474話 「水と油 前編」


 何度も視界が遮られては映りを繰り返し、前後に揺れる。


 ぐわんぐわんと頭の中で何かの音が響くたびに、自分という存在がわからなくなる。


 自分は自分であるのに、それを思い出すのに何秒もかかるとは、実に不可思議な話である。


 しかし、残念ながら自分をやめることはできない。


 自分は自分であり続けるしかない。


 揺れる世界が収束するごとに、自分が自分であることを嫌でも思い出すしかないのだ。


 仮に自分が「ネズミ」に等しい存在であっても、死ぬまで生き続ける「誇り」を持ったネズミとして。



「…うううっ」



 グリモフスキーが、まだはっきりしない頭のまま起き上がる。



 きょろきょろ。



 呆然としながら周囲を見回す。完全に寝起きの状態である。



(俺は…どうしたんだ。ううっ…気持ち悪ぃな)



 目覚めた瞬間から、強烈な胸焼けのような不快感が襲いかかってきた。


 船酔いのように気分は最低だ。


 だが、逆にその不快感が自身を現実に引き戻してくれる。



(…そうか。また飛ばされたのか。くそっ、無防備な姿を晒しちまった。もし敵がいたら殺されちまうぞ!)



 長い間独りで暮らしてきた彼にとって、警戒を怠ることは死と同義だった。


 地下で生活している間も油断はしていない。裏切りにそなえて気を張っている。


 今回のような状況は不可抗力とはいえ、死も同様に不可抗力でやってくる。こちらの言い分など聞いてはくれないのだ。


 慌てて立ち上がり、状況を確認する。



「なんだ…こりゃ?」



 目の前には、巨大な女神像が存在していた。


 今までのものと比べると何倍も大きく、全長五メートルくらいはあるだろうか。


 その左右にも一体ずつ、半分程度の大きさの女神像が並んでいる。


 ここまではいい。ここまでならば普通の『神殿』といった様相だろう。


 しかし、ここにあるのはそれだけではない。




 周囲に―――【人】




 無数の人影が見えたのだ。



(っ!!! やべぇっ! 囲まれているのか!?)



 咄嗟に警戒態勢、いや、すでに戦闘態勢に入る。


 まさかここまで囲まれても気付かず、ぼけっと寝ていたとは、なんと呑気なものだろうか。


 思わず後悔の念が襲いかかるが、いまさら悔やんでも意味はない。



「来るならこいやぁあああ!!」



 まだ身体には完全に力が入らないものの、気合を入れて構える。


 こういうときは最初が肝心だ。


 相手の素性は不明だが、喧嘩でも縄張り争いでも、最初に上下関係をはっきりさせねばいけない。そうしないとずっとなめられる。


 グリモフスキーが生きてきた世界は、そういった闘争の世界である。


 彼の生き方はどこにいても変わらない。もう変えられない。


 どんなときも自分自身の力で戦わねばならないのだ。




「………」


「………」


「………」




―――シーン




 されど、その場で動くものは誰一人として、何一ついなかった。


 グリモフスキーも動かなければ、他の者たちも動かない。



「…こりゃぁ…もしかして……」



 ようやくにして様子がおかしいことに気付くグリモフスキー。


 警戒しながらも、ゆっくりと人影に目を凝らすと―――




「これは……人形…か?」




 動かないのは当然だ。




 なにせそれは―――【人形】




 『ヒトをかたちづくった』ものだからだ。


 女神像の周囲には、壁に沿っていくつもの人形が置かれていた。


 極めて精巧で今にも動き出しそうなほどの力作であり、かなり近づいても人形だと気付くのには結構な時間がかかったものだ。


 人形の種類も多数で多様。老若男女、さまざまな人形があった。


 よくよく見れば、それはすべて女神像の方向を向いている。



(こいつらは…祈っているのか?)



 どうやら人形たちは、女神に祈りを捧げているようだ。


 部屋は薄暗いが、女神像自体が輝いているので、なんとも神聖で神秘的な空間を生み出していた。


 この光景は、まさに人の可能性を示すものでもあった。


 闇の女神の中に光の女神の種子(生命)が宿された、無限の可能性を持つ存在。それが人間だ。


 物質という闇の中に霊という光を宿し、無限に成長していくことを示唆している。



(ふん、くだらねぇな。祈って何かが得られるかよ)



 グリモフスキーには、女神像にすがる人形たちが弱々しく見えた。


 何かに頼って生きていくのは彼の流儀に反することだからだ。



「ちっ、馬鹿らしい。人形に付き合っていられるか―――」





「わあぁああああああああああ!」





 その瞬間、背後から叫び声がした。


 悲鳴というよりは、叫び声だ。大きな声といったほうが正確か。



「………」


「わーーーー! わーーーー!」


「………」


「わーーーー! わーーーー!」


「………」



 グリモフスキーは、その声に呆れながら後ろを振り向くと、冷たい眼差しを声の主に向ける。



「…なにしてんだ?」


「わーーー! …あれ? どうして驚かないんですか!?」


「驚くかよ。声の段階で、てめぇだってわかるだろうが」


「そんな! 起きた時はびっくりしていたのに…」


「あぁん? ずっと見てやがったのか!? 暇なやつだな!」



 視線の先には、ミャンメイがいた。


 なにやらグリモフスキーを驚かそうと機をうかがっていたらしい。


 だが、最初に警戒状態に入ってしまったので、これくらいの叫び声で驚くほど彼はウブではない。


 必死になって喚く謎のミャンメイの姿があるだけだ。



「何やってんだ、てめぇはよ。今までどこにいやがった?」


「グリモフスキーさんを驚かそうと、人形に交じって静かに隠れていました」


「そっちのほうが怖いだろうが!」


「あっ、そうかもしれませんね」


「ったく、てめぇはいつ目覚めたんだよ」


「えーと、ちょっと前です」


「…で、周囲は調べたのか? 他の部屋とかは?」


「いいえ。ずっとここに隠れていました」


「ああ!? なにやってんだ!」


「だって、グリモフスキーさんを放っておくわけにはいかないですし、驚かせるチャンスだったので…前の時にやられたから、今度はやり返そうと思って…」


「あれはべつにてめぇを驚かすつもりじゃなかったが…はぁ、なんでそんなに能天気なんだかな」



 ミャンメイが目覚めた瞬間に感じたことは「これはチャンスだ」であった。


 最初に神殿から飛ばされた時、盛大に驚かされた(勝手に驚いた)ので、やり返そうと思ったらしい。


 こんな状況にもかかわらず、考えることがあまりに子供っぽい。


 だが、それにも慣れた。


 むしろ、そうあってこそのミャンメイだと思える。



「ははは…てめぇはよ。本当に…馬鹿だな」


「えー! ひどいです」


「褒めてるのさ」


「なら、もっと違う言葉にしてほしかったです。あれ? 今笑いました?」


「あ? 笑ってねぇよ」


「笑いましたよー!」


「笑ってねぇよ」


「笑った、笑いましたー!」



 ミャンメイが、ぷんぷんと怒りながらグリモフスキーの周囲を跳ね回る。


 恋人同士のイチャつきにも見えるが、もちろんそんなつもりはない。


 極限状態のダンジョンを共に移動したことで、グリモフスキーも心を許し始めたのだろう。ただそれだけだ。


 吊り橋効果で恋人になる、なんてオチはないので安心してほしい。


 互いに奇妙な関係にあるがゆえに、たまたま近づいているだけにすぎない。




「で、ここはどこだ? …って訊いても、わかるわけねぇよな」


「はい。ただ、女神像があるので神殿ではないかと思います」


「そうだな。かなり趣は違うが、似ているっちゃ似ているな」


「最初は普通の部屋に飛びましたよね? それが今度は祭壇から神殿に飛びました。この違いって何でしょうか?」


「んなことわかるわけ……ん? そういや、最初は何か声が聴こえた気がしたな」


「あっ、そうですね。何か聴こえたような…『避難』でしたっけ?」


「だが、今回はそういったもんじゃなかった。…上手く言葉にはできねぇが、そこに違いがありそうだな」


「そういえばさっき、何かやったんですか? グリモフスキーさんが呟いた瞬間に移動した気がしますけど…」


「…あれが…原因なのか? だとしても単なる呪文だったはずだぜ。それに、この遺跡とはまったく関係ない場所のもんだ。それがどうして一致する? わからねぇな…」


「それって何の呪文ですか?」


