508話 「医者の正体 中編」


 『空気が凍る』とは、まさにこのことだろうか。


 アンシュラオンが発した言葉によって、この場の時間は完全に凍ってしまった。


 誰もが何もしゃべらない。


 マザーもニーニアも、その意味を理解するのに時間がかかっているのだろう。ほぼ無表情だ。


 サナはもちろん怒り以外の感情を出さないので、じっと老人を見つめている。


 ただ、彼女のエメラルドの瞳に映った老人だけは、目を見開いて硬直していた。



「どうした? 驚いているようだな」



 少し話をしただけで、老人が知性豊かな人物であることはわかっていた。


 こちらがいくら問い詰めても、グラス・ギースに詳しい彼の理論武装を突破することは、まず不可能だろう。


 ここではそれが慣習だ、老いぼれだからしょうがない、と言われてしまえば言い返すことができない。


 ならば、老練な彼に対して最大の力を発揮するのが、いつもお世話になっている『情報公開』スキルである。



(視認した者のステータスを表示する能力。相変わらず万能だな。こいつの正体もあっさりと見抜いてくれたよ)



 地下で出会った怪しい医者に対して、情報公開スキルを使わないことはありえない。


 即座にこの老人の名前が「マングラス」であることを見抜いた。


 データに表記されているのだから仕方ない。これが事実だ。



「何を馬鹿な…」


「言い逃れは不可能だ。もうわかっているんだよ。バイラル・コースターは偽名だな。あんたの本当の名前は、バイラル・マングラスだ」


「………」


「オレにはそういう能力があるんだ。それで納得できないのならば、これから出会うやつの本名をすべて言い当ててやろうか? それならお前も信じるしかないだろうな」


「………」



 老人は、しばし黙っていた。


 その姿は、事実を言い当てられた被疑者、といったところだろうか。


 頑固な被疑者が次に何をするかといえば、『黙秘』である。


 彼もまた沈黙を守り続けることで、余計な情報の漏洩を防ぐことができただろう。



 しかし、それでは自らの嫌疑を強めるだけだし、何よりも老人は―――疲れていた。



 ふぅうう、と大きく息を吐き出すと、肩から力を抜く。



「面白い力を持っておるな。やはりおぬしは普通の人間とは違うようじゃ」


「規格外だってのは認めるさ。で、あんたも『マングラス』ってことは認めるんだな?」


「認めよう。ただし、呼び方はバイラルでかまわん。そのほうが具合が良い。いまさらそっちの名前で呼ばれても気持ち悪いだけだからの」


「わかった。引き続きバイラルと呼ばせてもらうよ。それで、どういう事情だ?」


「話せば長くはなるが…お前さんが一番知りたいのは、わしの素性ではあるまい。もっと気になっていることがあるのではないのか?」


「その通りだよ。【やつ】は何者だ?」


「ふふふ」


「何が可笑しい?」


「いやな、強者であるはずのお前さんが、思ったより焦っておるからの。わしに訊かずとも、おぬしの能力で見破ればよいではないか。実際に会ったのであろう?」


「………」


「なるほど。アレには通じなかったとみえる」



 その沈黙が答えだった。


 ミャンメイが取り残されたことも焦りの要因であるが、アンシュラオンがもっとも警戒しているのは―――




(そうだ。やつの情報が見えなかった。違う。見えたんだ。だが…【文字化け】していて読めなかった。こんなことは初めてだ)




 姉でさえ『情報公開』を使えばステータスを確認できた。


 唯一の例外といえば、術符で編まれた包帯を身体全体に巻きつけていた風龍馬くらいだが、文字化けしていたわけではない。


 隠されているところはあるにせよ、基本的なステータス画面は見えていた。


 だが今回は、見せる必要性もないほど文字化けしていた。


 同じOS上でも、違う文字コードではテキストが読めないように、適切な処理をしないと言語として認識されなくなる。


 中身はあるのだ。何かしら書いてある。


 しかし、読めなければ価値がない。理解できなければ無意味だ。


 だからこそアンシュラオンは、他人から訊くという原始的な方法を使うしかないのである。



(ちっ、だんだん『情報公開』スキルの弱点が目立つようになってきたな。それだけオレが多様な人物と出会っているということか。そのうちスキルそのものが使えない相手も出てくるかもしれないぞ。想定していたことではあるが、実際にそうなると慌てたか。オレも未熟だな)



 老練なバイラルには、自分の動揺などお見通しらしい。


 さきほどから怒りが収まらなかったのは、この苛立ちと不安によるものでもあったのだ。



(スキルに頼らない練習はしていた。問題はない)



 ただし、アンシュラオンはこのことを予期しており、日々の戦いでの多用は控えていた。


 すべては準備していたのだ。


 だからこそ、逆にそう言われたことで落ち着きを取り戻す。




 今度はその様子を見ていたバイラルから、逆にアンシュラオンに問いかける。




「アレを見たのは事実のようじゃな。ぬしの感想はどうだ?」


「あいつは殺さねばならない。そんな気がしている。真性のヤバイやつってのがオレの意見だ」


「そうか。実際に見たおぬしの意見ならば、それが正しいのであろうな」


「バイラル、あんたは何者だ? オレがわかるのは、あんたの名前とある程度の身体情報だけだ。経歴などは推測するしかない。あんたはマングラスの人間なのか?」


「…ここまで来た以上、もはや隠す必要もない。そうだ。わしはマングラスの人間。それも―――【本家】の人間よ」


「本家だと? 本家というと、マングラスの正統後継者の血筋なのか?」


「そういうことになろうな」


「では、グマシカはお前の兄弟…いや、年齢を考えればどうなんだ? あの口ぶりからすると、かなり年齢がいってそうだったが…」


「兄でもなければ、本家でもない。彼は【分家筋】だ」





 グマシカは―――分家の人間





 その事実がバイラルによって明かされる。




(これは意外だったな。だが、たしかにマングラスの情報は、ほとんど外に出ていない。やつらの家系図もなければ、家族構成も謎のままだ。その可能性もあったか)



 現状で家系図が公開されているのは、領主のディングラスに加え、ジングラスとハングラス、そしてラングラスの四つだ。


 隠し子がいる可能性なども多少あるが、そういった部分は除外するとして、ひとまず本家筋と分家筋の存在はしっかりと把握され、区別されている。


 これは権力の構図をしっかりと示し、派閥の土台を強固にするためにも必要なことである。


 誰が上なのかをはっきりしないと、下は混乱してしまうだろう。


 狭い都市だからこそ規律は重要である。内部の統制と調和を大事にするのは、それが一番の安全を保証するものだからだ。


 とはいえ、ソブカのように明確に下だと事実を突きつけられて、反発してクーデターを画策するようでは本末転倒だが、あれは特別な事例として考えたほうがいい。


 それを防ぐだけの力が本家にないことのほうが問題だからだ。


 そして、マングラスにもそれは該当する。



「おぬしは少女を見たと言ったな」


「ああ、カプセルに入っていた子だ。見た感じでは十代後半といったところか。胸は普通の大きさだったぞ」



 あの一瞬で胸の大きさまで把握するとは、さすがである。


 その才能を違う場所に生かしてほしいと心底思う。



「それはおそらく【初代マングラス】であろう。わしも伝承でしか知らぬから確実とはいえんが…かの御仁は、都市を守るために自己を犠牲にしたと伝わっておる」


「まだ生きているような感じだったぞ?」


「生命の石と融合したからであろう。あれはわしが集めていた偽物とは違い、本物の力の結晶じゃからな」


「その石とやらも気になるが、初代というのは本家なのか? お前の先祖ということでいいのか?」


「いや、初代マングラスは結婚されなかったそうだ。あの石は無垢で清らかなものを好む傾向にあったと書かれていたから、生娘でなければ駄目だったのであろう。初代は本家ではあるが、実際に継いだのは【妹】のほうだ。それがわしのご先祖様ということになる」



 初代マングラスには、妹がいた。


 長女が結婚せずに石の媒体になったため、マングラスを継いだのは次女ということになる。


 これが現在まで続くマングラスの本家筋の源流となっている。



「グマシカが分家だとすれば、分家が本家を乗っ取ったのか?」


「わからん。だが、そう考えたほうが道理であろうな」


「お前の家のことだろう? 知らないのか?」


「なにせわし自身、自分がマングラスであることなど、つい最近まで知らなかったのだ。そうじゃ、何も知らずにグラス・ギースで暮らしておったのよ。ふふふ、滑稽であろう?」


「そんなことが可能なのか? あんたがどう思っていようが、普通はバレるんじゃないのか?」



 グラス・ギースは血筋を大事にする傾向にある。


 権力の動機付けが五英雄であり、本家筋に起因しているからだ。


 今でこそ日本人は家系を気にしなくなったが、資産を持つ人々は成り上がりを除き、たいていが昔の有力者の末裔である。


 だからこそ本家筋であれば、自分がどう思っていようと周りが放ってはおかないのだ。


 だが、バイラルは本当に今まで何事もなく過ごしていたという。




 つまりは、【忘れられていた】のだ。





「これはわしの推測であるが、大災厄時の混乱で情報が失われたのであろうな。グマシカたちが力を握ったのも、あれがきっかけになった可能性が極めて高い。他の派閥も災厄が原因で、多くの本家筋が死んだといわれておる。マングラスも例外ではあるまい」


「ふむ、戦後の混乱のどさくさに紛れて権力を奪うか。オレの国でもあったことだな。どこも同じか」


「そのあたりのこともわからんのだ。知らなかったのだから仕方あるまいて。しかも、わしの父親は医者だった。だから自分はラングラスに連なる者だと思っていたくらいよ」


「あんたの医療技術が高いのはなぜだ?」


「父親が秘伝とされている医学書を持っておったのだ。わしも幼い頃から高度な医療を学び、それを利用して順調にキャリアを重ねて医師連合の代表にもなった。今思えば、まったくもって無知だったと自覚はしておるよ」



 バイラルは自分がマングラスの本家筋だとは、つゆほども思わなかった。


 それゆえに誰にも疑われずに、医者として成功することができたのだろう。


 しかし、医師連合のトップという座に立てば、自然と他派閥の人間と出会うことが多くなり、さまざまな情報が手に入るようになってきた。


 医者として成功することしか考えていなかったバイラルにとって、その多くは自分には関係のないものばかりで、まったく興味がなかった。


 所詮は違う世界のことだと、すべてが他人事だったのだ。



 生命の石を―――知るまでは。




「医者として絶頂の頃、わしは生命の石を発見した。たまたま違う手術をした者から偶然見つけたのだが、一目でそれが普通ではないとわかった。だから持ち帰って調べたのだ。だが、それもまたマングラスの血筋だったからこそ可能なことだったのだがな」



 擬似エメラルドと呼ばれる生命の石が、今まで発見されなかったのは、触れた人間がマングラスではなかったからだ。


 逆に言えば、マングラスの人間だけが物質としての生命の石を保存管理できるように「プログラム」されていたのだ。


 それ以外の人間が触れたりすれば、その瞬間には崩れ去ってしまうように設計されている。


 あるいは逆に【寄生】されてしまい、自分もまた奇病になる可能性すらある。


 偶然か因果かわからないが、マングラスの血が生命の石と巡り合うことを許したのだ。



 そして、それが始まりでもあった。



「それによってやつらは、わしがマングラスの人間であることに気付いたようだ。やつらも忘れているくらいよ。わしらの血筋は災厄時に外に逃げ、ひっそりと生き延びたと考えるほうが自然じゃな。それで舞い戻ってきた時には数世代経っており、もはや忘れられていたのであろう。また、そのまま黙っていたほうが安全だったのかもしれん」


「なるほどな。安易に本家筋だとバラせば、地盤固めのために消される危険性もあっただろうしな。辻褄は合っている。まあ、それはいい。オレが知りたいのは現在のことだ。どうしてあんたは連中に追われていたんだ?」


「わしがやつらの『提案』を拒否したからであろうな」


「提案だと? 石を見つけたからじゃないのか?」


「それについては、むしろ喜んでおったよ」


「喜んだ? なんで? 自分たちの悪事がバレたら普通は煙たがるだろうに…」


「やつらにとってはマングラスの生き残りがいたことが、嬉しい誤算だったのだ。それと比べれば石のことなど瑣末なことであろうよ」


「うーむ、だいぶ話が変わってきたな」



 このあたりの説明に、レイオンとの食い違いがある。


 これもまた大前提が覆ったからだ。



「生命の石の研究を始めたわしに、グマシカが接触してきおった。最初はセイリュウという男が接触してきたが、何度か会ったあとには直接グマシカに会うこともできた」


「ほぉ、面白い話だな。場所はどこだ?」


「わしが会ったのは上級街にあるマングラスの館だが、普段は誰も住んではおらぬ。転移装置を使っていると考えたほうがよかろう」


「本家筋のお前なら起動はできるんじゃないのか? 遺跡の中もその『権限』で移動しているのだろう?」


「そうではあるが、やつらによって厳重に管理されておるからな。おぬしが行った聖域にたどり着くのは不可能じゃろう」


「そうか。さすがにそこまで甘くはないか。それで、提案とは何だったんだ?」


「うむ…それがな……うむ…」


「そんなに言いにくいことなのか? どれだけ残酷な内容だ?」


「…いや、そうではないのだが……」



 なぜかバイラルが言い淀む。



 マングラスが提案することだ。



 よほど悪質で凶悪な内容なのだろうと勝手に想像していたのだが―――







「実は―――【子を作れ】と言われてな」





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