519話 「ソイドビッグの思想 その1」


 マキに伸ばされたJBの腕を掴む。


 この異様な状況下で平然とそれができること自体、極めて特異な存在といえるだろう。



 その人物は―――ソイドビッグ



 ソイドファミリーの嫡男にして、ラングラス本家筋の正統後継者の血筋にある男だ。


 だが、馬鹿である。


 物事をあまり深く考えない癖があり、立派に振る舞おうとすればするほど失敗して、沼にはまっていくタイプだ。


 なるほど。


 たしかに彼ならば、その場の空気も読まずに動けるかもしれない。


 では、まだ門も開いていない時間帯に、どうしてここにいるかといえば、その姿を見ればだいたいの想像がつくだろうか。



 麦藁帽子に作業着姿。



 アメリカでトウモロコシでも作っていそうな姿である。


 サイズが微妙に合わないのか、妙にパンパンな様子もなんだか似合っている。(実際は大半が筋肉なので肥満体ではない)



「これから朝の労働が待っているんだが…こいつはどういうこった? 何の騒ぎだよ」



 【農家】の朝は早い。


 ソイドファミリーの収入源は、麻薬だ。


 今は派閥そのものが大変な時期ではあるが、かといって仕事を疎かにするわけにもいかない。


 前にアンシュラオンに言っていたように、第二期、第三期の収穫の時期なのである。


 ソイドビッグの担当は栽培であるため、こうして畑仕事に精を出すのが彼の日常なのだ。


 畑は第三城壁内部にあるので、その間に雇った殺し屋集団が来ても対応できると考えたから、こうして悠長に畑仕事ができるわけだ。


 ただ、まさか目の前の男がその一人とは、まだ気付いていないようだ。



 いるのは、裸でマキに迫る怪しい男である。



 怪しい。怪しすぎる。


 作業着で畑仕事をするソイドビッグよりも怪しい。



「あんた、誰だ? 何の用だよ」


「私はネイジアの使者。あなたがたに愛を教えに来ました」


「…は?」



 JBの口調が変わっている。


 実はJBの本体は肉体ではなく、すでに述べたように『ストリング・エバーマインド〈救済思想の組紐〉』である。


 だいたい察しているとは思うが、これが何かは後述するとして、JBの身体、脳みそなどは部品にすぎない。


 あくまで本体から出た思想を表現する媒体(器官)にすぎないのだ。


 なので、新しく生まれた状態では何も染まっていない『素の状態』として出力される。


 基本のフォーマットは「丁寧な物腰の宣教師」のように設定されているため、話し方もそれに準じたものになるのである。


 逆に今までのJBの話し方は、彼が生まれて数十年という間に培われた経験がベースになっている人格といえる。


 それだけ荒っぽい場所で酷使されたので、プリンターのヘッドに変な癖が付いた、というわけだ。


 といっても出力の仕方が変わっただけで、中身が変わったわけではないので注意が必要である。



「私はあなたたちに愛を…愛を教えに来たのです!! 偉大なるネイジアの愛を!!」


「愛って……あんた…裸で?」


「本物の愛はどこにあるのですか? 服には無い!!」


「いやでも…裸で愛を説くのはよ…ちょっと問題があるんじゃ……」


「何の問題がありましょうか! 愛は、愛はここにあるのです! このハートの中に!! ここに、ここにです!! 見えますか!! 見えますね!! さすがです!!」


「あ…はい。なるほど」



 ここでも「なるほど」である。


 ついにソイドビッグが使うまでになってしまった。


 それだけJBが【(頭が)危ない】ことがすぐにわかったのだ。



 そして、そうとわかれば対応は簡単だ。



「お帰りはあちらです」



 ソイドビッグが南門の方角を指差す。


 宗教勧誘に対して極めて正しい対応をしたのである。


 これに関して彼は正しい。全面的に正しい。ぜひすぐに帰っていただきたいものだ。



「いえいえ、お話だけでも」


「いえいえ、おかまいなく。お帰りはあちらです」


「いえいえいえ、時間はたっぷりありますから」


「いえいえいえ、どうぞご遠慮ください」


「いえいえいえ」


「いえいえいえ」



 だが、頭のおかしいやつほど、しつこい。


 互いに譲らない状況に陥るのは必然だろうか。



「いえいえいえ」


「いえいえいえ」


「いえいえいえ!!」


「いえいえいえ!!」


「いえいえいえ!! いえいえいえ!!」


「いえいえいえ!! いえいえいえ!! いえいえいえ!!」


「いえいえいえ!! いえいえいえ!! いえいえいえ!! いえいえいえ!!」




 『いえいえ合戦』の開始である。



 まるでコントのネタのようなやり取りが始まってしまう。


 もう何を言っているのかよくわからない。


 すると仕舞いには、互いに力が入ってきて押し合い、引き合いになる。



「いや、ちょっと本当に帰ってもらえます? 迷惑なんですけど」


「そんなつれないことを言わないでください。ほら、もうあなたも今日から信者ですよ」


「おかしいでしょそれ。だからさ、うちはいらないって言ってるでしょ?」


「今世界はどうなっていると思います? とても大変な時期なのです。今こそ私たちが動かねばならないのです」


「それはわかったけど、それならもっと優先すべきことがあるでしょ? 畑を耕すとか、恵まれない人を助けるとか、なんでうちにこだわるの?」


「その前に思想が重要なんです。みんながわかってくれないと先に進まないんですよ」


「いやいやいや、あんたも働きなさいよ。汗水流してさ」


「働く!? 私はこれが仕事ですよ!」


「えええ!? こんなことで給料もらえるの?」


「はい。信者の皆様方からご寄付がありますから。素晴らしい人々です」


「それって他人からもらってるだけじゃないの? あんた何もしてないじゃん」


「私にはやるべきことがあるんです。ほら、朝日があんなにも美しいのは、私たちの思想があるから…」


「働けよ、お前!!!」



 なぜか結論がマキと同じ「さっさと働け」になったことは、奇妙でありながらも面白い。




 そして、しつこい勧誘にビッグもキレる。



「いいから帰れ! うちはお断りだ! 門番の姐さんにまで迷惑をかけやがって! いい加減にしろ!! いやほんと、すんません。俺が来るのが遅かったばかりにご迷惑を…」


「え? 私に言ってるの?」


「はい。俺がもっと早く来ていれば、こんなやつはすぐに追い出したんですけどね。申し訳ないです。あとは俺がなんとかしますんで、それで勘弁してください」


「あ…はい」


「ほんと、いつも気付くのが遅いんだよなぁ、俺はよ。なんですぐに駆けつけられねぇかな」



(この人って…ソイド商会の息子さんよね? どう返答すればいいのかしら? 全然待っていなかったんだけど…それを言ったら傷つくわよね。アンシュラオン君が来てくれたら大歓迎だったんだけど、これじゃ…あまりに酷いわ)



 マキも門番をしている関係上、ソイドビッグのことは知っている。


 単純に目立つ男だし、この前はセーターを着て「るんるん気分」で出て行ったのを目撃もしている(アンシュラオンに騙された時の話)。


 こう見えて一応はラングラスの本家筋であり、畑仕事で出入りする機会も多いので、ソイドリトルよりは遙かに有名人である。



 だが、待っていない。



 正直に言えば、武人としてのレベルはマキにはまったく及ばない。


 紅蓮裂火撃をくらえば死ぬんじゃないかと思える弱さだ。


 だからマキは期待もしていないし、頭の片隅にもなかった。


 むしろ彼女の中には「白馬の王子様」ことアンシュラオンが浮かんでいたので、完全に期待はずれとしか言いようがない。


 こんなやつが出てきて、どうするのか。おとなしく引っ込んでいればいいのに、とさえ思える。


 だが、なぜか当人はやる気である。


 そこの温度差に戸惑うばかりだ。





「そうですか。ならば致し方ありません」



 交渉が決裂して、JBがおとなしく納得するわけがない。


 ここでお決まりの台詞を吐く。




「信じない者は、【地獄に落ちます】よ」




 出た!!


