520話 「ソイドビッグの思想 その2」


 ソイドビッグが、JBを力づくで押さえつけ、マキに土下座させる。


 それが詫びる人間の正しい姿勢だからだ。



「ぬぐうううう!! ぬううう!」



 当然JBは抵抗するのだが、頭がまったく上がらない。


 さりげなく紐を大地に打ち付けて引っ張ってもいるのだが、それでも身体は動かない。


 それ以上にビッグの力が強いのだ。


 それどころかますます力は強くなってくる。



「ほら、しっかり謝れ。詫びて許してもらえるうちに詫びたほうがいいんだぜ。今は恥に思えるかもしれないが、最終的にはそっちのほうが楽なんだからよ」



 豚君にしては、なかなか立派なことを言う。


 ソイドダディーやグリモフスキーもそうだが、彼らは案外真面目な人間である。


 筋道を大事にするのは筋者全般にいえることだが、とりわけラングラスの人間は筋を大事にする傾向にあるようだ。


 おそらくは全派閥の中で一番下である期間が長いため、他者との軋轢を極力避けてきたからだと思われる。


 その分だけ苦汁も味わってきただろう。ラングラスもなかなか大変である。


 そのせいで他者からは侮られる一方、そこまで毛嫌いされることにはならなかった。


 これも生き延びるための術なのである。



 ぐぐぐぐっ


 ずりりりりっ



 駄目だ。やはり抵抗できない。


 JBの頭は大地にこすり付けられる。



「ぐうううう!! なぜ…なぜぇえええ!」


「なぜって、お前が暴れたからだろうが。姐さん、ほんとすみません。こいつもこうして謝っているんで許してやってください」


「あっ…いえ……はい」



 マキも呆然とビッグを見つめる。


 実際に戦った彼女だからこそ、今彼がやっていることの凄さがわかるのだ。




 ビッグが―――輝いている




 その佇まいやら全体の雰囲気からしても、明らかに今までとは違う。


 顔も自信に満ち溢れている。誇り高さに満ちている。


 うそやだカッコイイ。


 ビッグさんったら、いったいぜんたいどうしちゃったのかしら?


 「あらあら奥さん、おたくのビッグさん、最近逞しくなっちゃって。いい男になったじゃないの」


 「いえいえ、それほどでも。まだまだ馬鹿なんですよ」


 「馬鹿なのは仕方ないわよ。でも、ほんといい男になったわねぇ」


 という会話が聴こえてきそうだ。


 近隣のお歳を召したお姉様方(60歳以上)に色目を使われるのは若干つらいものがあるが、そう言われればまんざらでもない気持ちになるのが男というものだ。



(あれ? 俺ってカッコイイんじゃないか? みんなも見てるしな。いやー、これが天賦の才ってやつか? やっぱり無意識のうちにキメちゃうんだよな。ダディーやリンダにも見せてやりたかったなぁ)



 周囲の「どよめいた視線」が自分に集中しているため、当人も何やら自画自賛を始めている。


 この男は何を勘違いしているのだろう。非常にイラっとするし、殴ってやりたくもなるが、JBを押さえ込んでいることは事実だ。


 我々は夢でも見ているのだろうか?


 集団幻覚や集団ヒステリーといった類のものに陥っているのだろうか。


 否。



 これは現実だ。



 ただし現実ではあるが、しっかりとした【理由】がある。


 このままではJBの雑魚臭が増大して、この後の展開に支障が出かねないので、しっかりと補足説明をしておかねばなるまい。




(彼の実力は、私の十分の一以下。それに間違いはない)



 頭を押さえつけられながらも、JBは武人としてビッグの力量を再測定していた。


 結果は、やはり格下。相当な格下。


 ぶっちゃけレクタウニードスの一頭にさえ劣るレベルだろう。


 もしソイドビッグが、あのセイウチの群れに囲まれたら死亡確定だ。


 それを単独で突破したのだから、やはりJBは強い。間違いなく強いのだ。



(…ということは、別の問題が発生している。…この感覚は……【思想が外に漏れている】のですか? 編み直す際に力を放出しすぎましたね)



 JBの本体である『ストリング・エバーマインド〈救済思想の組紐〉』は、その名の通りに持ち主の【思想】を動力源にしている。


 思想が尽きない限り、エバーマインドが活動を止めることはない、というわけだ。



 重要なことは、思想が力を与える、という点である。



 JBがエバーマインドの力を使って肉体の再生をした際、今までより強い力の放出が起こった。


 この星は、精神エネルギーが実際の力になりやすい大気に包まれている。


 意志が力として伝播しやすく簡単に周りに影響を与えるから、戦気というものも容易に出せるのだ。


 もともとがこうした状況下にある中で、JBが普通とは違う力を使ったため、力が伝播して周囲一帯に特殊なフィールドが形成されることになった。




―――『より思想が強い者が、より強い力を得る』




 という特殊な『領域』を。



 この『領域』というものは珍しいものではなく、精神の具現化が引き起こす物理現象全般を指す。


 たとえばアンシュラオンが生み出す王気も『領域』の一つであり、精神エネルギーの具現化によってさまざまな物的な現象を引き起こしている。


 サナに感情が宿ったのもアンシュラオンの王気のおかげだ。それが刺激や起爆剤となって、これだけの成長に繋がったのである。


 JBがやったことも同じようなものといえるだろう。ただし無意識かつ、王気より何千倍も下位のものである、という注釈付きではあるが。


 今までJBの内部でしか発動していなかったものが、彼の半径数メートルといった範囲に展開された、といえばわかりやすいだろうか。



 このことからJBは普段からしばしば、こういった現象を引き起こしていると考えたほうがいいだろう。


 彼も完全にエバーマインドの力を使いこなしているわけではない。力の流出があってもおかしくはないのだ。


 これも普段ならば特段の影響を与えるものではないのだろう。


 彼自身の信仰心は他者のものを遙かに超えており、思い込みとはいえ彼の思想を上回る者などそう簡単には存在しないものだ。


 実際、目の前にいるマキには影響を与えていない。


 JBの思想のほうが強いからだ。その心が、想いが強いからだ。


 この場は彼だけの領域。絶対不可侵の聖域である。



 だが、そんな彼にも誤算が一つだけあった。




(まさか、このような不信心者…いや、【馬鹿】がいるとは…! この男、まったく何も理解しようとしていない…! 目の前のことしか見ていない!!)




 この場でもっとも力を持つ者は、より強い思想を持つ者。


 JBが力で負けているということは、思想の力でソイドビッグに負けていることを示してもいるのだ。


 そんな馬鹿な。信仰心だけが取り柄のJBが、肝心の思想で負けたら何も残らないじゃないか。


 そう思うのも仕方ないのだが、起こっていることが現実なのだから受け入れるしかない。


 当たり前だが、ビッグはネイジアの思想を理解していない。


 そもそもネイジアの思想自体がよくわからない。


 説明もないし、説明されたとしても怪しいカルト集団の言葉など支離滅裂なのが相場である。


 その意味で誰もがビッグと同じなのだが、それ以前の問題として、ビッグに思想を受け入れるだけの頭脳がないのだ。



 つまりは―――【馬鹿】である。



 ソイドファミリー自体が、頭の良いグループではない武闘派組織だ。


 その中でもさらに頭の悪い部類に入るので、霊的なことなどまったく何も考えずに生きてきた。


 考えているのは、今日の仕事をこなすこと、生物としての欲求を満たす(食べる、寝る、生殖する)こと。


 ただそれだけだ。


 まったくもって動物的で即物的。世の中がどんな仕組みで動いているかとか、為替相場がどうとか地価がどうかなど、考えたことは一度たりともないだろう。


 JBは危ない男ではあるものの、霊的な側面を考えることが重要なのは事実だ。


 即物的な人間よりも、人の成り立ちや未来の在り方を考える人間のほうが優れている




―――という【幻想】に惑わされてはいけない。




 たしかに宗教的なこと、あるいは神のことについて考えるのは重要ではあるが、誤った認識を持った者は、逆に進化から取り残されることがある。


 こういった怪しい宗教団体こそが、その象徴的な存在といえるだろう。


 彼らは一見すれば霊的な側面に興味を示したようではあるものの、元来の人間性に著しい問題があるため、すべてのことが逆効果になっている。


 たとえ話としてはリアルだが、宗教勧誘に応じてみて「これを信じて何かメリットがあるんですか?」と訊いたところ「死後、死体が柔らかくなります」と真顔で言われて絶句したこともしばしばあるだろう。


 いったいそれが何のメリットになるのだろう。

 

 せめて億単位の財産が手に入りますよ、と言われたほうが現実的である。(それはそれで危ないが)


 まさに無意味。無価値。むしろやらないほうがよかった状態に陥っているわけだ。



「あんたさ、さっきからよくわからねぇことばかり言っているけどさ。そろそろ働け? な? 今は収穫期だから俺のところで雇ってやるよ。うちも余裕がないから日雇いだけどな。それで我慢しとけ。日雇いとはいえ親御さんは喜ぶぜ」


「なぜ…あなたは信じないのですか…!? こんなに素晴らしいものを! どうして!」


「いやだからさ、意味ないだろう? 人様に迷惑をかけて宣伝したって、いったい誰が喜ぶってんだ。それより麻薬のほうがいいぜ。人の痛みを和らげてくれるからな」


「そんなものに溺れては、人は堕落するのみ! 惰弱で脆弱になるのみでありましょう!」


「ん? まあな。そりゃ堅気の皆さんからはよ、いろいろ言われるぜ。俺たちが風紀を乱しているとか、堕落させているとかよ。それは否定しないさ。そんなに立派に生きちゃいねぇからよ。だが俺には忘れられないことがあるんだ。一度よ、マジでお礼を言われたことがあるんだ。『おじいさんが痛みなく死ねました。ありがとうございます』ってな。…俺みたいな半端者によ、お礼を言ってくれるんだぜ。ありゃぁ…泣いたな」



 ビッグとて、自分が何をやっているかくらいはわかっている。


 コシノシンだけが使われればいいが、質の悪い麻薬が娯楽目的で流通していることも理解している。


 そのことについては反省もしているし、アンシュラオンに会ってから自分なりに真剣に考えたこともある。


 それでも自分自身に誇りを取り戻せたのは、たった一人の老婆の何気ない言葉であった。


 彼らはコシシケ畑の近くで農業を営んでいる年配の夫婦であり、たまたま持ち合わせがあったから麻薬を渡しただけだが、それによって人を救うことができたのだ。


 医療技術が発達していないグラス・ギースにおいて、いや、仮に発達したとしても一般人は自分で痛みを抑えることができない。


 ならば、やはり医療麻薬は必要なのだ。


 今まで迷っていたビッグを救い、道を示してくれたのは、ありがたいお経でもなければ水でもない。


 何気ない心からのお礼の一言であった。



「さぞや立派なお考えなのかもしれねぇが、それで誰かを無理やり押さえつけるようなやり方をしてりゃ、いつか嫌われちまうぜ。って、今あんたを押さえている俺が言うことでもないけどよ」


「ぬううううっ! ネイジアよ!! なぜ、なぜ私より、このような愚かな者を選ぶのですか!!! なぜえええ!!」



 『ストリング・エバーマインド〈救済思想の組紐〉』が、ビッグに力を与えている。


 それは石に「選ばれている」ということでもある。



 なぜならば、それもまた【思想】。



 ビッグの、「そういったものには関わらないが、毎日をしっかり真面目に自分なりに生きる」という愚直な考えも、また同様に立派な思想として認められているからだ。



 神は、愛だ。


 愛は、正義だ。


 その本質は、真理だ。



 真理とは、あーだこーだ理屈を並べ立てるものではなく、感じ、実践するものなのである。


 口先ばかりで何も理解していない者よりも、たとえ動物的であれ、誰かの役に立ちたいと願う馬鹿な男のほうが【神に選ばれる】のだ。


 これまた、なんとも皮肉な話である。


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