502話 「グマシカ・マングラス 前編」


「適合…者? 俺が…か」


「そうだぞ。そうやって何事もなく生きていることが証拠だ。お前程度のやつが心臓を貫かれたんだ。普通は即座に倒れ込むだろう? その身体に生命の石…いや、生命の水の力が宿っているからだぞ」


「何…言ってやがる。俺は…反応しなかった……ぜ!」


「反応? 何のことだ?」


「へっ、てめぇに教えることんざ…何もねぇ…!」


「そこまで意地を張れるか。なら、触れてみるか?」


「…あ?」


「欲しいのなら、手に入れてみろってことだ。それができれば、だけどな」


「わ、若! 何をおっしゃいますか! これは若が…」


「こいつが扱えるのならば、それはそれでいい。そうじゃないのか?」


「し、しかし、このような者に…」


「俺が許す。触れてみろ」


「てめぇに…言われなくても……よおおお!!」




(俺は手に入れる!! 何者にも屈しない力を手に入れる!! 親父の夢を…手に入れる!!)




 世の理不尽に抵抗するには、力が必要だ。


 自分が自分であり続けるためには、力が必要だ。


 力、力、力が、ガガガガガガガッ!!




 力が―――必要だ!!!




 ウィイインッ



 グリモフスキーの意思に反応するようにカプセルが開くと、少女の全身が露わになる。



 少女は、裸だった。



 そして、美しかった。


 まだ生きているかのように瑞々しい白い肌、清らかなブルーの髪の毛、顔の造詣も見事だ。


 ぱっと見ただけで美少女だとわかることもすごい。


 人それぞれに好みがあるので、意外と美少女の範囲は広いのだが、誰が見ても美少女という女性は少ないものである。


 何よりも全身に宿る【生命力】が、彼女の美を格別のものにしていた。



 グリモフスキーの手が、彼女の肩に触れる。



 どこを触れとは言われていないので、このあたりはなかなか試されている感があったりもする。


 胸の隆起が目立つので、男ならばそこにガツンといきたいところだが、さすがに眠っている女性に対してはハードルが高い。


 かといって顔に触れるのも躊躇ってしまう。


 よって、一番無難な肩を選ぶあたり、グリモフスキーの人柄がよく出ているといえるだろう。




 グリモフスキーが彼女の肩に触れた瞬間―――



 ルルルンッ



 歌うような音がした。


 少女はまだ眠っているので、彼女の声ではない。


 だが、誰も口を開いていない。



 これは―――振動



 彼女の力が、石の力が展開された結果、周囲に力の波動が迸ったのだ。



(なに…これ? 綺麗な音)



 ミャンメイには、とても繊細で美しい音に聴こえた。


 表向きは綺麗なのに、魂の奥深くに染み入り、すべてを包んでしまうような奥深さと力強さすら秘めている。


 まさに至高の音。


 たったこれだけあれば、他の音はいらないと思えるくらいの音が発生したのだ。




 それを受けたグリモフスキーは―――




「――――――」




 止まっている。


 ただ突っ立ったまま動かない。


 彼もこの音に聴き惚れているのかと思ったが、完全に静止しているのだ。


 何秒、何十秒経っても、グリモフスキーは動かないままであった。




「グリモフスキー……さん?」



 ミャンメイが呼びかけても、彼は動かない。



「やはり駄目だったか」


「何が起こったの? グリモフスキーさんはどうなったの!?」


「賢者の石が、なぜ秘宝扱いなのか。世間一般でも絶対に表に出ない情報なのかは、とても簡単なんだぞ。それが―――【危険】だからだ」


「危険? こんなに綺麗なのに?」


「綺麗だな。本当に綺麗だ。奏でる旋律も美しいけど、真に美しいのは愛のために犠牲になる心なんだぞ。だからこそ触れる者、力を使う者には資格が必要になるんだ。賢者の石は『適合者』を自分で選ぶからな」



 神機が自分の乗り手を自ら選ぶように、賢者の石という存在も自らの適合者を自らの意思で選ぶ。


 親和力の法則に従って、自らにもっとも近しい性質を持つ者を選ぶのだ。


 その資格がなければ、力は制御できない。



「この男は、たしかに生命の石に対する抵抗力があったけど、その心が伴わなかった。自己犠牲の心がない人間に、これを扱うことはできなかったんだ」


「それを知っていて、触れさせたの?」


「こいつを救うのに、それ以外の方法があるのか?」


「救う? グリモフスキーさんを?」


「俺にはわかるんだぞ。こいつは都市のためにがんばってきた男だ。どんな理由があるにせよ、身を粉にして尽くしてきた男だ。だからチャンスは与えるべきだし、その心を救うべきなんだ。結果は厳しいものになったけどな」


「ぶ、無事なの? 動かないけれど…」


「賢者の石には、それぞれ性質があるんだぞ。この賢者の石の名前は『スパイラル・エメラルド〈生命の螺旋〉』だ」



 少女全体が、青みがかった光で覆われている。


 それは緑と青が入り混じった海に似た複雑な色合いだった。


 たしかにエメラルドといわれれば、色合いだけならば似ているかもしれない。



「この力があれば、老いることもなければ死滅することもない。あらゆるエネルギーを循環させ続けることで、半永久的に都市を守ることができるんだぞ」


「エネルギー源ということ?」


「単純な燃料じゃない。災厄という最強の破壊に抵抗するための守護盾なんだ」


「悪いものじゃないって言いたいの?」


「そうだな。だから他者に危害を加えるものじゃない」



 少年がグリモフスキーを見る。


 ぼたぼた ぼたた


 グリモフスキーの口から唾液がこぼれている。



 口を閉じることも忘れて―――【恍惚の中】にいるのだ。



 今、彼の中では生命という力が渦巻いており、螺旋を描いて駆け巡っている。


 初めて感じる本物の生命の躍動に霊が惹かれ、肉体から半ば飛び出した状態になっているのだ。


 いわゆる幽体離脱であり、人間の睡眠時に似た現象が起きているといえる。



「こいつは今、とてつもない快楽の中にいるだろう。けど、肉体レベルで言えば、とても危険な状態だ。まだ潜在意識がかろうじて肉体機能を維持しているけど、この状態が長く続けば、最終的には痩せ細って死ぬんだぞ」


「っ!! そ、そんな! グリモフスキーさんが死んじゃう!?」


「心配するな。すぐに離す。俺にはそれができるからな」



 少年がグリモフスキーに触れると―――


 じゅわわわ


 彼の身体を水のようなものが包む。


 そして、ゆっくり、ゆっくりと少女から離していく。



 するん ごとん



 力が抜けたグリモフスキーは、床に倒れて意識を失う。



「グリモフスキーさん! だ、大丈夫なの!?」


「そのうちまた目覚めるはずだ。力の影響下からは抜け出たからな」


「ああ…よかった! びっくりしたじゃないの! …でも、ありがとう。助けてくれて」



 見ると、グリモフスキーの心臓の傷も塞がっている。


 溢れ出る生命力が彼の自然治癒力を加速させたのだ。


 これは石の力ではあるが、少年が連れ戻さねば代わりに心が潰れていただろう。



「やっぱりミャンメイは優しいな。そいつも善人じゃないだろう? お前に危害を加える可能性だってあったんだぞ」


「でも、憎めないわ。みんな誰しも心に傷を負っているのだもの。誰も責められないわ。過ちを犯すことだってあるから人間なのよ。なら、許してあげればいいじゃない。お互いに許しあえば戦いは起こらないのよ」


「…そうか。同じことを言うんだな」


「同じこと?」


「初代マングラスも、そう言った。その意思を受け継ぐために、俺はここにやってきたんだ。ジジイも同じ気持ちだろう」


「アァァ…災厄…さいやくうう……マジン……」


「人はいつだって罪を犯す。それを罰するのが『賢人』ならば、それに抵抗するのも『賢人』なんだぞ。なんてことはないよな。ただの身内同士の争いさ。いつだって、どの時代だって、誰になったって、それは変わらない」



 今度は少年が、少女に手を伸ばす。


 彼が触れたのは、頬。


 優しく愛おしく撫でるように、少女の頬に触れた。


 触れる場所はどこでもいいのだが、触れた場所、触れ方によって対象への感情が示される。


 少年の触れ方は、より親しい者に対するものであった。



 ルルルンッ



 再び歌うような振動が周囲を覆う。


 美しい。なんと美しい音だろうか。


 そこには理念がある。意思がある。夢がある。


 その夢を受け継ごうと、少年の身体の表面に水が滲んでいく。


 水が振動を受け止め、連動し、伝播し、駆け巡り、螺旋となって回っていく。



 まわる、回る、周る、廻る。



 力が少年の中に入っていく。


 神秘的で超常的で、どことなく儚い光景だ。




(ホワイトさんに似ている。でも、何か違う。もっと…無理をしているような。どうしてそう感じるのかしら?)



 少年を見るたびにアンシュラオンを思い出す。


 見た目が比較的近い少年ということもあるが、身体の中に宿る魂の波動が近しいのかもしれない。


 だが、両者には決定的な違いが存在する。




「…ぐっ…うう」



 少年がふらつく。



「若!! ご無理をなさらずに!」


「大丈夫なんだぞ。セイリュウの…清龍の力が俺を守る。お前の熱き炎もこの中にある。それが守ってくれる」


「若…はい。信じております」


「ああ、任せろ」



 少年は、この時のために準備を重ねてきた。


 彼の中には、彼を支えるすべての者たちの力が宿っている。


 マングラスの水が融和させてきた『想い』が宿っている。



 ルルルンッ ララララ



 旋律に変化が起きた。


 グリモフスキーでは触れただけで乖離が起きたものが、少年は耐えた。



 むくり ぎぎ ぎぎぎぎ



 彼の想いに応えるように少女の腕が動き、少年を抱きしめる。


 その行為は慈悲深き女神のように優しく、神話のワンシーンを見ているかのように神々しかった。


 だが、力を受ける少年は次元の異なる奔流の中に取り込まれる。



 揺れる、廻る、螺旋が巡っていく。



 虫一匹にさえ、葉っぱ一枚にさえ、土の一粒にさえ生命力は宿っているのだ。


 いわば、無限のエネルギーである神の粒子の集合体だ。


 この世界は、神の意思、神の愛によって生み出され、構成されている。


 その力、その記憶が、少年を貫く。



「ううううっ…!! うおおおおおお!!!」



 生命に終わりはなく、始まりもない。


 この物的宇宙が生まれる前から霊的宇宙は存在し、生命は実在した。


 無限、無窮、無辺、無天、無地、上下左右天地あらゆる制限がなくなり、力が渦巻く世界が生まれていく。



(自分が融け込んでいく…! 水の中に…融けて……)



 水はあらゆるものを融かす。


 いがみ合い、憎しみ、怒り、グラス・ギースの負をすべて呑み込み、浄化していく。


 生命の世界では主観が客観になる。


 自分という存在と他という存在の区別がなくなり、全体の一つのものとして意識されていく。



 霊という存在の本質が、そこにある。



 自分が自分として存在しつつも、他者と同化して生きる。


 霊界の上層部においてはごくごく自然に起こる現象であり、これが「人類は一つ」という言葉の理由にもなっている。


 本来、霊という存在には分け目がないのだ。


 しかしながら、自我を保つには「個」が必要だ。


 その力は、個を保つにはあまりに強すぎた。



(駄目だ! このままでは取り込まれる…! 賢者の石とは、これほどまでのものなのか!! これが賢人の遺産か!!)



 賢人の遺産。



 世界各地には、賢人が残したとされる数々の遺産が存在する。


 大きなものでいえば、ダマスカス共和国にあるアナイスメル〈蓄積する者〉、ルシア帝国にあるバン・ブック〈写されざる者〉等々、巨大な力は【大国】さえも容易に生み出す。


 そうなのだ。


 今世界を席巻している大国のすべてが、賢人の遺産があった国なのである。



 賢人の遺産を手にした者は【強者】になる。



 それゆえに裏側を知る人間は遺産を求めてきた。何百万といった人々が欲してきた。


 だが、その多くは力に耐えきれずに消えていった。酷い場合は、何億という人々を巻き添えにして呑まれていった。



 力を扱うには『資格』が必要だ。



 少年も力を得るために努力してきた。あらゆることを試してきた。


 この身体を生み出すためだけでも、どれだけの犠牲を払ってきたのだろうか。


 多くの者たちの命を背負ってきた。自分に託して死んでいった者たちの願いは、いまだに生きているのだ。



(俺は…成すんだよ!! 絶対に成すんだ! もう二度と災厄を起こさせないために! 災厄が起きても守りきるために!! そのためならば…!!)



 ララララララ


 音は星流の輝きとなり、宇宙を生み出す。


 母性の象徴、心根の象徴、悦の象徴が現れる。





―――〈あい…を……〉




「っ…」




 音が旋律になり、波となり、声にまで昇華される。


 それは少女が背負った意思であり、力そのもの。


 力が、少年に語りかける。




―――〈わが子らに、生命の輝きを〉




「あなたの意思は、俺が受け継ぐ! あなたが守ったこの都市を、今度は俺が守る!!」




―――〈生命の本質は『想い』。あなたの想いをここに〉




「俺は何でもやってきた!! みんなの想いを受け取るために! セイリュウもコウリュウも、ジジイだって…! 身体を改造してまで生き延びた!! 赤と白の賢人の力すら使った!! だから俺にくれよ! 力を! あなたの力を!!」




―――〈愛して〉




「っ…あ……い?」




―――〈愛して〉




「愛…? 愛!! 愛してる! 俺は自分の大切なもの全部を愛しているよ! そうだろう! それが自己犠牲の愛だろう!? あなたが示した愛だ!!」




―――〈私を愛して〉




「…え?」




―――〈愛して、私を〉




「あなたを…愛する?」





 その言葉は予想外だったのか、少年は戸惑う。



 しかし、戸惑っている間も声は響き続ける。





―――〈愛して、愛して、愛して〉



―――〈愛して、愛して、愛して〉

―――〈愛して、愛して、愛して〉



―――〈愛して、愛して、愛して〉

―――〈愛して、愛して、愛して〉

―――〈愛して、愛して、愛して〉



―――〈愛して、愛して、愛して〉―――〈愛して、愛して、愛して〉―――〈愛して、愛して、愛して〉―――〈愛して、愛して、愛して〉―――〈愛して、愛して、愛して〉―――〈愛して、愛して、愛して〉―――〈愛して、愛して、愛して〉―――〈愛して、愛して、愛して〉―――〈愛して、愛して、愛して〉―――〈愛して、愛して、愛して〉―――〈愛して、愛して、愛して〉





「ううううっ…!! なんだ、この意思は…!! なんなんだぁあああああ!」




 少女の思念の濁流に呑まれて、少年の意識が朦朧とする。



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