 一番地獄に落ちそうなやつだけが吐くことを許された必殺台詞だ!!


 しかし本当に不思議である。なぜ宗教勧誘の人間は、これを言いたがるのだろう。


 あたまのおかしいやつは、とことんおかしいということなのか。まったくもって謎である。


 ただし、JBが言う地獄に落ちるとは、そのままの意味だ。



 従わない者、信じない者は、実力で排除する。



 この男はそう言っているのである。


 そもそも最初から会話など通用しない。ここでも物を言うのが『強さ』だからだ。



 ぐいっ



 JBが掴まれた腕を掴み返し、強引に引き剥がそうとした。


 彼の実力は、すでに見た通りだ。肉体性能でもマキに匹敵する実力者である。


 相手がたかだかソイドビッグならば、極めて簡単な―――



 ぐい ぐい ぐいっ




「…?」




 ぐい ぐい ぐいっ


 ぐい ぐい ぐいっ

 ぐい ぐい ぐいっ


 ぐい ぐい ぐいっ

 ぐい ぐい ぐいっ

 ぐい ぐい ぐいっ




 簡単な―――




「…??」



 JBが力を込めて引っ張る。


 引っ張るが、ソイドビッグの手は一向に離れない。



(なんだ…? 妙に…重い?)



 ぐい ぐい ぐいっ

 ぐい ぐい ぐいっ

 ぐい ぐい ぐいっ



 さらに力を入れてみるも、彼の腕はまったく動かなかった。


 たしかにビッグは身体が大きい。JBより少し小さいが、それでも大男の範疇に入るだろう。


 体格だけ見れば大差はなく、腕力も強そうに見える。


 が、JBも実際はビッグがたいしたことがないとわかるので、この現象には首を傾げるしかない。



(こうなれば仕方ない。私にはどのような手段をもちいても、ネイジアの思想を伝える義務があるのですからね)



 ズルズルルルッ!


