438話 「マザーの決意」


 美しい白い力によって、黒雷狼が消失した。


 そんなものは最初からいなかった、といわんばかりに消えてしまった。


 しかし、いなくなったわけではない。


 この世界に本当の意味で消失というものは存在しない。


 水が蒸発して雲になり、雨が降り注いで恵みを与え、流れてまた雲になるように、世界はすべて循環している。


 さまざまな形に変化するだけであり、元からある総量に変化はない。


 黒雷狼もまた同様に存在している。扱いきれなかった力が世界に戻っただけで、その種子はしっかりと根付いているのだ。



 すとん



 力によって浮いていたサナが、柔らかく床に落ちてくる。



 ばちっ ばちばちっ ピカピカッ



 ペンダントが明滅しながら、わずかな【青雷】を放っていた。


 黒雷ではない。青雷である。元から宿されていたサンダーカジュミロンの力だろう。


 アンシュラオンはサナのもとに向かうと、優しく抱えながら様子をうかがう。



(スキルの暴走は収まったようだな。サナの体調にも異常はない)



 命気を使って全身を調べてみたが、肉体に損傷はなかった。


 黒雷狼の『自己修復』スキルは本体のサナにも効果を発揮するようだ。綺麗さっぱり全治している。


 それからペンダントをつついてみる。


 つんつん シーン



(感電は…しないな。力が外に漏れていない。しっかりと内包されている状態だ。安定状態というべきかな?)



 小さな青雷が飛び散っているように見えるが、力はあくまで内部で動いているようだ。


 こうして触っても痛くはないし、感電もしない。



(ちょっともったいない気もするな。あの黒い狼の力があれば、そこらの武人なんて太刀打ちできないのにな。プライリーラたちにさえ、サナ一人で圧勝だ)



 黒雷狼ならば、風龍馬すら秒殺しかねないだろう。


 当然プライリーラやアーブスラットも何もできない。レベルが違いすぎる。


 サナがそれだけの可能性を宿していることに興奮しつつも、今は使えないことが残念でならなかった。



(これは仕方がないか。サナの安全確保が最優先だ。それにもしサナがオレの力を吸収できるのならば、もっともっと強くなってもらいたいな。オレにあっさりと倒されるようじゃ、まだまだだ。第四神級って書いてあったけど、どうせなら第一級を目指してほしいもんだ。それくらいでないとオレのパートナーは務まらないぞ)



 現状での黒雷狼の強さは、殲滅級魔獣の上位か、撃滅級の下位レベルである。


 属性の相性が悪ければ殲滅級にさえてこずる可能性があるのだから、まだまだ未熟といわざるをえない。


 アンシュラオンやパミエルキは撃滅級の上位魔獣でも倒すことができるので、最低でもそのラインには到達してもらいたいものだ。


 と思いつつも、アンシュラオンの顔はにやけている。


 何気なく拾った魔石が、これほどのものに化けたのだ。お得感が半端ない。



(デアンカ・ギースの心臓でも同じことができるのかな? 余ったらやってみるのも面白いか。でもなぁ、あんなミミズみたいなやつが出てきたら…盛大に引くよな。サリータとか意外とああいうのは駄目そうだしな。シャイナならいいかな? あいつがミミズに絡まれたら、それはそれで面白そうだしな)



 黒い狼が出てきたということは、ジュエルの力が高まれば、他の媒体でもああいった具現化が発生する可能性があるのだろう。


 となれば、デアンカ・ギースならば―――ミミズ。


 あんなグロい生物が出てきたら女性陣は生理的に耐えられないに決まっている。


 改めてサナのジュエルは狼にしてよかったと思うのである。



(あとは後遺症だな。天覇・天昇桜雪光帰てんしょうおうせつこうきは、他の攻撃技と比べて圧倒的に『優しい』ものだ。サナに影響は与えていないと思うが…)



 あの技は、対象者だけを優しく分解浄化させる特性がある。


 黒雷狼を消失させるほどの力があるにもかかわらず、床や壁にはいっさいのダメージを与えていない。


 サナへのダメージ還元の可能性を考慮すれば、最適な技だったという自負がある。


 さすが【至高技】であろうか。


 因子レベル7で使えるようにはなるが、普通に因子を覚醒させただけで技のすべてが使えるわけではない。


 それだけでは最低ラインに立っただけだ。


 この技を扱うには光属性の膨大な戦気量と、それを圧縮維持する技術に加えて『愛』が必要だ。


 相手を思いやる気持ちがなければ、この技を使っても効果は半減するだろう。



 アンシュラオンが、サナを思いやって放った一撃。



 だからこそ美しい桜雪を舞い散らせたのだ。




 サナにダメージがないことを祈って、じっと見守る。



 すると二十秒もたたないうちに―――



「…ごしごし」



 サナが目覚めた。


 何事もなかったかのように、目をごしごしこすって起きる。



「サナ、目覚めたか?」


「…じー、こくり」


「痛いところはないか?」


「…こくり」


「意識ははっきりしているか?」


「…こくり、きょろきょろ」



 サナの様子に変わったところはない。


 それどころか状況がよくわかっていないのだろう。周囲をきょろきょろ見回して首を傾げている。



(さすがはサナというところか。そうだよな。あの闇はこの程度で動じるようなものじゃないよな。なにせオレの力すら吸っても大丈夫なんだ。並大抵の精神じゃないさ)



 感受性が乏しいことが、ここでは良い方向に出たようだ。


 あの深淵の闇の前では、いかなる精神攻撃も無意味である。


 サナの神経と精神はそう簡単に傷つくものではない。物理的な傷が回復すれば、いつもの元通りの彼女である。





―――シィイイインッ





 場に静寂が満ちる。


 すでに水泥壁は解除され、観客たちは自由に動けるはずだ。


 だが、誰一人として動こうとはしない。あまりの出来事に動けないのだ。


 誰もが放心状態で見つめている。あのレイオンでさえ動けないで見つめている。




 これはまるで―――サーガの一節




 マザーが示唆していたように、歴史に名を遺すような偉大なる伝記や叙事詩で語られるべき、壮大な歴史の一ページである。


 観客は何も知らないが、これだけのことが起きれば理解はできる。


 何かすごいことが起きている、と。


 だから何も言えないのだ。




 そんな静寂を打ち破ったのは―――




 ぱちっ  ぱち  ぱち




 何かをゆっくり叩く音が聴こえる。ちょっと湿りながらも乾いた音だ。


 最初は途切れ途切れだったが、次第につながるようになった。



 パチパチパチッ



 それは、拍手だった。


 誰かが拍手をしている。


 その音の発生源に観客が視線を向けると、ニーニアがいた。


 彼女は頬を赤らめ、明らかに興奮した様子で拍手をしていた。


 それはさらに熱を帯び、情熱を宿した激しいものとなる。



 パチパチパチパチパチッ!!



 ついには立ち上がって、大きく強い拍手を始めた。


 普段は控えめでおとなしい彼女にしては、実に珍しい光景である。



 そして、その熱量が伝播する。



 不思議なことに誰かが何かを始めると、他の人間に影響を与えて広がっていくものだ。


 人間の霊というものは、一つになる性質を持っている。共鳴しあうように作られている。


 だから誰かが立ち上がって拍手をすれば、つられて拍手をしたくなってしまうものだ。




 ぱちぱちっ ぱちぱちぱちぱちぱちっ!



 パチパチパチパチパチッ!!


 パチパチパチパチパチッ!!

 パチパチパチパチパチッ!!


 パチパチパチパチパチッ!!

 パチパチパチパチパチッ!!

 パチパチパチパチパチッ!!




 そこはやはり観戦慣れしている観客たちである。


 少女に負けるかという対抗意識が芽生え、率先して拍手を始めた。


 とめどなく続く拍手の音が波となって、会場全体に轟いていく。



「おおおお!! やったー! やったぞ!!!」


「すげええええええええええええええ!!」


「なんだかわからないけど、すごかったぞおおおおお!」



 もうそれしか言いようがない。


 そもそもが半端者の集まりなので、まったくもって語彙力の欠片もない。


 だが、熱量はある。想いがある。


 アンシュラオンから始まった力の流れが巡り巡って彼らに伝わり、心の奥底から叫びたい欲求が湧き上がる。





―――「おおおおおおおおおおおおおおお!!」





 ドンドンドンドンドンッ!!


 ドンドンドンドンドンッ!!



 小汚いオッサンどもが叫び、足踏みを始める。


 勝者に贈る彼らなりの祝福だ。


 試合とはまったく関係のない戦いだったが、彼らは満足したのだ。



「ど、どうも…」



 ただ、自分自身がすべての元凶であることを知っているアンシュラオンは、どうにも居心地が悪かった。


 自分がやったことの後始末をしただけだ。それをたまたま彼らが見ていた…否、巻き込んだにすぎない。


 さすがのアンシュラオンも、そこには気まずさを感じるものである。




 しばらくして場が落ち着いた時、マザーが歩いてきた。



 隣にはいまだ興奮が冷めやらないニーニアも一緒だ。


 最初に彼女たちがやってくるのは少々意外である。


 何事かと思っていると、マザーはサナに近寄ってペンダントを見つめる。



「やはり強い力を持っているわね。これをどこで手に入れたのかしら? 普通はなかなか手に入らないものだけれど…」



 どうやらマザーも多少ながら興奮状態にあるようで、いつもより早口で訊ねてきた。


 あれだけの力を見せれば当然ではあるが、ジュエルのことが気になって仕方がないようである。



「オレが狩った魔獣の心臓を使って加工しただけだよ。街の加工屋に頼んだはずだし、特別なことはしていないと思うけどね。それから思念液で条件付けしただけかな?」


「…【作った】、ということかしら?」


「ん? まあ、そう言っても間違いじゃないかな? 代わりなんていくらでもあるからね。壊れたら違う魔獣のを使えばいいだけさ。たまたま妹に似合うジュエルがこれだったにすぎないよ」


「………」



 その答えに、マザーはしばし思案する。


 彼女の表情が若干強張っているように見えるのは気のせいではないだろう。


 なぜならばアンシュラオンは今、さりげなく怖ろしいことを述べたからだ。



(このジュエルは『覚醒型のジュエル』だわ。ランクは、おそらくSランクに匹敵するわね。それを作った…つまりは量産できるということ。それだけでも驚異的だし、もし彼がその気になれば国が滅びるどころじゃ済まないわね。戦火が大陸中に広がりかねないわ。…いえ、きっと世界中が夢中になってしまう。軍事大国ならばなおさら欲しがるでしょうね)



 ジュエルには『付与型』と『強化型』、そして『覚醒型』の三つのタイプが存在する。



 付与型は、そのままの意味で、特別な力を与えるタイプのものだ。


 たとえば無限盾などの障壁付与、あるいは即死無効の身代わり人形などに使われるジュエルが、これに該当する。


 自分が持っていない力を与えるから付与型なのだ。


 ただ、特別な力を付与するタイプのジュエルは、壊れてしまえばそれっきりだ。新しく手に入れるか買い換えるしかない。



 強化型は、自分が持っている能力を上昇させることができる。


 足が遅い人間を速くしたり、もともと速かった人間をさらに速くしたり、視力や腕力を強化したり等々、まさに強化させるジュエルだ。


 こちらのデメリットは、過度な強化に耐えきれない場合、身体や神経が壊れてしまうことが挙げられるだろう。


 人間の身体にはストッパーが存在するので、それを超えれば損傷するのも当然の話だ。その適切な加減が求められるタイプである。



 三つ目の覚醒型は、眠っている能力を引き出すというものだ。


 マザーが霊視能力を得たように、普通に生活していたら目覚めないであろう力を引き出す能力がある。



 たとえば―――眠っていた因子を覚醒させる



 といった効果も、このジュエルならではの特徴だ。


 サナのジュエルもまた『覚醒型』のジュエルと思われる。


 彼女の因子の覚醒率が上昇したのは、全部ではなくとも、このジュエルが大なり小なり関わったことは間違いない。


 それにサナのスキルが加わって、より顕著なものになったのだろう。



 そしてアンシュラオンは、それをまた【作れる】と言った。



 これだけのジュエルは、そうそう簡単に手に入るものではない。


 古来より、力ある魔石を巡って幾多の争いが勃発したものだ。それによって数多くの国家や組織が消えていった。


 魔石にはそれだけの力がある。魅力がある。


 それを自らの意思で量産できるとなれば、いったいどれだけの争いが起きるのだろうか。


 いや、アンシュラオンがそれを使って破壊を行う可能性も捨てきれない。


 人には無限の可能性がある。あるからこそ悪にもなれるのである。



(怖ろしい力。神託の通り、彼には世界を滅ぼす力がある。でも、あの白い清浄なる力を持つのも事実。大丈夫。間に合うわ。誰かが傍にいてあげれば間に合う)



 この時エンジャミナは、自らの意思で宿命に従うことを決めた。


 マザーになるような人物だ。そもそもが使命感に溢れた真面目な人間である。


 目の前に求められる居場所があるのならば、喜んで苦難の道を歩むだろう。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます