地上部だけでもこれだけの権威と武力を持ち、なおかつ地下にはあの傀儡士やグマシカもいる。


 レブファトたちは傀儡士のことは知らないが、グラス・ギースにいる者たちがマングラスに恐怖を感じるのは、彼らの存在を無意識に感じているからだろう。


 目に見えないからこそ怖く感じる。


 その恐怖から逃れる方法は、たった一つだ。



 自らもマングラスになることである。



 マングラス派閥に入ってしまえば、粛清という恐怖に怯えなければならないが、おとなしくしていれば巨大な力に守られることになる。


 長い物には巻かれるべきだ。レブファトがやってきたことは、すべて正しく、マングラスに反するものは何一つなかった。




 唯一、【あのこと】だけを除けば。




 レブファトが事務所にたどり着くと、触れる前に扉が開いた。


 特に見張りが外にいるわけではないが、『彼ら』には自分の動きなど筒抜けなのだろう。



 ザッ


 中に足を踏み入れる。



 バタン


 ドアが閉められる。




 次の瞬間―――レブファトが膝をつく。




「はーー、はーーー!!」




 その顔には汗が大量に流れており、顔色も悪い。


 後ろにいたマングラスの人間には、さぞや立派な姿に見えたのかもしれないが、前方から見たレブファトの顔は、まるで死人のように暗かった。


 歩くたびに足が重くなり、事務所までが非常に遠く感じる。


 この五百メートルは、彼にとって数十キロの旅路に匹敵したのだ。



「どうしました? 汗でびっしょりですねぇ。マラソンでもしてきたのですか?」



 出迎えたのは、戦罪者のハンベエ。


 仮面を被っているので表情はわからないが、薄ら笑いを浮かべていることはすぐにわかる。



「よくもそんなに悠長にしていられるな…! お前たちは!!」


「まあまあ、そんなに感情的にならないでください。さあ、どうぞ。落ち着いて話し合いましょうか」



 さきほど班長に対して言った台詞を、そのまま返される。


 このあたりもなんとも皮肉だ。


 あの時もっとも感情的だったのは班長ではなく、実はレブファトだったのだ。


 内心では激しい葛藤に襲われていたのだが、長年の技術と経験でかろうじて表には出さないでいたのだ。


 しかし、ここに入った途端に、堰を切ったように感情が押し寄せてきた。



 ついに『その日』がやってきたからだ。




「話し合うことなど…もうないだろう! お前たちは終わりだぞ!! 今夜、今夜だ!! 今夜、ここが襲撃される…!! いや、こちらから見たら【粛清】するんだ。制圧ではない。制裁だ! 排除だ! それがわかっているのか!!?」


