394話 「実戦の拳 前編」


 こうして外野での注目を集めることに成功。


 試合前としては十分盛り上がったといえるだろう。





「この試合の受付は、ここで終了させていただきます。たくさんのご参加、誠にありがとうございます!」





 8.8倍という高配当が効いたのだろう。


 賭けは盛況で、客の八割以上は確実にアカガシに賭けたようだ。


 客の数も三倍ならば総額もいつもの三倍に跳ね上がっているので、運営としては笑いが止まらないはずだ。


 ただし、実際に賭けられる側としては複雑だ。





「両者、前へ!」





 二人がリング中央にまで進み、睨み合う。




(俺もなめられたもんだ。こんな子供相手に8.8倍とはな。運営は何がやりたいんだか。おおかたメイン以外でも注目カードを作りたいんだろうが、こんなお嬢ちゃんが相手じゃな…どうにもやりにくいぜ)



 アカガシが、サナを見下す。


 たしかに自分は上のレベルでは勝ち上がれないような二流選手だが、こんな子供と比べられるのは心外だ。


 このオッズもそうだし、それに賭ける観客にも不満が募る。


 真面目に鍛練を積んできた自分に対する侮辱にすら感じられるのだ。



「お嬢ちゃん、怪我する前に帰ったほうがいいぜ。金がかかっている以上、そこまで手加減はできないからな」


「…じー」


「聞いているのか?」


「…じー」


「やれやれ、どうなっても知らないぞ」


「…じー」



 相変わらずサナは、ただただ見つめるだけで問いかけには答えない。


 だが、そこにこそ二人の決定的な違いが存在した。



 その違いがアンシュラオンにはよくわかる。



(孫子いわく、『戦いが始まる前から勝敗は決まっている』。もちろん戦いはそんなに簡単なものじゃないが、準備を怠る者に勝者はいない。相手を侮っているのならば、なおさらのことだ)



 サナはすでに戦闘態勢に入っている。


 実際に動いてはいないが、それ以外のところで戦いを始めている。


 対戦者の表情、体格、筋肉の付き方、足の動き、体重移動等々、必要な情報を必死に集めている。


 もともと観察眼に優れた彼女であるが、こうした姿勢は戦いに挑む者ならば誰にとっても重要なことだ。


 足の動きがわかれば、どれくらいの速度でどれくらいの動きをするかがわかるし、胸や腕の筋肉の付き方を見れば可動域がわかり、得意なパンチが推測できる。


 そのたった一瞬の予知で命が助かることがあるのだ。絶対に疎かにしてはならない。


 サナは勝つための準備を整えている。その姿勢は武人として極めて正しい。



 だが、一方のアカガシはそれを怠っている。



 彼にはサナが単なる無愛想な子供にしか映っていない。見た目に騙されて情報を集めることをやめている。


 これでは最初から勝負を投げているようなものだ。だからスポーツだと蔑まれるのだ。


 といっても、最初からサナを侮らない相手のほうが圧倒的に少ないのも事実である。


 実力的に遥かに上位だったアーブスラットでさえ、サナには戸惑いを見せていたのだ。


 アカガシ程度の武人に万全の準備を求めるのは酷な話だろうか。



(サナ、お前が変えるんだ。この緩んだ空気を吹っ飛ばす力を与えたはずだ。お兄ちゃんにそれを見せてくれ)







「それでは、試合開始だぁあああああああああああ!!」






 二人の準備が整ったのを見計らい、リングアナが叫ぶ!!




 カァアアアアーーーーーンッ!!




 試合開始のゴングが鳴った。




 ブオオオッ


 互いに戦気を発動させて身体にまとわせる。


 当然サナも展開したのだが、それにアカガシが少し驚く。



(おっ、この子も戦気が使えるのか? まだ遅いが、けっこう滑らかだな。試合に出るだけのことはあるってか。少なくとも死ぬことはなさそうで安心したよ)



 試合に出る以上、戦気が出せることは必須項目である。そうでないと大怪我を負ってしまうだろう。


 ただ、アカガシから見てもまだまだ粗いものなので、あくまで最低限の力を有しているにすぎない。


 この上から目線の態度を見てもわかるように、まだ彼の中でサナは自分よりも格下の存在でしかないようだ。



「………」


「…じー」



 最初はどちらも動かない。


 相手の様子をうかがっているだけだ。


 サナは相変わらず観察しているうえ、体格では相手が上なので動かないことは悪い選択ではない。


 迂闊に近寄って捕まったら危険なので、間合いを測りながら様子を見たほうがいいだろう。


 ただし、アカガシに関しては根本の事情が違っていた。



(こんな『余興』に選ばれたことにはイラつくが、簡単に終わらせたらもったいない。子供相手にガチでいったら大人げないしな。ここは打たせて試合を盛り上げてやるか)



 ハングラスのプロモーターからは、試合で見せ場を作れと言われている。


 レイオンの試合でもそうだが、賭け試合には『シナリオ』がある。


 同派閥以外では、どちらが勝つかまで決まっているものは少ないが、それでもある程度の試合内容が決まっているのだ。


 たとえばレイオンとブローザーならば、互いに肉体派なのでノーガードの打ち合いが好まれる。


 観客もシナリオがあると知りつつも、期待通りの肉弾戦を楽しむことができるのだ。


 そこはアンシュラオンが言った『プロレス』と同じである。


 そして今回は相手が子供ということもあり、その指示の大半がアカガシに与えられていた。



 内容は、わざと相手の攻撃を受けて苦戦したふりをしろ、というものだ。



 女の子が大の大人を一時的にとはいえ圧倒する。


 たしかに見ているほうは面白いだろう。娯楽としては定石ともいえる手段だ。


 アカガシ自身には非常に不愉快なシナリオであっても、これを受ければ次に割りのよい試合が組まれる予定になっている。



(仕方がない。これは仕事だ。家族を養うためだ。我慢しないとな)



 自分には家族がいる。息子もいる。まだ遊び盛りだ。玩具も買ってやりたい。


 何よりも地下にまでついてきてくれた妻には、少しでも豊かな生活をさせてあげたい。


 武人として一流ではない以上、こうやって賭け試合の噛ませ犬として使われることも受け入れている。


 多少の屈辱を甘んじて受け入れれば、家族を養っていくには十分な金が手に入るのだ。



(さあ、こい)



 アカガシは防御の構えを固める。自分からは攻撃しようとはしない。


 残念ながら、これが賭け試合の実情である。


 本気で戦い、本気で自分を高め、本気で相手を打ち倒そうとする者は多くはない。


 彼らにも生活があるのだから責めることはできないだろう。




「…すっ」



 相手が動かないのを見たサナが、ついに前に出る。


 反撃の意思も感じなかったので、自分から出ることを決めたのだろう。


 そして間合いに踏み込むと、拳を繰り出した。



(おっ、それなりに速い動きだな。腹への攻撃か。これくらいならば、まともに受けてやるか)



 身長差によってサナの拳は、アカガシの腹に向かっていた。


 綺麗な動きだったため見切るのはそう難しくなかったが、予定通りにあえて受ける。



 ドスンッ



 小さい拳ながら良い音をさせて、腹に突き刺さった。


 アカガシは防御を固めていたので問題なく対処。完全に受けきる。


 そのまま素早くダメージを分析。



(威力はそこまでじゃない。子供にしては強いが、それでも子供でしかないな。無防備で受けなければ致命傷にはならないだろう)



 このあたりはさすが拳闘士であろうか。殴られ慣れている。


 あらかじめ攻撃のポイントがわかっていれば、防御するのは難しくない。


 アカガシも武人なので、戦気を覆えば肉体能力は何倍にもなる。


 子供、しかも少女程度の拳でどうなるものではないのだ。



「…しゅっ」



 その状況をどう判断したかは不明だが、サナは攻撃を続ける。


 ステップを踏み、拳を放つ。



 ドスンッ ドスンッ ドスンッ



 リズミカルに三発の攻撃がヒット。


 腰を回転させて放った良い拳だ。が、これもアカガシはすべて受けきる。





(マシュホーのおっさん、なかなか良い相手を選ぶじゃないか。人を見る目は武人を見る目にも通じるのかな。練習相手にはちょうどいい実力だな)



 アンシュラオンもアカガシの能力をセコンド席で分析していた。


 まだ攻撃をしていないので完全な評価はできないが、防御面だけならばそこまで悪いとは思わない。


 腹で受けたのもわざとだとわかるし、しっかり防御していたのでダメージもあまりないだろう。


 受け慣れていることと筋肉の付き方を見るに、おそらくはバランス防御型の戦士だと思われる。


 的確に防御しながら反撃を行うタイプだと感じた。


 その証拠にサナが攻撃を仕掛けた際、反射的に反撃しようとして止めていた。癖が出ているのだ。


 こうした癖を見抜くのも武人の嗜みである。だから強い武人ほど身体を服で隠すのだ。(姉は強すぎるので薄着が許されるが、アンシュラオンも基本は少しゆったりめの道着を好む)



(あの男、レッドハンターより少し劣るくらいかな。無手という条件下ならば匹敵するかもしれない)



 自分の見立てでは、アカガシはレッドハンターより少し下程度、ソイドファミリーの下級構成員程度といったところだろうか。


 アンシュラオンからすれば雑魚でしかないが、それでも一般人からすれば手に負えない存在である。


 サリータでも苦戦するだろうから、サナから見ても強敵の部類に入る。楽に勝てる相手ではない。


 彼女もそれはわかっているのだろう。まったく油断することなく自分が放てる最大の一撃を打ち込んでいる。



 ドスン ドスンッ


 ドスン ドスンッ


 ドスン ドスンッ



 サナの拳が何度も腹に当たる。


 アカガシはひたすら防御の姿勢だ。



(あの男、まったく攻撃する気配がない。それが今回のシナリオというわけか。それでもかまわないが…あまりお勧めはしないな)






―――ドガスッ!




 十五発目だろうか、その一発が入った時、少しだけアカガシが下がった。


 軽く手で腹をさすり、『ちょっと痛かった』アピールをする。


 実際に痛かったので、逆に大げさにやってみた感じだ。



(いい打ち方するじゃねえか! 同じ場所にくらい続けると、さすがに痛いな)



 体重差、体格差、戦気の量、どれも自分が上である。


 女性かつ子供の彼女の拳は、まだまだ軽い。大人が相手では厳しいのも仕方がない。


 ただ、目の前の少女の拳の打ち方は、なかなか本格的だ。抉るように打ち込んでくるので油断はできない。



(しかし、フェイントも使わないから動きは単調だ。このまましばらく受け続けるか。油断はするなよ。こんな茶番で痛い目に遭いたくはないしな)



 改めて家族のことを想って気合を入れ直し、防御を固める。


 もう少し打たせたほうが盛り上がるだろう。




 ドスン ドスンッ


 ドスン ドスンッ


 ドスン ドスンッ




 それからもサナの猛攻は続く。


 ひたすらに腹に拳を打ち込んでいく。




 ドスン ドスンッ


 ドスン ドスンッ


 ドスン ドスンッ






―――ワァアアアアア!






 予想通り、その展開に観客が沸く。




「おっ、なかなかやるじゃないか! いいパンチだ」


「アカガシ、くらいすぎだぞー! 遊んでるんじゃねえぞ!!」


「ははは、あれくらいでいいのさ。それが今日の演出なんだろうぜ。あんな女の子にアカガシが負けるわけがないからな」


「そりゃそうだな。あいつは強くはないが弱くもない。運が向けば、もっと上に行ける才能がある。こんなところでつまずくやつじゃないさ」


「なんだよ。やっぱりそうか。あーあ、これから反撃して終わりかなー。でもまあ、これで大儲けならば問題ないな。ちょっとした話題にはなったしよ」


「まったくだな。若い子が入るってのはいいもんだよ」




 観客の大半はシナリオのことを知っているので、これも『ショー』の一部だと思っている。



 もちろんその通りだ。



 アカガシがわざと攻撃を受けていることなんて、少し見る目があれば誰にだってわかることだ。


 悪くない余興だった。あの子は健闘した。もう十分だろう。


 観客の興味が徐々に試合の終わりへと向かっていく。


 その空気はアカガシも感じていた。



(こんなものでいいか? 客は満足したか? …大丈夫そうだな。これ以上は不自然だし、まずは軽く一発、反撃でもしてみるかな。どれくらい手加減が必要かわからないし、様子見で―――)



 自分がまったく動かないのでは、試合的にも面白くないだろう。


 ここで反撃を一発かましてみて、相手の反応を見ようと考える。


 それで驚いて下がるようならば、イヤらしい展開ではあるが、少しずつ追い詰めるのもいいかもしれない。


 仮にさらに向かってくるようならば、軽く打ち合いをしながら順当勝ちで倒せばいいだろう。





―――そんなことを考えていた時が、自分にもあった。





 今思えば恥ずかしい話であるが、それはどうか許してほしい。


 誰にだって初めての体験はある。何歳になっても初めて味わうものがある。


 ただ、それが今この瞬間であり、たまたまこんな小さな少女だったにすぎないのだ。




 しかしながら、これは―――【誇り】である。




 まだ弱く、何も知らなかった自分は、あの日を境に変わったのだと堂々と言えるようになったのだ。


 それこそが本当の誇りであると知ったのだ。


 だから許してほしい。これから起こることで自分への評価が下がったとしても、甘んじて受け入れる覚悟があるのだから。




 なぜならば―――自分も武人だからだ。




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