450話 「ミャンメイの賭け 後編」


 青い空間は広いものの、基本的に一本道になっていたので迷うことはなかった。


 目の前に広大な世界が広がっていても、一定の範囲にまでいくと「透明の壁」が存在して進めなくなる。


 人間が歩ける場所は決まっているので、実際のところ、そこまで広い空間ではないということだろう。


 それも仕方ない。ここはあくまで『室内』なのだ。



 はて? どこかに似ている。


 どこかで見たことがあるような気がする。




 そう―――会議場だ。




 既視感を感じたと思ったら、【四大会議場】と同じシステムであった。


 あの場所も密室でありながら、ホログラムによって、あたかも外にいるかのように錯覚させていた。


 ここも同じ技術を使って造られていることがうかがえる。


 ただ、水だけは本物であり、歩くたびにぴちゃぴちゃと音を立てていた。



(思えば水に困ったことはないわ。地下水源でもあるのかしら?)



 地下に暮らすとなると物資も重要になるが、水の心配も出てくるだろう。


 飲み水はもちろん、料理をするにも洗濯をするにも生活用水は必要不可欠だ。人間にとって水はもっとも重要な要素の一つである。


 ただ、この遺跡で水の心配をしたことがない。


 どこからともなく水が湧き出ており、地下の人間は当たり前のようにそれを使っている。


 水自体は非常に透き通っていて虫一匹、ゴミの一つも混入していない。


 こんな廃墟のような場所ならば不衛生な虫が大量発生しそうなものだが、蚊やハエ、ゴキブリ等の虫はまったく見られない。


 それもまた不思議である。衛生面に関して完璧に配慮されているのだ。



(今までまったく気にしなかったけど、考えれば考えるほどおかしいわ。病気になった人もいないし…。マザーの話とは大違いね)



 マザーは若い頃から各地に赴いていたので、数多くの難民キャンプを見て回っていたという。


 そこでやはり問題になるのが衛生面、健康面だと聞いている。難民なのだから普通に考えても良いわけがないだろう。


 排泄物の処理を怠って感染症や伝染病などが発生すれば、一気に被害が拡大して大勢の人が死ぬこともあるらしい。


 地下では物資がある程度供給されているので、餓死するほど食にありつけないことはないのだが、それでも不足することはある。


 そんな中でも誰一人として病気にならない。痩せすぎている人間もいない。これは驚異的なことだ。



(水が豊富だから? たしかに水があれば衛生面はある程度維持できるけど……水か。すごく綺麗な水。靴で踏んでいるのにまったく汚れないなんて…)



 試しにバシャバシャと踏み鳴らしてみるが、水自体に浄化力があるかのように綺麗なままだ。


 そういえば、アンシュラオンも水を気にしていたようだ。


 この青い光景を見て強く水を意識したせいだろうか。どんどん疑問が湧いてくる。




 そんなミャンメイとは対照的に、カスオは歩みを止めない。



「へへへー、ふんふーん♪」



 小学生がピクニックに行くように上機嫌である。


 なぜそんなに機嫌がいいのかわからないが、競馬で万馬券でも当てたような喜びようだ。



(やっぱりあの話は嘘だったのね。わかってはいたけれど…こういう人って本当にいるのね)



 ミャンメイがカスオを見る目が、どんどん厳しくなっていく。



 なぜならばこの段階で、カスオの話はもう【嘘確定】である。



 私財がどうやらといった話は、やはり自分を連れ出すための口実だったようだ。


 世の中にはどうしようもないクズがいるものだ。絶対に信用できない人間がいる。


 それがこのカスオのような『人種』なのだろう。


 それはいい。わかっていたことだ。わかっていて、あえて話に乗ったのだからショックは受けない。


 ただし、なぜ自分を選んだのかがわからない。その目的も不明だ。


 相手が男ということもあって、最初はふしだらな目的も想定していたが、どうやらそういうわけではないようだ。



(これは当たりかも)



 カスオの話が嘘であれ、この場所に来られたことのほうが価値がある。


 こんな場所があることはまったく知らなかった。何も知らずに三年も上で暮らしていたのだ。


 今までいろいろと我慢をしてきて、ようやく『何か』にたどり着けそうな気がしている。


 その確信は、どんどん強まっていった。





 景色は、それからも移ろう。



 湖畔の光景から、海のような場所に移り、海中のような場所になり、時には空に漂う世界が広がる。


 ミャンメイはそのたびに、自分という存在を見失いそうになる。


 あまりの幻想的な光景に目を奪われてしまうのだ。


 しかし、カスオはまったく気にせずに進んでいるので、その感性の無さは驚異的というべきだろうか。


 感動というものは、それに適応した感性を持たなければ感じられないものだ。


 どんなに美しい景色でも、心が歪んでいる人間には、何の価値もないものにしか映らない。


 彼が欲しているものは、もっと俗的なものなのだろう。





 そして、ひときわ大きな空間にたどり着く。



 そこは『丸い水槽』といった様相の世界だった。



 ミャンメイたちがいる球体の周囲、見えない壁で隔てられた外側は、三百六十度すべてが水で包まれていた。


 言ってしまえば、水族館に近い。


 よく海中トンネルみたいな造りで、上下左右すべてが見渡せる水族館があるだろう。あれと一緒だ。


 ただし、魚がいるわけでも海草が漂っているわけでもなく、水だけがそこにあった。


 青い世界は外にずっと続いていて、奥に行けば行くほどグラデーションのように濃い青になっていく。



(深い。…そして怖い)



 深海の底を眺めるかのように、ぞっとする。


 青い空間は清浄と呼べるかもしれないが、それ以外の存在を認めないような排他的な印象を受ける。


 球体自体が光っているので周囲は明るいのだが、怖くて奥を見るのは憚られる不気味さがあった。


 そして、人工的な光によって照らされた空間があるということは、何かの目的のために用意されていることを証明してもいた。



 そこに【意思】がある。誰かの意思がある。



 カスオが中央にある台座に触れると―――



 ウィンンッ



 床から三メートル弱の長方形の箱が出現。



 箱は若干色がついた透明な色をしていて、中にはベッドのようなものが据え付けられていた。


 ちょうど人間一人がすっぽり入れるくらいの大きさだ。


 ウィーン カパッ


 長方形の物体が左右に割れて、ベッドが剥き出しになる。




「へへへ…これでよし、と」



 カスオが満面の笑顔で満足そうに頷くと、ミャンメイのほうに振り向く。



「いやぁ、大変お待たせいたしました。ここにわたくしの私財がありましてね。すぐに取ってきます。おお、そうだ。もしよろしければ、ここに座ってお待ちになっていただいてもけっこうですよ。へへへ…」



 カスオは揉み手をしながら愛想笑いを浮かべている。


 当然ながら、それを受けるミャンメイは冷めた目を向けていた。



(呆れた。まだ騙せると思っているのかしら? 私でもこれは無理があると思うわ)



 嘘に決まっている。何を言っているんだ、この男は。


 というのが素直な心境だろう。


 だが、今はそれよりも情報を得るのが優先だ。


 ぐっと我慢して、お馬鹿な若い女を演じることにした。



「わー、すごいですね。こんな場所があるなんて初めて知りました」


「そうでしょう、そうでしょうとも! ここはわたくしだけが発見した特別な場所なのですよ!」


「さすがクズオさんですね! 一目見た時から、すごい人じゃないかと思っていたんですよ。やっぱり予想通りでした」


「な、なんと! そうでしたか! 見る人が見ればわかるのですね! へへへ、うちの娘とはえらい違いですな」


「こんな素敵なクズオさんから生まれたんです。娘さんだってすごい人に決まっていますよ」


「それは言えますな! それなりに役に立つようですから、ここを出たら顔くらい見に行ってやってもいいかもしれませんね。へへへ」



 カスオはミャンメイのお世辞を額面通りに受け取ったようだ。


 普段褒められることがないせいか素直に喜んでいる。(名前を間違えられているにもかかわらず)


 ミャンメイにとっては単純に気を好くさせるための会話であったが、その中に気になる言葉があった。



(ここを出たら…? 出られるの? まるで確信しているようだわ)



 今の台詞は何気なく発せられたもののようだが、カスオはさも当然かのように「出る」と言っていたことが気になる。


 これだけ長く地下にいるのだ。普通ならば外に出るという願望すら諦めるくらいだろう。


 それがどうだろう。目の前の男は、もうすっかり出られる気分でいる。


 その根拠は何なのか。なぜそう思うのか。


 そのまま訊いても答えるわけがないので、今現在もっとも気になることについて訊ねる。



「ところで、それは何ですか?」



 ミャンメイが視線を向けたのは、目の前にある長方形の何かだ。


 今は左右に分かれており、中央にはベッドのようなソファーのようなものが設置されている。


 まるでそこに「人間を寝かせる」のが目的かのように、これみよがしにあるのが印象的だ。


 その意味では『カプセル』と呼ぶのが適切だろうか。



「へ? ああ、これは……なんです…かね? リラックスする…ベッドですかね?」


「それもクズオさんの私財ですか?」


「ま、まあ、わたくしが見つけたので、私財と呼んでもよいのではないかと思いますな! うん、間違いない! これはわたくしのものですよ!」


「それも持ち出すのですか?」


「…え? そ、そうですな。こんな珍しいベッドならば、きっとかなりの金になるでしょう! それで皆様方のお役に立てるのならば、これほど名誉なことはありません!」


「それ、動かせます? かなり固定されているみたいですけれど…」


「お、おお、よくぞ訊いてくださいました! 実はこのベッド、人が入ると動くのですよ! ですから、誰かが入れば簡単に動かすことができるのです! それでぜひ、あなたに入っていただきたいと思うのですが…どうでしょう?」


「それはすごいですね! ちょっと見てもいいですか?」


「どうぞどうぞ! ぜひともごらんください! ごゆっくりどうぞ! へへへ」



 ミャンメイは謎のベッドに近寄る。


 その間も背後の警戒は怠らない。




―――「油断するな」




(はい、ホワイトさん。わかっています)



 こんな状態でも、ミャンメイに心細さはまったくなかった。


 今までの自分ならば、いや、若い女がこんな場所で「悪意ある男」と二人きりならば、恐れおののくのが普通であろう。


 しかし、心の中に宿った白い力が勇気を与えてくれる。


 自分を虐げてきた理不尽な何かに立ち向かう力を与えてくれる。



(それにしても、これは何なのかしら? ベッドというか…まるでひつぎみたい)



 仮にこの中に人が入ることを前提としたものならば、その姿はまるで【棺】と呼ぶに相応しい。


 それが何のために存在するのか、現状では皆目見当も付かない。


 ただ、カスオの様子からして、この中に自分を入れたがっていることは間違いない。


 こうして開いたのならば、再び閉じるはずだ。そうなれば出ることは容易ではないだろう。



(私を閉じ込めるのが目的? 兄さんやホワイトさんへの嫌がらせ? そういった趣味の危ない人? ううん、そんなことをしても意味がないわ。だって、この人は『外に出たがっている』のだから)



 カスオの言動から、ここに来た目的は「外に出る」あるいは「逃げるため」と推測できる。


 地下にいても最下層の人権しかない彼にとって、最大の喜びとは「解放」を意味するはずだ。


 さっさとこんな場所から出て、好き勝手に生きたいと思うのが普通だ。


 それは間違いないのだろうが、そのために自分が必要だという理由がいまだにわからない。



(ちょっと誘ってみようかしら)



「うわー、なんかふわふわして気持ちいいですねー」


「お、おおっ! そのまま! ぜひそのまま!」



 ミャンメイがベッドに腰をかけると、興奮したカスオが近寄ってきた。


 それだけを見れば、若い女に興奮した変態中年オヤジだが、彼の目的はあくまでベッドに寝かすことのようだ。



(やっぱり。それなら…)



「これって、どうやって寝るんですかね?」


「お任せください! お手伝いいたします! へへへっ!」



 横になるそぶりを見せると案の定、カスオが喜々とした表情を浮かべる。


 その顔は、もう勝った、と言わんばかりの緩みようである。



(この顔をしている人ならば大丈夫)



 レイオンの試合の景品として、多くの選手を見てきたミャンメイもまた、相手の状態がよくわかるようになっていた。


 勝ったと思った時こそが、一番の落とし穴。


 必ず隙が生まれるのだ。


 不思議なことに、これは絶対の法則である。




 そして、互いの距離がギリギリまで近寄った時―――入れ替わる。




 すっとミャンメイが立ち上がると同時に、カスオの足を引っ掛けた。




「ふえっ! うおっ!!」



 まさかミャンメイがそんなことをするとは思わなかったのだろう。


 無警戒だったカスオは、あっさりと足を取られてふらつく。


 ただでさえ足が完全には治っていない状態である。倒れ込むようにベッドに手をついた。


 そこにさらにミャンメイの追撃。



「えいっ!」


「どわっ!」



 ドンッ


 後ろから体当たりをして、完全にカスオがベッドに這いつくばる。



 ピピピッ ウイーーンッ ガコンッ



 それと同時に、分かれていた棺が元の形に戻っていく。



「えっ! えええ! ふぇっ!?」



 こうして目論見とは逆に、カスオが閉じ込められることになった。



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