393話 「サナの無手試合 後編」


 アンシュラオンたちは、試合会場の隣にある入り口から控え室に向かう。


 控え室への通路の途中には、選手への干渉を防ぐためか見張りが立っていたが、アンシュラオンのことは伝わっているのか、そのまま一瞥されただけで素通りすることができた。



 見張りの誘導に従いしばらく進むと、大きな扉が見えた。


 事前にもらった選手用の腕輪を使って開く。



 ウィーン ゴロゴロゴロッ



(思ったより広いな。サンドバッグやソファーもあるし、それなりに快適に過ごせる空間が作られているようだ)



 控え室には術具を使った生活道具も数多く設置されており、ラングラスエリアの居住区よりも立派に見えた。


 地下における選手の高い身分を実感するし、死ぬ危険性がゼロではないので、それなりの配慮がなされているのだろう。



(部屋の色も薄いピンクや赤っぽい色合いだから、女子の控え室ってことかもしれないな)



 控え室には他の選手は誰もいない。


 この遺跡は部屋がかなり余っているし、男女別に控え室が分かれていてもおかしくはない。


 現在は女性の選手がいないので貸切に近い状態になっているのだろう。


 マシュホーが渋ったように地下では女性は貴重なのだ。よほどの武人でなければ、普通は試合に出ることは許されないと思われる。



(物資を管理しているくらいだ。マシュホーは上とのつながりもあるだろうから、オレのことも少しは聞いている可能性があるな。ただ、地下は地下。上とは違う。もし地上だったら絶対に拒否されているだろうしな)



 ハングラスにあれだけ損害を与えたのだ。ゼイシルにはさぞや恨まれているに違いない。


 が、地下には地下のルールがある。


 地下のハングラスは上とは正反対に、アンシュラオンに対して好意的というのは、なかなか面白い現象であろうか。


 その期待に応えないわけにはいかないだろう。



「サナ、お兄ちゃんからは特に言うことはない。短い鍛練ではあったが、勝てるだけの力は与えたはずだ。実戦で自分の思うままに戦ってみるといい」


「…こくり」


「負けてもいい、なんてことは言わないぞ。全部勝つんだ。負けて得るものがあるのは事実だが、勝って得るものはもっと多いからな。少なくとも雑魚相手に負けるようじゃいけない。わかったね?」


「…こくり」


「よし、着替えよう」



 サナが仮面を脱ぎ、用意されていた赤い武術服に着替える。


 この色にしたのは目立つからだろう。相手側は、これを【ショー】だと思っていることがうかがえる。



(それが普通の反応だよな。かよわい女の子が屈強な男たちと戦う。少しでも健闘すれば『がんばったな。また応援しよう』となる筋書きだ。客寄せパンダにするつもりだろうが…くくく、甘く見た代償ってやつを支払ってもらうか)



 試合会場で起こるであろうハプニングを思い浮かべ、にんまりと笑うアンシュラオン。



「次は覆面だ。この布で…グルグルグル…と。よし、これでいいだろう。苦しくないか?」


「…こくり」


「うーん、目元だけでも可愛いのがわかるから困るなぁ。これ以上は隠せないや」



 サナの顔を布で覆うが、素が可愛すぎるので、どうしても愛らしさが出てしまう。


 こればかりは仕方ない。サナが可愛いことは厳然たる事実なのだ。受け入れるしかない。





 その後は軽いウォーミングアップをして過ごす。


 本当はいつでも臨戦態勢が信条ではあるが、まだサナにそれを求めるのは酷だろう。


 普通のスポーツマンと同じように身体を温める。



「黒姫選手、試合の時間です」



 三時前になると、試合運営をするハングラスの係員が呼びに来てくれた。



「オレはセコンドでいいんだよね?」


「はい。問題ありません。専用の席があります」



 試合を観ていた時に気付いていたが、リングの横にはセコンド用の席がある。


 このあたりも普通の格闘技の試合に似ているだろうか。


 ひとまず近くで試合を観戦できるのはありがたいものである。



「じゃあ、行くか」


「…こくり」




 狭い通路(それでも幅五メートルはあるが)を通って、試合が行われるリングに進む。


 途中で男性側の控え室の通路と合流し、リングの『西側』に出る。


 どうやら西側が挑戦者で、東側が格上あるいはチャンピオンの方角になっているようだ。



 リングが見えてきた。



 実際に選手側からの視点で見ると、また違った趣がある。


 いつも広大な自然が戦場だったアンシュラオンには新鮮にも映る。


 自分がついていけるのは、ここまで。


 ここからはサナ一人だ。



「サナ、がんばれよ」


「…こくり」



 サナが頷き、一人で進んでいく。




 そして、出口を通り抜ける時―――




 バシュンンッ



 サナの身体から何かが【抜けた】。


 おそらく他の人間には何も見えなかっただろうが、アンシュラオンにははっきりとわかった。



(命気が消されたな。外部からの干渉を防ぐ術式がかけられているんだ。思った以上にかなり強力な結界だ。遠隔操作で誤魔化すのは難しそうだな)



 サナには意図的に命気を忍ばせたままにしておいた。その際、どういった反応があるのか見たかったからだ。


 予想はしていたが、アンシュラオンの命気は完全に消失してしまった。


 自分の命気を吹き飛ばすことには驚きではあるが、現在の命気は待機状態であったので、これが命気足の稼動状態だったならばどうなったのかはわからない。



(やろうと思えば突破できるレベルだから問題はない。サナが危険になったらいつでも助けられる。…だが、武人として強くなるためには厳しい戦いが必要だ。できる限りは助けないようにしないとな)



 一番の問題は、サナが殴られた時に自分がキレることである。


 それをやっていたら彼女がいつまでも成長しないので、できるだけ我慢することを誓う。


 あくまでできるだけ、であるが。






「さぁ、今日は珍しくこの時間から数多くのお客様に集まってもらっております。すでに告知していた通り、初戦は特別な試合を行いたいと思います!!」





 セコンド用の席にアンシュラオンが着くと、ちょうどリングアナウンサーが試合について説明するところであった。


 プロレスでも相撲でも、あるいは漫才でも何でもそうだが、この早い時間帯は『前座』が行われることが多い。


 まずは弱い者たちの試合を行い、場を温めて少しずつ気分を盛り上げていき、メインの試合で雰囲気が最高潮になるように調整されているものだ。


 いくら賭け試合が最大の娯楽とはいえ、競馬の平場のレースをやるようなものなので、最初の試合からずっと居座る者は多くはない。


 いるとすれば、ギャンブルに染まりきった駄目人間だけであろう。




 が、今日はいつもの三倍の人数がいた。




 それでも会場全体の半分程度だが、いつもより客の入りが多かった。



 その理由はもちろん―――





「可愛らしい挑戦者の登場だぁああああああああああああああ!! 西側より現れるはラングラス所属、異国からやってきた姫という噂の―――黒姫ぇええええええええええええええええ!!」





 スタスタスタ



 選手コールが行われると、サナがトコトコ歩いてきた。


 その姿に緊張した様子はまったくない。





―――ォオオオオオオオオ!!





 それと同時に客席から野太い声が響く。


 事前に告知されていたようだが、こうやって生で見る小さな挑戦者に誰もが興奮しているようだ。


 しかも説明が刺激的である。



「おいおい、姫だってよ」


「本当か? またガセじゃないだろうな? 前もそんな触れ込みのやつがいたよな」


「昼前にさ、派閥内で特別パンフレットが配られたんだよな。ほら、ここだ。東の国からやってきた亡国の姫って書いてあるぞ。顔も隠しているし、本当かもしれないぞ」


「へー、本当ならすごい話だな。生きるために武術一つでがんばっているのか。…なんだかかわいそうだな」


「俺は面白いと思ったね。ただ、肩書きで戦うわけじゃない。姫だろうがなんだろうが強くないと駄目だね。まずはお手並み拝見だな」



 という声が客席から聴こえてくる。


 この肩書きをどう捉えるかはそれぞれだが、客はしっかりとサナに興味を抱いたようである。


 興行という意味では大成功だろう。



(そういえば、そういう設定だったな)



 この設定を作ったのは、もちろんアンシュラオンである。


 マシュホーと話していた時に話題性のある設定を作ろうということになり、マキに話した内容をそのまま転用したのである。


 悪気はない。頭の中ではそういう設定なのだ。噂は噂でしかないという、よい一例だろう。






「続きまして、東側からはハングラス所属、アカガシィイイイイイイイ!!」





 次のコールで現れたアカガシという男は、いかにも筋トレをやっていますよ的な身体をしたスキンヘッドの男だった。



「しゅっしゅっ! しゅっ!」



 スパンッ スパンッ!


 アカガシの拳が空を切り裂く。


 軽くシャドーをした動きを見ても、身体のキレは悪くない。その筋肉が飾りでないことがよくわかるだろう。


 当然ながら成人男性なので、サナとは身長差が四十センチ以上もある。



「おいおい、大人と子供じゃないかよ!」


「こんなんで勝負になるのか? 賭けが成立するのかよ!」


「子供が怪我するだけだろうが! やめさせろ!」



 その様子に観客席から野次が飛ぶ。


 ルアンの戦いを見ていればわかるが、体格差というものは戦いにおいて重要な要素となる。


 体重も倍近い差があれば、パンチ一発の重さもまったく違う。観客が野次るのは当然のことだろう。


 これが単なる余興ならばいいが、実際に金を賭ける立場からすれば重要な問題なのだ。



 だが、次のアナウンサーの発言で状況がひっくり返る。





「えー、どうかお静かに願います。多少異例の事態ではありますが、賭けは通常通り行われることになります。それと、もう一つ連絡がございます。本日の試合ですが、黒姫選手のオッズは【1.2倍】とさせていただきます。繰り返します。黒姫選手のオッズは1.2倍とさせていただきます。どうかご了承ください」






―――ザワザワザワザワッ





 その言葉に会場がざわついた。


 こうした倍率、オッズは、普通は「強い者が低く」設定されるものだ。


 競馬新聞では、大本命に1.2倍という数字が並ぶことも珍しくはない。(だいたいは当日までにもう少し上がるが)


 だが、この試合の場合は、完全なる逆となっていたのだ。


 あまりに意外だったのか客は野次を飛ばすことなく、会場は静まり返ってしまった。


 その状況を察したのか、さらに追加で説明が入る。





「黒姫選手には高額の賭け金がございましたので、このオッズとさせていただきます。その代わり、アカガシ選手のオッズは【8.8倍】となっております!! どうぞ、ふるってご参加くださいませ! では、賭けのスタートです!」





―――ザワザワザワザワッ




 再び場内がざわめきに包まれる。




「お、おい、どうなっているんだ? 逆じゃないのか?」


「だ、だが、本当にこのオッズなら…相当な儲けになるぞ」


「誰だよ! 高額の賭け金なんて出したやつは! 最高にいいやつじゃないか!」


「でもよ、万が一ってこともあるぜ…」


「それこそ逆に考えろよ。1.2倍だったら、当たってもたいした儲けじゃねえ。男なら、ずばっと高額配当狙いだろう!」


「おお、それもそうだな!! こんなチャンスは二度とねえぞ!! 賭けろ賭けろ!!」



 こうして客の大半はアカガシに賭けていく。


 1.2倍ならば、100円賭けても120円にしかならない。リスクのわりには儲けが少ないのだ。


 これは賭け事をする人間に多く見られる思考回路である。



(ギャンブルを長くやっていると本命を嫌う傾向になる。高配当を当てて充実感を得たいと思うからだ。…うん、病気だな)



 アンシュラオンはその光景を冷ややかに見つめていた。


 ギャンブルで成功する秘訣は高額配当を狙うのではなく、本命を中心に買ってリスクを減らすことで、かすかに生まれた「上澄み」だけで満足することだ。


 よりわかりやすくいえば、高額の貯金をして利子だけで暮らすようなものだろうか。それで満足するのが成功者というものだ。


 だが、ギャンブルをする人間が求めるのは、高額配当を当てた時の激しい感情の爆発なので、多くの人間は本命を嫌う。


 これが3倍くらいならば大丈夫だったが、1.2倍という数字が嫌われたのだろう。




 これは―――予想通りだ。




(このオッズになったのは、オレが賭けた一千万のせいだな。さて、お膳立てはしたぞ。あとはサナ、お前次第だ)





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