「ようやくその気になってくれましたか。楽しそうですねぇ」


「うっせぇぞ、ハンベエ。なに騒いでやがる!」



 玄関口で騒いでいたので、それを聞きつけてヤキチたちがやってきた。


 ヤキチ、マサゴロウ、マタゾーといった幹部に加え、他の戦罪者の姿も見える。


 こちらも若干懐かしく感じるが、プライリーラとの戦いからさほど日数は経っていないので、彼らにも変化はほとんどない。


 だが、状況は一気に変わろうとしている。



「誰だ、こいつ?」


「レブファトさんです。マングラスの監査官殿ですよ」


「ああん? なんだそりゃ? そんなやつ、いたかぁ?」


「まあ、知らなくてもいいことですよ。それより今夜、歓迎があるみたいですねぇ」


「はっ、ようやくかよ。待ちわびたぜ」


「貴様ら…!! なんでそんなに平然としていられる!! 殺されるぞ!! それとも勝てるのか!! お前たちは、あの怖ろしい者たちに勝てるのか!?」



 レブファトは筆頭監査官になった際、セイリュウと会うことができた。


 地位が組長クラスになったことと、昨今グラス・ギースが揺れていることもあり、セイリュウが組織内の結束を強化するために招集をかけたのだ。


 レブファトもグマシカを捜せと言われていたので、ここぞとばかりに参加したのだが―――



「あれは…人間じゃない! げほっごほっ…あれは……逆らってはいけないものだ!!」



 凍り付いたのは、レブファトの心のほうだった。


 対峙しただけで彼の圧倒的な強さ、その中に眠るものへの畏怖を感じるのだ。


 今でも思い出せば、喉が詰まるような息苦しさを感じる。こうして呼吸が苦しくなるほどに。


 ただ、恐怖の感情のほうが強かったため、彼の翻意にセイリュウが気付かなかったことが唯一の幸いだろうか。


 レブファトは悟った。


 マングラスに逆らってはいけないのだと。



「逆らえば殺される! それだけでは済まない!! 人としての尊厳すら失う!!」


「それは楽しみでござるな」



 ゴンッ


 右目に眼帯をしたマタゾーが、肌身離さず持っている槍で床を叩く。


 アーブスラットとの戦いで、彼は右手と右目に大きな損傷を負った。


 右手は人差し指が完全には動かないので、それだけでもかなりのマイナスだが、特に目のほうが問題だった。


 命気の力は凄まじく眼球は再生したものの、視神経に負ったダメージが大きくて右目の視力が大幅に低下してしまった。


 日常生活に支障はないものの、実戦の高速戦闘には対応できないレベルだったため、彼は自らの目を―――抉った。


 その時の台詞は、「戦いに使えぬのならば必要ない」であった。


 むしろ逆に、少し見えてしまうことが隙になると考えたのだ。そこに頼ってしまう心があれば、超一流の武人には対抗できない。


 彼が実力で数段上のアーブスラットに立ち向かえたのは、決死の覚悟があったからだ。


 それを持続させるためには、多少程度しか見えない目は不要である。



「それは朗報だ。思いきり暴れられる。最近は戦いも減っていたからな」



 マサゴロウもマタゾーの意見に賛成だ。


 ヤキチは言わずもがな。すでにポン刀の手入れを開始していた。



 レブファトにはそれが―――信じられない。




「なぜ楽しめる! なぜお前たちは【興奮】できる!!」




 ドキドキしている。ワクワクしている。


 夜にプレゼントを持ったサンタさんがやってくると聞いた子供のように興奮している。


 ルアンという子供がいるレブファトには、本気で楽しんでいる雰囲気が、ありありとわかるのだ。



「そりゃ興奮しますよ。だって私たちは、そのために生きているんですからねぇ。どうして戦罪者になったと思います? とことん戦って死ぬためですよ」


「くっ!! 狂人どもが!!」


「ありきたりな台詞ですね。こちらのことはおかまいなく。あなたはオヤジさんのためだけに動けばいいのです」


「そのホワイトも、もういないだろう! お前たちが死ぬのはいい! だが、ルアンまで巻き込むな!! もうホワイトは終わりなんだ!」


「それ、本気で言ってます?」


「あいつは収監砦に入った。やつにとってはたいしたことではないのかもしれないが、状況は悪い方向に向かっている! マングラスが本気になれば、あの男とて無事では済まないぞ!!」


「ふふふ」


「ははは」


「くくく」



 レブファトの言葉を聞いた戦罪者たちが、笑う。


 その笑い方は、無知なる者をあざけり笑うものであった。



「なんだ? なぜ笑っていられる…!」



 レブファトには、戦罪者の感性など理解できない。


 自分にとって重要なのは、アンシュラオンが負けてしまえばルアンの身も危うくなるということだ。


 もし自分がホワイト商会と結託していると疑われれば、セイリュウは容赦なく粛清するだろう。


 その際、息子を人質に取られていた、という言い訳など通用しない。


 妻と息子ともども処刑される。人としての尊厳を失った姿になって。


 それが怖くて怖くてたまらないのだ。もし戦罪者の一人でも口を割れば、その段階で自分も終わるのだから必死だ。



 しかし、戦罪者は笑う。


 それが無知だと笑うのだ。



「なんでぇ、学のありそうな面してやがるからよぉ、もっと利口なのかと思ったがよぉ、おらぁより馬鹿じゃねえか」



 ヤキチがポン刀に打ち粉(ポンポンするやつ)を付けながら、にやりと口を歪める。



「なんだと…? どういうことだ?」


「てめぇは何もわかってねぇな。オヤジのことをまったく理解してねぇ。ありゃぁな、人間じゃねえんだよ」


「マングラスの……セイリュウたちとて同じことだ」


「ぎゃははは!! 本当にわかってねぇな、おい!! おらぁたちだってよ、そこそこグラス・ギースにいるんだ。マングラスのヤバイ雰囲気は感じてるさ。だがよ、【格】が違うのさ」


