418話 「ネビュエル・ゴース〈死滅の御手〉の足音 中編」


 周囲は真っ暗闇だ。


 こんな場所に取り残されたら常人では発狂してしまうに違いない。


 しかしながら、この男たちは普通ではなかった。



「…魔獣か。たかが魔獣を怖れるとは、やはりお前は腰抜けだ。だから認められないのだ」


「魔獣を甘く見れば死にますよ」


「それが脆弱だと言っている」


「無知は罪ではありません。しかし、現実は変わりません。ここにはあなたよりも強い魔獣が山ほどいます。私はそれを知っていて、あなたは知らないだけです」


「言ってくれるな、新入り。『ネイジア〈救済者〉』のお気に入りだからと図に乗っているようだ」


「そんなつもりはありません。彼…いや、彼女とは少しばかり縁があったにすぎません。それだけのことです」


「その態度が気に入らん。【我らが国】には、統一された【思想】が必要なのだ。すべてが正しく強い者によって維持されねばならないという絶対の思想がな。お前はそれを理解する必要がある。これは義務だ」


「あなたのおっしゃることはわかります。私もいくら努力しようが絶対に届かない存在がいることを知っています。すべてはその存在によって統治されるべきです」


「そうだ。それがネイジアだ」


「はたしてそうでしょうか?」


「なんだと?」


「あなたにとっては、それが【神】なのでしょう。ですが、それもまた絶対ではありません」


「救済者を愚弄するのか?」


「いいえ、それ以上のものが存在することを知っているだけです。…彼女の思想は好ましいとは思いますが、それが実現できるとは思えません」


「なぜだ?」


「単純なことです。力が足りないからです」


「それこそが無知よ。まさに神の如き力を持つネイジアは無欠だ。我らが崇める存在だ」


「この世には神すら殺せる存在がいます。彼女も無敵ではないのです」


「…いい度胸だ。私の前でネイジアをこき下ろすとはな。温厚な私もさすがに怒りを隠しきれん。ここで殺されても文句は言わせんぞ」


「あなたに私は殺せませんよ」


「『メイジャ〈救徒きゅうと〉』同士での戦いは禁止されている。しかし、思想を持たぬ者を同士とは呼ばぬ。お前を殺しても罪には問われない。ただ異物を排除したにすぎん」


「そういう意味ではありません。JB・ゴーン、あなたの【実力】では私は殺せません」


「………」



 ズルルッ



 空気が―――変わった。



 フードの男、JBから非常に生温い殺気が放たれたのだ。


 凍てつくような鋭いものではなく、じわじわと迫って絡みつくような妙な気配だ。


 それが首やら手足に巻きついて絞め殺そうとしてくる。常人ならば息苦しくなって窒息死してしまうほどの圧力だ。


 しかし、そんな殺気に襲われても若い男は平然としている。


 「やりたいのならば、どうぞ?」といった挑発的な態度だ。それがまたJBの癇に障る。



 二人が自然と戦闘態勢に入る。



 若い男は腰の剣に手を伸ばす。


 それに対し、掌を向けて牽制するJB。


 互いにまだ動かない。レベルの高い武人同士では一瞬で勝負が決まることもあるので、勝負を急がないのだ。



「不純物を消し去る。それも私の役目だ」


「より強い者が生き残る。それもまた自然の摂理でしょう」


「そして、弱い者が死ぬ。お前が死ぬのだ」


「いいえ、私は死にません。死ぬのはあなたのほうです」


小童こわっぱが…! 救済者への冒涜を痛みとして思い知れ!」



 場慣れしていない素人は、仲間同士で争うなんて愚かな連中だ、と思うかもしれないが、これが荒野での日常である。


 この大地にいくつ無駄な血が流れてきたことか。多くの者がこうして散っていった。


 されど、それはすべて弱い者の血である。


 彼らの血肉を吸って大地は栄養を得て、再び芽吹く。それが自然の摂理であり循環というものだろう。





 JBの腕から何かが出ようとした瞬間―――






「あのよ、ちょっといいか?」





 ライダースーツの男、クロスライルが制止する。



「クロスライル、止めるな」


「いやー、そうじゃなくてよ」


「タイヤが直らないのは知っている」


「んだと、てめぇ! そんなふうに思ってやがったのか!! って、そうじゃねえよ!」


「では、何だ? こちらは忙しい。邪魔をするな」


「あー、オレが邪魔をするわけじゃねえよ。だがな、ちとお客さんが来たみたいだぜ」


「客? このような荒野でか?」


「オレの可愛いローラちゃんの処女をぶち破った、ふてぇやつらのお出ましだ」


「………」



 JBが若い男を牽制しながら波動円を広げる。


 自分の周囲から一気に百メートルまで広がり、そこからゴムのように二百メートルまで伸びる。


 この範囲内においては、自分を脅かす存在は二つしか確認できない。


 それはクロスライルと若い男のことなので、すでにわかっていることである。



 次に視線を少し外し、クロスライルのほうに向く。


 夜が更けて空には『海』が輝く時分だ。


 周囲に灯りがあるわけもないので、この状態だと常人では五メートル先も見通すことはできない。


 しかし、JBの目は闇夜を突き通し、その奥に光るかすかな光源を見つける。



 ギラギラ ギラギラ



 月明かりを反射したいくつもの光が、こちらをじっと見つめていた。



 それは―――【目】



 意識ある者が発する輝きである。


 当然、この荒野に人間がたくさんいることも珍しいので、これは【魔獣】のものだ。



「魔獣?」


「囲まれていますね。どうやらこのあたりは彼らの縄張りだったようです」



 若い男が剣から手を離し、周囲を見回す。


 すでに人間同士で争っている余裕はないと判断したのだ。


 この若い男は、魔獣がいかに怖ろしいかを肌身をもって知っているからだ。



「あれを知っているのか?」


「魔獣の知識にはそれなりに自信があります。あれは『レクタウニードス〈重磁大海象せいうち〉』でしょう。ですが、これだけの数を見るのは初めてです」



 夜に光る双眸の輝きは、まさに無数。


 星々が落ちたのではないかと思うほど至る所で輝いている。


 彼らが二つの瞳を持つとして、その総数はどれくらいになるだろうか。おそらく五十頭は下らないだろう。


 地球でもアマゾンのような場所となると、何もないように見える水辺に大量のワニが潜んでいることも珍しくない。


 それと同じように闇の中に数多くの魔獣が潜んでいた。



「これだけの数がいつの間に…」


「これが魔獣の怖さです。人間とは気配そのものが違います。常に厳しい環境にいるので姿の隠し方も人間の比ではありません。知らずのうちに囲まれるなど、この荒野では往々にしてあることです。だからこそ細心の注意を払って慎重に少しずつ進むのです」



 JBは波動円を二百メートルは伸ばせる男だ。


 伸ばせるからといって強いとは限らないが、並の武人でないことはすぐにわかるだろう。


 ガンプドルフが三百メートル伸ばしたことからも、彼の実力が相当高いことをうかがわせる。


 それが夜とはいえ接近に気付かなかったのだ。少なからずショックを受けて当然だろう。


 これは魔獣側が気配を殺すことに優れていたことと、波動円にもいろいろな種類があること、最後にJBが魔獣戦に不慣れであることが挙げられる。


 JBは対人戦闘のプロフェッショナルだが、南部を拠点に活動しているので、どうしても強力な魔獣との戦闘経験が少ないのだ。



「逆にクルマが止まってよかったのかもしれません。彼らの群れの中に入ったら、もう取り返しがつきませんでした。ですが幸いにも、彼らにこちらを攻撃する意思はなさそうです」


「だが、友達ってわけでもなさそうだぜ? 見ろよ、あんなに真っ直ぐな目をしてやがる。いい目だ。あれは平気でオレたちを殺せる目だぜ。クールだねぇ」


「魔獣とはそういうものです。存在そのものが人間とは違うのです。だから平然と相手を殺せます」


「なるほど。オレらが虫を踏み潰すみたいなもんか」



 彼らはとても静かだ。音もまったく立てないで、じっと見ているだけだ。


 といっても、それは好意的な視線ではない。


 観察…いや、監視をするような視線だ。こちらが敵かどうかを見定めようとしているものである。



「レクタウニードスは、そこまで好戦的な魔獣ではありません。しばらくじっとしていて敵意がないことを示してから、徒歩でゆっくりと移動しましょう」


「オレのローラちゃんはどうするんだ?」


「ここでクルマを使うのは得策ではありません。あとで回収すればよいのではないでしょうか?」


「誰かに盗まれたらどうするんだよ!」


「ふん、こんなクルマを誰が盗む。魔獣も欲しがらないだろうな」


「うるせえ! 乗せてもらったくせに偉そうな口を叩きやがって!! オレはローラちゃんを見捨てないからな!!」


「勝手にしろ。だが、そんな心配をする必要もない」



 何を思ったか、スタスタとJBが歩き始める。



「JB、まだ早いです。もう少し止まっていたほうがいい」


「勘違いをするな。逃げるつもりはない」


「では、どうするのですか?」


「愚問だな。メイジャ〈救徒〉ともあろうものが、この程度の魔獣に怖れを抱いてどうする。殲滅すればいいだけのことだ」


「ここで戦う理由がありません。勇気と蛮勇は違います」


「腰抜けが。だからお前は新入りという扱いから格上げされないのだ」


「あなたはまだ魔獣の怖ろしさを知らない。彼らが自然の体現者であることを知らないのです。我々は自然と共に生きねばなりません。今現在、北部が魔獣の聖地となっていることには理由があるのです」


