503話 「グマシカ・マングラス 後編」


「うおおおおおおお!!!」



 少女から放たれた思念に呑み込まれ、少年の意識は霞む。


 まるで海に引きずり込まれたように周囲が一気に暗転し、視界がぐるぐると変化していく。


 その中で意識を保つことは非常に難しい。



(なんだ、この思念は!! この思念はいったい…誰のものだ!! スパイラル・エメラルドは【与えるもの】ではないのか!?)



 生命の本質は、愛だ。


 愛なくしてすべては成り立たない。


 赤子を見て守りたいと思う欲求、老人を見て助けたいと思う欲求、自然や動物、虫に至るまで、あらゆる生物や物に対する敬意。


 それらは愛から生まれ、愛によって育まれるものだ。



 そして、愛とは与えることによってのみ形成され、相互の存在が許されるものだ。



 生命の螺旋。


 無限に連なる輝きは、与え続けることによって維持されていく。


 だからこそ、与える愛を持ったマングラスの直系である少年こそが、この石に相応しい。


 ずっとそう思ってきた。確信していた。疑ったことなどなかった。



 だが、少女が放つ思念は―――【真逆】



 愛して欲しい、という欲求は欲望に通ずるものであり、自己満足のエゴでしかない。


 予想外の思念に対し、まったく準備をしていなかった少年は、瞬く間に呑み込まれていく。




(なぜだ…! なぜだ…! なぜあなたは…!! 何が起こっているんだ…)




 水の中に融け込んでいく。融和していく。


 自分という存在が、少女と一体化していく。


 否。


 【吸収】されていく。


 賢者の石とは危険なもの。諸刃の剣。扱いきれないのならば、逆に力を奪われてしまう。


 この石も、ずっとそうやって存在してきた。


 星創神から分かたれた叡智の体現者、【黒き賢人】によって生み出された賢者の石のひと欠けらは、ひっそりと大地に降り立ち、眠りについた。


 賢者の石はそれぞれに特徴もあるが、その大半は周囲の思念によってかたちづくられる。


 戦争や紛争のような憎悪の思念を受け続ければ、その石は黒く変色し、破壊的な力を持つものに変化するだろう。


 光ある場所で厳かに祈りを受け続ければ、清らかで柔らかい力を放ち続けるだろう。



 では、この石はどのような状況で生まれたのか。



 誰もいない場所でひっそりと降り立った石は、ただただ静かに存在していた。


 強大な魔獣もあまりいなかった時代だし、もともと魔獣は人間ほど強い思念力を持っていないので、賢者の石に影響を与えることは少ない。


 火怨山のような撃滅級魔獣が跋扈する場所でもなければ、人間ほどの影響力は与えない。


 だから、静かに石は佇んでいた。


 誰にも触れられず、誰にも知られず、静かに求められるままに【水】を生み出し続けてきた。


 清らかなる水。永遠に穢れない水は、大地や動物、魔獣たちにとっては貴重なものとなり、彼らの聖域にすらなった。


 それでも石は、特別な思念を受けることはなかった。





―――〈ああ、さびしい〉




 石は、そう思った。




 その後、人が現れた。


 彼らは巨大な『機械生命体』を操る優れた文明を持ち、世界を支配している者たちだった。


 彼らに見つけられた石は、【箱舟】の動力源として使われた。


 その間も石は特別な思念を受け取ることはなかった。


 多種多様な原種とともに、静かに眠っていただけだった。





―――〈ああ、さびしい〉




 石は、そう思った。




 そして、文明が滅びた。


 増長した文明は霊的法則を破り、【蛇】によって存在を抹消された。



 それから何千年か経ち、次に石を見つけた者は触れることを怖れた。


 あまりに強すぎる力に恐怖し、地下深くに封じることで安堵した。


 その後も短い期間でいくつかの文明が壊れ、生まれてはまた彼女を見つけて利用しようとするが、どれも失敗に終わっていく。





―――〈ああ、さびしい〉




 石は、そう思った。




 最後に現れた人間は、それまでとは違う者たちだった。


 今までの者たちと比べれば力は弱かったが、その分だけ協調性に優れ、力を合わせて都市を作っていった。


 石を見つけた際も、怖れることなく敬った。


 石は厳かな雰囲気に晒され、清浄になり、彼らの要望に従って融和の水として繁栄の力となった。



 だが、【災厄】が起きた。



 都市に訪れた危機に対して、人々は立ち向かった。


 結果は、敗れ去った。災厄の力はあまりに強かったのだ。


 最後の希望として、石と同じ波動を持った【水の少女】が、石と同化することで力を放ち、災厄を退けた。


 しかし、その代償として石は眠りにつくことになった。





―――〈ああ、さびしい〉




 石は、そう思った。




 石はあらゆる時代、あらゆる時でも、与え続けてきた。


 石の本質は愛。


 偉大なる母神から与えられた生命力の本質は、愛なのだ。


 だから与えることが使命。喜びのはずだった。



 それなのに―――さびしい



 一度も愛を受けたことがない石は、水の少女と融合することによって、その想いが日々大きくなっていった。



 さびしい。さびしい。さびしい。



 さびしい。さびしい。さびしい。

 さびしい。さびしい。さびしい。



 さびしい。さびしい。さびしい。

 さびしい。さびしい。さびしい。

 さびしい。さびしい。さびしい。

 さびしい。さびしい。さびしい。





「うううっ―――うわあああああ!」





 少年が、渦の中から弾き出された。


 頭を押さえてよろめき、後ずさる。



「若!! ご無事で!」


「なぜだ…! どうして拒絶される!! 同じ意思を持っているはずなのに! 俺はあなたと同じ志を持っているはずなのに!!」


「なぜ若を拒絶されるのですか! マングラス様!! 若があなたを解放するために、どれだけ苦労なされたか…!」


「マングラス? この人もマングラス…?」


「ううううっ!! まだだ、まだ!!」



 少年は、再び手を伸ばす。


 かつて石と同化した女性の志を継ぐために。


 その愛を引き継ぐために。




 しかし、半覚醒した石は―――見つけてしまった。




―――〈見つけた〉



―――〈見つけた〉



―――〈見つけた〉




「何をおっしゃられる!! 何を見つけたと…!!」




―――〈おいで〉



―――〈きて〉



―――〈愛して〉





「ここにいる!! 俺はここにいる!! マングラス…! 初代様!! 俺はここに―――」





―――〈来て〉





 ガコンガコンッ ゴゴゴゴゴゴッ



 部屋全体の壁が螺旋状に動き出す。


 力が力として、心が心として、愛が愛として動き出す。



 少女が光り輝く。



 青と緑が入り混じった複雑な色合いを放ちながら、【彼】を呼ぶ。


 光が部屋全体を包み込み、壁が融けて水になっていく。




 そして、光の反射が収まった頃―――





 目の前には




 目の前には




 目の前にはぁあああああ!!!










「アンシュラ―――――――――――――――――――――――オンアアアアアアオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」










 少年が叫ぶ。



 少し離れた場所にいた、もう一人の少年に対して叫ぶ。



 名を呼ばれた少年は最初、非常に驚いた顔をしていた。



 赤い瞳が、深紅の瞳が、血の瞳が、叫んだ少年を凝視している。



 三秒後、驚きに支配された表情、その口元が「にへら」と動く。



 人によっては、引きつった笑顔と呼ぶかもしれない微妙な表情だ。



 次に眉間にシワが寄り、「にらめっこ」をする時のように変な顔になる。



 さらに一秒後、表情はより具体的に変化。



 口は完全に笑う形となり、頬が上がり、目には鋭い光が宿る。




 そして、白髪の少年も叫ぶ。








「グマ―――――――――――――――――――――――シカアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」








 ビリビリビリビリッ!!