「格…だと?」


「そうだ、格だ。おらぁたちからすりゃよ、大型魔獣は強く見えるぜぇ。殲滅級の魔獣だって怪物だぁ。だからわかりにくいんだ。てめぇが見たセイリュウって野郎は、たしかに怪物かもしれねぇがよ、オヤジは…それすら超える怪物なのさ」


「実際に見ていないから、そう言えるのだ!」


「わかんねぇやつだな、てめぇも」


「武人でなき者には、真実は見えぬということでござろう。レブファト殿、御身とご子息が可愛ければ、オヤジ殿を裏切らぬことでござるな。それが拙僧ができる最後の助言でござるよ」


「信じていいのか? お前たちを…ホワイトを? この状況で?」


「覚悟とは、平時においては何の意味も成さぬもの。極限でこそ試されるものよ。どうするかは貴殿が選ぶものなれど、武人として生きてきた拙僧らにはわかるのでござる。ゆえに一つ忠告をしよう。オヤジ殿を『本気』にさせてはならぬ」


「本気? どういう意味だ?」


「思い通りにならねば、短気なオヤジ殿は怒るであろう。欲しいものが手に入らなくても怒る御仁よ。大切なものが傷ついても怒るであろう」


「それは…そうだろうが……普通のことではないのか?」


「だが、それらは『人としての怒り』でござる。その状況ならば、まだよし。まだ化けの皮が剥がれていないでござる。しかし、けっして、けっして、それ以上にはいかぬように心がけるべきでござろう。オヤジ殿の本質は『破壊の権化』。もし最悪なことになれば…都市が消えるどころでは済まぬ」


「そうそう、オヤジは怖いよなぁあ! ぎゃはははは!!」


「ええ、あの人が本気になったら私でもチビりますねぇ。まっ、チビる前に死にますけど。クケケケ」


「オヤジは…強いというレベルではない。虫は…けっして大地には勝てない。天にも届かない。それが事実だ」



(死を前にして強がっているのか? それとも本当に狂っているのか? だが、なんだこいつらの目は。なんて…真っ直ぐな目をしているのだ)



 長年多くの人間を見てきた。


 嘘をつく人間、矮小な人間、弱い人間、儚い人間、さまざまな感情を見てきた。


 だからこそ、その人間が今どんな状況にあって、どういう腹積もりなのかがわかるようになった。



 そんなレブファトの瞳に映ったのは―――少年。



 恐竜を見て「わぁ、なんてすごいんだろう! こんなのがいたら、人間なんて簡単に食われちゃうね!!」と、博物館ではしゃぐ子供のような姿。


 強さへの絶対の憧憬。信頼。親しみ。


 ソイドビッグが持っている人としての恐怖心とはまったく違う、ただただ強さに憧れる者たちが、そこにはいた。


 そんな彼らは嘘などつかない。強さに関しては子供のように純心なのだ。



「さあ、もう戻ったほうがいいでしょう。これ以上は怪しまれます。…いいですか、くれぐれもご心配なく。私たちが今夜全員死んでも、肩の荷が下りてせいせいしたといった顔で過ごしてください。けっしてこちらの味方をしないように。あなたはあなたの役割を果たしてくださいねぇ。オヤジさんは、ああ見えて約束を違えない人です。見返りは相当なものになるはずですからねぇ」


「理解は…できないということか」


「そのほうが賢明です。あなたも私たちも、所詮は脆弱な人間なのですから。仮にどちらに転ぼうが、あなたには損はない。そうでしょう?」


「…わかった。私は…お前たちを見捨てる」


「最初からそう言ってんだろうがぁ。インテリってやつらは面倒くせぇな」


「ふっ、お前のように馬鹿ではないからだろうさ」


「うるせぇな、マサゴロウ!! てめぇだって馬鹿だろうが!!」


「否定はしない。馬鹿のほうが人生は面白いからな」


「では、さようなら。ごきげんよう」




 バタン



 扉は閉められた。


 この瞬間レブファトは、もう理解はし合えないのだということを理解した。


 彼は再び偽りの顔に戻ると、厳かな態度で陣営に戻っていく。



 今夜、彼らは死ぬのだ。



 自ら望んで死にゆく人々にかける言葉を、レブファトは持ち合わせていなかった。


 持ち合わせないのが普通の人生。そのほうが良い人生なのであると信じて。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー