407話 「レイオンと医者 前編」


「…はぁ…はぁ…」



 レイオンが試合会場からラングラスエリアに戻る。


 その間の足取りも重く、若干引きずるように歩いていく。



(身体が重い。力が入らない…くそっ! 明日は試合だというのに、これではまずいな…。あの男が余計なことをしなければ代表戦まで休めたんだが…決まってしまったことは仕方がない。そこに合わせるしかない)



 ふらつく足に強引に力を入れて、せめて佇まいだけでも普通に見せる。


 ラングラスエリアでは自分がキングなのである。最上位の存在としての威厳を見せねばならない。



 そして、いつもの顔つきに戻り、入り口の門に到着。



「あっ、お疲れ様です」



 門番のピアスの男が出迎える。


 アンシュラオンにボコボコにされた哀れな男だが、とりあえず顎にはピアスが見受けられる。


 一時はいなくなった息子が戻ってきて、さぞや幸せなことだろう。


 が、そのせいで顎の骨が変形して少し「しゃくれてしまった」ことは、ここでは触れないでおこう。


 あだ名が「アゴ」になってしまう。



「異常は?」


「ありません!」


「奥の連中はどうしている?」


「珍しく何人か外に出たと思ったら、いろいろと買い込んで戻ってきました。盗んではいないとは思いますが…どこで金を手に入れたんですかね?」



 ピアスは気絶していたので、金貨争奪戦のことは知らない。


 他の連中も分け前を与えたくないため「何もなかった」という扱いになっている。


 ある意味、知らないほうが巻き込まれないで済むので、それはそれで幸せであろうか。



「外からは誰か来たか?」


「いえ、特には…あっ、運営のほうから連絡があって、医者の先生にいろいろと助けてもらいたいという話です。どうやら怪我人が増えてきたようで、運営側の医療スタッフだけじゃ手が足りないとかで」


「ちっ、ここでもあいつの影響が出ているな…」



 サナが激しい試合をしたことで観客の目が肥えてしまった。


 今までの「プロレスごっこ」では満足できなくなり、徐々に売り上げが減っていったのだ。


 それをなんとかしようと他の試合でも激しい戦いをするようになった。子供があれだけやった手前、大人も黙ってはいられない。


 しかし、客は盛り上がって賭け金が増える一方、誰もがサナのようにすぐに回復できるわけではない。


 怪我人も増加し、試合数も全体的に減っていくという矛盾を抱えることになっている。


 あの男が来てから、たったの二日。それでこれだけの変化が起こったのだ。



(試合会場だけじゃない。地下全体が暴力的になってきている。他の派閥では争い事も増えたというし…危険な兆候だな)



 我々は目に見えない『影響力』というものを軽視してしまう傾向にあるが、強い力は必ず周囲を感化してしまう。伝播してしまう。


 暴力的で血が飛び散るような試合に慣れると、気付かないうちに自分もそういう人間になっていくものだ。


 国の指導者に資質が問われる最大の理由が、この影響力である。


 危険な排除思想を持つ人物が扇動者となると、大人のみならず子供に著しい悪影響を与える。


 今までは温和だったのに、物事の解決に暴力的手段をもちいる、あるいは考えるようになってしまうのだ。



 これが地下でも起こっている。



 他の派閥では、珍しく殴り合いの喧嘩が起こったという話も聞いた。


 【暴力厳禁】という誓約があるにもかかわらず、ついヒートアップしてしまったのだ。


 すぐに周りの人間に止められたらしいが、次第にレイオンが怖れていたことが現実に起こりつつあるようだ。


 これもすべてはアンシュラオンのせいである。



「先生は忙しい。外に出られないと伝えておけ」


「でも、せっかくのチャンスでは? うちらラングラスの活躍の場なんて、そんなところしかないですし…」


「二度も言わせるな。先生は外には出ない。どうしても治療が必要な人間だけ運び入れろ。それ以外は断れ。わかったな?」


「は、はい!」


「わかったなら、さっさと扉を開けろ」


「はい!」



 ウィーーンッ ゴロゴロゴロッ


 ピアスが扉を開ける。


 こうしてわざわざ門番に開けさせることは、上下関係を意識させるためにも有用である。


 ただ、レイオンにはもう一つの理由もあるのだが、今は触れないでおこう。





 レイオンは、アンシュラオンがロボットに襲われた部屋に入る。


 そのまま立ち去るかと思いきや、そこでしばらく何もせずに立っていた。



「…変化はない…か」



 周囲を見回すが、何も起こらない。


 試しに壁を叩いたり、床を蹴ってみるが、相変わらず変化はない。



(ホワイトが『診断者』に引っかかったのは事実だ。何がそうさせた? 一定以上の力を持った人間だけに反応するのか?)



 レイオンとミャンメイがここにやってきたときも『診断者』からのチェックを受けた。


 結果はトットたちと同じ。そのまま素通りであった。


 つまりは【彼ら】からすれば「価値のない者」であり、脅威とはみなされなかったことを意味する。


 だが、ホワイトという外から来た医者には、なぜか反応した。


 そして、あまつさえ交戦して勝利しているという。


 勝利しなければ生きてはいないので当然だが、実に恐るべきことである。


 その証拠に、床や壁には生々しい戦闘の痕跡が残っていた。この遺跡の自己修復術式でも直しきれない損害を与えたのだ。



(これ以上、人々の暴力衝動が高まると危険だな。何が起こるかわからない。この遺跡のことも完全にはわかっていないんだ。ミャンメイもいる。安全は確保しないといけないんだ。このままあいつの好きにさせるわけには……いや、オレにはもうそんなことを考える余裕もなくなってきたか。いつまで身体が動くか…)



 コンディションが最低なことは自分でもわかっている。


 これは普通の病気でもないし、簡単に治るようなものではない。受け入れるしかない『事実』でしかない。


 だが、まだ諦めるわけにはいかない。





 レイオンはその先の通路でキノコをいくつか採取して、南側の扉を通る。


 しばらく歩くと、「奥」に続く道と真っ直ぐの道の分岐路に到着。


 そこに複数の人影を発見した。



「グリモフスキー、そこで何をやっている」


「ちっ、てめぇか」



 そこにいたのは、レイオンが来る前までラングラスのトップだったグリモフスキーであった。お供の二人も一緒だ。


 彼はレイオンを見つけると、あからさまに敵意がこもった視線を向ける。


 お供の二人は視線を逸らしたので、それだけでもグリモフスキーの肝が据わっていることがわかる。あるいは元リーダーとしての虚勢か。


 どちらにせよ、レイオンを前にしても動じないのはたいしたものだ。



「何をしていた?」


「お前にわざわざ報告する義理はねえな」


「義理はなくても義務がある。それ以前に通路に生ゴミを捨てるな」



 グリモフスキーたちの足元を見ると、なにやら「生ゴミ」が転がっている。


 いや、訂正しよう。シャイナの父親が転がっていた。


 相変わらずボロボロで酷い有様なので、生ゴミと呼ばれても違和感がないのが哀しいものである。



「リンチか? お前たちらしいな」


「裏切り者に対する制裁ってやつさ。こいつは盗みもやった。文句はねえな?」


「好きにしろ。お前たちが一般人に悪さをしなければ、それでいい。だが、殺すなよ。これは命令だ。従わなかったらどうなるかは嫌というほど知っているな? また鼻をへし折るぞ」


「ちっ…」



 グリモフスキーは、思わず鼻を手で触る。


 鼻を骨折すると独特の痕跡が残るので、すぐにわかる。


 アンシュラオンのような特殊な治癒能力がなければ、グラス・ギースの医療技術では傷痕を治すことは難しい。この地下ならば、なおさらだろう。


 グリモフスキーは忌々しげに自分の鼻を折った男、レイオンを睨みつける。



「けっ、お山の大将でいられるのも、これまでだぜ。あの仮面の男が来たんだ。今度はてめぇが転落する番だ」



 どうやらグリモフスキーもアンシュラオンの情報を掴んだようである。


 上と連絡すればわかることだし、断片的とはいえシャイナの父親から情報を引き出すこともできるだろう。



「ふん…もとよりこんな場所に興味はない。好きでやっているわけではないからな。欲しいのならばくれてやるさ」


「ふざけんなよ! 俺を蹴落としておいて、このままで済むと思ってんのか!」


「くだらん。ドブネズミたちの権力闘争に付き合っている暇はない。勝手にやっていろ」


「てめぇ…!! どこまでなめた口を叩きやがる!! 覚えていやがれ! いつかてめぇにも痛みを味わってもらうぞ!」


「…痛みか。俺だって普通の痛みを感じられるようになりたいさ」


「あ? 何言ってやがる?」


「お前には関係ない」


「くっ! レイオン!! 何度も何度もてめぇは、いつだってそうだ!! 俺様をコケにしたことを絶対に後悔させてやるからな!!」


「ふん」



 野犬をあしらうように手を払い、レイオンは先に進む。


 後ろからまだグリモフスキーの罵声が聴こえるが、今はあんな小物にかまっている余裕はないのだ。




 レイオンが向かったのは、真っ直ぐの道。



 その先も破壊された扉や部屋が並ぶ長い通路になっている。


 すでに三十分ほど歩いているが、まだ目的地には着かない。



(これで遺跡の一部とはな。やはりグラス・ギースの地下には巨大な遺跡が眠っているのだろう。これが動いていた時代のことを考えると、ぞっとしないな)



 遺跡全部が稼動状態だったならば、いったいどのようになっていたのだろう。


 あんな機械兵たちがぞろぞろと動いていたとすれば、これまた怖ろしいことである。


 それだけの文明が存在したこともそうだが、それが滅びてしまったことが一番怖い。




 それから再び三十分ほど歩き、いくつもの部屋と通路を越えて、ようやく目的地に到着する。


 ここはラングラスエリア内でも最奥に位置する場所だ。



「…ふー、ふー」



 たったこの程度で息切れしてしまう自分を嘆きながら、レイオンは扉を開ける。


 この扉は腕輪では開かないので、懐から取り出したジュエルを扉にはめ込む。



 ガタガタガタガタッ



 錆び付いたシャッターのような音を立てて、大きな扉が開いていく。


 次の瞬間、むわっとしたアルコール臭が室内から流れ出てきた。


 その臭いはすでに嗅ぎ慣れたものなので気にしないが、一般人だったらあまりの激臭に鼻をつまんでしまうことだろう。



 レイオンが部屋に入り、いくつもの薬品が乱雑に詰められた木箱や袋の山を越えると、部屋の奥に一人の人物がいた。


 その人物は、伸びるままに伸ばしたボサボサの長髪と髭によって顔の大半が隠れていた。


 また、羽織っている黒いローブも相まって、どこぞの仙人か魔術師と呼んでも差し支えない容姿をしている。


 唯一かすかに見える肌のシワによって、かなり高齢だということはわかる。



「…まるで手負いの猪じゃな」



 その老人は作業の手を止めてレイオンを一瞥すると、そう称する。



「せめて獅子と言ってくれ」


「ぬしのような者を獅子とは言わん。獅子でない者は、獅子にならぬほうが身のためであろう」


「先生は厳しいな…」


「焦っておるようじゃな。何かあったか?」


「…お見通しか」


「ぬしは顔に感情が出る。わかりやすい男だ」



 老人の目が、レイオンの感情を見抜く。


 この人物はいつだって冷静に物事を判断することができる。医者だから当然だが、よく他人を観察している。


 そして、アンシュラオンとは違って、そこに自己の欲求がほとんどないので相手を苛立たせることもない。


 それによってレイオンの感情も少しずつ落ち着いてくる。これもまた影響力だろう。



「表がいろいろと騒がしくなってきている。外からやってきた男が原因だ」


「…例の男か?」


「ああ、そうだ。情報を仕入れてきたが、思った以上に危ないかもしれない。あいつのせいで暴力性が加速している。危険な兆候だ」


「遺跡の『抗体』が出てきたことも、その予兆の一つか。しかもそれを逆に排除してしまうとは…その男、気になるな」


「あいつの暴挙は俺が止める。その代わり、明日までに動ける身体にしてくれ」


「その状態でか?」


「試合が決まったんだ。やるしかない」


「無理をするな。死ぬぞ。…否。【すでに死んでいる】か。失言であったな」


「勝手に殺さないでくれ。俺は生きている。まだ生きているんだ。妹のためにもまだ死ねない」


「その責はわしにもある。いまさらやめろとは言えん。が、これ以上関わることもない。妹を連れて逃げるのも手じゃぞ」


「逃げる? 逃げる…か。それは何度も考えた。あんなやつらを相手にして、俺と先生だけで太刀打ちできるかも怪しいところだ。だが、逃げてどうする。俺は長くはない。どうせいつか死ぬ。ならば、その前に借りたものは返さないといけない。【あいつ】は俺が殺す。そして、妹が安心して暮らせる場所を作る。今はそれだけのために生きているんだ。頼むよ、先生」


「…そうか。ならば、やれることはやろう。まずはコシノシンを摂取せよ。いつも以上に大量にな」


「ああ」



 レイオンは、ツボに詰められたコシノシンを無造作に手ですくうと、そのまま口から大量に摂取する。


 一回や二回ではない。何度も口の中に放り込み、水で強引に押し流す。


 これと比べるとイタ嬢が摂取した量など、たいしたものではないことがわかるだろう。明らかに異常な量だ。



「しかし…味がないってのも嫌なもんだ。気持ち悪い」


「そりゃ、ぬしの味覚がもう無いからじゃ」


「そうか。少し甘いんだったな…。しばらくミャンメイの料理も食べていないが…食べても味がわからないなら意味がない…か」


「感覚はどうじゃ? 痛みはあるか?」


「…少しは落ち着いてきたよ。だが、弱いな。もっと強い薬はないのか?」


「現状ではこれが精一杯よ。これでも常人ならば死んでおる量じゃぞ」



 レイオンが武人ということを差し引いても、この量は身体に大きな負担をかけるだろう。


 がしかし、今の彼の状態からすれば、これでもちょっとした鎮痛剤や安定剤にしかならない。


 本番はこれからだ。



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