455話 「ケジメのつけ方 前編」


 アンシュラオンは、カスオを信じていなかった。


 こんなクズを信じる者が、いったいどこにいるのだろう。


 少なくともあの慎重な男が、偉大なるキング・オブ・クズのことを信じるわけがない。


 しっかりと枷をはめていた。管理していたのだ。


 その管理方法は、遺跡の腕輪よりも遙かに凶悪で横暴で一方的だ。



「ぐうつうううっ! ううううっ! おえええええ! やべやべっやべでえええ! ゆるぢでえええ! おおえええええええっ!!」



 白くなった痣がカスオの首を絞め続ける。


 泣いても謝っても絞め付けが弱まることはない。


 なぜならば、これは【罰】である。


 忠告を聞かず約束を破った人間に対する制裁だ。




「何が起きているのかわからないけど…今なら!」



 そして今こそが、ミャンメイにとっては千載一遇のチャンスだ。


 走って一気に間合いを詰める。



「ぐぞっ…!! おおお!」



 スパパパンッ


 カスオも銃を撃つが、意識が朦朧としてほとんど狙いが定まっていない。


 かすかな呼吸をするだけで精一杯で、徐々に視界が狭まっていく。


 その片隅にミャンメイの姿が移るものの、それを気にする余裕はほとんどないに違いない。



 駆ける。駆ける。



 ミャンメイが駆ける。


 全身全霊の力を込めて走る。


 その動きは意外と言っては失礼だが、かなり良かった。


 彼女はレイオンの妹である。兄妹だからといって身体能力まで似通うとは限らないが、遺伝子上の資質は近しいものがあるはずだ。


 素早い動きで一気に接近すると、迷わずに包丁を突き出す。



「えええええい!!」



 狙っている暇はない。迷っている暇もない。


 こんなときに相手の命のことを考えている暇など、ない!


 だから身体ごとぶつかるように、無我夢中で包丁を突き立てた。


 ただただ刺すことだけに集中して全力でぶつかる。




 ブスッ! ズブウウウッ!!




「うぐっ…!!」




 包丁は、カスオの腹にずっぷりと刺さった。


 小太りなので、さぞやいい的になったことだろう。


 包丁の切れ味もあって、いとも簡単に根元まで押し込めた。



 ぶしゃっ ごぼごぼっ



 カスオの腹から真っ赤な血が溢れ、ミャンメイの手を塗らす。



「ふーーー! ふーーー!! はーーー! はーーー!」



 ミャンメイは目を見開いて、荒い呼吸を繰り返す。


 今になって心臓もドクンドクンと激しく脈動し、緊張感から手の平に大量の汗を掻く。



(この感触…! これが人を刺す感触…! やっぱり動物とは…違う!)



 素人が人を刺すというのは、相当な覚悟がいるものだ。


 手に残る硬くも柔らかい感触。人間の腹筋が痙攣する感触。相手の驚愕した表情。


 そのどれもが不快であり、ミャンメイもそのショックで強い興奮状態に陥っていた。



 人間の罪悪感の大きさは、【進化の程度】によって決まるといわれている。



 たとえば、虫を殺しても大きな罪悪感は抱かない。せいぜい不快な気分になるくらいだろう。


 ここでいう不快の程度は、それによって三日三晩寝込んだりしない、という意味である。


 だが、これが魚、鳥、牛豚になっていくごとに罪悪感が増していく。進化の段階が上がるごとに親しみが増すからだ。


 さらにいえば、ペットで考えてみるのもわかりやすい。


 犬や猫など、人間に愛されて牛豚よりも進化している動物への攻撃には、多くの人が激しい怒りを覚えるはずだ。


 牛豚を平然と食べていながら、自分のペットは食べられないと考える人も多いだろう。それだけ霊的にも親しいからだ。


 それゆえに同じ進化の程度にある人間を殺すことは、誰であっても嫌悪感や不快感を感じてしまうものである。


 むしろ感じないと危ない。


 鳥や豚を普通に捌けていたミャンメイが、人間を刺す不快感に襲われるのも無理はない。



(気持ち悪い…! でも、でも…!! 私は…戦うの!)



 だが、刺したこと自体に後悔はなかった。


 なぜならば―――





―――「それでいい」



―――「自分を守るために力を使うことは正しい」



―――「クズに遠慮するな」



―――「オレがすべてを許す」





 白い力が、あやまったものを排除することを肯定してくれる。許してくれる。


 もちろんアンシュラオンにそんな権利などないが、あの男ならば迷わずカスオの命よりもミャンメイの安全を優先するだろう。


 また彼に限らず、多くの人間がその判断を支持するはずだ。


 自分が正しいと思うのならば、まず力を得なければならない。それをしっかりと使わねばならない。


 彼が真後ろにいるかのように、命じられたかのように、ミャンメイは強い自己肯定の感情に満ちていた。


 だから包丁の柄は放さない。しっかりと握り込む。




「はーーっ! はーーー!! あがが…がっ! がががががっ!」



 こうなると刺された側のカスオは最悪である。


 ただでさえ呼吸が苦しいのに腹まで刺される。まったく同情できないが、悲惨のコンボなのは間違いない。


 では、こうなるとどうなるのかといえば―――



 動きが、止まる。



 硬直して今にも倒れそうになる。


 よく漫画やアニメで、包丁に刺されながらも反撃する場面が描かれることがあるが、実際は非常に難しい。


 その衝撃と痛みは想像を超えるもので、もし本気で刺されてしまったら問答無用で身動きが取れなくなるだろう。


 普段鍛えているはずの警察官が刺されて、反撃もできずに銃を奪われたりするが、それも仕方ないのだ。


 まともに刺さってしまえば、常人ならば身動きが取れない。


 銃に撃たれた場合も同じだ。あんな小さな弾なのに、ショックで身体が硬直して、気付くと床に倒れている状態になる。


 もし反撃できるとすれば、意図的に肉体操作で痛みが消せる武人に限られるだろう。


 彼らは常人を超える強靭な肉体と精神力を持つ。だからこそ強いショックにも耐えられるのだ。


 しかしながらすでに述べたように、一般人ならば耐えられるわけがない。


 特にたいして鍛えてもいないカスオのような人間にとっては、致命傷に近い。



 ぐらぐらっ



 カスオの身体が揺れて、ゆっくり倒れていく。


 このまま倒れてすべてが終わりだ。ミャンメイもそう思ったに違いない。


 ただこの時、わずかに動く場所が一つだけあった。




 それは―――指




 ほとんど反射のようなものだったが、カスオが倒れる際にトリガーにかかっていた指が動いた。



 ぐぐっ スパパパンッ



 銃弾が、発射。



「きゃっ!!」



 幸いにして、ミャンメイに銃弾は当たらなかった。


 が、あまりに近距離での発砲に驚き、思わず離れてしまった。


 これも無理はない。ミャンメイは勇気があるとはいえ、武人でもない単なる女性なのだ。


 目の前で発砲されたら驚くのが普通。ほぼ反射でのけぞってしまった。


 ここまでは偶発的な事態なので受け入れるしかないだろう。こういうこともある。


 だが、ここでさらに不運が訪れた。



「あっ―――!」



 飛び退いたミャンメイの足に、一瞬の浮遊感が訪れる。



 そのまま後ろに倒れ込み―――




 ガタン ズザザッ ばしゃんっ!




 階段から落ちていく。


 女神像は神殿の少し高い部分に設置されいたため、そこには段差があった。


 ミャンメイもカスオに向かう際には、駆け上る形になっていたものだ。


 そこで起きたハプニングで飛び退いたものだから、階段からずり落ちてしまう。



 しかし、これはあまりに不運。



 転んだ時の衝撃を甘く見てはいけない。成人してから転ぶと、そのショックも大きいものだ。


 高齢者が家で転んで、大腿骨を骨折して入院する話をよく聞くが、転んだ衝撃とはそれほどまでに大きい。



「ぐうっ…かはっ」



 一気に階段から落ちたミャンメイは、痛みと衝撃で身体を動かせなかった。


 さらに何が起きたのか理解するまでに時間がかかるのも痛い。



「ぐ…ぞっ……! ぐるな…ぐるなぁあ! うううっ! うあぁあああ!!!」



 スパパンッ スパパパンッ!


 階段の上部で銃声が響く。


 腹を刺されてうずくまったカスオも、まだ意識があるようだ。


 ただ、幻覚はまだ続いており、目の前に迫る白い人に恐怖を抱き続けていた。



「あぁあ…あー!! まてまて…! しね…しね……」



 ここでまた不運が起こる。


 ずりずり ずりずり


 何を思ったか、カスオが這いずって階段の上に顔を見せたと思ったら、ミャンメイに銃口を向けた。



 当然、これはまったくの偶然であった。



 カスオが見ているのは、ただの白い人。その幻影だ。


 それがたまたまミャンメイが倒れこんだ場所に移動したと思い込んだのだ。


 なぜ彼がそんなことを思ったのか、なぜそんな幻覚を見たのか、まったくもって理解できない。


 しかしながら、起こってしまったのだから仕方がない。


 確率的には10%を切るくらいの状況だが、けっして起こらないわけでもないので、これは不運としかいいようがない。




(あっ…あれ? なんでこんなことに…?)



 ここでミャンメイも現状を理解する。


 ようやく痛みが薄れて階段を見上げたら、そこにあったのは銃口だったのだ。


 この瞬間、時間が止まった。


 世界が静止したように時間の流れがゆっくりになった。


 そう、彼女が思考の速度で物を見ていたからだ。


 人間が事故に遭ったときに感じる、いわゆるスローモーション現象である。感覚が増大して物的な流れを超越する事象といえる。


 そして静止する世界で、彼女はこう思った。



(ああ、死ぬのね)



 銃弾を受ければ、自分は死ぬだろう。


 こんな場所で治療するのも難しい。出血多量で簡単に死んでしまうに違いない。


 目の前に、死という文字が浮かぶ。


 ただし、それを極めて冷静に見つめている自分がいることにも気付く。



(兄さんに言われたことが、こんなにすぐに起こるなんてね)



 レイオンには、アンシュラオンに関わったらいつか死ぬと言われた。


 今回は自分の判断によって動いたことではあるが、危険な場所に身を置いた意味では同じだろう。


 自分が言ったように、人間はいつか死ぬのだ。


 それが今日であり、今であってもおかしくはない。



(怖い? …思ったより怖くない? ええ、怖くなんてないわ。だって、兄さんとの会話で覚悟を決めていたもの。怖いとかじゃないんだ。私は生きているんだから。これから必死に生きるんだから。そう決めていたもの)



 事前に兄と話せておけてよかった。


 もしその会話がなければ、ここで立ち止まってしまったかもしれない。



(私は…生きるのよ! 最後まで!)



 自分は生きる。生きねばならない。そうしようと決めたから。


 腕に力を入れる。足に力を入れる。


 身体を捻って起き上がろうと努力する。



(そう。そうなの。あの子を見た時から…私は…!! 憧れていたのよ!)



 サナも、そうしていた。


 あんな小さな子供でさえ、どんなときでも諦めることはなかった。


 何度も立ち上がり、自分より大きな男に立ち向かっていった。



 それに、憧れた。



 弱気になって俯いていた自分の憧れが、そこにあった。


 強いもの。輝くもの。奮い立つもの。勇気あるもの。


 毎秒ごとに大きくなっていくアンシュラオンとサナの存在を、心に焼き付けていた。


 自分もあんな生き方をしたい。後悔のない生き方をしたい。





 その瞬間が来るまで、生きる努力を―――






「諦めない!!!」






 力を入れて立ち上がる。


 ミャンメイは立った。


 がんばって立った。


 今彼女にできることはすべてやった。



 しかし、物の動きというものは、心の動きを凌駕することが往々にしてある。



 残念ながら、これが現実。


 ミャンメイが立ち上がる速度よりも、カスオが指を動かす速度のほうが上だった。



(いいわ。それでも)



 ミャンメイは落ち着いた瞳で、トリガーに力が入る瞬間を見つめていた。


 自分を射抜くかもしれない存在を、最後までしっかりと見てやろうと睨みつける。


 身体は死んでも心は殺せない。


 自分が負けたと思わなければ負けではない。そんな大胆でやせ我慢で、意地っ張りな感情が、彼女の中を占有する。



 負けない。負けない。負けない。



 ただただ強くそれだけを信じる。



 屈しない! 退かない!!



 その気持ちが通じるわけではない。何かを引き起こすわけではない。


 この地上世界で何かを動かすとすれば、最後は物的な力なのだ。




 それゆえに―――飛ぶ




 シュシュシュッ



 ミャンメイには、その物体は見えていなかった。


 それも当然。彼女の背後からそれは飛んできたのだ。


 宙を走る銀色に輝くもの。



 鋭く尖ったナイフが三本。



 ブスッ!!


 一本がカスオに右腕に突き刺さる。



 ガンッ!!


 一本が銃に当たる。



 ガギィンッ


 一本が銃口にヒット。



 シュパパパンッ



 直後、銃弾が発射された。


 しかし、飛んできたナイフによって銃口は完全に跳ね上がり、弾丸は宙を舞うことしかできなかった。



「…え!?」



 何が起こったのか、ミャンメイにはわからなかった。


 わかることは、何か違う力が働いて助かったということだけだ。


 しかも超常的な神がかった何かではなく、実際の人間が起こした物理的な力だということだ。



(はっ! もしかして…ホワイトさん!?)



 ニーニアではないが、ミャンメイも年頃の女の子だ。


 格好良い白馬の王子様に助け出されるお姫様に憧れることもある。


 もしそんなシーンが実際に起こったら、あまりのトキメキに心臓が破裂してしまうかもしれない。


 そんな淡くて甘い期待を胸に、振り返る。



 本当ならば、そうしてあげたかった。


 彼女の願いを叶えてあげたかった。


 それでこそアンシュラオンだと言ってあげたかった。




 しかし―――




「…へ?」



 ミャンメイの目が、思わず点になる。


 符号で表すと「・_・」であろうか。


 それほど意外な人物がそこにいたのだ。


 いや、一番意外だったのは、その人物が自分を助けたことだろうか。




 なぜならば、そこにいたのは―――





「何やってんだ…てめぇは!!」





 革ジャンを着た眼光の鋭い男、グリモフスキーであった。




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