441話 「エル・ジュエラー、青き狼の願い 後編」


 青い狼。



 かつてサンダーカジュミロンであったもの。



 狼はアンシュラオンに殺された、単なる魔獣であった。


 希少種だが、そこらの魔獣のように生物としてのレベルは高くはない。


 彼より強い魔獣は数多く、アンシュラオンに狙われなくても他の魔獣に殺されていたかもしれない。


 弱いものは強いものに喰われる。淘汰される。これが自然界の掟であり循環だ。


 そのままだったならば骸と化して、人々の記憶から完全に抹消される存在となっていただろう。


 だが、幸か不幸か、彼の力は黒き少女の一部として生まれ変わった。



 だが、そこに意思はない。



 自分と同じく、何の意思もない存在だ。


 あるのは本能。力という存在のみ。与えられた命令のみ。




―――「守る力を」



―――「サナを守る力を」



―――「オレの願いをここに託す」




 力の中に、とても大きくて温かい感情を見つけた。


 アンシュラオンが思念液を使って再構築した際に、ジュエルの根幹になったものだ。根幹にされたものだ。



 狼は―――守りたがっている



 そのためだけに生み出された存在だからこそ、黒雷狼になってまで自分を守ろうとしたのだ。


 存在意義なのだ。目的なのだ。


 自分を守るためにだけ存在する力を、そのままにしておくのは酷だ。


 無視をしたり放置したりすれば、健気にまた命令を遂行するために暴走するだけだ。


 彼にはそれしかないのだ。与えられた命令しかないのだ。


 だから見つめ合うしかない。突き詰めるしかない。



「受け入れてあげて。彼に道を示してあげて」


「…こくり」



 エンジャミナの言葉にサナが頷く。


 狼の想いを受け入れる。


 アンシュラオンの願いを、受け入れる。



 この時サナは、心にむず痒いものが走ったことに気付いた。


 大きなものに包まれる感覚。温かい命気水に浸かっている感覚に似ている。


 それが何なのかはまだわからなかったが、けっして不快でない。



 それどころか―――




「…―――っ!!」




 バチンッ!!



 サナの身体、その体表に青雷が走った。



 バチンバチッ! バチンバチンッ!



 青い雷は放電を繰り返す。


 ただ、周囲を無駄に傷つけるものではなかった。あくまで自分の周囲を包むように展開されている。



「…ぎゅっ」



 ジュエルに触れてみる。


 とくんとくん とくんとくん


 自分と同じ心臓の音。まるで生きているかのような鼓動。


 いや、しっかりと生きている。間違いなくこの中で生きている。活動している。



「………」



 それをそのまま受け入れる。


 あれをしろとか、これをしろとか、ああしたほうが言いとも考えず、あるがままに受け入れる。


 良いところも悪いところもすべて受け入れる。これもまた自分の長所だ。


 アンシュラオンに言われたことを素直に受け取るように、狼のことも受け入れてあげる。




―――「フルルルルルッ」




 美しい音色が聴こえた。


 風に乗って遠くから聞こえる笛の音のような、とても綺麗な音だ。


 ただ、よく聴くと、それは狼の声であることがわかった。


 サンダーカジュミロンの遠吠えは、笛のような音色を奏でる。きっとその残滓なのだろう。


 美しく風情と情緒を感じさせる音だ。




 春の日、これを聴けば生命の始まりを知るだろう。


 夏の日、これを聴けば生命の謳歌を味わうだろう。


 秋の日、これを聴けば生命の奥深さに気付くだろう。


 冬の日、これを聴けば生命の儚さに涙するだろう。




 獣の一生が、そこにはあった。


 人間から見れば獣は理解しがたい存在だ。


 存在することは知っていても、その意味を深く考えることは少ない。



 しかし、同じ生命である。



 そこには感情があり、意識があり、進化がある。



 どくんっ



 不意に巨大な力を感じた。


 それは自分の中、その奥深くに眠っている「深淵の闇」から発せられていた。




 【黒い狼】が―――いた




 黒雷狼ではない。暴走した力のように禍々しいものではない。


 とても優しくて深くて、強い力と意思を感じる。


 世界そのものが自分の中にあるような感覚だ。


 意識が広がって、宇宙から星を俯瞰しているように視界が広がっていく。





「っ…!!」



 サナが力に触れている時、外で導いていたエンジャミナも驚くべきものを見ていた。



 彼女の眼に映るものも―――黒い狼



 サナの背に、雄大で力強く、それでいて優しい力が満ちて狼になっていく。


 黒雷狼すら遙かに凌駕する存在が、まるで守るようにサナを包んでいた。



(これが…【黒狼様】の……眷属。初めて見たわ。普段は人間の前に姿を見せることはないのに…。こ、幸運と思っていいのかしら?)



 エンジャミナは、あまりの力の大きさに震えてしまって動けない。


 たとえば高層ビルの屋上から地面を見た時のように、あるいは真っ暗な深海を覗き見た時のように、それ自体は害をなさずとも、巨大な力の前に畏怖してしまうのと同じだ。


 力の桁が違いすぎる。広大すぎる。


 これは世界を構成する力そのものだ。星を生み出し、維持するエネルギーだ。


 そんなものの前では人間など何の力も持たない。ダニ以下の存在である。



 しかし、黒狼はすべてを愛する。



 ダニの一匹すら世界にとっては必要だから存在している。


 人間が嫌うゴキブリでさえ、大地を耕す虫たちの食糧としても役立ち、世界の循環を成り立たせている。


 彼らにも独自の進化があり、無駄なものなど存在しないのだ。



 だからこそ、愛する。



 黒い狼、黒狼の眷属は優しい目で、この場にいるすべての人間を見守っていた。


 すでに述べたように破壊は再生とともにあるものだ。けっして不純で卑しい力ではない。


 闇の女神がすべてを愛する慈悲と慈愛の象徴のように、黒い力はあらゆるものを呑み込む性質を持っている。


 サナには、その力が受け継がれているのだ。



(白狼様の期待を受ける少年と、黒狼様の加護を持つ少女。…鳥肌が止まらない。これは…本当に……すごいわ)



 ニーニアが伝記を書くどころの騒ぎではない。


 彼らの存在が、こんな辺境のいち都市にあること自体が驚愕すべきことなのだ。


 発展した西大陸ではなく、未開発の東大陸に彼らがいることに大きな意味を感じてならない。


 そして、そんな場所に自分がいることが信じられない。


 おとぎ話の中に入り込んでしまったと錯覚するほど現実感が希薄だ。


 だが、確実にそこに存在している。




 力が―――ここにある




 サナの中に青い狼の願いと、黒い狼の雄大な可能性、それに加えてアンシュラオンという白い力が満ちていく。


 青雷が収束していく。ペンダントに収まっていく。



 青い狼が、かしずく。



 伏せて身を屈め、サナの前に寝そべった。



 ここに新たな【契約が完了】した。





 それを見届け、エンジャミナがサナに話しかける。



「力があるのがわかる?」


「…こくり」


「それを表に出せる?」


「…こくり。ぎゅっ」



 サナがペンダントを強く握る。


 彼女の目はどこを向いているわけでもない。何かを意識しているわけでもない。


 いつもと同じ、ただじっと宙を見つめるだけだ。



 しかし―――




 パチンッ パチンッ!!!




 サナの身体が青白く輝いていく。


 肌の表面に青雷が走り、産毛が逆立っていく。


 風が吹いていないにもかかわらず、黒く美しい髪の毛がばっさばっさと揺れて流れていく。


 身体全体に力が満ちていく。ジュエルから力が注がれていく。



「へぇ、これがジュエルの力か。なかなか面白いじゃないか」



 アンシュラオンが興味深そうにサナを観察する。


 明らかに彼女の気配が変わった。


 サナ自身に大きな変化があるわけではないが、気配がもう一つ増えた感覚と同時に、乗算するように力が上乗せされたように感じられたのだ。



「変な感じはしないか?」


「…こくり」


「普通に扱えそうか? 制御できそうか?」


「…こくり」


「ふむ、安全面の問題はなさそうだな。ねえ、魔石って使うと能力が上がるの?」


「え、ええ。そのジュエル次第ね。たとえば私のものは完全にサポート用だけれど、戦闘用のジュエルならば身体機能が上がることも多いわ。腕力が上がったり、特別な力が付与されることもあるの。それも魔石の種類によって違うのだけれど…」


「なら、試してみよう。そのほうが早い」



 アンシュラオンがポケット倉庫をまさぐると、鎧を取り出す。


 いつもサナの練習用に使う全身鎧である。これを実験台にする予定だ。


 ただし、忘れてはいけないことがある。


 ここには本来、ポケット倉庫などの術式を封印する結界が張られていた。事実、アンシュラオンも最初に来たときはポケット倉庫を使えなかった。


 今はそれが使えるようになっているのだ。アンシュラオンは、すでにそのことに気付いていた。



(やっぱり封印術式が破壊されている。さっきの黒い雷のせいだろう。あれにはあらゆるものを破壊する力があるようだ。さて、それと比べて今の力はどうかな? 性能テストはベンケイ先生くらいでいいか)



 ガシャンッ ガシャン


 アンシュラオンの戦気術によって中身が作られる。


 性能はアル先生と戦ったベンケイ先生を想定してみた。


 期待を込めて、なかなか高い設定である。



「とりあえず殴ってみようか。遠慮はいらない。思いきり殴っていいぞ」


「…こくり」



 サナがスタスタとベンケイ先生の前に立ち、構える。


 ここまでは今までと大差はない。



 しかし、ここからが違う。



 サナが拳を打ち出す。


 引き絞られた拳が一気に解き放たれる瞬間―――雷が迸る。


 それは攻撃のためではなく、サナの身体に影響を与えるものだった。



 まさに―――閃光。




 バキバキバキッ ドンッ!!



 雷の速度で打ち出された拳が鎧に激突し、そのままぶち破る。



(ほぉ、速度が数段上がっている。威力も上昇しているな。これはすごい)



 それにはアンシュラオンも嘆息。


 さすがにアル先生もてこずった中身の戦気までは破壊できていないが、外装にも戦気の防御膜が張られていたので、それを打ち破ったことは評価できる。



「これは戦闘能力が強化されているから、戦闘系の魔石だと考えていいんだよね?」


「………」


「ん? マザー、どうしたの?」


「えっ!? え、ええ…いえ、こんなにすぐ馴染むなんて珍しいから、ちょっと驚いてしまって」


「そうなの?」


「私もジュエルに馴染むまでには時間がかかったわ。だって、別々のものなんですもの。どんなに相性の良い友達とだって、最初から仲良くってわけにはいかないでしょう?」


「それもそうだね。何事にも慣れるための時間が必要だ。ただ、これはオレがこの子のために作ったものだ。個人的には不思議じゃないかな」


「それでも簡単じゃないわ。普通じゃありえない」



 エンジャミナの魔石もカーリスが生み出したものなので、カーリスのシスターだった彼女と相性が良いはずだ。


 それでも力を引き出すには二年以上の修練が必要だった。毎日脇目も振らずに努力をして、ようやく使えるようになったのだ。


 それが―――あっという間


 最初から自分の一部だったといわんばかりに、サナは違和感なく力を身にまとっている。


 これは明らかに異常である。


 ただし、心当たりがないわけではない。



「『エル・ジュエラー』って言うのよ」


「…え?」


「ジュエルの力を90%以上引き出せるジュエリストのことを、そう呼ぶの。〈世の声を聴く者〉、声無き声を聴き、世に影響を与える存在。それがエル・ジュエラーよ」



 50%以上の性能を引き出せれば、ジュエリスト〈石の声を聴く者〉と呼ばれる。


 これだけでも立派な数字だ。全体の一割いるかいないかである。


 それが90%以上となると、がくんと数字が落ちる。


 おそらく武人全体の0.01%以下。仮に武人が一万人いれば、その中に一人いるかどうかの割合である。


 武人の数自体がそう多くはないので、この数字はかなりの倍率といってよいだろう。


 しかもジュエルには多様な形態があり、戦闘系のジュエルと相性が良い者となれば、もっと数は少なくなる。


 それゆえにエル・ジュエラーともなれば、各国の騎士団長クラスに任命されることが多い、まさに逸材なのだ。



(なるほど、だからサナのスキル欄に表記があったのか)



 ここでようやくスキルの内容がわかる。


 エル・ジュエラーは、魔石との融合がより進んだ者に与えられるスキルだ。


 サナの場合、彼女専用に仕上げられたことによって最初から融合が進んでいたのだろう。それも思念液の効果だと思われる。


 何事も専門家に訊くのが一番だ。思わぬところで謎が解明されてすっきりする。



「それって特別って思っていいの?」


「もちろんよ。とんでもないことね。世界的に影響を与える人物にしか持ち得ない資質ですもの」


「そうなんだ。…そうかそうか。ふっふっふ!! それはいいね!! とてもいいよ!! この子はやっぱりすごい子なんだよな! 見る人間が見ればわかるんだ! まったく、モヒカンのやつ! あいつは本当に見る目がない!!」



 たかが言葉を話せないだけで、セノアたちより値段を下げていたくらいだ。


 あのモヒカンはまったくもって見る目がない。


 いや、自分の見る目がありすぎたのだ。サナを選んだ自分がすごいのだ!!



「すごいぞ! お前はすごいんだぞ!! やっぱり最高だ!!」


「…こくり」


「いい子だ! 本当にいい子だ! 可愛いなぁ!! すりすりすり!」


「…むぎゅっ」



 アンシュラオンは、しばらくサナを触ったり抱きしめたりしながら褒めちぎっていた。


 どんどん成長するサナが可愛くて可愛くてしょうがないのだ。



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