 JBの腕から、黒紐が二本出現。


 紐はソイドビッグの腕に絡み付き、さらに強引に引き剥がそうとする。



 ぐい ぐい ぐいっ

 ぐい ぐい ぐいっ

 ぐい ぐい ぐいっ


 ぎゅるるる ぐいぐいぐいっ



 それでも離れない。


 彼の手はいまだに自分の腕を掴んだままだ。


 そして、異変はそれだけにとどまらない。



 ソイドビッグが逆にJBの腕を―――捻り上げる。



 ぐぐぐぐぐっ ぎりぎり



「ぬううっ!」



 よく警察官や警備員が、犯罪者の腕を背後から極める光景が見られるだろう。


 これはよく出来た拘束術であり、実際にやられると本当に動けなくなる。


 ソイドビッグがやったのも、それと同じものだ。


 不審者のJBを掴み、捻り上げ、押し出す。



「はいはい、お帰りはこっちね」


「ぬうっ! あなた…なんですか! これは!!」


「なんですかって言われてもな。こんだけ他人様に迷惑をかけたんだ。追い出されるのが当然だろうが。こっちはあんたほど暇じゃないんだよ。俺も仕事があるからさ」


「そうではなく…なぜこんな!!」


「はいはい、クルマで来たの? 徒歩? 送るからさ、さっさと帰りな」


「なぜ、なぜ!! どうしてぇえええええ!」



 まったくもって理解できない。


 肉体が再構築されて視神経がおかしくなってしまったのだろうか。


 しかし、周囲の人間も驚愕の眼差しでこちらを見ていることから、自分自身だけが認識していることではないのだろう。


 マキでさえ止めることができなかったJBを、言っては悪いが「こんなやつ」が押さえ込んでいるのだ。



「ううううう!! 放しなさい!!!」



 ズルルルルルッ


 JBはさらに紐を量産。


 しゅるるる がしがしがしっ


 二十本あまりの黒紐が、ソイドビッグの頭や腕、足に絡みつく。



「さっきからよ、これって何なんだ? あんた、手品師なの? いけねぇな、大事な商売道具で人を傷つけちゃ。そいつは他人を楽しませるものじゃねえのか?」


「放すのです! これ以上、私に…触れてはいけません!」


「いやいや、あんたを解放したら、また悪さするだろう」


「この私の中に…不純物がぁあああああ! ぎいいいやぁああああ!」



 ヒュンヒュンヒュンッ


 バイィイインッ バシィーーーンッ!!



 縛り付けるだけではなく、黒紐が攻撃を開始。


 ソイドビッグに容赦なく襲いかかる。


 マキでさえダメージを負った一撃だ。ビッグ程度ならば、肉が削げ落ち、骨が削られてもおかしくはない。



 ヒュンヒュンヒュンッ


 バイィイインッ バシィーーーンッ!!


 バイィイインッ バシィーーーンッ!!


 バイィイインッ バシィーーーンッ!!




「ととと、こそばゆいな。やめろよ。つーか、人を不純物呼ばわりはひでぇな!」


「…馬鹿…な!! 効いていない…のですか!!?」



 が、ビッグは何事もなかったかのように立っている。


 締め付けても叩いても、まるでビクともしない。

 

 それにはさすがのJBも驚愕の表情を浮かべる。



「そういやよ、このまま帰そうと思ったけどよ、まだ済んでなかったな」


「済む? 何が?」


「見ろよ。この周り。いろいろなものが滅茶苦茶だ」



 JBが暴れたことで、門周辺が酷い有様になっていた。


 門は傷つき、地面は抉れ、石畳は破壊されている。


 やぐらの一部も破損が見られるし、修理するだけでそこそこのお値段がかかるだろう。


 半分はマキがやったことでもあるが、JBが来なければ起こり得なかったことでもある。



「俺の都市は、そんなに豊かじゃねえ。見ろよ、このナリを。こうやって畑仕事して細々と暮らしてるんだ。みんなが力を合わせてようやく暮らしてる。そんな状況だ。これを直すのだって大変なんだぜ。あんたみたいに働かなくても金が入るような、ご大層な身分じゃねえからな」


「それが…どうしたのです? 私に何の関係が?」


「どうしただぁ? ほんと、迷惑をかけるやつってのは、どいつもこいつも自分勝手だな。なんかよ、あんたを見ていると【一番嫌いな男】を思い出すぜ。その傲慢さが鼻につくんだよ」



 沸々と怒りが湧き上がる。


 姿かたちはまったく似ていないのに、どことなく「あの白い男」を思い出してならない。



「はーーー、はーーー! あいつを思い出すだけでよ…! はーーーはーーー!!」



 アンシュラオンによってトラウマを植えつけられたビッグは、あの男を思い出すだけで動悸、息切れに襲われる。


 恐怖が根源にあるのだが、今一番感じるものは【怒り】。



 怒りが、怒りが、怒りが、怒りが滲む!!



 どうして他人に迷惑をかけて平気なのか。


 自分の都合で他人を傷つけて楽しむのか。



 まったくもって、まったくもって、まったくもって―――





「一度でいいから、謝れやあぁああああああああああああ!!」





 ぐいいいい



 JBが凄まじい力で引っ張られ―――






 ドーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!!






 頭を地面に叩きつけられた。



 その姿は、まるで【土下座】。



 その先にいるマキに向かって、頭を強引に下げさせられる。




「詫びってのは重要だぜ。それが筋ってもんだからよ。あんたも覚えておきな」




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