468話 「ロボットの存在意義 前編」


 尿意を催したミャンメイが運ばれたのは、そこからさらに五分ほど進んだ場所であった。


 時間としては、「なんだ、たったの五分か」という感想を抱くだろうが、ここが見知らぬ場所であることを忘れてはいけない。


 いつどこから何が出てくるのかわからない状況である。


 グリモフスキーが言うように、ここが未発掘エリアだとすれば、もしかしたら「罠」が残っている可能性もあるのだ。


 ダンジョン専門のハンターである『イクター〈掘り探す者〉』の数多くが、ダンジョン内の罠によって死んでいる。


 専門家の彼らでさえ簡単に死んでいくのだから、素人ならばなおさら慎重に進むべきだろう。



 よって、未発掘エリアを探索する際は、少しずつ進むのが常識となっている。


 たとえば、一日に数十メートルしか進めなかった、ということも珍しくはない。


 今回のように緊急事態でもなければ、ここに来るのはもっと後になっていただろう。


 それだけグリモフスキーが急いで探索した結果なので、ここはその勇気を褒めてあげるべきだ。



 また、ミャンメイは尿意に苦しんでいたので周囲を見る余裕はなかったが、ある一線から少しずつ遺跡内部の様子が変わっていた。


 通路に部屋が並んでいた区画が終わり、やや広い場所に出たのだ。


 そこは依然として何もない空間ではあったが、今までとは違い柔らかい空気が漂っている場所であった。


 その空間の端にあった部屋に、ミャンメイは放り込まれる。



「ほら、さっさとしてこい」


「ううう…! も、もう下半身が…痺れて……」


「中央に『土』がある。そこでしとけ」



 バタンッ



 呻くミャンメイを、半ば放置する形で扉が閉められた。


 まったくもって女性への気遣いが足りないと文句も言いたいが、ここを見つけてきてくれただけで十分ありがたい。


 ミャンメイは破裂しそうな膀胱をなだめながら、部屋の中央に向かう。



 ぐにゃ



(あっ、これ。本当に【土】だわ)



 部屋の中央に足を踏み入れた瞬間、とても懐かしい感触がした。


 土を踏んだ時の柔らかい感触。


 土の独特な刺激のある匂い。


 地上にいれば腐るほどあるのに、そのどれもが地下に来てから滅多に味わえなくなったものだ。



(本当に土があるなんて…と、それどころじゃないわ! は、早く用を足さないと…!)



 土があるとはいえ、開けた室内なので若干の恥じらいを感じる。


 お風呂に入る前に便意を催し、裸でトイレに入る感覚に似ているだろうか。


 いや、若干たとえを間違った気がしないでもないが、とりあえずそんな不思議な羞恥心を感じたということだ。



 早く済まそうと急いでズボンを脱ぎ





 用を―――足す






「ふぁあああ……ぁぁぁあ………」




 我慢していたせいか、軽い気だるさすら感じる。


 それと同時に、じんわりと安らかなる幸福感がやってきた。


 敵は去った。もう何も怖くはない。そんな安堵感を抱く。


 人間は、たったこれだけで幸せを感じられる生き物なのである。


 幸せとは、ごくごく身近にあったのだと実感するものだ。



 それから股を拭く作業に入る。



 先ほど手に入れた水で軽く洗い流し、持っていたハンカチで拭く。



(ふぅ…早く出ないと)



 用を終えたミャンメイが、ズボンをはこうとした時である。


 ずずっ


 かすかに何かが動いた気がした。



「っ!」



 ミャンメイは驚き、硬直する。


 そして、動いた影をじっと見つめた。


 慎重に、ゆっくり、細心の注意を払って




 視線は―――足元に向けられた。




(…何も動いていないわ。見間違いだったのかしら?)



 足元に特に異変はない。ほっと胸を撫で下ろす。


 見間違いはよくあることだ。


 視界の隅で何かが動いたと思ったら、メガネレンズの反射だったり、あるいは哀しい理由ならば飛蚊症という話もある。


 特にこうした薄暗い部屋の中では、人間の恐怖心が増大して想像で自ら虚像を生み出してしまうものだ。


 そう、この部屋は薄暗かった。


 今までの壁がうっすらと光っていたのに対し、こちらは発光していない普通の壁なのだ。


 そのため中は、かなり薄暗い。


 日光を忘れて久しいミャンメイから見ても、はっきりと全体が見渡せないほどの暗さである。


 ただ、グリモフスキーが安全確認をしているはずなので、危険なものはないはずだ。



(そうよね。気のせいよね。あまり待たせるのも嫌だし、早く―――)





 にょろ ぴた





「っ―――!!!」





 そう思って油断した次の瞬間、股に何かが当たった気がした。


 それは見間違いなどではなく、確実に自分の身体に当たっている【何か】だ。


 にゅるり ぞわぞわ


 ソレが這いずるごとにミャンメイの肌がざわつき、鳥肌が立っていく。



「はっ、はっ、はっ!!」



 息が荒くなる。


 瞳孔が右に左にせわしなく小刻みに揺れる。


 手が震える。足も震える。



 そして―――






「ひゃぁあああああああああああああああ!!」






 叫ぶ。



 これはしょうがない。


 誰だってこんな目に遭ったら、反射的に叫んでしまうだろう。


 もしいきなり手にゴキブリが降ってきたら、よほど肝が据わってない限り、成人男性だって大パニックだ。


 本当に仕方がないことである。何度でも弁護しよう。



 バタンッ!



「なんだ、どうした!!」



 加えて、悲鳴を聴いたグリモフスキーが、慌てて扉を開くこともしょうがないことなのだ。


 これも普通の対応といえるだろう。


 むしろ悲鳴が上がっているのに無視できたら、それはそれで問題である。


 彼は人として当然の振る舞いをしたのだ。何も悪くない。


 が、悪くないからといって、罰せられないわけではないのが世知辛いところだ。



「きゃぁああああああああ!!」



 むんずっ


 まだズボンをはいていないのに突然入ってきたグリモフスキーに、またもやミャンメイがパニックに陥り、思わず股下にあった『ソレ』を掴むと―――


 ぶんっ!!


 グリモフスキーに投げつける。



 ひゅーーーんっ ごんっ



「いてっ!」



 投げつけられたそれは、見事グリモフスキーの顔面にヒットする。


 だんだん命中率が上がってきている気がする。将来が楽しみな右腕うわんだ。



 にょろにょろにょろ ぴた



 「ソレ」から出た何かが、今度は彼の顔にまとわりつく。


 だが、こちらに攻撃を仕掛けているというわけではなく、ただ這いずっているだけ、といったほうが正確だろう。


 気色悪いだけで痛みもまったくない。



「なんだこりゃ…?」



 グリモフスキーが、その謎の物体を手に取るが―――



「早く出てってください!!」



 ひゅーーーん どがっ



「いて」



 今度は包丁まで飛んできた。


 幸いながら柄のほうが当たったので刺さりはしなかったが、包丁まで投げられたらたまらない。



「わかった! だからもう投げるな! くそっ、なんでこんな目に…」



 グリモフスキーは文句を言いつつ、さっさと部屋から出ていくのであった。


 ほんと、彼は何も悪くないのに理不尽である。





 三分後。





 ズボンをはいたミャンメイが、ものすごく警戒しながら出てきた。

 

 手にはもちろん包丁を握り締めている。



「怖ぇな! さっさと出ろよ!」



 扉を半開きにしながら、包丁を突き出してこちらをうかがう姿は、なかなかにして怖いものがある。



「何かあったら…刺します」


「何もねえよ。ちったぁ信用しろや!」


「さっきのやつ、どうなりました?」


「てめぇが投げたやつか? ここにあるぞ」


「ひぃいっ! なんで捨ててないんですか!」


「捨てるって言われてもな…。これが何か、ちゃんと見なかっただろう?」


「はい。暗かったですし…もしかしてグリモフスキーさんが仕込んだんですか?」


「なんで俺がそんなことをしなきゃいけねぇんだ! いいから、さっさと出ろ!」



 バタンッ



「あっ!」



 このままではきりがないので、グリモフスキーが扉を強引に開けてミャンメイを引っ張り出す。


 彼女も少し落ち着いたのか、渋々ながら出てきた。




「まったくもって面倒くせぇな。ほら、見てみろ」



 ぽいっ


 出てきたミャンメイに、グリモフスキーが「ソレ」を投げつけた。



「わわっ、ひゃっ!」



 ぼと ゴンッ


 いきなり投げつけられたので上手くキャッチできず、思わず落としてしまった。


 ただ、そこで聴いた音は妙に硬質的であった。


 最初に感じたような、にょろにょろした雰囲気はまったくない。



「え? なに…これ?」



 ミャンメイが、床に落ちた「ソレ」を見つめる。


 全体的に唐茶からちゃ色をしているので、土に紛れていても見分けはつかないだろう。


 大きさは七センチ大の立方体で、ちょうど手の平でがっしり掴むのにちょうどよいサイズだ。


 身体の中央には、モノアイのような赤い点があり、たまにきょろきょろと周囲を見回す動作をする。


 明らかに生物ではない。それでいながら動いている何かだ。



「な、なんですか、これ?」


「俺が知るかよ。ちょっとつついてみな」


「つつく…? つんつん」


「ビー、ニョロン」


「ひゃーーーーー! なんか出てきましたよ!」



 ミャンメイが軽くつつくと、身体の中央部分が開き、触手のようなものが出てきた。


 それがうねうねと奇妙に動いているので、一気に気色悪い存在に見えてくる。



「危害はない。虫みたいなもんだ」


「虫って…そう言われればそうですけど…。もしかしてこれって…ロボットってやつですか?」


「だろうな。形はだいぶ違うが、ホワイトが入り口で破壊したものに似ている」



 アンシュラオンが破壊したカブトムシたちはレイオンが回収していったが、あれだけの大きさである。人目につかないわけがない。


 グリモフスキーも情報は得ていたし、残骸を見たこともある。


 それ以前に彼がここにやってきた時にも一度出会っているので、ロボット自体にそこまでの驚きはない。


 驚いたことがあるとすれば―――



「重要なのは、そいつが生きているってことだ。ほかのやつみたいに死んでない。つまりは金になるってことだな」



 グリモフスキーが、にやりと笑う。


 たしかに今まで見てきたものは、すべて動かなくなったロボットだけだ。


 しかし今、実際に動いているものを手に入れた。この意味は非常に大きい。



「そのサイズなら持ち運べる。文句はねえな?」


「ないですけど…大丈夫なんですか? これ? 子供とかだったら、あとから親が出てくるんじゃ…」


「それならそれで大歓迎さ。もっと金になる」


「その前に身の危険がありそうな気がしますけど…」


「ガタガタ抜かすなよ。そいつに害はねえ。そんなもんにびびって、これから先に進めるのか? あ?」


「は、はぁ…言いたいことはわかりますけど…うーん」



 つんつん


 ミャンメイが箱型ロボットをつつくと、捕まったカニのようにわさわさ動く。


 ちょっかいを出されても、こちらに攻撃する意思は見えない。また、攻撃力そのものがないようにも思える。



(ホワイトさんの話だと、ロボットには二種類いるみたいね。こっちは害がないほうかしら?)



 最初に出てきた因子を測定するロボットと、攻撃してきたカブトムシは明確に役割が決められていたようだ。


 そのことから非戦闘型のロボットが存在することを示している。


 この無害な様子から、こちらも同タイプのものと思って間違いないだろう。



「部屋の中は確認したか? ほかにもなかったか?」


「いえ、この子だけでした」


「この子?」


「なんだか可愛く見えてきました。怖がっていたのが馬鹿みたい」


「その気持ちはまったく理解できねぇが…なかったんだな?」


「あったら、もっと驚いていますよ。中は土しかありませんでしたね」


「【虫】は?」


「え?」


「土があるってことは、虫もいるってことだろう? 土を耕すのは虫の役目だからな」


「あっ、そうですね。でも、中も掻き混ぜて調べてみましたけど、それらしいものはいませんでした」


「…そうか。だが、何かしらの目的があったはずだ。この遺跡を造る際に出た一部なのかもしれねぇが…わざわざ土を部屋に置いておく理由がねえからな」


「土…か。野菜でもあればなぁ……」


「さすがに野菜はねえだろう。あったら驚きだ」


「ですよね…」



「ピガッ―――ガガッ。ヤ…サイ!」



「えっ!?」



 ごんっ


 突然ロボットが言葉を発したので、思わず手を離してしまった。


 落とされたり投げられたり、なんとも哀れなロボットであるが、装甲は厚いのかビクともしていない。


 それどころか、にょろにょろと触手を出して、自分から移動を始めた。



「あっ、行っちゃう!」


「逃がすかよ!」



 グリモフスキーが慌てて追うが、それも杞憂だった。


 サイズが小さいせいか、進む速度もあまり速くない。


 普通に歩くのと同じくらいの速度で簡単に追いつくことができた。



「勝手に逃げ出しやがって。お宝を逃すもんか」


「あっ、待ってください」



 そのまま捕まえようとしたグリモフスキーを、ミャンメイが制止する。



「あ? なんだよ? いまさら嫌だとか言うんじゃねえぞ。これは譲れねぇからな」


「違うんです。この子、私たちをどこかに案内しようとしているような気がして…」


「こいつがか?」


「はい。私の『ヤサイ』って言葉に反応しましたし」


「…知能があるってことか? こいつにか?」


「ずっと気になっていたんです。このロボットって何のためにいるのかなって。ホワイトさんが来てから意識するようになったんですけど…気になりません?」


「そこまで考えたことはねえな。俺らにとっちゃ、使えるか使えないかがすべてだ。こいつが金になるかどうかが重要だ。…が、たしかに気にはなる。こんなもんがグラス・ギースの地下に普通にいるってことも、考えてみれば異常だしな」



 今まで当たり前に受け入れてきたが、アンシュラオンがやってきてから「何かおかしい」と感じるようになっていた。


 ずっとそこで生活していると、おかしなことでも受け入れてしまうのが人間だ。


 そういった感覚や感性といったものも、あの男は破壊してしまったのだ。


 今までのグリモフスキーだったら、そんなことは関係ねぇと突っぱねていただろうが、彼もまた心の中に違和感と疑問を抱き始めていた。


 逆に、なぜ今まで疑問に思わなかったのかと訝しむほどだ。


 頭の中にかかっていたモヤが払われ、初めて自分がどにいるのかを認識した瞬間でもある。



「まあいい。どうせ先に進むのは同じだ。だが、ヤバそうなら捕まえるぜ」


「はい。わかりました」




 二人は箱型のロボットを追った。



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