「その理由も臆病者が生み出したものであろう。かまわん。お前はそこで見ていればいい」


「JB…!」


「無駄さ。あいつは堅物で神経質なのに好戦的だからな。意味がわからねえよ」


「クロスライル、あなたも止めてください。私よりも付き合いが長いはずです」


「あいつがやりたいっていうなら、べつにいいんじゃねえの? 死んだらそれまでのことさ。オレたちはお友達ってわけでもねえからな」


「ネイジア・ファルネシオが語る『国』とは、人々が共に生きることではないのですか?」


「まあ、救済っていう、ご大層な名前が付いているくらいだからな。当人たちはそのつもりなんだろうよ。中央の組織にはJBみたいな崇拝者も多いぜ。ハハハ、笑わせるな」


「あなたは違うと?」


「さてね。オレにとっちゃどうでもいい話さ。この世界の発展に興味があるわけでもないし、期待もしていない。どこもつまらん世界さ。それならせめて楽しく生きたほうがいいだろう? 世界を変えるんじゃない。自分で自分を楽しくするのさ。見ていて楽しいなら、迷いなくそっちを選ぶぜ」


「組織に入ったのも楽しいからですか?」


「ファルネシオが強いのは間違いない事実だ。そこには興味があった。ただ、そろそろ飽きたかな。なんとなく足りないものがあるって感じている。…って、こんなことをJBに言うなよ。絡まれると面倒だからな。まっ、ここであいつが死ねばそんな心配もないがな。カカカッ!!」


「………」



(クロスライル、不思議な男です。彼からは『あの人』に似た空気を感じる。どこか達観したような、何かを見てきたような深みがある)



 付き合いがあるというほど長い月日を一緒に過ごしていないが、この男には独特の気配や雰囲気がある。


 まるで、あの日見た『英雄』の如く。


 まったく違う存在であるか、どこか彷彿とさせるものがあった。



「おっと、そろそろやるみたいだぜ」



 クロスライルが、面白そうな視線を前方に向ける。


 そこにはレクタウニードスに接近しているJBの姿があった。





 JBが近寄る。


 ずるる ずるる


 それに反応して一匹のレクタウニードスが巨体を引きずりながら近寄ってきた。


 レクタウニードスは巨大なセイウチのような外見をしており、左右の口から飛び出ている大きな牙が特徴的な魔獣だ。


 陸上で活動しているため、鰭脚ききゃく(ヒレの部分)はしっかりとした足になっており、移動するための爪も生えている。


 大きさは最大級ともなれば八メートルには達するが、地上のものよりやや大きめの五メートル前後が一般的である。


 人間としては巨躯のJBから見ても、彼らは大きな存在であった。


 それでもまったく臆することはない。堂々と正面から向かい合う。



 すっ


 JBが手を伸ばした。


 レクタウニードスは、ヒゲを震わせながら顔を手に近づける。


 猫が初めて見るものに鼻を近づけて匂いを確認するのと同じく、目の前の人間がどのような存在なのかを見定めるためだ。


 この段階で、この魔獣が比較的温厚であることがわかるだろう。


 ヤドイガニのような獰猛な肉食魔獣ならば問答無用で襲ってくるものだが、こうして相手を確認するのだから知性ある生物であるといえる。


 しかし、JBにはまったく共生の意思はない。




 敵は―――殲滅するのみ。




 ずしゃっーーー! ブスッ



 JBの腕から何かが飛び出し、レクタウニードスの顔面に突き刺さった。



「ゴォオオオオオオオン!」



 突然のことに驚き、まるで鐘を叩いた音に似た鳴き声を発しながら、レクタウニードスが顔を背けようとする。


 だが、そんな隙も与えずにJBは次の行動に移っていた。



 シャシャシャシャシャッ ブスブスブスッ!!



 飛び出したものは一つや二つではない。


 さらに無数の縄のようなものが服の裾から飛び出て、次々と顔に刺さっていく。



「ゴオオンッ!! ゴオオオオオオオ!」



 レクタウニードスは首を大きく回して振りほどこうとするも、がっしりと食いついているので離れない。


 その大きな巨体を見れば、かなりの膂力があることは容易にわかる。


 が、JBは片腕一本で動きを完全に押さえ込んでいた。



 ズズズズズズッ ドバッ!!



 そのまま顔から体内に入った縄が移動して、脳を破壊。



「魔獣のくせに油断が過ぎるな。その代償は―――死だ」



 ぐぐぐっ


 縄を出した腕を引っ張り、すでにビクビクと痙攣しているレクタウニードスの顔を固定する。


 そこに―――膝蹴り。



 真下から放たれた強力な一撃が―――



 ボンッ!!



 鈍い破裂音を響かせながら、レクタウニードスの頭が吹っ飛んだ。


 わざわざ脳を破壊する必要もなかったと言いたくなるほどに、頭部そのものが消失してしまった。



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