399話 「無手試合 『激情の拳』 後編」


「ぐううっ…うう!!」



 ロックアルフが自身の拳を見て驚愕する。


 なぜ自分が打ち負けたのか理解できないのだろう。


 それは観客も同じで、誰もが呆けたような驚いた表情を浮かべていた。



「ぐう、おおおおお!」



 だが、リングに立つ以上、自分が拳闘士である以上、戦い続けねばならない。


 地下で生きることは甘いことではない。拳闘士だからといって楽な生活ができるわけではない。


 そうすることでしか生きていけないのだ。これしか生きる道がないのだ。



 だから、再び拳を握る。



 指が一本足りなかろうが、二本折れていようが関係ない。腕があるならば振り続けるだけだ。


 ブンブンッ!!


 ロックアルフは、がむしゃらに拳を振るう。力一杯殴りかかる。


 しかし、すべては遅い。



「…しゅっ」



 バキャッ! バキィイイッ!



 その拳をサナが迎撃。的確に指を狙い、一本一本確実にへし折っていく。


 拳の質そのものが違うのだ。石に粘土をぶつけても、石が砕けることは絶対にない。



「ぐううっ!!」



 ロックアルフは攻撃を受けるたびに顔をしかめる。


 どうやら肉体操作が完璧ではないので、痛みを完全に消すことはできないらしい。鈍痛が響いて動作が遅くなる。


 痛みは我慢できても神経がそれを否定する。反射的に身体が自分を守ろうとするのだ。


 まだロックアルフはその程度の武人だということである。



 バキンッ



 そして、最後の指がへし折れた。


 親指まで含めた十本の指が、すべて力なくぶらぶらと垂れ下がっている。



「おおおおおお!!」



 こうなったらロックアルフには体当たりしかない。


 勢いよく突っ込んで、肩からぶつかろうとする。



「…じー」



 ヒョイッ


 サナは冷静にそれをかわす。


 さきほどとは立場が正反対である。優位に立っているのはサナであり、ロックアルフは完全に後手に回っている。


 この体当たりも死に体から出されたものなので、余裕をもってしっかりと観察していた彼女には簡単によけることができた。


 そこからサナの反撃。



 ドンドンッ ドガッ


 ドゴンッ ドゴッ!



 動きが鈍くなった相手に次々と攻撃を仕掛ける。


 今度は一転して前には出すぎず、慎重に間合いを測りながら拳を繰り出していく。


 相手もガードするので、もともとの体格差もあって一発一発のダメージは少ない。


 しかし、相手からの反撃がほとんどない状態では、時間がすべてを解決する。



「…しゅっ」



 サナは腹に攻撃すると見せかけて、膝に蹴りを放つ。


 横から蹴るのではなく、踵を強く膝に叩きつけるように当てる。


 バキッぃい! ビシッ!



「―――っ!! ぐうううっ!!」



 どすん


 その大きな身体が、ついに床に崩れた。


 視点を変えた不意打ちかつ、狙い済ました一撃が膝蓋骨、いわゆる『膝の皿』を砕いたのだ。


 膝の伸縮に大きな役割を担っている部分なので、ここを怪我すると力士が休場に追い込まれるように、立つことすら困難になる。


 サナの一撃でそれができたのは、アンシュラオンがやっているフェイントを真似たからだ。


 上に意識を向けさせておきながら足元に攻撃する。相手は上半身に戦気を集中させているので、下の防御が疎かになる。


 ロックアルフに余裕があれば見抜けたかもしれなかったので、これも優位性を生かした戦い方の一つである。


 精神的に肉体的に、サナが上位に立っている証拠であった。




 さて、この状態で勝負はほとんどついている。




 サナの勝利は、ほぼ確定しているだろう。


 しかし、地下闘技場にカウント制度は存在しない。レフェリーが止めない限り、どちらかが戦闘不能になるまで戦いは続く。


 サナは膝をついたロックアルフを追撃しようと、少しずつ間合いを詰めていた。



 ヌルヌルッ ブオオオオオッ



 サナが構えると、ゆっくりとだが確実に右手に強い戦気が凝縮していく。


 炎が集まり、メラメラと燃え、次第に光に近い輝きを帯びていく。



 それは―――【虎破】の構え。



 今こそ自身が持つ最大の一撃を繰り出そうとしたのだ。


 相手が動けない状態だからこそ、戦気術が未熟なサナでも十分な時間をかけて練気ができる。


 そして、右手に十分な戦気が集まった。通常の戦気の数倍の力を感じる。




 サナの瞳に―――【赤い光】が宿った。




 相手を観察し、怪しい挙動を一つたりとも見逃さない【狩人の目】だ。


 ロックアルフが少しでも身じろぎすれば、一度立ち止まってじっと観察する。動きが止まればさらに近寄っていく。


 じりじり じりじり


 そうやって安全を確保しつつ一歩一歩近寄り、自分の間合いを生み出していく。



「…ふー、ふー」



 サナの息遣いが荒くなっていく。


 虎破を打つには戦気の集中が必要なので、すぐに放たないと維持するために多大な精神力を使う。


 まだまだ戦気の維持が苦手な彼女にとっては、この作業はつらいだろう。


 だが、まったく油断することなく近寄っていく。



「…ま、待て…!」



 ここで初めてロックアルフの気勢がそがれた。


 やはり男である。少女に対して負けることに抵抗があったのだろう。ギリギリまで負けを認めたくなかったようだ。


 しかしながら、虎破を打つために集まった戦気を見て心境に変化があった。この状態で渾身の一撃を受ければ命に関わる。


 自分にも家族がいるので命は粗末にできない。選手生命に関わる怪我を負うこともできない。



 だからこその【命乞い】であったのだが―――




「…ふー、ふー」




 じろり


 サナはじろっと一瞥しただけで、敵対行動を止めることはなかった。


 依然として様子をうかがいながら虎破を打つタイミングを見計らっている。



「ま、待て! こちらの負け…」


「…ふーー!!」


「…ひっ!」



 赤い目が―――さらに輝きを増す。



 赤は激情の色。サナが初めて覚えた【怒り】の感情を示す色だ。


 攻撃されたことが原因なのか、あるいは相手を追い詰めたことが原因なのかは不明だが



 彼女は―――




―――殺すつもりでいる




 怒りの感情が殺意となり、相手の命を奪おうとしている。


 この息遣いの荒さは消耗のせいだけではない。彼女の心が怒りで真っ赤に燃えているせいでもある。



 心が怒りに支配され、相手を殺すことしか考えていない【狂人の目】だ。



 なにせ彼女に意思は存在しない。あるとすれば、つい最近覚えたばかりの【怒り】だけである。


 どんな怒りであっても、この感情は破壊を導く。怒りの前に命乞いは無意味だ。



 ロックアルフの本能がそれを悟り―――怯える。




「ひ、ひぃいいい!」



 ずるずる ずるずる


 大の大人が少女を前にして、小さな悲鳴を上げながら逃げる。床に這いつくばりながら、後ろを見せて逃げる。


 なんとも非日常的な光景ではないか。運営が望んだ結果とは正反対だが、状況的には目論見通りになっているはずだ。



 では、それに対する観客の態度はどうかといえば―――




「………」


「………」


「………」




 誰もが声を発しない。息を呑んで凝視しているだけだ。


 強く激しい緊張感、死というリアリティ、非現実的な状況、そういったものに【魅入られている】。


 はーはーと、多くの観客の息遣いが聴こえる。これから起こるであろう【惨事】に、かすかな期待を抱いている。


 彼らは知っている。



 これはもうシナリオではない、と。



 サナが発する雰囲気は演技で出せるものではない。


 本物の戦場、生き死にを経験した者でしか出せないオーラが宿っている。


 アンシュラオンは彼女に対して、最初に【死】を教えた。魔獣や人間を殺させて、弱い者は死ぬのだと教えた。


 そのうえで彼女が生き残るための最善の方法も教えたはずだ。




―――相手が死ぬまで殺せ




 それが一番の安全なのだと。自分を守る方法なのだと。


 だからこそ誰の助けもないリングの上で、兄であり師である彼の教えを純粋に実行しようとしているのだ。


 自分が生き残るために敵を殺すという、実にシンプルな理由だけで彼女は戦っている。





(サナ、殺すつもりか。…仕方ないな。これも戦いだ。武人と武人が出会ったら、どちらかが死ぬまで決着は訪れない。ここがリングの上とて、星の上であることには変わらない。大自然が決めた絶対のルールにオレたちは逆らえないんだ。存分にやるといい)



 当然、アンシュラオンは止めない。


 特に止める理由はない。戦いとは、そもそもがそういうものである。



 バチンッ



 ふと反対側を見れば、相手のセコンドが『鶏肉』を見えない壁に叩きつけていた。


 これは相手側のセコンドが『負け』を認めるジェスチャーだ。


 地球ならばタオルなのだろうが、ここでは「チキン〈臆病者〉」という意味で鶏肉を投げるらしい。(ちなみに鶏肉はあとで調理されるので安心してほしい)



 が、それこそが互いの温度差を如実に示してもいる。



 スポーツという『競技』をやっているロックアルフ側に対して、こちらは『闘争』を行っているのだ。


 純粋に生き死にをかけた生存闘争である。魔獣が跋扈ばっこする外では当たり前にあるものだ。


 猫がネズミを食べるシーンを見たことがあるだろうか?


 我々人間は彼らの甘噛みしか知らないが、本気で食するときには遠慮なく牙を突き立てる。ガブガブと噛み千切り、次々と飲み込む。


 そんなリアリティーが、今目の前で展開されているのだ。


 だからこそ観客もレフェリーも呑まれる。誰も鶏肉の存在になど気付いてもいない。




「ヒィイイッ」


「…ふーー、ふーーー!」



 サナがロックアルフを追い詰めた。


 赤い目がさらに輝き、血の色になっていく。



 殺す。殺す。殺す。


 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。


 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。

 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。


 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。

 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。

 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。


 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。



 サナが初めて覚えた感情が急速に湧き上がっていく。


 アーブスラットに追い詰められて発動した怒りの感情が、目の前の敵を殺そうと力を集めていく。


 いまさら一人殺したとて、たいしたことではない。すでに彼女は何人も殺している。星が一つ増えるだけだ。


 むしろ光栄に思うがいいだろう。魔人が愛する黒き少女の糧になれるのだから。



「…!!」



 凝縮した殺気が、弾けた。





 そして、拳を放―――







「試合を―――止めろぉぉおおおおっぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」







 その時、会場全体を激しく揺さぶる声が響き渡った。



「―――!!」



 飛び跳ねるように多くの観客が振り向く。


 一点に意識が集中していたからこそ、雑音が入った時には過剰に反応してしまうものだ。


 数多くの視線の先にいたのは―――



「試合を止めろ!!! 敗北を認めるサインが出ているだろう!!」



 レイオンがいた。


 いったいどこに行っていたのか、なぜこのタイミングで現れたのかは不明だが、久々に彼の姿を確認できた。


 どうやら彼は試合終了の必要性を訴えているようだ。


 この中で唯一冷静な判断ができる者であり、投げつけられた鶏肉の存在をしっかりと把握できていた。



「っ! す、ストップ…ストッ」



 彼の声でレフェリーも我に返って試合を止めようとする。


 しかしながら、その制止が届かない者もいる。



 ぐぐぐぐっ バンッ!!




 サナが―――拳を放った。




 一度発動させた技の止め方を教わっていないこともあるが、彼女には最初から止める気などはなかったのだ。


 真っ直ぐに相手の命を奪うために拳を突き出した。



「ヒィイイイイッ!!」




 ドゴーーーーーンッ




 サナの拳がロックアルフの肩に激突。


 メキョメキョッ ボゴンッ!!


 激しい力の衝撃が肩を突き抜け、防御の戦気ごと破壊する。


 すでに弱気になっていたロックアルフは、戦気の質も相当落ちていたようだ。ほぼ直撃である。



 ドタンドタンッ ゴロゴロゴロッ



 そのまま衝撃で押され、この巨体が床を転がっていく。


 さすが虎破である。直撃すればサナでもこれだけの威力が出る。


 だから技というものは覚える必要があるのだ。まさに必殺技になりえる一撃だ。



「ストップ、ストップだ! 試合終了だ!!」


「ロックアルフ!! なんてことを!!」



 レフェリーの声で透明の壁が消え、慌ててセコンドが駆け寄って状態を確かめる。



「っ…っ………」


「ま、まだ生きている! 早く、早く担架を!! 医者を呼んでくれ!」



 どうやらロックアルフは、恐怖で身を屈めたことで頭部への直撃を免れたらしい。


 肩が完全に砕けて体内も大きく損傷しているが、かろうじて息はある。


 もし頭に当たっていたら間違いなく死んでいただろうから、なんとも運がよいものだ。



「…ふー、ふー」



 シュウウ


 サナから戦気が霧散する。こちらも限界のようだ。




(命拾いしたな。サナがもう少し成長していたら命はなかったぞ)



 ロックアルフが助かった要因は、たった一つ。


 サナの持久力がなかったこと、集中力が乏しかったことだ。


 間合いを測るために長時間維持したことで、拳に集めた戦気に乱れが生じていたのだ。


 戦気が安定しなければ狙いも安定しない。だから頭を狙う余裕までなかった。


 もともとサナの課題は集中力にある。その弱点が思いきり露呈してしまったにすぎない。


 そうでなければ頭を引っ込める時間さえ与えなかっただろう。あるいは肩に当たっても死んでいたかもしれない。



「おい、さっさと勝利者コールをしろ」



 アンシュラオンが、呆けていたレフェリーに促す。



「っ…、しょ、勝者、黒姫…」


「待て! 反則だろう! こっちはすでに鶏肉を投げていたぞ!」



 相手のセコンドが食ってかかる。


 無理もない。彼らからすれば怒って当然の非道な行いだろう。



「審判の制止はなかったぞ。コールがなくても勝敗が成立するのか?」


「い、いや、それは……コールがなければ…反則ではない。黒姫選手の攻撃は…試合中での出来事だ」


「だ、そうだ。反則ではないようだぞ?」


「くっ! 意図的な攻撃だろうが! ここまでやる必要があるのか!」


「うるさいやつだな。文句があるならお前が戦え。そこに立っていていいのは勝ったやつだけだろう。なんならオレが相手をしてやろうか? マングラスに遠慮する理由はないし、いつでも受けてやるぞ」


「…うっ」


「ほら、コールだ」






「しょ、勝者、黒姫ぇええええええええええええええええええ!!」






 サナの勝利が確定する。


 それに対して、観客からの声援はなかった。


 これはサナに軽蔑や侮蔑の感情があるわけではなく、コールなどなくても誰が勝ったかが明白だからだ。


 そして、あまりのリアリティに心臓がドキドキしているからだ。


 観客の荒い息遣いを感じる。興奮している。燃えている。





 その心が―――真っ赤に燃えているぅううううううううううう!!!!!





 本物の戦いを見て感動に打ちひしがれているのだ。


 だが、その一方でただ一人だけ苦虫を噛み潰したような顔をした者がいた。



「余計なことをしてくれる…このままでは……まずいな」



 レイオンだけが渋い表情のままであった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます