428話 「武人の身体 中編」


 景色が回る。ぐるぐると回る。


 自分が倒れたことだけはかろうじてわかる。


 同様に、これがかなり危険な状態であることも即座にわかった。



(これは…まずい……な。ごふっ…)



 倒れたレイオンの口から紫色の血が溢れる。


 血を吐き出すこと自体もそうだが、健康に悪そうな色をしているので心配になるだろう。


 だが、もうすぐその必要もなくなる。


 心臓が止まった以上は血流も止まり、徐々に身体が固まっていく。血が噴き出ることもなくなる。



(この少女を甘く見ていた。とんでもない…子だ。末恐ろしい…ものだ)



 間違いなくサナは、戦うごとに強くなっている。


 一昨日よりも昨日のほうが強く、昨日より今日のほうが強い。


 昨日の試合を経て、またさらに実力が上がった。


 グランド・リズリーン〈偉大因子共鳴〉の影響もあるのかもしれない。戦気の質もやや向上している。


 悔しいが、今の自分では少々手ごわい相手と認めるしかない。



(やはり無理があった…のか? 所詮、人間の浅知恵だった…ということか。自然の摂理である死は…避けられない…よな)



 そもそも半分死んでいる身体を強引に動かしているのだ。その段階で摂理に反している。


 生命と同じく死は平等に訪れる。


 これは絶対の法則だ。なぜならば人間の霊は、この地上だけで完成するようには出来ていないからだ。


 今なお広がり続けている物的宇宙の中には霊的宇宙が存在し、途方もない数の生命が成長を続けているのだ。


 レイオンという人生も、その中の一つでしかない。この美しく輝く生命の賛美歌のいちフレーズでしかない。


 だが、それでもなお人生は美しい。


 すべての生命が女神に抱かれ、星とともに成長していく。人類の進化に寄与し、宇宙の完成に貢献している。



(どうせ石のストックも終わる。ここまで…か。ここで終わり…か。それもいい…か。あの男ならば…少なくともミャンメイは…守れる)



 気に入らない男だがアンシュラオンは強く、自分の女性には優しい。


 少なくとも危険な目に遭うことは少ないだろう。それだけでも目的の一つは果たされる。



(がんばった…俺はがんばったよな)



 レイオンは抵抗を半ば諦める。


 今回ばかりは、どうあがいても無駄だと悟ったのだ。


 血流こそが武人の力の源なのだ。心臓が動かないのにどうやって戦うというのか。


 身体はぴくりとも動かない。何度もやっても反応しない。


 もう無理だ。おしまいだ。





(兄さん…!!)



 ミャンメイは、倒れている兄を涙を流して見つめていた。


 兄妹だからだろうか。なんとなく兄の気持ちがわかったのだ。


 兄の顔の、なんと安らかなことだろう。全部を出しきった充足感に満ちている。



 彼はずっと自分を支えてがんばってきてくれた、もっとも身近な存在である。


 本当は死んでほしくないし、静かに身内だけで暮らせれば十分満足であった。


 だが、世の中は自分たちに優しくなかった。


 グラス・ギースに戻ってこなければよかったのかと問われれば、それは結果論にすぎず、結局は同じだろう。


 この荒野に絶対の安息は存在しない。弱い者は強い者の食い物にされるのが日常だ。


 ゴウマ・ヴィーレとてけっして安全ではない。周囲に敵も多いし、いつ狙われてもおかしくはない。


 これは受け入れるしかない現実なのだ。


 それを受け止めきれない人間は、どうせ長生きなどできない。




 だからこそ、【その行動】があまりに異質に映った。




 誰が見てもレイオンに立ち上がる様子はない。


 勝負が決まったものだと誰もが思っていた。



 しかし―――




 トコトコトコッ




 サナがレイオンに近寄ると―――踏みつける。




 ゴシャッ!!


 倒れているレイオンの首を体重を乗せて思いきり踏みつけた。


 しかも一度ではない。



 ゴスゴスッ!! バキッ! メキイイイッ!!



 何度も何度も蹴る。


 顔を蹴り、胸を蹴り、腕を折ろうと執拗に蹴りを入れていく。



「っ!!? え? …な!?」



 その光景を見ていたミャンメイが、信じられないといった顔で目を見開く。


 なぜ倒れている兄に対して攻撃を続けているのか、まったく理解できないのだ。


 抗議の声よりも先に驚きのほうが強くて、ただただそれを黙って見つめるしかなかった。



「す、ストップ、ストップだ!」



 その代わり、レフェリーがリングに上がろうとする。


 サナ贔屓ではあるものの、すでに勝負はついている。彼が試合を止めるのは正しい判断だろう。



 が―――



「止めるな」


「…へ?」



 アンシュラオンが制止する。



「いや…だが、これはもう明らかに勝負が…」


「まだ試合は続いている」


「た、倒れているだろう! 血も吐き出している!」


「だからどうした。まだ戦闘不能にはなっていない」


「あ、あれでか!? このままでは死んでしまうぞ!!」


「あいつはまだ死んでいない。そして、まだ負けたと言っていない。勝者はすべてを得る。しかし唯一、敗者に負けを強要することはできない。負けるかどうかを決めるのは、あいつだけの権利だ。それを奪うことは誰にも許されない」


「そ、それは…だが…しかし……ううむ」



 アンシュラオンの言葉に嘘偽りは一つもない。


 おちゃらけたり騙そうとするつもりもない。相手を苦しめて楽しもうと思っているわけでもない。


 ただただ事実を述べているだけだ。



 たしかにまだレイオンは負けを認めていない。



 しゃべられないだけという可能性もあるが、武人にとって唯一自由にできることは、自分の死にざまを決めることだけである。


 その権利は彼だけのものなのだ。



 今回、レフェリーはアンシュラオンとグルなので、どうしていいのかと判断に迷っている。



 その間にもサナは攻撃を続ける。


 馬乗りになって、レイオンの頭部を殴り続ける。



 ゴスッ ガスッ ばきっ! ミシミシッ!!




「…はぁはぁ」



 サナの息が少し上がっていた。


 身体を覆う戦気もだいぶ少なくなっている。


 彼女は戦気量に優れるわけではない。溜める動作にもロスが多く、練習の何倍も消耗する実戦で一回虎破を打つだけでも多くのエネルギーを使ってしまう。


 相手がレイオンともなれば油断はできないので、今持てる力をすべて出しきっての攻防だったのだ。


 今ではもう虎破を打つ力すら残っていないかもしれない。


 それでも相手は無抵抗だ。防御の戦気も、ほぼ出ていない。


 ひたすら殴っていくことで、レイオンの頭蓋骨にも亀裂が入っていく。





―――ガヤガヤガヤッ





「お、おい、もういいんじゃないのか? マジで死んじまうぞ」


「そ、そうだよな。もう勝負は決まっただろうに」


「黒姫ちゃんの勝ちでいいじゃねえか。どうしてセコンドが止めたんだ?」


「普通は逆だよな? 訳がわからねぇ。これも演出か?」




 その光景に客もざわつき始める。


 レフェリーが止めれば、そこでサナの勝利は確定だ。


 ミャンメイの権利も手に入るし、晴れて新チャンプの誕生である。何の問題もないように思える。


 だが、なぜかアンシュラオンは試合を続行させた。


 まったくもって理解不能。意味がわからない。



「と、止めて!! もうやめてください!! これ以上、兄さんを苦しめないで!!」



 ようやく状況を理解したミャンメイが叫ぶ。


 兄はもう安らかに眠りたいと願っている。そこに鞭打つような行為に泣き叫ぶ。


 なんと美しい兄妹愛だろう。


 妹は兄の気持ちを受け入れている。受け入れてあげようとしている。


 これが日本ならば哀しい美談として『お涙頂戴』になるかもしれない。



 がしかし、ここは―――【荒野】だ。



「ミャンメイ、君の兄はまだ負けていない」


「そんなこと! もういいじゃないですか!! これ以上やって、どうするんですか! 私はただ静かに暮らしたいだけだったのに! どうしてこんな!! こんなことに…!!」


「ミャンメイ、あいつをよく見ろ」


「こんな! 勝敗なんてどうだって…! もう兄さんは戦えな―――」







「―――ミャンメイぃいいいいいいいいいいっ!!!!!」







「っ―――!!」





 ビイイイイイイイイインッ!!



 アンシュラオンの大きな声が会場全体に響き渡る。


 こんな小さな身体のどこにこんな力が眠っていたのかと思うほど、相変わらずの大声である。


 その声に、思わず客も耳を塞いでいる。


 だが、この男の声は手ぐらいで防げるようなやわなものではない。


 声が、その声が、身体を突き抜け、体内に響き、魂に轟く性質を持っている。



「オレは君に言った。本当の武人の戦いを見せると。そして、君を納得させると。それがまだ果たされていない」


「で、でも、兄さんはもう…!!」


「君は何を見ている? 何を見てきた。オレなんかより何倍もあいつのことを見てきた君が、どうしてこんなにすぐ諦める?」


「兄さんはがんばってきた! だからもう…いいんです!」


「それを決める権利は、君には無い!」


「っ!?」


「心には力がある。相手を強く想う気持ちには、人間が思っている以上の効果がある。君の気持ちは素晴らしいし、素敵だ。だが、ここは地上だ。本当に相手を想うのならば、物的な方法で相手を支援しなければ気持ちは伝わらない。君はなぜ【応援】をしない?」


「おう…えん?」


「そうだ。君は戦いには無力だ。何の力もない。しかし、兄を応援することはできる。地下に来てからずっと見ていたが、君は兄を応援したことが一度もない。なぜだ?」


「な、なぜって…兄さんにはもう楽になってほしいから…今まで迷惑をかけてきたから…」


「甘ったれるなぁああああああああ!!」


「っ!!!」


「何が迷惑だ!! 妹がいることで兄が迷惑することなど、何一つありはしない!! むしろそれは君の甘えだ!! 君がそう思っているからレイオンの足を引っ張っている!」


「わ、わたし…私は…! でも、そんな…」


「言っただろう。これはただの戦いじゃない。君が納得するためのものだ。君はこれでいいのか? 満足しているのか? このまま終わって【楽しい】のか?」


「っ…た、たのしい…?」


「そうだ。この世のすべては楽しいものなんだ。君から見たら血みどろの戦いは無意味で愚かなものだろう。無価値なものだろう。だが、武人からすればそうではない。武人は命をかけることを楽しんでいるんだ。狂人だと思うかい? 普通の人間ならば、そう思うだろうね。だが、事実だ」



 アスリートが必死になってがんばっている最中は、とても苦しいだろう。


 歯を食いしばって汗を流して、表情だけを見れば苦行にしか映らないに違いない。


 では、なぜ彼らは続けるのか。



―――楽しいから



 である。


 楽しくなければ続けることなどできないだろう。


 苦しみもまた楽しみなのだ。苦しいからこそ楽しいのだ。



「人の魂は、苦痛によって成長する。極限まで追い詰められた時だけに、次の領域に足を踏み入れることが許される。だからオレたちは、わざわざこんな世界で生を享ける。成長するためだ。進化するためだ」


「こんな苦しいこと…もう無理です…もうこんなの……」


「君は嘘をついている」


「…え?」


「君は本心を隠している。一度たりとも表に出したことはない。君が奥ゆかしい女性だから、それも仕方がないことだろう。それでも今この瞬間、君はどうしたいんだ? どうあってほしいんだ? なぜ叫ばない? なぜ隠す? 怖いのか? こんな状況になっても、まだ怖いのか? 今よりも怖いことがあるのか? 今を逃したら、もう本当の手遅れなんだぞ。それでもまだ心を隠すのか?」


「あっ…ぁ…」



 今、目の前では最愛の兄が死にそうになっている。


 それを見て、自分は何を思っているのか。


 彼に楽になってもらいたい。それは事実だろう。嘘偽りのない気持ちだ。


 だが同時に、いやそれ以上に、失いたくない気持ちのほうが強い。


 当たり前だ。家族だ。兄妹だ。一緒に暮らしてきた存在だ。



 ずっと何かに追われてきた。



 生きることに疲れてきた。飽き飽きしてきた。何も変えられないと思ってきた。


 だから慣れてしまった。受け入れることに、諦めることに。




 そんな自分を―――貫く声がする。




 目の前の少年が白く輝いている。


 見間違いではない。実際に溢れ出ている力だ。


 戦気ではない。相手を滅するための気質ではない。


 強くて大きくて、あまりに深くて広くて、世界がそこから始まるような輝きである。


 愛と同じくらい偉大で、愛の前に存在した無限の力。


 絶対神が宇宙創世にもちいた最強の力、その光、その無窮の叡智。





「オレが許す。オレが認める。この世界のすべてが君を否定しても、オレが力づくで認めさせる!!!」




「だから―――!!!」







「叫べえぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」








「は、はぃいいいいいいいいいいいいいい!!」




 その声に触発されて、ミャンメイが叫ぶ。


 久々に大声を出したせいだろうか、声は微妙に震えてかすれていた。


 なぜ叫んだのかもわからない。彼の声に引っ張られて自然と身体が動いてしまった、といったほうが正しいだろう。




 だが―――じんわり




(あっ…気持ちいい)



 ミャンメイの中に、じんわりとした熱が宿った。


 大きな白い光から溢れた光の一部が、自分の中に入り込み、新しい熱源として残っていることがわかる。



 それは―――【白い太陽】。



 灼熱の白光を放射して、周りのものを突き動かすエネルギー。



 まるでまるでまるでまるでまるでまるで―――




 それは―――心臓のように!!!!




 熱く脈動して、熱い、暑い、厚い、篤い、



 あつーーーーーーーーーーーーーーーいい!!




「あああ!! あああああああああああああ! にい…さ……! にいさ……んっ!! ああああ!! にいい……さああ!!!」



 胸を押さえ、目一杯の空気を吐き出すように声を振り絞る。



 どくんどくんどくんっ どくんどくんどくんっ



 身体に宿るすべての熱量を集めて、喉から口へ、口から外へと向かって押し込んでいく感覚。


 この瞬間、すべてがなくなってもかまわないと思えるほど、全身全霊の力が集まっていく。



 消えろ、消えろ、消え去れ、消し飛んでしまえ!!!


 私の中にあるすべての暗いものが、白い光で消えてしまえ!!


 溜まっていた汚いものも綺麗なものも、すべて出してしまえ!!!




 出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ


 出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ

 出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ



 出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ

 出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ

 出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ

 出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ

 出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ

 出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ

 出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ

 出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ

 出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ

 出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ




 だせぇえええええええええええええええええええええええええ!!







「にい―――さぁあああああああああああああああああ!!」






「負けないでぇええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!」






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