426話 「サナの無手試合 キング・レイオン戦 後編」


 目の前には、白い光。


 広いドーム状の天井に付けられた灯りが、うっすらと目に入り込んでいる。


 レイオンは、それをぼんやりと見つめる。



(何が…起きた?)



 頭の中も真っ白で思考が上手くまとまらない。


 さきほどまで何か考え事をしていたはずだが、それを思い出すことすらできない。



(俺は…倒れている……のか? なぜだ?)



 もう三年以上も地下にいるので試合場の天井は見慣れている。


 だからこそ自分が倒れていることがわかる。


 だが、なぜ倒れているのかがわからない。どうしてここにいるのかもわからない。



(身体に力が入らない…なんだこの重い身体は。…ああ、そうか。俺は死んでいるんだったな。まったく、我ながら最低の状態だ。死ぬよりつらいとは、まさにこのことだな)



 身体が重い。まるで鉛のようだ。


 よく寝ている時、意識はあるのに身体が動かない時があるだろう。


 まだ肉体に霊体が戻りきれておらず、身体が潜在意識の占有下であるスリープ状態にあるとこれが発生する。


 そう、まさにあれと同じ最低の気分である。


 動きたいのに動けない。指一本動かせない。意識があるからこそ非常にうっとうしくて苛立たしくなる。


 武人にとっては、目を覆いたくなる悲惨な姿であるといえるだろう。あまりに屈辱的だ。


 健康だった頃が懐かしくてたまらない。



(ああ、このまま眠っていられたら、どんなに楽か…)



 誰だって痛みから逃れたいと考える。眠いのならば寝たいと考える。


 それは武人だって同じだ。同じ人間なのだ。がんばったからこそ誰にも責める権利はない。


 自分は今まで無理を続けてきた。もう死んでいると言われても納得せずにあがいてきた。


 そんな自分だからこそ、眠る権利があるように思えるのだ。



 だが―――




「兄さん!!」




 声が聴こえた。


 切羽詰った鋭い女性の叫び声だ。


 誰かなんて考えずともすぐにわかる。この声はよく知っている。



(…ミャンメイ? 何を叫んで…あいつがこんな声を出すなんて珍し―――)



 その時、視界が急に暗くなった。


 白かった世界が、突然【黒】に染まった。


 一瞬自分の目がおかしくなったのかと思ったが、違う。



 目の前には―――【足裏】



 倒れている自分の顔に目掛けて、誰かが思いきり足を踏み下ろそうとしていた。



「っ―――!!」



 ぐるり バンッ!


 かろうじて首をひねり、下ろされた足をかわす。


 耳にかすかな違和感がある。今踏まれた時に掠めたのだろう。


 しかし、ほっとしたのも束の間。それは一撃では終わらない。



 ドンドンドンッ!!



 続けて足が何度も踏み下ろされる。



「ちっ…! なんだ!」



 レイオンはごろごろと転がって攻撃をかわす。


 そして武人の本能だろうか。なんとか力を振り絞って、ぎゅっと拳を握る。


 危険に晒された身体が無意識のうちに反撃しようとしたのだ。



「………」



 それを感じ取った相手は、すぐさま飛び退いて距離を取った。



(…少女? 誰だ?)



 目の前には、まだ幼女と呼んでも差し支えない少女がいた。


 小学生ならば間違いなく列の前に並ぶほど背丈が小さい。



 それで―――思い出す。




(そうだ! 試合中だ!! 俺は今、ホワイトの妹と戦っていたんだ!!)



 目の前にいる少女は、黒姫。


 幼いがれっきとした【挑戦者】であり、武器試合を含めてすでに三人も打ち倒しているので実力も証明済みだ。



「…じー」



 彼女の目はひどく静かだった。


 まるで観察するかのように、こちらの弱り具合を日誌にでも書き留めるかのように、じっくりと淡々と見ている。


 今も軽く拳を握っただけで後退した。


 奇襲が終わった以上、無理に追撃しても反撃を受けるだけだと判断したのだろう。


 極めて慎重で冷静な判断である。とても子供とは思えない落ち着きだ。



(なんて目をしている。これが子供の視線か! いや、それよりまさか不意打ちをくらうとは! こんな子供がゴング前に…!)







「さぁ、試合開始だぁああああああああああああああ!!!」







 カアアーーーーーーーーンッ!!






 レイオンがようやくパニックから復帰した頃、のうのうとゴングが鳴らされる。


 いつの間にかレフェリー(兼リングアナウンサー)はリング上から降りていて、何事もなかったかのように試合開始を告げる。


 やはりサナが攻撃した時はゴング前、試合開始前だったのだ。


 レフェリーはレイオンの抗議の視線を受けても涼しい顔だ。


 それですべてを悟る。



(レフェリーも―――【グル】か)



 前の試合で自分が対戦者に奇襲を仕掛けた際には、レフェリーは止めていた。


 反則とまでは言わないが、そこで勝負が終わらないように制止が入ったのだ。


 それに比べて今回は、制止どころか「何もなかった」という扱いになっている。


 明らかにサナに対して贔屓をしている。



 これはつまり【アンシュラオンが運営とグル】になっていることを示している。



 だから勝手にラブスレイブを連れ込めたし、明らかな不意打ちに対してもお咎めなしなのだ。





 そんな渋い顔をしているレイオンを見て、アンシュラオンは笑う。



(ははは、レイオンのやつ、ようやく気付いたようだな。だが、不意打ちをくらうお前が悪い。自分がやったことが返ってきただけだから文句はないだろう?)



 アンシュラオンは、試合前にサナに不意打ちをするように指示していた。


 運営側からも許諾を受けているので、知らないのはレイオンたちだけだ。


 試合にシナリオがあることは地下闘技場では常識である。


 では、今回のシナリオは何かというと―――




―――「黒姫がキングを追い詰めて盛り上げる(できれば勝ってほしい)」




 というものだ。


 今まではミャンメイが賞品だったので替えが利かなかったが、地上から新しく連れてくるスレイブならば客に配っても問題はない。


 そもそもこのスレイブの提供者はアンシュラオンである。費用はすべて彼が負担しているため運営側に痛手はない。


 これは運営側にとって最高の条件だったのだ。



(たしかにお前がやっていたスペシャルマッチは面白い趣向だったよ。しかし、まったく客側に配当がないとしらけちまうものだ。パチンコだって少しは釘を緩めるんだぞ。お前は露骨にやりすぎたんだ)



 正直、運営側もレイオンのやり方にうんざりしていた面がある。


 彼はシナリオがあっても無視することが多く、非常に扱いづらい『役者』だったのだ。


 ミャンメイがかかっているので、万一にも負けられないのも一つの要因だ。


 それはわかる。よく理解できる。



 が、あくまでレイオン側の都合だ。



 ミャンメイに多大な価値があったからこそ認められていたが、もし代用品が相当数仕入れられるのならば、わざわざレイオンにこだわる必要はない。



 運営側が―――アンシュラオンに乗り換えた。



 より利益をもたらす者になびいたのだ。


 地下は地上よりも現実主義者が多い場所である。厳しい環境だからこそ、より強い者を歓迎するのだ。



(オレが何の手も打たないと思ったか? それもお前の油断だな。くくく、地下はいいなぁ。みんな喜んで賄賂を受け取ってくれる。まったくもって上より過ごしやすいよ)



 ミャンメイの権利がかかっているのだ。


 自分が戦うのならばともかく、サナが戦う以上は保険をかけておくべきだろう。


 レフェリーにもしっかりと賄賂を送ってあり、サナに有利になるように仕向けてあった。


 これは彼女の身の安全にも関わることなので手は抜かない。



(だが、さすがにここまでコンディションが悪いとは思わなかったよ。まあ、それも仕方ない。人生は思い通りにはならないものだ。実力差を考えればイーブンだろう。それでも十分だ)



 弱ってもレイオンだ。相手に不足はない。


 これはこれで楽しめる内容になると期待して、ゆっくり観戦することにする。





 アンシュラオンの落ち着いた様子を見て、レイオンも現状を把握する。



(そうだ。地下とはそういう場所だ。いや、ここだけじゃなく外も同じだ。いつだって俺は力ある者たちと戦ってきた。キングになる以前に戻っただけにすぎない。それよりダメージ確認だ。…肋骨は折れているが致命傷じゃない。あの子の身体が小さくて助かったか)



 最初に殴られた箇所は完全に無防備だったので骨が折れている。


 これは仕方がない。自分のミスだ。


 次に顔に受けた虎破だが、これはサナがまだ子供であったおかげで助かった。


 長身のレイオンがいくら屈んだとしても、小さなサナにはまだまだ相当な距離がある。


 拳を斜め上に打ち上げるように放ったので、力が完全に乗りきらなかったのだ。その分、踏み込みも浅い。


 また、レイオンに無駄に力が入らなかったことも幸いした。衝撃が逃げ、本来のダメージの半分程度になっている。


 だが、正常な状態だったならば不意打ちであっても防御できた攻撃だ。身体が重いことには変わりない。




 サナとレイオンが睨み合う。




 不意打ちはあったが、ここからが本当の試合開始だ。



(このままペースを握らせるわけにはいかない。打って出る)



 時間経過とともにキノコが多少馴染んでくるはずだが、それを待っている暇はない。


 流れを取り戻すためにレイオンは自ら攻撃に出る。


 身長差がかなりあるので、彼が殴るとなれば上から叩きつけるように殴らねばならない。


 この場合、やはり上から攻撃するほうが有利である。


 人は構造上、上からの攻撃に対応しづらいものだ。上から覆い被されるように圧力をかけられると下がってしまうものだ。


 大男に襲われたら、少女は誰だって後退して逃げようとしてしまう。そこを追い詰めることでペースを握ろうと考える。



 しかしながら、サナは普通の女の子ではない。



 前に―――出た。



 レイオンが前に出た瞬間、彼女も走っていた。



(っ! 俺と打ち合うつもりか! 甘く見られたものだ!)



 いくらこのコンディションでも、こんな小さな少女相手に打ち負けることはない。


 身体つきも違うのならばパワーだって段違いだし、今まで磨いてきたテクニックにも自信がある。


 サナ相手に打ち負ける要素がないのだ。



「ふん!!」



 レイオンが向かってきたサナに拳を打ち下ろす。


 手加減はしない。本気の一撃だ。



「…しゅ」



 それに対してサナが選択したのは、自らも拳を発するという愚行。


 アンシュラオンがルアンに教えたように、自分より大きな相手と戦う場合は、逃げ回って足元を狙うのが正解だ。


 体格差は重要だ。まともに組み合ったら負けてしまうので、より慎重な立ち回りが必要になる。


 だが、ここでも一つの要素が勝負を大きく変化させる。



 レイオンの拳に合わせるように、サナの拳が激突。



 バゴンッ



 肉と肉、骨と骨がぶつかる音が響く。


 間違いなく両者の拳が激突した音である。



 まさに熊に襲われた子供のような光景であるが―――




(うご…かん!)




 レイオンの拳がそれ以上前には進まなかった。


 どんなに力を入れても途中で止まっている。



「…じー」


「っ!」



 少女と目が合った。


 相変わらず静かで相手を観察する視線を送っている。



(まずい!!)



 その視線を誤魔化すように、レイオンがラッシュ。


 どどどどどどっ!!


 殴る殴る殴る殴る殴る殴る!!


 両手を使って、上半身の筋肉と腰をフル稼働させて殴りつける。



 バゴッ バゴッ バゴッ バゴッ バゴッ


 バゴンッ!!



 そのすべての攻撃にサナは対応。再び拳を合わせてきた。


 結果はさきほどと同じ。互いの拳が衝突して拮抗している。



「まさか…! ここまで!!」



 その結果にショックを受けて、レイオンが下がる。


 否。


 下がってしまったというべきか。


 流れを取り戻すために仕掛けた攻撃であるにもかかわらず、下がってしまった。


 これは主導権争いにおいて自ら負けを認めたと同じだ。



 それと同時に、サナが前に出る。



 そこから虎破の姿勢。



(今は駄目だ! ガードを!!)



 レイオンは両手をガードに回す。


 現状ではこれが最善の方法だと認識したからだ。



 がしかし―――こない。



 虎破がくると思ってガードの姿勢になったものの、肝心の攻撃がこない。


 それもそのはず。


 レイオンがガードを固めたことを視認したサナは、さらにもう一歩踏み込んでいた。



(しまった…! こんなフェイントに引っかかるとは!)



 極めて単純なフェイントだ。しかし、効果的なフェイントでもある。


 なぜ、サナは最初に虎破を放ったのだろうか。


 もちろん一気に勝負を決められたら、それが一番である。


 だが、仮に失敗しても「恐怖」を与えることはできる。この攻撃でダウンを奪ったのだから相手は警戒してしかるべきだ。


 これにコンディションは関係ない。より強い攻撃を受けたならば身体が勝手に反応してしまうのだ。



 そして、急接近したサナが完全に自分の間合いに入ると―――拳撃を叩き込む。



 ドゴッ メキメキィッ



「ぐっ…はっ!」



 サナが狙ったのは、またもやボディー。


 肋骨が折れている脇腹に二度目の攻撃を叩き込む。


 今回はレイオンも準備態勢に入っていたおかげで、不意打ちのように身体が折れ曲がりはしなかったが、ナックルをしっかりと当てた実戦の拳だ。


 突き抜ける衝撃に呼吸が止まる。



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