「俺も詳しくは知らねぇよ。何かお宝のヒントだってことはわかるが…」


「そうですか…。あの…ずっと気になっていたんですけど、もしかしてこの雰囲気からすると…もっと奥まで進んじゃいましたかね?」


「…かもしれねぇな」



 部屋の雰囲気がさらに古くなり、神聖さを帯びてきている気がする。


 神聖さとは、人の手が入らない場所に宿りやすいもので、一種の「触れにくいもの」に対して抱く感情の一つだ。


 昔から大切にされて飾られている物などには、なんとなく触りにくいだろう。それだけ人のオーラが付着していないことを示している。


 つまりは、ここに『ひと気』が存在しないのだ。


 誰からも忘れられて久しい場所。そうでいながら多くの人々の祈りに似た何かを感じる場所。


 簡単に穢せないし、侵せないと思わせる空間がここにあった。



 どう考えても、さらに奥に入ったようだ。



 仮に地下だと想定すれば、さらに地下深くという表現が正しいだろう。


 空気もひんやりとしており、どこか重苦しさもある。やはり地下の可能性は高い。


 人生とは、ままならないものだ。


 上に戻りたいという彼らの希望を完全に無視して、どんどんと「中枢」に近付いていく。




 その後、しばらく女神像を調べたり、「あの言葉」を唱えたりしたが、特に変化はなかった。



(神殿同士が繋がっているのは間違いないな。何かがキーワードになって移動できる装置なんだろうよ)



 ミャンメイとも話し合った結果、神殿は転移装置(二人からすれば移動装置)という結論に至った。


 二回も飛ばされれば、その結論に達するのは容易である。


 また、グリモフスキーも頭は良くはないが、それはあくまで会話や一般生活におけるものであって、ダンジョンや遺跡の仕掛けに対しては感受性が高い。


 子供の頃から父親と一緒に遺跡に入っていたので、感覚として理解することができるのだ。


 そして、最初の転移との違いにも気付き始めていた。



(もし神殿から神殿に移動するのが通常のパターンだとすれば、最初のものはイレギュラーってことになる。家が火事になったら、助かるために窓からだって逃げるもんだ。そこがどこだってかまわない。生きるために必死に逃げるだけだ。…あれもそういうもんだってことだな。ランダムに移動した可能性がある)



 最初の転移は、おそらく『緊急避難』という言葉の通り、座標を指定しないランダム転移だった可能性がある。


 いくつかの安全な候補を事前に登録しておけば、それも可能だろう。その一つが、あの物置だったのかもしれない。



(だが、今回は普通の移動だ。つーことは、もし俺が言ったあの呪文で発動したなら……ここがその場所だってことなのか?)




 感性が、妙に強く訴えかけてくる。





―――ここに重要なものがある





 と。



 それは神殿のことではない。女神像や人形でもない。


 もっと奥にそれがあるような気がする。かといって、そんなに遠くもない気がする。




「この人形って、何のためにあるんですかね?」



 一方のミャンメイは人形に興味を持ったのか、じっと見て回っていた。


 等身大の人形というのも、なかなか珍しいものである。



「さぁな。んなことは知らねぇが…こういうのは昔からあるみたいだぜ。なぜか人間ってやつは、自分を模したものを造りたがるからな」


「そうですね。私も昔はお人形で遊んだ気がします」


「親父が言っていたが、人形にはいろいろな意味があるらしい。てめぇが遊んだように玩具にもなるし、あの女神像みたいに象徴にもなる。それ以外にも、身代わりにも使われたりするな。実際、術具に身代わり人形ってのがあるしな」


「身代わり…ですか。これはあまりに精巧すぎて…怖いですね」


「もしかしたら、本当にここに住んでいたやつらを模したものなのかもしれねぇな。どっちにしても気味が悪いぜ」


「人形…か。気になりますね…」


「そうか?」


「何の意味もなく存在することはないと思うんですけど…」


「学者じゃねえんだ。これ以上考えても時間の無駄だ。畑に戻れなくなった以上、早く何かしらを見つけないと、また餓死に怯えることになるぜ」


「あっ、そうでした! 早く食べ物を見つけないと! 保存食のストックも少なくなりましたし…早く行きましょう!」


「ったく、てめぇは食うことばかりだな。…そのほうが、らしいがな」



 ミャンメイの扱い方が段々とわかってきた。


 とりあえず食べ物で釣る。こうすると素直に言うことを聞くらしい。


 花より団子と言っては失礼だが、ある意味で一番リアリストなのかもしれない。



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