 相変わらずの大声が響き渡る。



 少年が叫び、少年が応えた形となった。



 互いが名を呼び、互いを【認識】したのだ。





(え? グマシカ?)



 まったく状況が理解できない混沌とした場において、ミャンメイはグマシカという言葉だけに反応した。


 彼女の視線はミイラ男に移る。


 ミャンメイも、グマシカが「ジジイ」ということは知っている。


 だから少年がジジイと呼ぶミイラ男が、薄々グマシカ・マングラスだと思っていた。


 しかしながら白い髪の少年、アンシュラオンは、黒髪の少年を「グマシカ」と呼んだ。



 この瞬間、ミャンメイは思考を放棄した。



 自分の意思をもって生きろ、自分で考えて生きろと言われて、それに全面的に賛同はするが、物事には限度というものがある。


 これは常人の理解の範疇を超えている。


 ならば今は、おとなしく黙っていればいい。



 なぜならば、【彼】が来たから。



 目の前に白い力を宿した王がいるのだ。


 すべては彼に任せればいい。





 ミャンメイが思考を停止した瞬間には、すでに【事】が起きていた。



 アンシュラオンと一緒に転移してきたサナが、刀を持って駆け出していた。


 すでにジュエルはある程度回復しているので、雷光の速度で向かっていく。


 彼女の目は、思考を放棄したミャンメイに向けられている。彼女を助けようとしたのだろう。


 それにすかさず反応したのはコウリュウ。



「ここは野良猫が来る場所では―――ない!!!!」


「…しゅっ!!」



 立ち塞がったコウリュウに、サナが全力の剛斬を放つ。


 ガギィイイインッ


 コウリュウは強烈な一撃を素手で受け止め、刃を掌で完全に押さえ込んだ。


 凄まじい肉体強度だ。戦気の質も非常に高い。



 バリバリバリバリッ



 ただ、サナの刀には雷が宿っており、雷撃の追加効果が発動。



「攻撃が雑だな! 効かぬぞ!」



 ぶしゅううっ!


 コウリュウは、その雷撃も力づくで押さえ込む。


 やり方は簡単。雷撃以上の力を放出すればいいだけだ。それだけで無効化が可能となる。


 コウリュウからしてみれば、サナの斬撃はあまりに粗い稚拙な一撃である。


 それなりの相手には有効な一撃でさえ、コウリュウほどの武人には通じない。


 追撃の雷撃も発動までに0.01秒程度の時間がかかったため、それだけの時間があれば見切るのはたやすい。完全にダメージを遮断する。



 コウリュウの反撃。



 受け止めた刀を振り払って、サナに蹴りを叩き込む。



 ドゴオオンッ



 鋭く重い蹴りが命中。吹き飛ばされる。


 もし彼女が刀を離して自ら跳んでいなければ、レイオンのように肩ごと抉られてしまったに違いない。


 サナとコウリュウとではレベルが違いすぎる。こうなるのも必然だ。



 しかし、そのレベルをさらに超える者がいる。




「っ―――!!」



 コウリュウが背後に気配を感じた瞬間には、アンシュラオンが手刀を放っていた。



 ズブウウウウッ ぶしゃーーっ



 覇王技、羅刹。


 高速の貫手が、コウリュウの心臓を貫く。


 グリモフスキーの心臓を貫いたコウリュウが、また違う誰かに貫かれる。


 まさに皮肉であり、因果律とはかくあるべき、と思わせる一幕であった。



「ぐうううううっ!! 心臓程度で!!」



 ただ、やはりコウリュウは普通の人間ではない。


 自らの力で手刀を抜くと、即座に反撃の拳。


 心臓を潰された直後とは思えない強烈な拳を放つ。



 ドンンッ! メキメキィイイッ



 アンシュラオンは腕でガードして受け止める。


 吹き飛ばされることはなかったが、衝撃の余韻が腕に残った。



「ほぉ、強いな。だが、お前の相手をしている暇はない」



 アンシュラオンが掌をコウリュウに押し当て、発気。


 ドドドドドドンッ


 戦弾の集中砲火によって爆心地が生まれる。



 ボーーーーンッ



 激しい爆風によってコウリュウが吹き飛ばされた。


 ただし、ダメージはほとんどない。



(私を倒すための一撃ではない! 引き離すのが狙いか!!)



 アンシュラオンの攻撃は、致命傷を与えるのが目的ではなかった。


 戦気術で技の性質を細かく変化させて、爆発力だけに重きを置いたのだ。


 それによって一気に両者の距離は離れた。



 今、彼の目に映っているのはコウリュウではない。



 【目的】を達するために、アンシュラオンは威力のある攻撃ではなく、互いの距離を開けさせ、なおかつ『移動するための手段』として攻撃を利用したのだ。



(私の背後を取って心臓を貫いたことなど、これに比べれば児戯に等しい! やつは危険だ!)



 コウリュウもアンシュラオンの戦闘経験値の高さに舌を巻く。


 そして、その目的にも気付いていた。



「行かせぬ! 若のところには―――」



 戦気の放出でブレーキをかけて着地。


 再び接近しようとするが―――



「…しゅっ!」


「っ!!」



 コウリュウは完全に油断していた。


 目の前にアンシュラオンという猛獣がいるのだ。いちいち『子猫』のことまで気にしてはいられない。


 だが、子猫は子猫でも、彼女は猛獣の子であった。



 ズバッ!! バチーーーンッ!



 サナの手に雷爪が宿り、コウリュウの背を切り裂く。


 漏電など気にしている余裕はない。だだ漏れ覚悟の全力の一撃だ。


 その甲斐もあって、強靭な肉体を持つコウリュウに傷を付けることに成功する。


 ぶしゃっ


 武術服が破れ、背中から紫の血が流れる。



「子猫に引っかかれるとは! なんたる迂闊!!」


「…しゅっ」


「邪魔をするな!!」



 コウリュウはサナを追い払おうとする。


 その姿は、動物園で人間が獣にたかられて、必死に追い払う光景に似ている。


 彼にとってサナはその程度の存在なのだ。


 だが、サナも決死だ。


 消耗など気にしないでジュエルを全解放して、コウリュウにまとわりつく。


 まともに戦ったら勝ち目などないのがすぐにわかったのか、ギリギリの間合いでちょっかいを出すような戦いに終始。


 コウリュウもサナにかまっている暇はなく、焦りだけが募っているので、意外とサナは善戦して時間を稼ぐことに成功していた。


 それがたった数秒間であれ、今という瞬間には貴重な時間となる。




 その間に自らの技で移動に成功したアンシュラオンは、少年との対峙を果たす。




 ついに二人が―――出会う!!




「アンシュラオン! あんしゅら…あんしゅら…おおおおおおんん! あんシュラオオオオオオオオオオンッ!!」



 黒い髪の少年は、白い髪の少年を睨みつける。


 憎悪を剥き出しにして、素の感情をダイレクトにぶつける。


 普段ならば不快に感じる負の感情だが、今のアンシュラオンにとっては快感でしかない。



「ああ、いいな。もっとお前の声を聴かせてくれよ。男に呼ばれて感動するなんて貴重な体験だからな」


「お前が…お前がどうして!! なんでお前が選ばれる!! 俺がどれだけ準備を重ねてやってきたのか!! お前にわかるか!!」


「言っている意味がわからないが、それはともかくとして―――」




 アンシュラオンは少年を見て笑い、改めて名を呼ぶ。






「初めまして、グマシカ・マングラス。会いたかったよ」






 黒髪の少年の名は、グマシカ・マングラス。



 グラス・ギースの四大市民の一人にして、最大勢力のマングラスを支配する者。



 彼が、彼が、彼こそが!!



 グマシカ・マングラス!!!




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー