448話 「ミャンメイの賭け 前編」


 二人は、医者に通じる通路の分かれ道にまでやってきた。



「本当にここでいい。もう戻っていいぞ」


「大丈夫?」


「見くびるな。俺はお前の兄だ。簡単には死なない」


「ええ、そうね。自慢のお兄ちゃんだもの」


「お前こそ気をつけて戻れ」


「何もないと思うけれど…そうするわ」


「何かあったら叫べ。駆けつける」


「大丈夫よ」


「笛でも持っておくか? 閉じ込められた時にはいいと聞くし…」


「必要ないわ」


「それならば煙玉はどうだ? 色付きだから何かあればすぐに…」


「もう! 子供じゃないのよ」


「子供じゃないから心配なんだが…まあいい。気をつけろよ」


「ええ、またね」


「ああ」



 二人は別れる。


 何気ない別れだ。特に意味もない。


 またすぐに会えると思っている。




 いつしか、そういった油断がどこかに潜んでいたことは否めない。




 長く地下にいると、それに慣れてしまう。


 たとえばスラムが危険だ危険だと言われていても、長く住んでいれば本当に危ない場所はわかるようになり、ルールもわかってくる。


 そうなれば案外、安全なものだ。


 タブーを犯さなければ、そう簡単に危険な目には遭わない。


 たまに無法者がいて一般人が巻き込まれるケースもあるが、ヤクザや暴力団は基本的に縄張りを荒らさなければ無闇に攻撃してはこない。


 ミャンメイも長くラングラスエリアにいることで、ある程度のことは理解していた。


 『奥』に近寄らなければ騒動には巻き込まれないし、何よりもレイオンが身内にいる。


 彼女に危害を加える者など、そうそういないものである。



 ただし、世の中にはいろいろと例外があるものだ。



 今回のケースもそれに該当するだろう。


 まったく予期していないところから何かがやってくることがある。





「へへへ…どうも」





 その帰り道、ミャンメイは『カスオ』に出会った。



「あら、『クズオ』さん、こんなところでどうしたの?」



 ミャンメイが話しかけるが、思いきり名前を間違えている。


 カスでもありクズなので、いまだに名前が定着していないらしい。


 とりあえず自称カスらしいから、そのままカスオと呼んでおこう。


 改めて説明しておくと、シャイナの父親だ。


 取り柄はクズであること。名誉ある『キング・オブ・クズ』の称号を持っている偉大なるクズの初代チャンプだ。


 だからこそミャンメイも間違えたのだろう。そこはたいした問題ではない。


 カスオもそこには言及しない。どうせ偽名なので、なんでもいいのだろう。



 さて、それよりはカスオである。



 彼はグリモフスキーにリンチされて助け出された身なので、わざわざここに来る理由はない。


 見つかったら、また何かされるに違いないのだ。その彼がここにいること自体が奇妙なことであった。


 そうした事情を知っているミャンメイも不思議そうな顔をしている。


 カスオはそんな彼女に対し、いつものへらへらした顔で笑いかける。



「へへへ…実は、ちょっとこの先に『いいもの』がありまして」


「いいもの?」


「わたくしが隠している『私財』でございます」


「私財? 財産ってことかしら?」


「はい。ちんけなわたくしですが、地下で細々と貯蓄をしていたわけでございます。それを取りに行こうと思っていたところなのです。こんなわたくしを迎え入れてくださった皆様のために、少しでも役立てようと思いまして」


「それはそれは、ありがとうございます。小さな子もいますから助かります」


「へへへ、それはよかった。ところで、今はお暇ですか?」


「はい。特に用事はありませんけれど…強いて言えば、料理の下ごしらえくらいかしら?」


「ああ、なるほどなるほど! 夕食前ですものね! もちろん、わたくしもお手伝いいたしますよ! 皆様のために働けることがわたくしの最大の喜びですので! …ですが、その前にちょっとお手伝い願えませんかね?」


「私が、ですか? その私財のお話ですか?」


「へへへ、はい。見ての通り、今はこの足です。こんなにノロマな男が財産を持って歩いていたら、即座に狙われてしまいます。なにせここの連中ときたら、野蛮で乱暴な犯罪者どもですからね。ほんと、気が気ではありませんよ。しかし、レイオンさんの妹君であらせられるあなた様がご一緒ならば、あいつらも簡単には手が出せないはずなのです!」


「ああ、そういうことですか。それはたしかに…そうですね」


「はい。ですからどうでしょう? ほんの少しでいいので、お付き合い願えないでしょうか? たいした手間は取らせませんので。へへへ…」



 カスオは揉み手をしながらミャンメイの様子をうかがう。


 それが生来のものとわかっていても、相変わらずイヤらしい顔つきである。


 顔からして性根の悪さが滲み出ているようだ。


 誰に対しても好意を向けるミャンメイではあるが、カスオが好きというわけではない。


 以前の自分ならばもう少し愛想の良い対応をしたのかもしれないが、今の自分はアンシュラオンによって自我を取り戻している。


 その影響もあってか、カスオに対しては今まで以上の不快感や嫌悪感といったものを感じるようになっていた。



(私って、こんなに心根が悪い女だったかしら?)



 と自分でも思うほど、好意的な感情が湧いてこない。


 だが、そんな自分すら肯定する。



(いいんだ。私はこれでいいんだ。こんな私でもホワイトさんは認めてくれたじゃない。兄さんとあの人にさえ認められれば…それだけでいいんだわ)



 人間は誰かに好かれたいと思う。嫌われたくないと思う。


 円滑な社会生活を送るために集団内での軋轢を嫌うからだ。


 しかし、だからといって誰からも好かれるような人間になってはいけない。


 嫌われていいのだ。好きじゃなくてもいいのだ。それには相応の理由があるからだ。


 はっきり言おう。




 出会う人間の1%でも好きになれたら、あなたは聖人だ、と。




 嫌いな人間を無理に好きになることはない。そういう存在なのだと理解できる力があればいい。


 それくらいでいい。あとはそれなりに無駄な騒動を避けて暮らせば十分だ。


 ミャンメイはようやく、そのことに気付き始めていた。


 『恐れ』といった感情が少しでも宿れば、自分の心に根付いた白い力が即座に掻き消してくれる。


 アンシュラオンが肯定してくれる。認めてくれる。


 そこに強い安心感を得る。心のどこかで彼と繋がっているような気持ちになれるからだ。


 そして、意識がはっきりしてくる。今までぼ~っとして流されていた自分がいなくなっていく。




 一度心を落ち着けて、カスオを見た。



 カスオがここにいる理由はわかった。


 地下とて物流がないわけではない。経済があるのだから、各個人で貯蓄くらいはできるだろう。


 ただ、疑問点も多い。



(私財…か。この言い方からすると…お金とかなのかしら? でも、お金って言わないところが気になるわ。そういえば…)



「クズオさんは、たしか仲間の人に暴力を振るわれて、それで仕方なくマザーのグループに入ったんですよね?」


「ええ、ええ。本当に酷い話ですよ。あいつらは生粋の悪ですな!! 間違いない!」


「その時、お金は持ち出せたんですか?」


「え? それは…その……置き去りといいますか、やつらに奪われたといいますか…さすがにそのような暇はなく……今頃はなくなっているでしょうな…さすがに」


「では、私財というのはどのようなものでしょう?」


「え? はぁ、それは…なんといいますか…お金的なものといいますか…お金になりそうなものといいますか…」


「物ですか?」


「は? は、はぁ…物的ものてきなものといいますか…価値あるものといいましょうか…」


「具体的に何ですか?」


「え? ええ、それは…秘密でございます。こんな場所ではちょっと言えないものでして…行けばわかりますよ。へへへ」


「それでは困ります」


「え!? どうしてですか?」


「だって、もし行って私が持てないようなものでしたら、足手まといになってしまいます。それならば最初から男性に助力を願ったほうがいいでしょう。あるいは台車か何かを持ってくるかすればいいのではないかと」


「…は、はぁ…なるほど…。それも道理でございますが、やはり人手というものが必要だと思うのですよ」


「単なる人手ならば、私でなくても大丈夫ですよね」


「ああ、いえいえ! レイオンさんの妹であられるあなただからこそ、価値があるのです!」


「持てなくてもですか?」


「そこはわたくしめがなんとかいたします。他の連中の抑止力にさえなっていただければ…」


「………」


「へへへ…その…へへへ……なにとぞよろしくお願いできれば……」



 まさかミャンメイが、ここまで警戒するとは思っていなかったのだろう。


 慌ててしどろもどろな説明を繰り返すカスオの姿は、なんとも違和感がある。



(妙に焦っているわ。…怪しい)



 アンシュラオンからは、カスオを信用するなと言われている。


 これもはっきり言おう。




 クズが簡単に更生することは―――ない!!




 断じてない! ありえない!!


 差別だと言われても事実は事実なのだから仕方がない。


 腐った性根は簡単には治らない。治らないとは言わない。あくまで「簡単には治らない」のだ。


 これは病気という意味で、あえて【治す】と言うべきだろう。正常な状態ではない、という意味だ。



 何十年もかけて染み付いた汚れは、ちょっと拭いたくらいで取れるわけがない。


 万引き犯や麻薬中毒者などが再犯を繰り返してしまうのは、そういった傾向性が『習慣』として染み付いているからだ。


 癖とは怖いものだ。ついうっかり人前で出て恥を掻くことも多いだろう。


 やろうと思っているわけではない。反射で出てしまうのだ。だから怖い。


 これを戻すには、強力な洗剤を使っても何十回もこすらないといけないし、仮に綺麗になっても手入れを怠れば、またすぐに汚れてしまう。


 更生とは、努力に努力を重ね、さらに他人からのサポートがあってようやく成り立つくらい大変な作業なのだ。


 こんな数日たらずでカスオの性格が変わるわけがない。



 そのうえ相手は、キンブ・オブ・クズ。



 アンシュラオンに認められるほどのクズのキングである。


 レイオンが無手のキングならば、カスオはクズのキングだ。王者を侮ってはならない。


 今まであまり相手を疑うことをしなかったミャンメイであるが、ここにきて妙に頭の中がクリアになっていく感覚があった。


 警戒しろ。気をつけろ。怪しいぞ。


 自分の中にある白い力が、そう言っているような気がした。



(何か企んでいそう。でも、何を? ここで何かしたら兄さんが黙っていないだろうし、また追い出されたら本当に行き場がなくなる。そんな状況で変なことをするかしら? …でも、何があるかわからない。ここ数日のことを思えば、何が起きても不思議じゃないわ)



 ミャンメイは数度自問してみる。


 断るのは簡単だ。今の自分ならば怖がることはない。


 ただ、何かを企んでいるとすれば、それを知るチャンスでもある。


 もしここで断って企みがわからなくなれば、それこそ正体不明の火種を抱えることになる。


 まだ幼い子供たちがいるのだから危険が増すかもしれない。それだけは避けねばならない。



(私だけにこうして言ってくること。兄さんが怪我をしたタイミングであること。ならば、私を『ターゲット』にしているのは間違いないわ。兄さんもホワイトさんもいないけれど…どうしよう?)



 ミャンメイは、腰にある鞘に入った包丁に触れる。


 料理人にとって包丁は、人を傷つけるためにあるものではない。


 しかし、アンシュラオンが自分にこれをくれた意味を少し考えてみた。


 ニーニアにも自衛の大切さを説いていたのを聞いていたが、たしかに自分の身は自分で守らねばならない。



 それもまた―――覚悟



 包丁を触っていると落ち着く。


 アンシュラオンの気配を感じるし、力強いお守りにさえ思えてくる。



 そして、ここでも「ある予感」がよぎった。



 サナに対して感じていたような強い確信。それがなぜかカスオからも漂っているのだ。


 この男には何かある。


 漠然とした直感のようなものが自分を駆り立てる。



(この都市に来てから感じていた疑問や違和感。その答えが、この先にある気がする。何か…何かがありそうな気がするの。今が最初で最後のチャンスかもしれない。それを逃したら後悔するような気がする。だったら自分の手で掴み取るしかないわ)



 ミャンメイは、一度だけ包丁をぐっと握り、離す。


 それで覚悟は決まった。




「わかりました。一緒に行きましょう」


「ですから、ぜひともあなたでないと……え?」


「わかりました、と言いました。私が必要なのでしょう?」


「え、ええ…はい」


「では、行きましょう」


「は、はぁ…」


「行かないのですか?」


「い、いえいえいえ! 行きましょう! 参りましょう! いますぐ、気が変わらないうちに! へへへ!!」



 ミャンメイの内面などまったく気にもしていないカスオが、突然の変化の意味に気付くはずもない。


 上手くいったとばかりに、ほくそ笑む。


 その仕草こそがミャンメイに確信を与えているとも知らずに。



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